清水次郎長伝に登場する吉良の仁吉「荒神山の喧嘩」で
全国的に名の知れたお寺に行って来ました!
荒神山の喧嘩は慶応2年、1866年の4月に神戸の長吉と桑名の穴太徳が
縄張り争いでここ観音寺(三重県鈴鹿市)の裏山で200人前後が入り乱れ
ての死闘が行われたそうです。 三州吉良港の仁吉はこの戦いで凶弾を
受けて死亡するという任侠界最大とも云われる大出入があった処です
「高神山 観音寺」
「高神山 観音寺」は九世紀の初期(812年)に弘法大師が日本武尊の
ご神霊を仏像として祀ったのが始まりとされている古刹です
十一面観音像を祀る「本堂」
創建当時は神事山と云い、後に弘法大師の高野山の一字を取り
高神山と改め、俗に荒神山と書き
吉良の仁吉で広く名が知られたそうです
奥の院
観音寺は徳川三代将軍家光の乳母、春日局との関わりも深く、
三宝荒神像や九面観世音像、梵鐘など多くを寄進して上洛の
都度、参拝に訪れたと伝わっています
「十一面観世音」と見事な筆さばきで書かれた御朱印
弘法大師創建の古刹、観音寺は任侠の大出入りや春日局の
観世音菩薩信仰の深さを今に伝える伊勢の古刹であり
その境内は静寂の中、歴史の諸事を物語っているようでした