春夏秋冬

言わぬが花とは知りながら
ときどきつぶやいています
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常楽我浄四顛倒見四不顛倒見

2021年08月31日 | 日記

常楽我浄、という言葉は初めて知った(大乗起信論)のだが、なんとパソコンでは一発変換!

つまり、世間では周知の事柄を私はまだ知らなかったわけで、まだまだ初心者だなあ(反省)。

四つ

1 世の中のものは全て無常であるにもかかわらず、われわれがそれを常住と考えている

2 世の中のものは全て苦であるというのが仏の教えなのだが、われわれはそれを苦と思わず、人生いろいろ楽しいものがあると考えている。

3 全てのものは無我であり、自我は実在しないというのが仏教の基本の教えであるが、われわれは我、自我というものを基本としてものを考えている。

4 身体など、われわれを取り巻いている世界のものは不浄であると仏教では教える(これは美人だと思って心を動かすが、その人も死んで体が腐っていくのを見れば、なるほど無常、不浄だと思って執着しなくなる)。不浄観。

 

人生を常住、快楽、自我、清浄で美しいものを見るのはその根底に執着を秘めている、あるいはそれに対する執着を助長する意味で、間違った見方であるとして、これを四顛倒見という。

無常、苦、無我、不浄とみるのが四不顛倒見。

そのような見方を身につけるように勧めるのが仏教一般の教え。

高崎直道の大乗起信論解説書はなかなか奥が深くてかんたんに手放せないみたい。

 

八月もきょうで終わり。

 

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ローマナイズ入力方法

2021年08月29日 | 日記

OM sarasvatyai svAhA

サンスクリットをローマナイズすると困った文字入力が発生します。

Times New RomanでUnicodeを使えば、上記のMの部分はmに下点がついたもの、Aはaの上に伸ばす~のようなマークがついたものに変換できるのですが、同じ入力方法を使ってもうちにあるAパソコンでは可能でもBパソコンでは不可。

さらにAパソコンでもGooブログの投稿欄では不可。

そのため、「京都-ハーバード」方式でやむなく上記のように変換せざるを得ません。

読み方は「オン サラスヴァティヤイ(この部分は微妙) スヴァーハー」ですが、読み習わし的には「オン・ソラソバティ・エイ・ソワカ」となっているみたいです。

弁才天の真言です。

弁才天はインドの女神サラスヴァティーのことなので、ソラソバティにはならないはずだと思いますが、それを言ったら真言は片っ端から「ちょっと変」ということになってしまうので、日本語にするとこうなるということですね。

サンスクリットの先生はファンクションキーにそれぞれ割り付けて、一瞬で呼び出せるようにしてあるそうです。

それも私ではどうやればいいのかわかりません。

昨年は、両部曼荼羅のすべての尊の真言陀羅尼を調べて1冊にまとめ、それをのちに弟子入りさせていただくことになる先生にお見せしたところ、ローマナイズで入力してあったためにおほめいただきました。

せっかく覚えた技法なのにこのパソコンではできてもあのパソコンではできないとか、困りますねえ。

パソコンが古くなり、自分自身の視力や頭脳までもクラッシュしないように、もはや時間との闘いです。

「2021年の仲秋の名月は、9月21日です」

今年は完全な満月だそうです。仲秋管絃祭、懐かしいなあ。

一昨年までは浅間神社での奉納が年中行事最大の楽しみだったのにコロナで失われてしまいました。

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残暑厳しいです

2021年08月27日 | 日記

夏らしい暑さというよりただ蒸し暑いだけの息苦しい毎日。

朝からエアコンかけっぱなしでひっそりと暮らしております。

「空」というのが私なりにイメージできるようになったみたいです。

配偶者がいても、こどもがあっても、独身でいても、最後は必ずひとりになります。

独身はともかく、こどもはあったとしてもいつかは巣立って自分の家を持つので最後は自分ひとりになると思っていい。

配偶者がいるかいないかでは微妙に違うけど、先に逝けたほうはどちらかというとラッキーなんですが、そうなるとかえって後ろ髪をひかれるし、どちらがいいんでしょう。

明日も明後日も未来までも残らないものはみんな「空」だと思う。

「自灯明法灯明」、「引導作法」、「犀の角のように一人歩め」。

これは入学当初、最初に個人面談していただいたM先生からいただいた言葉です。

なぜか「引導作法」は先生自筆の書付があって、財布の中に入っています。

いま思うと手厳しい先生でしたが、かなり核心をついているようです。

 

この暑さでマンゴーはすくすく育っている。

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如来蔵思想

2021年08月26日 | ZOOM

先週の土曜日にZOOM受講した鈴木隆泰氏の「内在する仏 如来蔵」。

少し興味があったので氏の著書(2021年3月発刊)を読もうとしてカーリルで検索してみたところ、静岡県立図書館にありまして、これが驚くことに「貸出中」になっていました。

私の場合、仏教書は必要に迫られてやむなく読まざるを得ず、なかばイヤイヤ読んでいるようなものです。

借りてくる本はどれもほとんどまっさらで、やっぱりこんな本読む人いないだろうななどとつぶやいていたものですが、今回初めて現在「貸出中」になっている本にめぐりあいました。

これは画期的なことで、つぎの予約が入っていないと連続してその本を借りたままにできることになっており、手元にある『大乗起信論』の注釈書はすでに4期目です。

早速手続きしたので、今借りておられる方がいつ返却されるか、読むのが楽しみです。

ほんとうに納得のいくものであればもちろん購入しますが、とにかく試してみないとね。

『大乗起信論』の注釈書は絶版になっていて、中古価格が高いので入手できません。

単位を取るために密教関係の本とか初期仏教の本などはたくさん持っていますが、東大仏青のオンラインで学んだ知識からすると、どうやら私の場合、根本的に大乗仏教のなんたるかが理解できていないということがわかりました。

高野山大学大学院通信教育課程は科目履修生で2年、正科生で3年目にしてようやく大乗仏教といういわば振り出しに戻るわけです。

まだまだ試行錯誤する時間に余裕がありそうに見えますが、この先は寿命と健康との闘いでしょう。

7月は腰痛で悩み、8月は左股関節の上部に鈍痛があり、運動は最小限にしてひたすら暑さに耐えている有様。

2年前の2019年9月、猛暑の中、駿府城発掘現場で労働していたころの元気さはありません。

 

 

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言葉を忘れないようにする

2021年08月22日 | 日記

幡垂飾(ばんすいしょく)

法隆寺献物の一。叔母(97才)にもらった幡垂飾鈴(写し)のペンダントを大切に。

一闡提(いっせんだい)

イッチャンティカ。一切衆生悉有仏性という世界にありながら救われない人のこと。

黄櫨染(こうろぜん)

天皇陛下のお召し物の色。どちらかというと茶色。

 

昭和2年生まれのおともだち(私より20才年上)がいて、一人暮らし。

私の顔を見たい、というSOSが来たので訪問してきました。

自分の親とは戦争体験など話したことはほとんどなかったけれど、彼女からはいろいろ聞いています。

日本橋箱崎町というところに住んでいたころ、空襲にそなえて出入りの左官屋さんが、家の真ん中の八畳間の床をはいで穴を堀り、3人ほど入れる防空壕を造ってくれたそうな。

近くを隅田川が流れているので水が出るのではと心配したが、問題なかったそうで。

空襲を知らせるサイレンの音が危険度に応じて鳴り分けていて、今の消防署のと似ています。

避難先は日本橋三越の屋上でした。

空襲で燃え盛っている光景を屋上からみて、おそるおそる帰宅してみたらぽつんと無傷で残っていた。

戦後、自宅の2階に東大生を二人ほどおいて、賄い付きの下宿を始めたという。

ご本人は現お茶の水女子大学出身の数学の先生、ご主人(4年前なくなる)も平成天皇から直接皇居で叙勲されたほどの方でした。

94才ともなるとよくぞ一人で暮らされていると感心するものですが、さすがに足腰は弱っています。

人間はいつかはそうなっていくものだと肝に銘じて、現在という時間の有り難さを痛感します。

思えば私の実家も私の居住する家も道路から平坦な土地にあってその便利さに気づかなかったのですが、きょうのお宅は家(高台の分譲地)の前の道路に傾斜がついているので、けっこう大変です。

車で行くと車庫入れが難しいので今日はバイクにしたのですが、門の前の道路が斜めに接続しているのでバイクを倒さないように敷地内へ入れるのに危険を感じました。

道路へ置いたままにすることもできません。

高齢者になって二輪車に乗る場合、この段差(傾斜)は見過ごせないと思います。

たとえ家の中をバリアフリーにできたとしても道路との接続が平らでないとまずいですよねえ。

これは盲点だと思います。

 

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午前中「サンスクリット初級」午後「内在する仏 如来蔵」

2021年08月21日 | ZOOM

ZOOM

午前10時半~12時「サンスクリット初級」

Google driveに今までの授業の内容が取り出せるようになっています。

授業が終わった後先生がパソコンで板書したものを清書して再度送信してくれるので、とても助かっています。

ただし、自分の頭の中がさっぱり進化していないので理解のほうはなんとも・・・・・・・・

 

経典は漢訳されて日本に伝わるわけですが、もともとのサンスクリットは自然な文章であったはずなのに、無茶苦茶画数の多い漢字でびっしり埋め尽くされているとどうなんですかね。

密教を専攻していてなんですが、般若心経以外、もう経典を読むのはやめました。

これは短いのが長所で、終わりの方に真言(羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶)が出てくるので親近感がもてます。

これさえ漢字の写経はパスして、もっぱら梵字で書くことにしています。

※真言の部分はサンスクリットの音写なので、漢字にまったく意味がありません。

 

午後2時半~4時「内在する仏 如来蔵」

事前に送られている資料がA4サイズで24枚あった。

これを印刷して手元において授業を受けるのだが、画面はこの資料をクローズアップしていて、たとえば先生の顔とかも最初と最後に出てくるだけでとくに画面に見入る必要はなかった。

内容は資料を読み上げている形で変化がなかったので、ついに最後のほうで意識が遠のき・・・

質問を受け付ける時間となり、突然指名が始まったのでどっきり。

これはまずいと思い、二人目が指名されたころにウェビナーをこっそり退出し、あとはどうなったかわからない。

今思えば質問してみたいことはあるのですが、とっさに言われましても。

たとえば、「一闡提(いっせんだい、サンスクリットでイッチャンティカ)」、こんな言葉あったんですねえ。

まったく知りませんでした。

一切衆生には仏性があって(一切衆生悉有仏性)、その仏性は各自の身体に内在しており、諸々の衆生は数多の煩悩を滅ぼして後にブッダと成るのである。ただし一闡提はその限りではない。

たとえば極悪非道な人とか、強欲な人とかがいて、そういう人を一闡提と呼ぶのはわかりますが、そこまで目に見えてひどくなくても大なり小なり欲望をもって他人に迷惑をかけているかもしれない人はどこまでその範疇に入るのか。

そういう人は修行によってブッダとなりうるのだとすると、どの程度の改心をすれば一闡提という状況から逃れられるのか。

だいたい改心して一生かけて修行に励むような人は最初から極悪人にはならないと思うのですが。

あるいは平凡に生きていてとくに他人に迷惑もかけず自分のことは自分で片付けているような善人は、如来蔵が内在しているからなんの信心ももたずに努力せずにいても問題ないのか。

こういう如来蔵思想はどの宗派に取り入れられているのか、など。

まだまだ不勉強でした。

 

 

 

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やっと晴れ間

2021年08月19日 | 日記

本日の静岡県のコロナ発生数677人!

すごいですねえ。

先月からすると10倍は越えているのではないですか?

相変わらず周辺にはまったくその気配がないというか、自分自身が近所にさえも外出しないのでさっぱりわかりません。

買い物だけは出かけています。

港に面したドリームプラザはもともと観光客相手の施設なので、従来は観光バスや観光客の車で駐車場がいっぱいになり、クルーズ船が寄港するとそういうお客さんでにぎわいますが、このところまったく静かなもので、駐車場には余裕があり、好きな場所を選ぶことができるくらいです。

コロナ以前はにぎやかで近づきたくない場所でしたがいまは全然違ってゆったり歩くことができるし、ここでのお目当ては「野菜」、きのう入手できなかった胡瓜などドリプラでは朝取り新鮮野菜がスーパーの半値で並んでいました。

折戸ナスの小さいのが4個入で150円(税込み)、ふつうのナスより柔らかくて美味しいと思いました。

きょうは夕方近く、仏画の先生(奥さん)が私に見せたいものがあるということで立ち寄られました。

さーて、何かな?

それはチベット人の描いた曼荼羅(50cmくらいの額装)でした。

ほんとに細かくよく描いてあります。

日本のは上下がはっきりしているけれど、チベットのは縦横がさっぱりわからないくらい対象に描かれていました。

きょうの天気はかなり安定しており、洗濯物はしっかり乾き、夜には朧月、庭には秋の虫が大合唱しています。

 

 

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運動(去ることと来ること)の考察

2021年08月18日 | 日記

すでに去ったもの(已去)は、去らない。また未だ去らないもの(未去)も去らない。さらに(すでに去ったもの)と(未だ去らないもの)とを離れた(現在さりつつあるもの)(去時)も去らない。

これはきのう読んだ中村元『論書・他』p21にのっているナーガールジュナの論証ですが、はじめの2つはわかるもののおわりのほうはどうにも難しい。

こんなことはたしか『維摩経』にも出てきたような。

ずっと悩んでいましたが、どこがどうだとはとても広言できませんが、どうにか私なりに納得できるようになったので少しすっきりしました。

 

「聖徳太子展」

テレビ番組で現在東京国立博物館で開催されている「法隆寺展」の内容を見ました。

「地蔵菩薩立像」、聖霊院の「聖徳太子像」など国宝がたくさん。

例年、夏期大学で特別に拝観させていただいているものが現在東京へ運ばれているわけで、今の法隆寺は空っぽみたいです。

見に行きたいなあと思うけどこのご時世ではね・・・・・・・・

 

「雨」

このところ降り続いている雨ですが、静岡の場合あまり雨量が多くなく、庭の蓮鉢の水位はほとんど上がりませんでした。

しかし今日の雨はすごいです。

傘が役に立たないくらいの雨がざーっと降るかと思えばさっと止み、その間隙をぬって、野菜を買いに車で出ました。

きゅうりが1本108円!

信じられない価格です。

きゅうりは諦めてトマトは北海道産のを買いましたが、この天候不良ではこれからもっと野菜不足になるでしょう。

 

 

 

 

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ひさしぶりに般若心経

2021年08月17日 | 日記

3月以来ずっとさぼっていた般若心経を書いてみました。

梵字はまだかなり覚えていて、思い出すのはそれほど困難ではありませんでした。

高野山で買ってきた美濃紙はもったいないので、そこらへんにあった紙を使って、梵字は筆で、ローマナイズは銀色のボールペン、デーヴァナーガリーは金色のボールペンで3行に書いてありますが、デーヴァナーガリーは形だけ真似したもの。

だいたいA4の用紙2枚で収まることがわかったので、次回からはもっと字の間隔を均等にして、丁寧に書くことにします。

いまのうちにとにかく反復練習して完全に暗記できるようになるまで続けるほかないですね。

デーヴァナーガリーは書き順がわからないので難しい。

 

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お盆休み終了

2021年08月15日 | 日記
登呂遺跡の様子
むこうのほうで「火おこし体験」をやっています。


コロナの感染者数、全国で2万超。
静岡県はついさきごろまで50人前後だったものが今では300人超。
だからといってご近所のだれそれが感染したとか、まったく緊張が走るようなことはなく、平々凡々な日常です。
家族の予防接種はみなすでに2回済んでいますが、相変わらずマスクは着用(これがふつうの顔になる)、施設に出入りするときは行きも帰りも消毒し、エアロゾルが滞留しているようなところは出かけず(エレベーターは避け)、買い物のみ外出しています。
それでもお盆休みともなると往来は避けられず、安心安全を図るための最大限の努力をしつつも、登呂遺跡の見学写真があったりするわけです。
家族全員至って順調、まったく問題ありません。
うちの前にはかなり大きな防災公園風の山があるので、大変恵まれた環境になっており(20年前までは茶畑と雑木林)、散歩コースもあり眺めもいいです。
さて本業のほうですが、暑さのせいかひとつも頭に入ってきません。
その上、せっかく印可を得た悉曇さえもほとんど忘却の彼方に消えていくありさま。
このままではまずいので本日終戦記念日を境として、心を入れ替えることにしました。
明日から、また梵字書道(おもに般若心経)を始めて、デーヴァナーガリーとの互換表を作ったり、サンスクリットの復習をしたり。
レポートは今年は無理ですね。
読む本が横道にそれているので、なかなか集中できません。
今年はこの15年間ではじめて旅行をしない夏になりました。




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中間発表

2021年08月05日 | 高野山大学
通信教育室からレジュメのファイルが送られてきたので、少しずつプリントアウトしてみました。
現地で参加すると印刷されたものをもらえることになっていますが、自宅にいながらにして参加できるだけでもありがたいことなので、インクカートリッジが空になりそうなのを気にしながら続けてみたところ・・・・・・・・・・
順不同に印刷したのですが、途中で「Enjin」とかいう文字や画像がデカデカとA4一面に拡がっているちょっと変わった内容のものがあり、あわてて中断。
もしかしてパソコン画面の変な広告をクリックしてしまい、そちらへ移動させられたのではないかと。
しかしこれはちゃんとプログラムにのっている人のものでした。
34ページ、1538KBあります。
たしか前に見た記憶では中間発表の資料は簡潔に5ページ程度にまとめること、と書いてあったような。
さらに3860KBというのもありましたが、これは27ページなので手書き部分が多いためかと思われます。
昨年の発表者の中に2名存じ上げているかたのお名前があったものですから、通信教育室にお願いしてレジュメを電送してもらったことがありますが、それは想像通りのスタイルで違和感はありませんでした。
今年はなんだかどっぷりと自分の世界観を強調する発表者が多いような予感がします。
ただし、大学側がレジュメの膨大さを指摘することなく、配布しているのだから、これも問題がないわけです。
とにかく発表者みなさまの考え方、方向性、大学側の指導のあり方などを見極め、自分がイメージしている修論とどこまで一致しているか、自分の殻を打ち破ってそこまで到達できるのか、今日は重要な一日になりそうです。
開始は10時半です。
 
メモ
№1
「三昧耶戒序」(仮)
『大乗起信論』が出てきた。
「信」と「根」について南先生から質問あり。
土居先生、「信」と「根」の両方を説明すべき。「信」に偏っている。
華厳宗、しんまんじょうぶつせつ。しゃくまかえんろん。
№2
「空海と最澄、訣別」(仮)
灌頂についての書簡を分析している。
自分の持ち時間をオーバーしているのでハラハラ。
どちらかというと資料を長々と説明されるより、先生の質問を聞きたい。
時間内に収束できない人の話は理解に苦しむ。
途中、注意されるがまだ話をやめない。さてどうなりますか。
№3
「空海と最澄」(仮)
かなり時間通り進行。
先生は資料と説明が一致していなくてわかりづらいというが、私はむしろわかりやすかった。
№4
『裒聚林』にみる阿字観。
よくわからなかったが先生の評価は高いような印象を受けた。
着眼点がいいみたい。
 
ここより午後
 
№5
「東国仏教」(仮)
レジュメが手書きで膨大な量。
はじめの4分間、音声が入ってこなかった。
もともと発掘などで仏教に関連した研究をしている人らしく、多弁。
№6
「綜芸種智院 」(仮)
№3の人から「綜芸種智院 」はなかったと指摘あり。貴重な質問時間をひとりで長々と持論展開のために使っている。№5からも一言あった。
№7
「リーダーシップ特性の解析」(仮)
着眼点がいいです。一直線に完成に向かいますね。
しっかり文献を取り入れつつ現代用語をちりばめています。
海外からなのに画質はまったく変わらず、音声も明瞭です。
時間通りだし、先生にも期待されているし、理想的な発表でした。
№8
「理趣経」(仮)
いきなりスライドで展開している。今のところ、発表者の中でいちばん「文献学」と遠い内容のようにみえる。20分の持ち時間の前半分はカタカナの専門用語でまったく理解できず、後半から理趣経が出てくるがまったくわからなかった。通信生の質問者(№5)あり。司会の前谷先生の質問あり。「苦」の解釈。理趣経の「清浄」の解釈。cleanであって  pureではない。松長先生は経典の内容を学習すべきと。
№9
「Enjin」(仮)
なんだ、これは。会社の宣伝か。
土居先生の質問。空海の観法は瞑想法と同じレベルで考えてよいのか。
南先生、すばらしい。「第一部、第二部、第三部、3つに分けて論文になるところはどこにもない」と言い切った。おもしろい先生だと思う。
前谷先生、サンスクリットの解釈で論破。
№10
「阿字」(仮)
ZOOMなのにマスクをしている。
考古学さんが質問。
南先生がかわって説明。『大日経疏』に他の種子にも同様なことが書かれているというのであとで見よう。
土居先生。阿息観について。般若経→大日経疏。般若経が大事。
最後に前谷先生が、「行者」は「ぎょうしゃ」ではなく「ぎょうじゃ」です、と指摘。若いだけあってほほえましいといえばいえますが。
種子に関しては『大日経疏』を読まなくてはならないみたいだと知りました。
 
 
 
初めて中間発表を拝見しました。
正直な感想。
じつにさまざまな人間の集まり(曼荼羅模様)。
イメージしていた修論に近い人もあれば、担当教官が目を通しているはずなのにこれでいいの?というのもあります。
松長先生はかつて私に「修論は文献学です」と言い切ったんです。
そのとき自分にはできないとほぼ絶望しました。
しかし今日の内容をみると、文献学などどこへやら、すごく自在に展開しているではないですか。
 
今日の発表者の中で、だんとつレベルが高いと思ったのは「リーダーシップ特性の解析」です。
私だけでなく、隣りの部屋で聞いていた夫もそう言っています。
完成のあかつきには是非拝見させてください。
 
「追記」8/6
おおむね印象は変わっていませんが、あらためて思うことは、自分には修論を書くのは無理だと諦めるのはまだ早い!
東大仏青の受講メモに、「仏教学」とは「文献から思想をよみとる学問」である、と記してあります。
私が今後なにかしらに取り組むとして、そこに必要なのは空海の著書や大乗仏典、密教史などの文献を読み解くことは必須ですが、さらに一目でテーマを感じるような題材を得ること、そして極めつけは相当量のカタカナ現代用語を散りばめることだと感じました(これかなり重要です)。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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ワクチン接種2回めの副作用ありました

2021年08月04日 | 日記

昨日、午前11時より少し前にワクチンをかかりつけ病院で接種しました。

左の肩の上部に注射して、その下側がだんだん痛くなり、腕が痛いくらいはどうってことないと思っていたところ、午後9時ごろから悪寒が走って体が小刻みに揺れるのがわかりました。

昼間からエアコンをかけっぱなすほど暑い日だったのに震えるんです。

その後動けるうちにシャンプーしなくてはとシャワーだけ使い、ほんとは夜でも蒸し暑いだろう夜に長袖のパジャマとさらに長袖をはおって寝ました。

もちろん解熱剤は飲んでおきましたが、そのときの体温計の数値は38度を超えています。

ベッドの横に水分補給のものとか万一吐き気がしたときのためにそれなりの準備をしておいて。

朝方また熱を測るとやはり38度あります。

それでもう1度薬を飲みました。

午前10時現在、37度1分でしたが、体はだるくとても日常生活ができません。

ふだん私の体温は36.0度と低く、37度あると十分熱があると言えます。

血圧は上が127、下が67問題なしですが、脈拍は86と多く、発熱のせいかと思われます。

今日は1日じっとしておきますが、明日は高野山大学の修論中間発表があり、ZOOMで見学させてもらえるので、なにがなんでも今日中に治さなくっちゃ。


「その後」
午後4時、38,4度でした。
体がだるくてなにもできません。
カロナールをまた飲んで様子を見ていますが、ほんとうは私はロキソニンが合っているんです。
だけどもし副作用で突然死したら困るので。
ネットで調べると、70代はほとんど発熱しないみたいなこと書いてあって、私はそういうところばかり若い世代の数値に近いなんていやになります。
熱が出ていると、クーラーがないところでも全然汗をかかない。
いっそ大量に汗をかけば熱が下がるのでしょうが。

「またその後」
3回目のカロナールのあと、午後6時、ついに平熱36度2分に戻りました。
それまでの強烈な倦怠感、頭痛、体の節々の痛みなどがすっかりなくなり、起き上がれるようになりました。
薬のために一時的に下がったのかどうかはまだ未知数ですが、とりあえず回復しています。
コロナワクチン、やはり強烈ですねえ。

「一件落着」
午後11時、あきらかに平常に戻りました。
薬は飲んでいませんがぶり返してきません。
明日の中間発表Zoom見学はしっかり参加できそうです。
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コロナワクチン接種2回め

2021年08月03日 | 日記

やっと2回め完了です。

これから副作用が出てくるのかなあ。

1回目のときは翌日に腕が痛くなって不快感があったのみですが、噂では2回めで発熱などあるそうなので心配しています。

不安はありますけど、もしこれで少しでも感染リスクが減るのであれば社会のためにもなるのでしかたがないです。

病院の待合室で順番が近づいて中廊下のほうへ移動したときのこと、看護婦さんが私のネックレスを見て、「仏教の法具じゃないですか」というので、つい五鈷杵の説明なんかしてしまいました。

そのあと、両手をあわせて拝まれてしまったのにはびっくり。

世の中に年齢に関係なく信心深い人はあまたいるらしく、密教学科に籍をおいている私以上に熱烈な信者がいるのには恐れ入ります。

私などまだまだ信心がゼロなほうで、とても信者の部類には入りません。

ひたすら懐疑的で毎日のように本を取り寄せてはページをめくって響く言葉を探すのに必死な状態です。

このネックレスは私がメガネチェーンとして作ったもので、ベネチアガラスのいいのを使ってあります。

メガネチェーンとしては出番がほとんどなかったのですが、このあとマスクチェーンに変身させ、愛用してきました。

チェーンにつけるマスクはウレタン系のがよく、不織布だとつっぱって妙ちきりんな形になります。

病院ではウレタン系より不織布のほうがよろしかろうというわけで、その隙間に五鈷杵をつなげてみたのです。

五鈷杵は先端部分の爪が均等の幅になっていないので、一番狭い場所を選んでメガネチェーンのパーツ(カニカン)をつけるとちょうどよく、すり抜けません。

それでペンダントにすることができました。

これからも魔除けのために身につけることにします。

庭に野生の百合が生えています。

けっこうきれいではないですか。

名前を調べてみると、

生態系被害防止外来種リスト「総合対策外来種」

というのに該当していて、「シンテッポウユリ」というものらしいです。

背景にある葉っぱは「月桃」の葉で、ユリの葉は細い。

「次郎柿」

「デコポン」

 

    

 

 

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叡福寺

2021年08月01日 | 日記

法隆寺高田良信長老の本を見ていたら、聖徳太子磯長陵叡福寺が真言宗単立寺院であると書いてありました。

ずいぶん前になるけれど、法隆寺夏期大学に通っていたある年、こういうことは一度だけでしたが、最終日にバス10台くらいに分乗して、法隆寺から太子町の磯長陵まで参拝に連れて行ってもらったことがあります。

非常に鮮明に記憶していて印象的なお寺でしたが、法隆寺と同じ法相宗ではなくて真言宗だったんですねえ。

夏期大学には超ベテランがたくさんいて、大昔にはバス見学がかなりあったらしく、それに参加したいがために年齢制限があったので息子の名前を借りて参加したという経験談も聞きました。

ちょうど高野山大学の夏期スクーリングと重なることが多いので4年前からは1度しか奈良へ行っていません。

そのときは初めて法隆寺からJRの路線を乗り継いで和歌山へ入り、途中真夏なのに冷房のない列車に乗って愕然とした記憶があります。

去年も今年もコロナのために夏期大学は中止。

来年こそはぜひ実施していただきたいです。

ところで聖徳太子の命日は622年(推古30年)の2月22日だそうで、とても覚えやすい数字です。

 

コロナ、一気に拡大していますね。

インドの感染者数が1日に何万人とかいうことでしたが、日本の10倍の人口なので、今の日本の数に対比させると日本のほうが10万人を超えていることになり、インドよりひどい。

高齢者世帯はどのみちこの炎天下に出かける気力もとぼしいのであまり影響はないですが、育ち盛りのこどもをかかえている若い世帯はストレスが大変なものだとお察しします。

こどもを家に閉じ込めておくのってほんとに大変なんです。

なにもかも一律にダメ出しするのではなく、ワクチンを2度接種した人は多少なりとも行動を緩めてもらうとかできないですかね。

接種しても当然マスクはするし、手指の消毒もかかせません。

 

「空海と最澄」

このおふたりは決別したことで有名ですが、その理由は「理趣経」を「貸す貸さない」が原因だったようです。

最澄さんほどの偉い人にさえ、独学ではだめですと空海さんが断ったわけです。

それならば私のように浅学非才のものが経典や注釈書を読んでわかるわけがありません。

ここに私のつまづきっぱなしの要因がありましたね。

 

 

 

 

 

 

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