由緒によれば、
紀元前300年以上前からあると伝わる
「彌彦神社(弥彦神社、やひこじんじゃ)さん。
新潟平野の西部にドン!
と佇む弥彦山を御神体として祀る神社さん。
巨大な大鳥居は奈良県の大神神社(おおみわじんじゃ)さんの様に、
背後の山を収めるようにして建っています。
新潟県=越後国の一宮であり、
特徴的なこととしては宮中(皇居)と同様に
「鎮魂祭(ちんこんさい)」
を行う神社であるということ。
この祭りを行う神社というのは、日本広しといえど、
他には石上神宮(いそのかみじんぐう)と
物部神社のたった3社しかありません。
そして、拝礼の時の柏手も「4拍手」とされており、
この作法を打ち出しているのは他には出雲大社と
宇佐神宮だけとなります。
どれも日本最古級で特別な神社ばかり。
主祭神は越後国開拓の祖神とされる
天香久山命(あめのかぐやまのみこと、あめのかごやまのみこと)さん。
「伊夜日子大神(いやひこのおおかみ)」とも
「高倉下(たかくらじ)」とも呼ばれる神様。
このブログでは以前「もののべ」という記事に
ほんの少しだけ記していましたが、
記紀をはじめとする様々な神話によれば
ニギハヤヒ(饒速日命、邇芸速日命)さんの息子さん......
とされています。
———————本当は!?違うようですが......
そして、どうも、
我が家系にも縁の深そうな神社さんでもありまして。
それ故に、以前、
両親を連れて行ったことなどもあるのですが、
その時の父の喜びようは今もとてもよく覚えています。
僕の父は埼玉県の北の端で鉄工所を営む、
いわゆる職人さんだったのですが、
お祖父ちゃんの代までは建築や
刀鍛冶(カタナカジ)が生業だったようで。
それで僕の実家は御近所の皆さんからは
「鍛冶屋(カジヤ)」とか「屋根屋(ヤネヤ)」
と呼ばれてもいました。
なので僕さんは御近所さん達からは未だに
「カジヤのバカむすこ」とか「ヤネヤのアホむすこ」と
呼ばれていたりしておるのでつ。
ええ。ええ。
シアワセものっす。。(*´ω`)
そんな北埼玉の田舎の工業職人の家にとっては、
彌彦神社さんというのは少々特別な神社ともなるようでした。
山麓に点在する温泉も父は気に入っていましたし。
———————つい最近、
そんな彌彦神社さんに久々に伺うことになりました。
行くきっかけは数ヶ月前のある夜......
それは6月の頭ぐらいだったと思いますが。
突然、頭を締められるような強力なチカラと共に
神様のエナジーが降りて来て、
僕さんに何か言って来るのです。
しかし、内容がもう一つよくわからず。
とにかく気になるので、
その場からプリリンねーさんにラインをして
明確な言語化をお願いしました......
===========================
ねーさんや。
なんか、今日、
何度か神様の言葉が降りて来てるのだけど、
何かあるみたいで。
3回くらい言われた。
===========================
すると、すぐにねーさんから返事が来て。
幾度かにわたり、
降してくれた神様の言葉を教えてくれました。
===========================
「天香久山命と言われているが、カグヤの神でいいよ」
「UZMETに来てくれと言ったよ」
「3回言った。
彌彦神社の山の上で待っているからな」
「急ぎではないからと伝えてくれ。
ありがとう。
ねーさんもいつか来てくれよな」
===========================
そして、そんな話をしている時に、
このブログのメールアドレスの方にも
ブログ読者の「ゆり」さんから
彌彦神社に関しての質問が幾つか届いていて。
僕は都度返答をしていたのですが、
その「ゆり」さんから
「彌彦神社に行ってきました......」
というメールが届いて来ました。
日付を見ると6月12日となっていますが、
そのメールにはゆりさんが彌彦神社に参拝した際の諸々のお話と、
それと、こんな言葉も記されていました......
===========================
アメノカグヤマノミコト様が、
UZMETさんご指名でしたので、
ぜひ行ってさしあげてくださいね。
===========================
今回のお話は神社に行くことを決めるまでが少々面白かったので、
その辺のことをもう少し記しておこうかと思います。
続きます。
おやすみなさい。(^^)
紀元前300年以上前からあると伝わる
「彌彦神社(弥彦神社、やひこじんじゃ)さん。
新潟平野の西部にドン!
と佇む弥彦山を御神体として祀る神社さん。
巨大な大鳥居は奈良県の大神神社(おおみわじんじゃ)さんの様に、
背後の山を収めるようにして建っています。
新潟県=越後国の一宮であり、
特徴的なこととしては宮中(皇居)と同様に
「鎮魂祭(ちんこんさい)」
を行う神社であるということ。
この祭りを行う神社というのは、日本広しといえど、
他には石上神宮(いそのかみじんぐう)と
物部神社のたった3社しかありません。
そして、拝礼の時の柏手も「4拍手」とされており、
この作法を打ち出しているのは他には出雲大社と
宇佐神宮だけとなります。
どれも日本最古級で特別な神社ばかり。
主祭神は越後国開拓の祖神とされる
天香久山命(あめのかぐやまのみこと、あめのかごやまのみこと)さん。
「伊夜日子大神(いやひこのおおかみ)」とも
「高倉下(たかくらじ)」とも呼ばれる神様。
このブログでは以前「もののべ」という記事に
ほんの少しだけ記していましたが、
記紀をはじめとする様々な神話によれば
ニギハヤヒ(饒速日命、邇芸速日命)さんの息子さん......
とされています。
———————本当は!?違うようですが......
そして、どうも、
我が家系にも縁の深そうな神社さんでもありまして。
それ故に、以前、
両親を連れて行ったことなどもあるのですが、
その時の父の喜びようは今もとてもよく覚えています。
僕の父は埼玉県の北の端で鉄工所を営む、
いわゆる職人さんだったのですが、
お祖父ちゃんの代までは建築や
刀鍛冶(カタナカジ)が生業だったようで。
それで僕の実家は御近所の皆さんからは
「鍛冶屋(カジヤ)」とか「屋根屋(ヤネヤ)」
と呼ばれてもいました。
なので僕さんは御近所さん達からは未だに
「カジヤのバカむすこ」とか「ヤネヤのアホむすこ」と
呼ばれていたりしておるのでつ。
ええ。ええ。
シアワセものっす。。(*´ω`)
そんな北埼玉の田舎の工業職人の家にとっては、
彌彦神社さんというのは少々特別な神社ともなるようでした。
山麓に点在する温泉も父は気に入っていましたし。
———————つい最近、
そんな彌彦神社さんに久々に伺うことになりました。
行くきっかけは数ヶ月前のある夜......
それは6月の頭ぐらいだったと思いますが。
突然、頭を締められるような強力なチカラと共に
神様のエナジーが降りて来て、
僕さんに何か言って来るのです。
しかし、内容がもう一つよくわからず。
とにかく気になるので、
その場からプリリンねーさんにラインをして
明確な言語化をお願いしました......
===========================
ねーさんや。
なんか、今日、
何度か神様の言葉が降りて来てるのだけど、
何かあるみたいで。
3回くらい言われた。
===========================
すると、すぐにねーさんから返事が来て。
幾度かにわたり、
降してくれた神様の言葉を教えてくれました。
===========================
「天香久山命と言われているが、カグヤの神でいいよ」
「UZMETに来てくれと言ったよ」
「3回言った。
彌彦神社の山の上で待っているからな」
「急ぎではないからと伝えてくれ。
ありがとう。
ねーさんもいつか来てくれよな」
===========================
そして、そんな話をしている時に、
このブログのメールアドレスの方にも
ブログ読者の「ゆり」さんから
彌彦神社に関しての質問が幾つか届いていて。
僕は都度返答をしていたのですが、
その「ゆり」さんから
「彌彦神社に行ってきました......」
というメールが届いて来ました。
日付を見ると6月12日となっていますが、
そのメールにはゆりさんが彌彦神社に参拝した際の諸々のお話と、
それと、こんな言葉も記されていました......
===========================
アメノカグヤマノミコト様が、
UZMETさんご指名でしたので、
ぜひ行ってさしあげてくださいね。
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今回のお話は神社に行くことを決めるまでが少々面白かったので、
その辺のことをもう少し記しておこうかと思います。
続きます。
おやすみなさい。(^^)
今回はゆりさんのメールがキッカケの一つともなりました。
今回の徒然話はかなり長いシリーズ記事となりそうです(^ν^)
記事に参加させていただき恐縮です。
ありがとうございます。
写真が素晴らしいですね。見慣れているはずの風景ですが、何度も見入ってしまいます。
「鍛冶屋」「屋根屋」の息子さんでいらっしゃいましたか。
続きが楽しみです。
剣のお守り、財布に入れていつも持ち歩いてます。