「サンスクリット初級」講座は本日が最終回です。
講師の左藤先生は2022年7月より、担当されました。
当初は渡邊先生という同世代の超優秀な若手の先生でしたが、6月に急逝され、突然交替されたのであります。
W先生もわかりやすくとてもいい内容の講義だったのですが、そのあとの左藤先生はまた斬新な手法で目を見張るほどです。
2022年夏の高野山大学スクーリングのときと、翌2023年の夏のときとそれぞれおひとりずつ仲間を誘って、いまではZOOMメンバーの一覧のところにふたりともお名前を見つけることができ、とてもうれしく思っています。
私は左藤先生以前に2020年から東大仏青に入って、サンスクリットの勉強を開始していたのですが、春に申し込んでもコロナの影響で開始がのびのびとなり、実際に開講したのはその秋の10月末でした。
当時はZOOMではなくて対面のみです。
それで新幹線で東京ー静岡を往復するわけですが、いまから思うとよくそんなこと考えついたなあ・・・・・・・・・・という感じ。
実行したのは2回だけ。
諸事情あってギブアップし、参加とりやめを事務局に申し出てすべて投げ出したつもり。
ところが事態は急転して、1回休んだあとの4回目からはオンラインで実施されるようになったのです。
コロナの影響だと思います。
それで残りの分はオンラインで受講できるようになりましたが、このときの私のレベルはもう箸にも棒にもかからない段階で、結局何もわからないまま終わってしまうことに。
翌年は最初からオンラインのみで予定され、先生は別の方に交替されたのですが、この方がまた物静かでやわらかな語り口、綿密な資料の提供、まるで東大出の家庭教師が横にいるという雰囲気でとてもよかった。
私自身は2年目とあってもやはりサンスクリットがちんぷんかんぷんのまま。
2022年、上記のように渡邊ー左藤ラインで展開したサンスクリット講座はそれまでとまったく異なり、初心者にもわかりやすく、いきいきとした内容で、これ以上の授業はどこにもないとだろうと確信しております。
さて問題は来期からのことで、これから悩むところです。
「涅槃会」第322回公開講座
講師:河野訓先生(皇學館大学学長)
演題:「仏教と神道」ー伊勢神宮と伊勢における神仏分離ー
日時:令和6年2月3日(土)15:00~17:30
形式:対面およびオンライン
河野訓先生のご専門は宗教学・仏教学です。今回の講座では、伊勢神宮と伊勢について、神宮の成立、寺院との関係、明治新政府設立後の神仏分離の状況についてお話していただく予定です。・・・
(案内はがきより)
「サンスクリット、受講後」
左藤先生の授業は本当に素晴らしかった。
生き生きしている。
性格が明るくて前向きで屈託がない。
若さの魅力が十分。
およそ2年、膨大な資料が手元に残り、これから少しずつ読み返していこうと思う。
先生は関西へ移られるということなので、来期は別の先生になると思うけれど、次の先生はプレッシャーがあるだろうなあ。
私はというと、サンスクリットを少しだけわかり始めたところなので、なんとかして次につなげていきたい。
さてどのような方向で進もうか。
「公開講座を受講して」
「仏教と神道」や「神仏分離」というワードには惹かれるんですが、今回の講座はそれ以前に問題があり、まずカメラのアングルがどうみてもよくない。
舞台の袖から垣間見ている感じ。
音声にはもっと問題があり、ぶちぶちと途切れ、すごく聞き取りづらくて半分もわからなかった。
それで内容はまるで理解できなかったのですが、新しい言葉を覚えました。
「病気大切」
「早懸」
さてこの意味はなんでしょうか(クイズです)
答え:
明治二年巳巳七月 神仏分離により伊勢では神葬祭という形で葬儀を行うようになった。
これにより神領内に於いては人が死んだときは死といわず病気大切といい、葬送といわず早懸という。一切僧徒を近づけず法名戒名などいうものをつけず読経念仏等を行わず経帷子幡天蓋塔婆等を用いず線香抹香等を焼かず位牌石碑等に梵字を題し蓮華座を彫る等のことをしなければ其郷々の風習其家々の時宜に任せて可なり。
早懸は病体にて送る姿なれば棺の見えざるやう乗物形を造り其中に棺を舁行くべし
病気大切=死
早懸=葬儀
以上、本日の講義の最後に出て来た言葉です。印象的なので覚えてしまいましたが、「早駆」というのはあっても「早懸」というのは調べてみてもないですねえ。
おそらくあっという間に普及せずに消えてしまったのではないだろうか。