東大阪でそろばん教室を運営しているの先生のブログ 関西珠算瓢箪山教場・石切教場

子供たちから教えられたこと、感じたことを想いのままに綴ります。

「て・に・を・は」を初めとした助詞の違い

2017-07-18 09:28:05 | 日記
 これって結構重要なことなんですよね。でも中学生はこれがまだまだできていません。

 なんなら、新聞やテレビでもおかしい使いかたをしていますよね。

 ・新しいメニューが発表!

 なんですかこの日本語?

 「が」は主格の助詞ですよね。つまり「が」の前までにある言葉は主語(主部)のはずなんですよ。だからこの文は

 「新しいメニュー」さんが、何かを「発表」したと読むことができますよね。

 この文は「新しいメニューが発表された」か、「新しいメニューを発表する」としないといけないと思います。

 で、子供たちを指導するときは、特にこの助詞と言葉についてきちんと正していかねばなりません。

 最近「~くない」と言う言い回しを子供たちが良く使います。

 「あかんくない?」・「いけるくない?」とかね。こんな日本語ありませんから。

 こういうことはうるさく言いますよ。特に記述式答え方には助詞一文字まですごくうるさく言います。

 これは言い続けていかないと、芯まで理解できないみたいですね。




 そういえば、

 「生徒の力を伸ばします」という言い方はいいんですけど、「上位の生徒を」とか「優れた力を」とか「できる生徒を」伸ばします!

 なんてことをチラシやホームページ・ブログなどで発信される塾さんをよく見かけます。

 これは、「もともとの力が一定以上の生徒しか伸ばしません」あるいは「一定以下の実力の生徒は伸ばせません」と言う意味ですよね。

 もし、今の力に関係なく伸ばしていくのであれば、「上位の生徒」とか「優れた力」とか「できる生徒」伸ばします! と表現しないといけないと思うんですよね。

 もしも、最初の意味合いで使っていて、ある程度以上の実力を持つ生徒しか相手にしないならそのままにしておいていいと思います。

 でも、ある程度以下の生徒でも相手にするのであれば、その塾は日本語ですら満足に表現できないという問題を抱えているわけですよね。

 助詞を満足に使えない指導者が、子供たちを伸ばしていくことなどできるのでしょうか?

 「日本語」も「指導」もきちんとしたものでありたい。そして「日本語」も「指導」も正しくありたいなと思う日常でしたとさ。
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頼られる

2017-07-14 14:56:21 | 日記
 ことはものすごく光栄なことです。身の引き締まる思いがします(その割には痩せませんが…)

 たとえば、小学生が中学生に上がるときのお勉強に関わることについて
 たとえば、学校で何かトラブルがあったとき
 たとえば、ご家庭でのお子様の様子に何かを感じて
 たとえば、そろばんに限らずお子様が伸び悩んでいるとき

 などなど、困ったときや相談したいときにお話し相手として選択肢に私がはいっていることはとてもありがたいことです。そして私の指導に対する不満も含めてお話をしていただけることは本当に感謝しかありません。

 何も言わずに去っていく方もおられるでしょう(サイレントクレーマーなんて言うそうですね)。でもあえて言って頂けると本当にありがたいと思います。悪いところは他から指摘されて始めて気づくことが多々あるもんですからね。

 先日の水曜日、リフォームも大方目処が付いたので、石切教場の授業の応援にいきました。そこで、お迎えに来られた保護者の皆様とたくさんのお話をさせていただきました(授業は弟先生がしていました)。

 で、普段思っておられることをたくさんお話して頂きました。たくさんの気付きがありました。

 こうした機会はたびたび設けていけたらと思いました。これからサマータイムになるので、9月以降に企画していけたらいいなと思っています。

 「問い合わせて頂けたらお話はしないでもないですよ」ではなくて、こちらからの情報発信をしていくことを忘れないようにしていこうと思いました。
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ごめんなさい。学習指導は外部募集はしていません。

2017-07-11 20:53:08 | 日記
 ここのところ、お問い合わせはなかったのですが、この夏に向けて複数のお問い合わせをいただきました。

 中学生の学習指導は外部募集をしておりません。というか、そろばん学習をしていて尚且つ学習指導を希望される方で先着順にお受けしている現状です。正直なことを言えば、学習指導は生徒の人生を大きく左右する指導です(そろばん指導と比べればですよ。そろばん指導ももちろんお子様の人生の一部をお預かりするものですが、学習指導と比べればその重みは大きく異なってしまいます)。

 本来的には週に2回で5教科を指導することは不可能に近いと思っています。それでもそろばん指導で培ってきた信頼関係と、様々な学習イベントをクリアすることで育ててきた力を持っているからなんとかなっていると思っています。

 ここに外部の生徒さんをお預かりすることはほぼ不可能だと思っています。単純に私の能力の限界です。

 そろばん指導でお子様の地力を底上げしていることについては絶対の自信があります。これは断言のレベルで言えます。学習指導は私のところでなくても全く問題ありませんが、ぜひともお子様が小学校低学年の間は、いろいろな中身を指導していきたいと考えています。

 そろばん学習で地力を身につけていただければと、お子様を伸ばしていく仕掛けをたくさん用意しています。

 ちなみに、珠算級位取得者のその後をずっと追跡しています。追跡できた限りにおいて(別の教室の一級取得者も含めて)、合格高校・大学は「そろばん学習者の進学先」に明記していますので、ぜひご参照ください。

 「そろばん」という響きは少し古めかしいかもしれませんが、そろばんには先人の叡智が詰まっています。ぜひお子様の能力開発にそろばん学習をご検討くださいね。



 大事な夏のお勉強を考えたときに、私の教室をご検討いただいた保護者の皆様には本当に申し訳ございませんでした。重ねてお詫び申し上げます。
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学力を上げる正解は「大量の課題を課すこと」だと思いますよ

2017-07-10 00:14:41 | 日記
 学力:「学習によって身に付けた知的能力」:明鏡国語辞典・第二版・大修館書店

 学力はどうしたら付くと思いますか? 私はもちろん「お勉強」だと思います。ただし、お勉強をするためには私は「お勉強体力」が必要だとも思っています。これは「ある程度の時間集中して机に向かう体力」という意味合いです。

 ある程度の時間机に向かうこと事態、結構な体力が必要です。だから私はよく「5時間机に向かっても、2時間でできることしかしてないなら、それは2時間のお勉強をしたのと同じですよ。大事なのは時間ではなくてどれだけのことをしたかですよ」と生徒たちに言います。

 そして、コツコツ頑張り続けているとお勉強のスピードが上がっていきます(スポーツと同じですね)、同じ2時間でもできる量が増えていきます。だから、しっかりと頑張り続けている生徒は1年前と比べると同じ時間でできる量が飛躍的に増えています。

 だから、恐らく大量の課題を課してもある程度はこなしてくれると思います。でも、私は課したくありません。ただし、「この程度はお勉強しないと伸びていかないよ」という基準は、個々の能力に応じて示しています。

 つまり、「こちらから、強制する大量の課題」は課していませんしが、「個々がクリアしていかねばならない基準」は示していますから、結局お勉強に変えるべき時間は「大量に課題を課した」場合と本来的には同じになるはずです。自分で何が必要か。必要なお勉強を自分でするための時間を確保しておきたいから、こちらから強制する課題は最低限にしているのです。つまり「こちらから課す課題+個々に必要なお勉強=(いわゆる)大量の課題」というわけです。そして、高校・大学と進んだときに必要な能力は、こうして自分で学びを進めていく中で身につけて欲しいのです。

 小学生のそろばん指導のときから「そろばんでは間違い直しが済むまで次のページには進めない」「漢字テストは満点になるまで合格とはしない」「夏休みチャレンジで暗誦に挑戦する」など、「やりきること」を身に付けてもらうことを念頭においています。

 こちらが大量の課題を課すことは難しいですが出来ない訳ではありません。こちらが思い切り勉強すればなんとかなると思います。かけていく課題を個々に応じて用意すればいいだけです(実際問題、そろばんの指導をしながら大量の課題のフォローをする時間は確保できません)。
 けれども、その「大量の課題」は厳選された「質のよいもの」「で、しかも個々の特性をきちんと把握」し、そして「その課題のひとつひとつが吟味されたもの」で、かつ「教育の専門家に問われてもその課題の必然性を説明できるレベルのもの」でなくてはいけません。そんなことをできる塾は近隣では1箇所しか知りません(私のブログをそれなりにお読みいただいている方であれば、誰を指すかはお分かりだと思います)

 みかけの学力を上げることは簡単です。

 過去問を用意して予想問題を用意して、覚えるべきことと理解すべきことを整理して与え、確認するため小テストをさせていく。

 そう、「覚えるべき・理解すべき中身を厳選して与える」 ことを指導する側がしてしまうのです。子供たちがテストを通して自分の地力を伸ばす場をそうした指導者は奪ってしまうのです。するべきことを与えられた子供たちは「盲目的に」その課題をこなしていくだけで、ある程度の点数を取っていきます。指導する側は「効率よく勉強したほうがいいでしょ」とさらに子供たちに伝えていきます。

 私はこれこそ「悪循環」だと思います。点数と実力が伴わず「こんなはずではなかった」と挫折をしてしまう生徒を拡大再生産してしまうのです。挫折を味わうのが遅ければ遅いほど、立ち直ることに異常なエネルギーを必要とします。だから小学生・中学生の今のうちにたくさんの挫折を味わえばいいのです。よく「過去問を使わないのは、過去問を使う経験を子供たちから奪う」なんて主張を見ますが、私から言わせれば「過去問や予想問題を重要視する指導は、子供たちが努力を通して挫折する経験を奪う」と思っています。

 そして、挫折したときに、その挫折を味わった生徒とともに寄り添い、その挫折を乗り越えていくように引っ張っていくのが本当の指導者である。私はこのように考えています。

 「課題を大量に与えれば潰れる」という主張はある意味正しいですよ。課題を与えてほったらかしにするならば、潰れる生徒を量産することになるでしょう。でも、「子供たちと一緒になって汗をかく指導者」が出す「大量の課題」は「クリアする」か「その指導がうざくなって逃げ出す」かの二択だと思います。

 「大量の課題を課すことは簡単だ」と言う方にはぜひ1度やってみていただきたいと思います。絶対にできませんから。

 私から言わせれば、国立大に合格して教員免許を取る程度の学力がある人間ならば、予想問題で7割程度の問題を当てるなんていうのは誰でもできるんですから(だって、教師になればテストを作るわけですからね。教科教育法を学んだ経験がある以上、その程度はできるでしょう)。だから、過去問させて予想問題でお勉強させるなんて、そんな楽な指導してどうすんの? ですよ。

 あ~長かった。で結論です。学力を上げるには
 ・大量の課題(質のよい・個々の特性を把握した、吟味されて、しかも必然性が高く担保された)を与え、そのフォローもする
 ・最低限の課題を与え、自分に必要なお勉強をできるまでやりきるように寄り添い続ける。

 のどちらかしか方法はないと思います。過去問や予想テストは「そこまでの努力が本番でどれくらい通用するかの予行演習」程度の意味しかありません。過去問や予想問題を完璧に「覚える」ことができれば「みかけの点数」は確かに上がりますが、高校・大学その先まで通用すると思いますか?

 私はこれまでもこれからも、みかけの学力を上げて、お預かりした大切なお子様に「ぬか喜び」させるような指導はしたくありません。

 ※この部分がたぶん私が尊敬する先生方は同じ考え方なんだと思います。近隣で私が尊敬する先生は一番考え方が近いと思います。(と勝手に思っていますがたぶん大丈夫だと…)
 縄手中学・石切中学・池島中学の各中学校区でこの考え方に賛同される塾の指導者・代表の方がおられればご一報ください。ぜひお会いしたいと思います。(枚岡中学校区でもOKですが、私の尊敬する先生と同等かそれ以上のレベルが必要なので、以上にハードルは上がります)。
 私の大切な大切な教え子の中学以降を安心してご紹介できる教室を探しているんです! 自薦・他薦は問いませんので、よろしくお願いいたします!



 あ~そろそろみなさんの声が聞こえてきました。その体型でただえさえ暑苦しいのに、これだけ長い文章書いたら余計に暑苦しいわ!

 そうですね。ではクーラーを睡眠モードで運転して頂いた上で「おやすみなさいzzz」 
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「ワンコイン

2017-07-08 00:43:13 | 学習・塾に関する中身
 で、定期試験対策講座を受講しませんか」(かぎかっこはタイトルからの続きです)

 最近、血糖値が高くてやせる必要をかかりつけの医師から指摘されたので、週に2回程度1時間半前後朝の散歩を(早めの足取りで)しています。見慣れた町並みであっても、普段バイクでは絶対通らないような路地だったり、たんぼの脇の道を通ってみたり、バイクで素通りするだけの道をじっくり眺めてみたり、ラジバンダリ(また出た…)。

 で最近見たのがこの文言です。へ~、定期試験対策って500円でできるんですねえ。しかも試験1週間前に。塾の窓に貼ってあったんですよ。で、質問です。

 「定期試験対策が1週間で、しかも500円でできるなら、普段の授業いらんやん…。じゃあ、普段の授業は何してんの? 普段の授業の時間とお月謝いらんのとちゃいますか?」

 想定する答え
 「きちんと普段の授業を受けている生徒がいるから、学校の進度が把握できます。だからこそ、定期試験対策は万全になるわけです」

 この答えに対して
 「じゃあ、通常授業を受けている生徒の努力を、一見さんに500円でわけてしまうんや」

 どう答えるんでしょうか?

 本当に1週間やそこらの定期試験対策で一定の成果が上がるのならば、普段の授業は受けなくてはいいのではないでしょうか?
 本当に1週間やそこらの定期試験対策で一定の成果が上がるのならば、塾に通っている生徒は、さらに上の成績をだすはずでしょ。
 本当に1週間やそこらの定期試験対策で一定の成果が上がるのならば、私たち他の塾の指導者は白旗を揚げねばなりません。
 本当に1週間やそこらの定期試験対策で一定の成果が上がるのならば、塾って必要ではなくなりませんか?
 
 私は、学力はドーピングはきかないと思っています。
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