雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

諏訪徒然 3

2015-05-21 00:48:13 | 不思議...パワスポ寺社
少なくとも、
記紀神話に書かれているこんな部分......

「—————洩矢神(モレヤ)は鉄輪を武具として迎え撃つが、
建御名方神(タケミナカタ)の持つ藤の枝により
鉄輪が朽ちてしまい敗北した—————」

などという

「鉄の輪より藤の木の方が強い!?」

なんて不可思議な話を目にすると、
この神話の作者が「藤原氏」であることも浮かんできて、
ちょっと

「ププッ..(●´艸`)」

なんてなってもしまうのです。

そんなこんなでこのお話はもう少し!続く!
のだ!((((*゜θ゜)ノ スワワフカイノダ...




前回まで記してきた2回の「諏訪徒然」をまとめてみると、
諏訪という地は縄文時代以前から!?
今に至る迄のこの国の歴史が
一箇所にまとまって現れている様に思える......
そんな地だということなのです。
それは、
例えれば「地層」のように幾重にも別れた縞模様のごとく刻まれ、
見やすく現れている地ではないかと、
そんなふうに感じられるのです。



縄文時代。
諏訪の地には「ミシャグジ」という神を崇める、
縄文以前の時代からこの地や国に住む土着の狩猟民族......
山の民......がいました。
ミシャグジ神というのは言ってみれば「精霊」の様なものとも考えられ。
世界各地で見られる人類原初の信仰形態である自然崇拝や
「精霊信仰=アミニズム」と言えるようなものにも思われます。
狩猟を中心とする民においては典型的な信仰形態でもあったハズです。
そこへ紀元後、外部地域から?
それはもしかしたら海の向こうから!?
この諏訪の地に渡ってきた民がいて。
彼らは「聖書」を携えていて、
「諏訪大社」の御神体山でもある「守屋山」を聖書に記されている
「神の降りるエルサレムの山=モリヤ山」として崇め、名付け。
自らの氏族の名前もその「モリヤ=洩矢=モレヤ=守矢」とし。
もともと諏訪の地に暮らしていた土着民の精霊信仰であるミシャグジ神も
聖書的慈愛の心でもって大切に捉え、考え、扱い。
そうしながらも、
豊かな諏訪の地を大陸由来の先進の知識と技術を武器に統治していった......
と思えるのです。

その頃の狩猟的コミュ二ティーにおいては、
まだ自然の力に対する生贄的な信仰も残っていたようで。
「神長官守矢史料館=じんちょうかんもりやしりょうかん」
に示されている様な、
沢山の鹿の生贄を捧げる祭祀などもつい最近まで続けられて来たようです。
その守屋山の神に捧げる鹿の生贄の数も、記録によると75頭で。
それは聖書における「モリヤ山」で捧げられる羊の生贄と何故か?
同じ数。
これは果たして偶然!?なのでしょうか.......

もしかしたら「ミシャグジ」という古代神の名前も、
この守矢の民達が「自然精霊につけた名前」かもしれません。
その語源にしても、
やはり聖書においてモリヤ山に捧げられそうになったアブラハムの息子
「イサク」からきている可能性も?あります。
ま、似ている様で似ていない発音ではありますが......ええ。多分。



その後、更に時代は進み。
そのモレヤ氏が統治していた地に、
はるばる九州、福岡県「宗像=ムナカタ」の地から追われて来た
「タケミナカタの神」が長い逃避行の末に入ってきます。
すると、記紀神話に書かれているように、
諏訪地域を収めていたモリヤ氏を、
政権から追われてきたタケミナカタが先進の武具で圧倒し、
従わせていきます。

その先進の武具が藤の枝ではなかったことは明白です。
ええ。ええ。( ̄ー ̄)

ここでまたこの地の王は変わり、
現在の諏訪大社が祀る神となった様に思えるのです。
ミシャグチ→モリヤ→タケミナカタ(古代出雲勢力)
朝廷が古代神をまとめて御柱で封印の「呪=しゅ」をかける→現在......
となるわけなのです。
諏訪の地には、
そんなこの国の為政者の変遷がまるで地層の様に刻まれていて。
しかもコンパクトな範囲に収まった形で、それらの変遷を
感じ取ることが出来る場所となっているように思えるのです。



僕にとっての諏訪の地というのは実はこんな感じなのです。

この国の歴史の標本地。

そんな感じでしょうか。



いつの時代も、
新たなる統治者はそれ以前の為政者の考えを否定し、消し去り。
故に王となれもします。
現政権でもソレは同じ。
そんな国取り合戦の繰り返しの中で、
モレヤ氏と上手く手を結び、
諏訪の王として君臨したタケミナカタさんは、
中央政権を追われた身ではありましたが、その後、
諏訪の地ではとても尊敬され、
ゆったりと、幸せに暮らしていた様です。
それは今に至る人々の諏訪大社に対する厚い崇敬の気持ちにも
現れている様に思えます。



北陸に住む、不思議な力を持つ友人「Yさん」に
僕はこんなことを聞いたことがあります。

「古代神と現代神......
国津神と天津神との違いとはシンプルに何だと思います?」

すると、
Yさんはこんな答えを返してくれました。

「古代神は混沌の象徴の様に思います。
現代の神々はソコに秩序をもたらした神々の様に思えます」



混沌と秩序。



僕には、
混沌とは創造で、
秩序とは時に停滞を意味するコトのようにも思えます。



国津神とは混沌と創造の象徴。
そんなことが必要な時代があった。
天津神とはその混沌に秩序と安定をもたらした。
それが創造を終えた後の世界では
人々からとても必要とされていたコトでもあったのか。
Yさんの話を聞いた時、僕はそんなふうにも思いました。

諏訪大社の主祭神「建御名方神=たけみなかたのかみ」とは、
そんな「秩序を作っていこう」とする時代に消された
混沌と創造の神。
「スサノオ=素戔嗚=須佐男」さんの血統でもあり、
国津神の象徴。
古代神の象徴。
今、この秩序の時代に諏訪に訪れる縁を頂く時というのは、
果たしてどんな意味があるのか?
どんなメッセージがあるのか?

この記事を書くキッカケとなった、
このところあまりに多く耳に入ってくる周りの人々からの
「諏訪に行くぜコール」の連続に、
僕はこんなコトを考えているのでございます(^^)



宮崎駿さんの名作「もののけ姫」の世界は、僕には......
諏訪の神「タケミナカタ」さんが生き生きと駆け回っていた時代と
ダブって見えて来る時があります。

古代の神々と新しい神々とが入れ替わっていく時代。世界。

中でも、古代神の世界を守ろうと厳しい戦いに立ち上がった
白き山犬の神「モロの君」の姿が、
タケミナカタさんの姿や思いに重なって見えてくる時があります。

「モロの君」はその戦いには負けてしまいましたが、
誰よりも色々なコトを理解し、納得もし、予見もして。
新たな時代を作る神々や人々に何かを託して世界を去って行きました。

諏訪の地に佇むと、
僕はそんな「モロの君」の思いに触れているような
気持ちになったりなんかもします。
諏訪とは本当に貴重な地なんだな......と、思っていたりします。
そして......



諏訪大社、本宮の近くにひっそりとある「北斗神社」
祭神は創造主たる「天之御中主神=アメノミナカヌシノカミ」
登るには少々の覚悟と体力が必要な頂上には、
こんなとても古い石碑が社(やしろ)から離れた
「目立たない所」にヒッソリと建てられています。



石碑に記されている文字は、
御神体山の「守屋山」頂上にある祠にもあるもので......

「物部=もののべ」

諏訪の物語は、
この「もののべ氏=ものべ氏」の物語へと
繋がりゆくものでもあります。

いつかまた良き時に記せればと思います。(^^)



☆シリーズ過去記事☆
諏訪徒然
諏訪徒然 2


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コメント (8)
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