大坂冬の陣への引き金となった
大きな大きな梵鐘を見に行って来ました!
方広寺「本堂」
豊臣秀吉が1586年に奈良の東大寺を模して木像の廬舎那仏坐像を
本尊として創建したのが始まりとされています
本尊の廬舎那仏(大仏)は地震などで三度も破壊、焼失して
現在は本堂・大黒天堂・大鐘楼だけを残すだけになっていました
国宝の唐門のある豊国神社のすぐ隣にある方広寺はあまりにも
殺風景で寂しい境内には驚き、愕然としました!
「大鐘楼」
寂しく閑散とした境内ながらも有名な逸話が残る大梵鐘と
鐘楼の大きさには驚きました!
大梵鐘は京都三条釜座の名護屋三昌によって1614年に
鋳造されたもので鐘楼の天井絵が印象に残りました!
梵鐘に刻まれた「国家安康」「君臣豊楽」の銘文は救世の悲願を
込めたものであったが、徳川側は故意に曲解して家康への反逆の
意志であるとこじつけて豊臣討滅への口実に利用された
これを引き金に大坂冬・夏の陣へと進み豊臣滅亡の原因と
なった大梵鐘は国の重要文化財に指定されていて東大寺、
知恩院と合わせて日本三大名鐘の一つにされています