雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 7月31日(土) あちこちで夏祭りと「・・暑中お見舞い

2010年07月31日 23時50分47秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 7月31日(土) あちこちで夏祭りと「・・暑中お見舞い

 今日、今年最初の「暑中見舞い」ハガキがきました。
 「暑さ厳しい折柄 どうぞお体をご自愛下さい 2010年盛夏」「N子さん 新しいお仕事みつかりましたか」と。

 前にここに書いたかもしれませんが、N子さんは、元城町のある事務所に、8月2日から4月末まで、事務員として働きます。
 そこは4人の正式の「社員」のみなさんの下で1事務員として働きます。
 N子さんは、介護の仕事を探していたのですが、どうしても、困って人を捜しているのでという、ぼくとN子さんの共通の「旅の仲間」の懇請で、「ま、いいか」と、テナーのように、いつでも自分の前にすることがやってくるんだね、と話しながら2人で決めました。

 決めることができたのは、いちおう、朝9時から午後5時まで(昼休み1時間)の仕事ですが、割合自由がきいていて、N子さんの必要な行動に制約がないので、決めました。
 ですから、そこへ行ってもN子さんはいないこともありますが、まあ4月までの短期間、関係する皆さん、よろしくお願いします。

 (今「雨宮日記」を見直したら7月16日付けで書いていました。それを詳しくしています。)

 今日は、夕方からあちこちで夏祭りでした。
 天王町の大歳神社も、車で通りかかったら夏祭りでした。
 自分の住んでいる十軒町も夏祭り、N子さんの昔の職場・T保育園も夏祭りで、太鼓の音がぼくの職場まで響いていました。
 
 夜、花火の音が東のほうでしていました。

 花火の音、太鼓の音、どれも古代からの、歴史を表現する音でしょうか。
 花火の意味って何なんでしょうか。
 西洋にはなさそうですが。
 どうして「花」なんでしょうね?
 花は植物の生殖器で、花の終わり、「花の死」だから?
 すくなくとも、誕生のお祝い感は花火にはないですね。
 パッと光って、パッと消える、そんなはかなさでしょうか。

 明日から8月です。
 
 
 

雨宮日記 7月29日(木) マイカーの定期検査で8万円

2010年07月30日 05時13分24秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 7月29日(木) マイカーの定期検査で8万円

 熱帯夜から急転換して、大雨です。
 
 最近ずっと、車(スズキアルトのマニュアル・クラッチ車)が低速で加速が悪くて、とくに家族が乗っていると「重い}(嘘ですから、N子さんは軽いですから)のか、坂道がなかなか上れなかったのです。

 年に1回の定期検査に出したら、自動車屋さんから電話がかかってきて「クラッチがすり減っているので、交換しないといけないのですが、6万円ですけど、いいですか」と言うので、「はい、お願いします」と言うしかないですね。

 今日の午後にできあがってきました。合わせて8万円でした。
 走行距離は8万9千kmです。
 N子さん、いわく「中がすごくきれいに掃除してくれたのね」。
 加速はすごく快適になりました。何人乗っても。

 夜は、次女のIさんが「お父さん、ブックオフに行ってくれる?」というので、次女といっしょに、買った本を3袋、高林のブックオフに売りに行きました。
 ぼくは自分で買った本を、きれいなままで読んで読んだらブックオフに売るというような感覚は無いので、買った本・読んだ本は、図書館で借りた本以外は、どんどん増殖していきます。
 この本たちを、どうやって死ぬまでに処分するか、悩みの種です。

遠州の遺跡・寺社22 東区豊町の蛭子森(えびすもり)古墳

2010年07月29日 05時32分28秒 | 遠州古代史
遠州の遺跡・寺社22 東区豊町の蛭子森(えびすもり)古墳

 「20」「21」で書いた「羽鳥八幡神社」のすぐ南にある古墳です。

 実際に、羽鳥八幡神社の境内にお参りして、南へ延びる参道を見ると、参道の南の端の鳥居のむこうに、蛭子森古墳の、うっそうと茂った森が見えます。

 神社と古墳が一体である例の一つです。

 この古墳は、沖積平野に築かれた珍しい古墳です。
 推定年代は後期古墳の6世紀後葉で、直径24m、高さ3mの円墳です。

 すぐ北に隣接する「羽鳥八幡神社」との関係でいうと、古墳の発掘物に「水鳥の装飾がついた須恵器の壺」があることです。

 そして、この蛭子森古墳の「片袖式横穴石室」の形態から、蛭子森古墳から東側になる天竜川の左岸との関係があるということのようです。

 これも、どういうことなのか、今後、考えていきます。

 アップした写真は、いま現在の古墳の現状です。
 まわりに、ドングリの森があることが印象的です。

遠州の遺跡・寺社21 豊町の羽鳥八幡神社(2) 青い龍神

2010年07月29日 05時16分53秒 | 遠州古代史
遠州の遺跡・寺社21 豊町の羽鳥八幡神社(2) 青い龍神

 羽鳥八幡神社へ行って、長い道を神社へお参りすると、すぐ、右側に「浄水」があって、なんと、青い龍神さまがいました。

 感動しちゃいました。 
 ぼくが訪ねた、浜松市内の他の神社でも、これほど強烈な「龍神」さまは、見たことがありません。

 すごい!
 これなら、いつでも雨を降らせそうな!

 どうみても秦氏系統の、鳥トーテムの神社なのですが、なぜか、真っ青い「龍」信仰が共存しているのは、日本列島の文化の特徴でしょうか。
 「鳥」と「龍」の共存!

 

雨宮日記 7月27日(水) 宮崎駿さん断言「iPadは自慰行為」

2010年07月29日 04時50分09秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 7月27日(水) 宮崎駿さん断言「iPadは自慰行為」?!
 
 新聞に「宮崎駿」「iPadは自慰」と「こきおろす」という報道が出ていたので、ネットで探してみました。
 スタジオ・ジプリの無料雑誌「熱風」に掲載された内容ですが、ちょっと原文から引用します。
 全文は、原作を見てください。

 「電車の中でその妙な手つきで自慰行為のようにさすっている人間が増えるんでしょうね。電車の中がマンガを読む人間だらけだった時も、ケイタイだらけになった時も、ウンザリして来ました。」

 「あのね、誰にでも手に入るものは、たいしたものじゃないという事なんですよ。本当に大切なものは、iナントカじゃ手に入らないんです」

 雨宮としてはこう思います。

 まず、宮崎駿さんは「自慰行為」「オナニー」の大切さをなぜか軽蔑しています。宮崎駿さんは、もしかして自慰行為禁止のキリスト教系の教育で育ったのでしょうか?

 ぼくは、自慰=オナニーは、他人とのセックスに至る練習・訓練としても、すごく大事なことで、すべての人間がきちんと(毎日でなくてもいいけど)、していい、するべき行動であると思います。
 とくに若いときは。
 50代後半の今となっては、おなにーも、セックス(もちろん妻のN子さんとです)も、ときどきです。
 
 自分の体と自分の行為との関係を感覚できない人間に、どうしてセックスで他人の感覚を幸せにできるでしょうか?

 ああ、もしかしたら、そういうセックス抜き、肉体抜きの世界が、スタジオジプリのアニメの大きな欠陥なんでしょうか?
 ぼくは、ナウシカさんだって、自慰をして、セックスをしていいんだと思いますが。
 あるいは、クシャナさんだって。
 ね?N子さま?

 2番目には、こうです。
 「誰でも手に入るものはたいしたものじゃない」というなら、宮崎駿さんのいう「道具には、鉛筆と紙と、わずかな絵具があれば充分です」という「鉛筆と紙とわずかな絵の具」は「誰でも手に入るもの」ではないのでしょうか?
 
 問題はその「道具」の質であることは、宮崎駿さんのような芸術家にとっては自明のことと思うのですが、道具のより高い質を求めたりはしないんですか?
 宮崎駿さんの、これまでの歴史とも矛盾して、混乱している、今回の発言だと思います。

 ところで、ぼくは、ジプリアニメで、ちゃんと恋をして、どんなセックスをするのか悩んで、相手にどう快感を与えればいいのか悩む主人公たちを描いて欲しいのですが。
 アニメにしろ実写映画にしろ、初夜の教科書とか、セックスの教科書になるような作品は、ほとんどないですよね。
 (すみません、もしあったら教えてください)。
 男性が女性にということではないですよ。
 女性が男性にということも含めて、です。
 
 あんまり調査・研究はせずに、妻のN子さんとの30数年の結婚生活の体験から書きました。
 もうすこし学習をして、また結果がでましたら書きます。

遠州の遺跡・寺社20 豊町の羽鳥八幡神社

2010年07月28日 05時31分28秒 | 遠州古代史
遠州の遺跡・寺社20 豊町の羽鳥八幡神社

 笠井市街の東側の田園のなかに、この羽鳥八幡神社があるというので、行ってきました。
 神社は南向きで、やけに長い参道(アプローチ)を歩きます。

 祭神は誉田別命、つまり応神天皇です。
 まあ八幡神社なんだから当然ですね。

 なお「八幡神社」とは「8のはた」という意味で、漢音読みをすると「はちまん」ですが、日本語読みをすると「やはた」になります。
 北九州市の「八幡」ですね。
 このことも、もっと深く考えたいと思います。

 問題は「羽鳥」という名前がつくことです。
 ここの地名は「豊町羽鳥2174番地」で「羽鳥」は、たぶん字(あざ)名だと思います。

 この「羽鳥(はとり)」は、当然、「服部(はっとり)」や「秦(はた)氏」を連想させます。
 つまり、朝鮮からの、鳥をトーテム(部族のシンボル)にする渡来人系の神社ではないでしょうか。
 もちろん、神社の説明にはそんなことは一切、書かれていません。
 石に刻まれた説明では「創立は不詳である。当社は江戸時代にて」と書かれているだけですが、もちろん、江戸時代に創立されたなんてことは無理です。
 
 なぜなら、この羽鳥八幡神社の南側に、東西を横切る道路を隔てて、浜松市の沖積層では希な、有名な「蛭子森(えびずもり)古墳」があるからです。
 つまり、神社と古墳は一体のものです。
 ということは、この羽鳥八幡神社も、蛭子森古墳の時代までさかのぼることもあり得るということです。
 と、すると、蛭子森古墳の時代である古墳時代後期まで神社もさかのぼっても、おかしくないでしょう。

 蛭子森古墳自体は、もう一度、「遠州の遺跡・寺社」で考えたいと思います。
 蛭子という名前も、考察の余地がありそうです。
 なんて、おもしろいんだろう!

 

雨宮日記 7月25日(日) 里山でヒグラシなどの合唱を聴く

2010年07月27日 05時01分48秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 7月25日(日) 里山でヒグラシなどの合唱を聴く

 昼間は暑かったですが、夕方になって涼しくなってから、まだ明るいうちに里山へ行きました。
 里の家の屋根のペンキ塗りを業者さんにお願いするため、打ち合わせです。
 「この色とこの値段でどうでしょうか」
 「いいでしょう。お願いします」ということで、決まり。
 みんなで10年前に塗ったペンキがはげてきたのです。
 ゴミ環境ネットでも出費して、広く募金も呼びかけますので、ご協力をお願いします。

 N子さんは、最近、ぼくと里山に来るたびに、N子さんだけが盛大に虫に食われて、後々まで何日もかゆくてねむれないという日が続いたので、用心して、長袖でクスリも持ってきています。
 ぼくの方が水をがぶ飲みしていて、昔から汗っかきで、虫が寄って来るのはボクの方のはずだったのですが、最近は、ぼくが高齢化して、虫にとってはN子さんの方が、体臭もおいしそうなのかもしれません。
 「雨宮智彦、こいつの血はまずそうだ」と。

 業者さんは帰って、残った3人で、田んぼの前で、いろいろ話をしていると、カナカナカナとヒグラシが鳴き出しました。
 もの悲しいヒグラシの声と、甲高いヌマガエルの声と、時々啼くウグイスの合唱で、とても心地よいです。
 
 そろそろ暗くなってきたので、帰りましょうと、Uさんの車に乗せてもらって帰りました。
 途中で、ぼくが(第2東名の高架の下あたりで)、あれ?、ぼくのジャケットと携帯電話は?と思って、捜しましたが車内になくて「ごめん!ぼく、あそこにそのまま置いてきた、戻ってくれる?」とお願いしました。
 UさんとN子さんから冷たい支線を浴びて「智彦くんは、ほんとうに忘れっぽいんだから」とさんざん言われて、里山に着いたら、ありました。
 ぼくの上着と、N子さんのバッグと、Uさんのバッグが。
 3人で大笑いしました。
 里山って、ほんとに、人を開放的にしてくれるところなんですね。
 薄暗くなった里山をあとにしました。

 写真は夕方、里山へ行く前に、浜北駅前のなゆたの中の。しゃれた喫茶店です。

本と映像の森64 旭爪あかねさん著『稲の旋律』

2010年07月26日 05時07分59秒 | 本と映像の森
本と映像の森64 旭爪あかねさん著『稲の旋律』新日本出版社、2002年4月20日初版、281ページ、定価1800円+消費税

 「旭爪」は「ひのつめ」と読みます。
 現代日本を題材にした小説ですが「書簡体」ということが変わっています。ようするに「手紙」だけで構成された小説と言うことです。

 最初の手紙は、主人公の藪崎千華さんが、自宅の東京都から千葉県まででかけて見もしらぬ人の田んぼに置いてきたペットボトルの中の1通の手紙です。

 30歳になる独身女性の千華さんは、いわゆる「ひきこもり」で見知らぬ誰かに、助けを求めル手紙をかき、それが田んぼの主の独身男性・広瀬晋平が見て質問の返事を書いたことから物語が始まります。
 
 なぜ「稲」かというと、広瀬晋平さんの職業である稲作りから来ているのですが、なぜ「旋律」なのかというと、千華さんがピアニスト志望だったことから来ています。
 
 自然と農業と文化と人間の織りなす、とっても素敵な小説です。

 これが昨年、「アンダンテ」という映画になって、この秋、浜松でも見られるようです。

 基本テーマは「だいじょうぶ」「ころんだっていいんだよ」と。
 この「だいじょうぶ」っていう言葉で、ぼくがすぐ連想したのは、マンガ「日本沈没」です。
 「日本沈没」の基本テーマも、同じ「だいじょうぶ」「他人に助けを求めていいんだよ」ということでした。

 逆に言うと、現代の日本人って、変なプライドばかりが高くなって、他人にSOSが出せる人が少なくなっているからこそ、こういうテーマの小説やマンガが感動を呼ぶと言うことでしょうか。

 おれは、みんなを指導するリーダーだとか、思い込んでいる人ほど、他人に助けてもらうことはできなくて、「助け合い社会」なのもわからなくなっているんでしょうね。
 自分がそうならないように、変質しないように、よく自戒していないと。

雨宮日記 7月24日(土)夜 近くの花火を4人で見ました

2010年07月24日 23時22分18秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 7月24日(土)夜 近くの花火を4人で見ました

 暑い夏と晴れの日が続いていますが、午後8時過ぎに、上島をN子さんと車で走っていて、近くで花火の音が聞こえたので、あっ、今日は、船越の花火だと思って、急いで帰ることにしました。

 家に帰ったら、珍しく、娘たち2人もいたので、誘って、家からすぐの馬込川の三浦橋へ花火見物に行きました。

 橋や堤防に、近所のひとたちがたくさん来て、南の空をみつめていました。
 
 ときどき、「わたしは花火なんか興味ない」と言わないけど、目もくれないで、散歩していく人たちが、おもしろかったです。

 しばらく船越からあがる、円形のふつうの花火を楽しんでいましたが、
 8時半をすぎてから、いきなり、右のもっと間近から、違う種類の花火が始まって、みんな目をくぎづけになりました。

 両方の花火の饗宴・共演を楽しみました。

 夜10時過ぎ、長女のTさんは「いまから半田山にいくね」と言って、タクシーで彼氏の部屋に泊まりにいきました。
 もっと早く言ってくれれば、ぼくが車で送ってあげるのに。

 あ、ということは、今夜は、いつもはN子さんと長女が寝ている部屋に、N子さんしか、いないんだ。
 ど、どうしようかな。
 N子さんの部屋に行ったら、暑苦しいって、怒られるかな。



遠州の遺跡・寺社19 南区龍禅寺町の「龍禅寺」

2010年07月24日 23時14分01秒 | 遠州古代史
遠州の遺跡・寺社19 南区龍禅寺町の「龍禅寺」

 浜松市内では、有名なお寺ですが、浜松市外・静岡県外では、「龍禅寺」?なにそれっていう程度かも知れませんが。

 中区鴨江の鴨江寺=鴨江観音は、春と秋のお彼岸の時に、亡くなった家族と対話する「死に観音」としてしられています。
 それにたいして、この龍禅寺は、現世御利益の、生きている人々にとっての観音様です。
 
 それにしても、日本人の「水神」信仰の中心である竜神さまが仏教に帰依して、「禅」をしているというのですから、神道から仏教への転向のためのPR効果は抜群だったと思います。

 なにしろ「天竜川」ですから。

 写真は、夏の夜明けの「龍禅寺」です。
 北側から撮った写真ですが、実際の観音様の方向は別だろうと思います。


雨宮日記 7月23日(金)夜 ウサギ「豆子」と稲葉の白ウサギ

2010年07月24日 22時57分54秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 7月23日(金)夜 ウサギ「豆子」と稲葉の白ウサギ

 次女のIさんがいっしょに生きているウサギの豆子も暑くて、風がよく通る、ゲージの屋根の上へ飛び乗って寝ていることが多くなりました。
 「屋根の上のバイオリン弾き」ならぬ「屋根の上のウサギ」です。
 
 「屋根の上のバイオリン弾き」のなかの、歌「サンライズ、サンセット(日は昇り、日は沈む)」は、むかし合唱団にいたときにも歌った、ぼくの凄く好きな歌です。
 
 Iさんと何かの話題から「稲葉の白ウサギ」の話になって、ぼくが「あれは、「古事記」という日本神話に載っている話だよ」と言ったら、Iさんが「え!あれって、神話なの?昔話か何かかと思っていた」と言いました。
 ぼくは「古代の伝承なのはたしかだけど、あれは出雲神話で、稲葉の白ウサギはウサギ神だよ」と。
 Iさんが「出雲神話ってなに」というので、「いまの大和天皇家より古い日本列島の支配者が出雲の大国主の王朝で、そこの神話が出雲神話」と答えました。
 「現在の大和天皇家は、日本列島の古い支配者である出雲王朝を武力で国の支配権を強奪したいう話」だよと解説しました。
 「へえ、出雲王国なんて、ほんとうにあったの?」と聞くので、「ほんとうにあったという前提で、「古事記」や「日本書紀」の国譲りは書かれているよ」と答えました。
 
 「古事記の、わたしでも読める本ある?」と言うので、全訳本を貸してあげたら、熱心に読んでいます。

 「日本神話」というタイトルの(革新政治家には「右翼」「保守反動」と同等のイメージ)「古事記」や「日本書紀」をきちんと読めるようにならないと思います。
 ぼくは、日本の大地から遊離した根無し草ではないので、万葉集や源氏物語と同等のもの、あるいはそれ以上のもの(こと)として理解しています。

 

雨宮日記 7月23日(金) 「いただきますってすごいよね」

2010年07月24日 22時51分11秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 7月23日(金) 「いただきますってすごいよね」

 夕方、ぼくの妹のIさんが、野菜をいっぱいもって来てくれました。農家にお嫁に言ったのですが、旦那の仕事はJTで、夫のご両親が亡くなった今では、農業を一手に引き受けて毎日、農業しています。

 わがやの2人娘と同じ世代の子どもたちを抱えて、子どもたちが、ちゃんとした仕事に就けるかどうか、いろいろ情報交換をしました。
 うーん、たいへんですね。

 金、土は、次女のIさんは、駅ビルの本屋さんでの仕事が休みなので、時間さえあえば、おじいちゃん、ぼく、N子さん、Iさんの4人で夕食になります。

 ぼくが、N子さんが作った夕食のテーブルに座って「いただきます」って言ったら、Iさんが「いただきますって、すごいよね」って言いました。
 次女が言ったのは、穀物や魚やいろんな命を「わたしが、自分の体のなかにいただきます」っていう意味です。

 そのとき、N子さんが「どうぞ」って言ったんだけど、すぐぼくが茶茶をいれて「N子さんに言ったんじゃないよ。お百姓さんに言ったんでもないよ」と。

 だから、料理を作ってくれた、わが妻のN子さんだって、自分がテーブルに座ったら「いただきます」って言ってくれないと。

 マンガ「風の谷のナウシカ」で、森の子セルムが、腐海の虫の卵を「取るんじゃない。お願いして」という意味の言葉をいいますよね。
 あ、Iさんのいうことって、セルムと同じだなと思いました。
 (意味不明の方は、宮崎俊さん執筆のマンガ「風の谷のナウシカ」を読んでください)

 毎日の「いただきます」があって、自分の命が終わるときに、どうすればいいかが、わかるという気がします。

 そのことに気づいた、20代前半の、わが娘、Iさんもすごいな、と思います。
 うわ、これ、親ばかですね。
 すみません、親は客観的にはなれないですね。



 

 
 
 
 

雨宮日記 7月22日(木) 熱中症にならないように昼涼み

2010年07月24日 22時45分34秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 7月22日(木) 熱中症にならないように昼涼み

 暑い天竜区の秋野ふくさんの美術館に行ってきました。
 秋野ふくさんって、インドの黄色や空の青がすごいんですよね。
 インドの女神も、日本の女神たち(イザナミや卑弥呼に始まってN子さんまで)
 の系譜に通じていて、すごく好きです。
 秋野さんの初期の、少年群像もいいです。

 美術館の下に車を止めて暑いなか、あがって、帰りも暑い坂道を下がって。
 熱中症にならないように、帰り、喫茶店へ昼涼みに行きました。

 写真はぼくの注文したコーヒーフロートと、背景の細身の美人です。
 顔は写すなと命令が来たので、洋服だけです。

 むかしは、もっとあった「街の喫茶店」が少なくなりました。
 毎日、のんびりとコーヒーを飲んで、
 いつまでも語り合うそういうくらしがいいのですが。
 あるいは、近代のコーヒーハウスのように、
 そこから社会変革と政治革命が生まれる・・・でもいいですが。


本と映像の森63 ル=グウィン『ゲド戦記3さいはての島へ』

2010年07月23日 04時47分55秒 | 本と映像の森
本と映像の森63 ル=グウィン『ゲド戦記3さいはての島へ』

 5月31日付け「本と映像の森44」で「ル=グウィンさん『ゲド戦記1 影との戦い』」を紹介しました。

 「ゲド戦記」の中間総括が、この「さいはての島へ」でしょうね。
 大賢人であるゲドがいるロークにやってきた北の島・エンラッドの王子・アレンが世界の異変を語り、ゲドはアレンとともに、ロークを舟で出発します。

 なにが「ゲド戦記」の魅力かといったら、やはり、1巻の「影とのたたかい」では、ゲド自身がアースシー(大地海)世界を1人で旅していく(最後は顔なじみのカラスノエンドウといっしょに)ことや、2巻の「こわれた指輪」は同じ場所で、テナーがゲドの援助で、自らの心を旅していくこと、第4巻「帰還」では、これがテナーと(血縁のない)娘テハヌーの島内の旅になります。

 第3巻のなかでも、魅力的なのは海の上でいかだで過ごす「外界の人々」でしょうか。クジラやイルカや魚と戯れるこの海の民は、どちらかというと、たぶん、日本の古代に実在した「あまぞく」に煮ているのかも知れません。
 「あま」を漢字で「海女」とも「天」とも書きます。
 もちろん、「雨宮」の「雨」の語源です。

 第6巻「アースシーの風」では、アレンの王宮に集まってしまった人々、女たちや男と達がみんな、アレンの舟で、ロークに向かうことになります。
 そういう意味では、1人で解決する第1巻や、2人で共同で解決する第3巻もいいけど、みんなでよってたかって、ロークの魔術もごっちゃにして解決しようとする、混沌(カオス)のような第6巻がいちばん好きです。

 「さいはての島へ」は、命と死を自分の支配下におこうとして人々と世界をあやつる魔術師クモに、ゲドとアレンが対決して、生と死の境界にあいた穴を閉ざそうとする話です。
 
 ゲドが語る言葉をずっと聞いていると、「命ってなに」「死ってなに」ということが、だんだんと見えていきます。
 ぼくが紹介するより、みなさん1人ひとりが、実際に本文を読んで、物語の傍聴者・あるいは主人公になり、それを感覚してほしいとおもいます。

 全文360ページをよむ意味はあると思います。
 ぼくは、何回も読みます。
 それは、自分の人生を、何回も何回もくりかえし、そして、これでいいの?と問い返すようなものです。

 今日はもう言えませんので、いくつか引用します。
 ゲドがアレンへ「存在の泉は深い。生よりも死よりも深い…」(3巻、p306)

 ゲドがクモへ「そなたはそなた自身を救うために、緑の大地も、太陽も、星も、みんな売ってしまったんだ。だが、今そなたに自己と呼ぶべきものがあるか?ない。そなたが売ったのは、そうよ、そなた自身だったんだ…」

 うわ、怖いですよね。みなさん。でも一度売ってしまったものは、もう2度と自分のところには戻って来ません。
 そういう変質と腐敗については、最近、親しい仲間同士でいろいろ論議していますので、また何度も書きたいと思います。
 聞きたくない人も多いかと思いますが。

 ジプリアニメ「ゲド戦記」のような、心の奥深くまで入らない、表面的なお話と解決なら、この世はすべて何もなし、なのですが。
 あれでは、龍の子・テハヌーの存在意味がありません。
 わが妻・龍の女神のN子さんの存在意味がありません。
 
 アメリカ人であるル=グウインさんは、たぶん知らないと思いますが、古い日本神話では、川や水のそばの女性が龍あるいはヘビであるのは普通なんですね。
 
 そういう日本神話をしらない日本人が増えれば、日本は確実に滅びますね。
 もしかしたら、滅びると言うより、「アースシーの風」で描かれたように、何かが変わって、アースシー世界も、日本も、劇的に変わっていくのかもしれません。
 
 

雨宮日記 7月21日(水)朝 ジージーとアブラゼミが鳴いて 

2010年07月21日 05時51分55秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 7月21日(水)朝 ジージーとアブラゼミが鳴いて 

 いまは7月21日の朝、午前5時54分です。
 暑いので開け放った家の窓から、アブラゼミがジジジジジと鳴いているのが聞こえます

 いつも、つねに自分でありたいなと思って、人生の相棒で妻のN子さんとも安易に同調せず(でもN子さんとは同調できると凄くうれしい)、生きてきました。

 N子さんと、もちろん、他の人(対話の出来る人だけです)とも対話をしながら、生きていきたいなと思います。
 対話をするのは、生きている人だけじゃなくて、マルクスさんとか、ヘーゲルさんとか、プラトンさんとか、そういう人も全部です。
 (誇大妄想と思う人、いるでしょ?)

 いま、はまっていて分析を始めているのが、松岡正剛さんです。
 これから松岡正剛さんの著作から、いろいろ紹介したいと思いますが、まず、ちくま学芸文庫の『日本流』の「序章 日本が思う 歌を忘れたカナリヤ」がすてきです。

 ふつう、子どもたちのための「童謡」というと、すごく楽しい歌とか、うれしい歌とか、子どもたちの人生の未来を生き生きと歌う歌のはずですが、大正時代の「童謡」はちがうよ、という話です。

 「歌を忘れたカナリヤは」とか「雨が降ります。雨が降る」とか「赤い靴はいてた女の子 異人さんに連れられていっちゃった」とか、悲しい歌ばかりです。
 「赤とんぼ」もそうですね。
 人生はかなしい、命ははかないと、いうこと、人生は楽しくない、命は永遠ではない、ということを子どもたちに教えないと。

 そういう気がします。
 考察を続けます。

松岡正剛さんの本から、三木露風さんの1920年(大正9年)の詩「正午」を引用します。

「わたしが見たのは昼の夢

 薔薇の木が、焼けて
 薔薇の花が、焦げる

 王様の家。
 火事だ。

 薔薇の木が、焼けて
 薔薇の花が、焦げる

 わたしが、見たのは、昼の夢。

 蝉がぢりぢり
 ないてゐる」