プリンターが2つあり、古いほうのだがインクはたっぷり新しいカートリッジが入っているほうのが両面コピー中にクラッシュした。
悲惨だ。
どうも両面コピーは古い機械には負担が大きいと見える。
紙詰まりなのだが、悪戦苦闘してようやく取り出したものの、その後片面印刷でも異音が鳴り響いて文字化けするようになってしまった。
それでやむを得ず、別の場所にあった新しい(といっても2年前)ほうのを据え付けて、こちらもドライバーの認識などで手間取ってようやく印刷できるまでにこぎつけたが、もう怖くて両面印刷などできない。
「坂口安吾 勉強記」
サンスクリット初級は先生が新しくなり、だいぶ雰囲気が変わった。
いまのところ文化史などでお話が続くのでたいへんわかりやすい。
途中上記の本を紹介してくれて、おもしろそうなので青空文庫で取り出して読もうとして、印刷途中でプリンターが壊れたというわけです。
(印刷したあとですがアマゾンKindle版で無料でダウンロードできました)
今年度はアイパッドミニではなくてデスクトップパソコンのほうで受講しています。
こちらも古いパソコンだからカメラもマイクもなくて、これでだいじょうぶかと不安だったけど、配信されてくるほうは画像も音声もちゃんと入ってくるし、チャットや挙手などのアイコンがあって、人並みの機能は揃っているような気がする。
タブレットはその点、省略画面でアイコンが少ないので不自由なのです。
もっとも6年前の製品だからかもしれないですが。
「近代仏教入門」
昨日夜の新しい講座ではまず東大周辺の仏教ゆかりの史跡などのお話があったのだが、なんだか浄土真宗が8割、日蓮宗が2割弱、浄土宗がほんの少々、という感じで、高野山真言宗などまったく上がってこない。
静岡市に真言宗が少ない理由、を修論のテーマにしようと考えた浅はかな時期も当初あったのですが、東京でもこのような状況だとすると、もしかして絶滅危惧種かもしれないなあ。
ゆく川の水は絶えずして・・・とあるように、平安初期に空海の教えは空前絶後だったかもしれないけれど、その後の歴史をみれば必ずしもそこで踏みとどまっているわけにはいかないようだ。
「皇后考」という本を読んでいると、天皇家においての仏教も上のふたつ(浄・日)が垣間見られている程度で、むしろカトリックなどキリスト教が目立つ。
天皇家がキリスト教に近いというのは意外だった。
密教が文化としても根付いていたのはもしかして平安時代だけだったのかな。
私はもともと宗教心が希薄なほうなので、密教と平安時代の文学があればそれだけでも十分楽しめますが。
「チベット仏教入門」
今日の午後3時からはこの科目があり、初めての先生。
よく確かめたわけではないが受講生が40人くらいあったような気がする。
すごい数です。
他の科目もだいぶ前年度より受講生が増えている。
これはなんといってもオンライン授業による便利性のためではないだろうか。
かくいう私もオンラインでなかったらもうまったく手も足も出ない。
そして仮にコロナが収束して正常に戻ったとしても、対面授業ではもう無理だと思う。
年齢、体力、時間、費用、すべてに問題が生じてくる。