春夏秋冬

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本を整理

2018年02月28日 | 読書

昨年は密教の勉強に取り組んでいたため、かなりの関連書籍を入手した。

たいがい「お薦め」を参考にして、タイトルだけで実物を見ずに注文するので、当たりハズレが大きい。

梵字関係はとくに手当たり次第購入したため、内容が古すぎて判読不能なものまである。

囲碁も同じくで、定価が桐箱入りの和綴じ本など、珍奇な書物をいくつか仕入れ、本当に持て余している。

トドメを刺されたのは今回ヤフオクで購入した「適情録」一式(定価が14万円)で、たったの1万円で買えるのならと安易に考えていたところ、前回「日本の古本屋」で2万円で購入したときには桐箱入りだったのに、それはついておらず、かわりになぜか意味不明の古い本が1冊入っていた。

この写真はヤフオクのページからのコピーだが、この左手前にある本、なかなか不気味な内容なのだ。

ちょっと恐ろしくて内容を丁寧に見てはいないが、呪術書か祈祷書か、そういった気配があるのだ。

気味が悪いからといって棄てることもできないし、どうしたものだろう。

適情録解説書のほうにも目を見開くようなことが起こった。

前回購入した適情録一式に付帯している解説書とまったく体裁は同じものなのだが、ページを開いてみると、若干印刷の色の濃さに差がある。

前の本ではまずそのインクの薄さが気になって、ヘンな本だなあと思っていた。

今度のは少し色が濃くなっている。

それで見やすいほうはこちら・・・と解釈してケースに戻そうとしたら、どうにもはまらない。

それもそのはず、2種類の同じ解説書は厚さが肉眼ではっきりわかるほど違っていたのだ。

同じページ数、同じ内容で厚さが違う。

本が違えばケースも同じく違っている。

まったく理解ができない。

解説書の表紙裏にはクロネコヤマトの伝票がはさまっていて、藤井✕✕様宛 神宮司庁(三重県)、という紙切れがあり、それなりに由緒正しいところから発送されたものではあるらしい。

そんなわけで私はこの書物一式を手許に置く気にはなれなくなったので、この際、持て余している希少本を放出することを決意した。

この適情録一式のほか、やはり2冊めの梵字搨鑑、サンスクリット語の本、など。

売却するといってもおそらく二束三文だとは思う。

それでも本棚にあってイライラするよりはましだから。

 

 

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雅山の展示会へ行ってきました

2018年02月25日 | 日記

雅楽器の製造直売・・・雅山の展示会が京都西本願寺聞法会館(もんぼうかいかん)で開催されました。

去年の夏頃から篳篥の師匠(神主さん)に「本管を持ちたいんです~」と強く要望を出してあったのですが、先生に買ってもらうつもりで、簡単にどこかの雅楽器販売店から取り寄せてくれるか、知り合いの業者に頼んでもらうとかの方法を想像していました。

なかなか先生がすぱっと選んでくれる気配がないので、去年の仲秋管絃祭には間に合わず、したがって自分へのご褒美としての古希祝いをなんとか年度内に得んとして焦っておりました。

先生がちらっと「雅山」はよさそうだよ、という話をしてくれたので、雅山のホームページを見ていたら、12月に高松で展示会があり、そりゃいくらなんでも遠いでしょ・・・と見送り、今回京都での開催だったので思い切って決行。

事前に雅山さんには電話で連絡してあって、製作者の方が直接応対してくれました。

やはり作者の顔が見えるというのは素晴らしいことです。

私が持っていった蘆舌をチェックして、悪いところは修正してから試し吹き。

3個のうち、昨年10月から使用している蘆舌はあきらかに中央部を削り過ぎだそうです。

葦はもともと均一に丸くなっていて、それをひしゃげて平らにしてあり(吹き口)、削るときにはその角などは壊れそうなのでそっと削るのに、中央はつい削りすぎてしまうのだとか。

もちろん先生の名誉のために付け加えますが、それをやったのは私です。

「おい、なんとかまともに音が出ないか!」とこっそり小刀で削っちゃったので。

2個めの、浜松の個人の方に頼んで作ってもらったのは、音程はぴたりと合っています。それは助かります。

時々強く吹くと、ビーっと鳴って、音が割れる、ということを訴えたところ、内部に繊維のくずが見えているのでそれをきれいにすれば直るでしょう、ということで直してもらいました。

3個めの先生から受け取ったばかりの新しい蘆舌は、音が出るものの、さすがにまだ吹き込みが足りないので無理でしょう、ということでした。

それでおもに浜松製ので試し吹きをやりました。

手持ちのセメがどれもだんだん合わなくなっているのは使っているうちに平たくなっているためらしく、雅山さんが「ちょっとよろしいですか」と言って、セメを立てにして歯で噛んで形を整えていました。

雅山さんが吹いたり、私が吹いたり、いっしょに音を合わせたり。

思ったよりしっかりした音が出ますね、と褒められたのかなめられていたのか。

1個めの手持ちの蘆舌は音量は出るのですが一番高い音が不安定で出しにくく、合奏のときには他の楽器に合わせるので音が出るけれど単独だと音程の低さが気になってしまうと言ったら、彼が吹く音とと同時に私も吹いて、ぴったり音程を合わせられました。

そこでまた「何かほかの音楽をやってらっしゃるんじゃないですか」と褒められ、いい気分。

音が不安定と感じる場合、しっかり自分でその音の高さを唱歌などでつかんでいればちゃんと演奏できる、と言われました。

たしかに指の押さえを同じにしただけでは篳篥は音の高さを決定できないんですね。

本管は3段階のうち最上級のものにしました。

雅山さんは価格の上下ではなく蘆舌との相性などある、と言われましたが、蘆舌には寿命があるので、私としては管に合わせて蘆舌を育てるほうが現実的かと思うのですが。

高いものから、煤竹樺巻、煤竹籐巻、白竹籐巻となります。

その違いは、巻いてあるものの材質が樺の場合、ほんのり赤みがかっているため、黒漆が使っているうちにだんだん剥げてきたとき、赤い部分が残るので美しいらしい。

籐の場合は白っぽくなって、漆が剥げたという感じなるそうで。

私は一生に一度の買い物だから、一番いいものを欲しかった。

満足のできる一品を手にすることができてよかった~~~

つぎのお稽古のときに神社に持っていきます。

ご参考までに、篳篥と龍笛と笙を比べると、篳篥が18万円、龍笛は24万円、笙は100万円が本管の相場です。

龍笛が篳篥より高いのは技術的なものよりも素材である煤竹などの使用量が多いからか。

笙が滅茶苦茶高いのは仕組みが複雑で大きい楽器からでしょう。

私は昔ピアノをやっているときに、バイオリンのように持ち運べる楽器が羨ましかった。

今は篳篥一筋だけど、この小ささはたまらない魅力だ。

こんなに小さいのに音量はすごく大きくて存在感がある。

息を吹き込むときには龍笛のように加減することなく目一杯吹いてちょうどいい。

このすっきり感がとてもいい。

 

 

西本願寺へは大学生のころ美術史の旅行で行ったことがあるだけ。

そのときは飛雲閣(聚楽第遺構)など内部を拝観しましたが、今回、ある程度中に上がってお参りすることができるようになっていました。

それにしても大きい。

大本山の風格十分。

 

 

 

 

京都駅へ午前8時に到着してしまったため、西本願寺へは歩いて15分、さいわい聞法会館の中は暖房が効いていて待ち時間が長くても助かりました。

ロビーの左側に和室があって、ここにコの字に机をしつらえて、右から篳篥、龍笛、笙、ケース、楽譜などの順に展示してあり、それぞれに担当者がいて、相談にのってくれます。

篳篥は試し吹きするのにお茶が必要なんですが、ここで出されたお茶はじつに美味しかった。

とても煎茶や番茶、抹茶入り玄米茶とかではないです。

いい茶葉を使っています。

インターネットで適当に注文して楽器が届く、という方式ではなく、作者から直接篳篥の扱い方を丁寧に教えていただいて、蘆舌を合わせてくれて、ほんとうに得難い体験をしました。

わざわざ京都まで出かけた甲斐がありました。

 

さて、このあと、すんなり帰るのもなんだからちょっと東寺まで足を伸ばしました。

もちろん徒歩です。

 

五重塔の内部公開があったので見てきました。

法隆寺はいつでも内部公開しているのにね。

もとの彩色はきっと鮮やかだったろうなあ、と思います。

内部公開といってもこんなふうにのぞくだけですが。

 

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由比東海道広重美術館「「浮世絵と囲碁」

2018年02月09日 | 日記

2月6日から4月1日まで、由比東海道広重美術館で徳川囲碁まつり協賛の浮世絵展を開催しています。

日本棋院から送られてくる囲碁ポスターの表紙に出てくるような、碁盤の絵柄の入った浮世絵がたくさん展示されていてなかなか見応えがあります。

これを所蔵していたのは外国人だというから驚きです。

 

 

「カメの甲羅干し」生きています

小学生はほぼ退館するところだったので、中は静かです。

 

バイパスは薩埵峠のあたりまでは富士山が大きく見えますが、由比の蒲原の方角へ進むと逆に山の陰に隠れて富士山が見えなくなってしまいます。

 

 

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