雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

東海の古代史 沼津市の初期古墳・前方後方墳の「高尾山古墳」

2012年02月29日 05時42分17秒 | 遠州古代史

東海の古代史 沼津市の初期古墳・前方後方墳の「高尾山古墳」

 『読売新聞 2012年2月27日(月)』(33)面に「焦点 高尾山古墳保存か 道路建設か 沼津市教委調査書、来月提出」という記事が載っています。

 この高尾山古墳(以前は「辻畑古墳」といっていた)は、沼津市にある前方後方墳で、全長62m、全幅は32m、後方部の上に神社があることが特徴的です。

 つまり、古墳と神社が近接してあるのではなくて、古墳の上に神社があるという「直接的」な話です。

 この高尾山古墳が問題になっているのは、沼津市の交通渋滞を解消するための市道の建設がすすんでいて、高尾山古墳をつっきる予定なことです。

 そしてこの古墳周濠(しゅうごう)から出土した「高杯(たかつき)」が卑弥呼の時代、西暦230年代築造という証拠とされて問題になっています。

 「最古」なら保存すべきで、「最古」でなければ破壊してもいいという、心情・信条は、おかしいでしょう?

 この土器は、たぶん「庄内式土器」でしょうけど、これを3世紀と断定する学説は、むりで、ぼくはたぶん、4世紀の土器と思っています。

 同じように「三角縁神獣鏡」が出た古墳は「卑弥呼の時代」というのも、むちゃくちゃな話で、たぶん4世紀の古墳と、ぼくは思います。

 今日は語りきれないので「前方後方墳」については、別考します。

 


雨宮日記 2月29日(水) 「浜岡原発裁判静岡県西部共同ブログ」開始

2012年02月29日 05時27分03秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 2月29日(水) 「浜岡原発裁判静岡県西部共同ブログ」開始

 「浜岡原発永久停止裁判 第4次原告団・弁護団・「静岡県西部の会」共同ブログ」を始めました。

 ブックマークに登録しました。浜岡原発関係の記事の一部は、こちらに掲載して、ぼくの「雨宮ブログ」には掲載しない場合がありますので、こちらもご愛読をよろしくお願いします。

 今日は昨夜から雨です。

 4年の一度の「うるう日」ですから、この日に生まれた人は、4年に1回しか年令が変わらないことになります。

 自分の誕生日が、4年に1回しか来ないって、どういう気分でしょうかねえ。

 今日が誕生日の方、この記事を見たら、ぜひコメントをください。365人に1人は、いらっしゃるはずですね。

 あ、そうじゃないや。今年は1日分増えるのだから、1年が366日ってことですか?

 ネットでしらべたら「うるう年」「うるう日」の「うるう=漢字で閏」は、余分、余りって意味のようです。

 ずっと一定である「国際原子時」と、地球の自転に基づく「世界時」との差を、年末に調整する「うるう秒」というのもあります。

 

 


遠州古代史 木簡の「石田」と「磐田」

2012年02月28日 16時26分00秒 | 遠州古代史
遠州古代史 木簡の「石田」と「磐田」

 木簡学会編『木簡から古代がみえる』岩波新書、2010年、p69に長屋王邸宅から出土した木簡に「遠江」「石田」と書いた木簡があると書いてありました。

 平城京木簡にも「遠江国」「石田郡」があるそうです。

 調べてみると、天平10年の「駿河国正税帳」の「遠江国使磐田郡散事大湯坐部小国」とあるのが「磐田郡」の始めのようです。

 石田=磐田となるようですが、問題は、天竜川西岸の現在の浜松市東区に「下石田町(しもいしだちょう)」「上石田町(かみいしだちょう)」があることです。

 この「石田町」と天竜川東岸の「磐田」との関係はあるのでしょうか。ないのでしょうか。

 古代の天竜川は今の流路ではなく、三方原台地寄りを流れていたので、「石田町」と「磐田」は感覚的に近くなります。

 磐田の人たちがここに移動していて、天竜川の渡しを支配していたという「分家」説はどうでしょうか。
 
 浜松市の東区版広報にはこう書かれていますが、洪水のあるところがすべて「石田」にはならないでしょうと思います。

 「古くには上石田と下石田を併せて石田郷と呼んでいました。この地域は、天竜川の氾らんが3年に一度は必ずあった、と言われるほど洪水の多い地帯でした。洪水によって、田畑に砂利が流れ込み、石だらけの田んぼになったことから、「石田」とつけられた説があります。上石田の上は北の意味、下石田の下は南の意味です。
 石田には「石田の渡し」の呼称があり、かつては船着場があったようです。平安時代末期の僧、西行法師の絵詞にも「遠江石田天竜の渡にかかりつきて、船渡りたれば…」と記されています。
 現在流通元町になっている一部も、かつては下石田町でした。江戸時代の「元禄高帳」によると、当時の上石田村、下石田村は長上郡下で五本の指に入るほどの大きな村でした。」

 北九州の「壱岐」島にも「石田郡」がありますね。壱岐の石田郡には洪水があるでしょうか。

 全国に「石田」は、いっぱいあるようです。

なお「石」=「岩」の例は、九州の王「筑紫国造磐井」(日本書紀)=「筑紫君石井」(古事記)でも同じです。

 古代の岩石信仰からすると「磐井」「石井」は、神聖な「石」信仰とだいじな「水」信仰が組み合わさった聖なる名前と言うことになるでしょうか。

 同じような例は、浜松でも現浜北区の「岩水寺(がんすいじ)」にあります。

  ☆

 このブログでも、昨年3月30日に以下のように掲載しました。

 「震災・くらし情報 過去の地震 1 霊亀元年(715年)「遠江国地震」

 過去の地震について調べ始めました。
 
 日本国の正史の2番目である『続日本紀』によれば、西暦715年(霊亀元年)の5月25日に「遠江国地震」とあります。

 原文は漢文ですが、以下のように書いています。

 「遠江国地震。山崩壅麁玉河。水為之不流。経数十日。潰、没敷智。長下。石田三郡民家百七十余区。并損苗。」

 訳してみると「遠江国で地震。山香崩れ、あら玉川をふさいだ。数十日を経て、決壊して、敷地郡・長下郡・石田郡の三郡の民家170余区が水没し、苗をダだめにした」


地震ニュース 2月28日(火)午前4時32分 沖縄で地震

2012年02月28日 05時00分56秒 | 地震・津浪・防災

地震ニュース 2月28日(火)午前4時32分 沖縄で地震

 28日午前4時32分ごろ、沖縄で地震がありました。南部の渡嘉敷、座間味両村で震度3です。気象庁によると、震源地は沖縄本島近海で、震源の深さは約50キロ、マグニチュードは5.6です。

 沖縄というと「地震のない島」という間違ったイメージがあるようです。

 奄美諸島から沖縄列島の東側には琉球海溝があるので、当然、巨大地震が起きる可能性は高いと思います。

 ある科学者の説で、「2010年2月に最大震度5弱を観測した沖縄本島近海地震が、東日本大震災の発生を示す予兆だったと推測される」とも。

 沖縄本島近海地震は、震源地を那覇の東南東約100キロ、震源の深さを37キロとするマグニチュード7・4の強い地震で、糸満市では震度5弱を記録しました。

 1771年には、石垣島で80mを超える日本国内最大の津波が発生しています。

 今日の地震が「西日本大地震」の予兆でないと、いいのですが。

 

 


浜松・放射線量測定情報 雨宮自宅定点 2月27日(月)午後

2012年02月27日 22時11分08秒 | 地震・原発・津波・防災情報
浜松・放射線量測定情報 雨宮自宅定点 2月27日(月)午後

 2012年2月27日(月)16時46分、晴れ、風強い
  
 11回目から20回目、10回測定
  平均値 0.052 μSv/h  
  最大値 0.058 μSv/h 
  最小値 0.049 μSv/h 

 21回目から30回目、10回測定
  平均値 0.047 μSv/h 
  最大値 0.052 μSv/h 
  最小値 0.042 μSv/h 

 11回目から30回目、20回合計
  平均値 0.050 μSv/h 
  最大値 0.058 μSv/h 
  最小値 0.042 μSv/h 



 

東海の古代史 2012年2月 牧之原市の宮下遺跡で庭園池発掘

2012年02月27日 05時22分52秒 | 遠州古代史
 東海の古代史 2012年2月 牧之原市の宮下遺跡で庭園池発掘

 静岡県中部の牧之原市にある宮下遺跡は、静岡空港の東南、空港と東名高速との間にあります。2月22日に、牧之原市教育委員会は、宮下遺跡で中世前期の庭園池跡を発掘したことを発表しました。
 池は南北が約35m、東西が20mで、中之島があり、庭園池の中から「福万」「寿」と墨で書かれた墨書土器も多数発掘されました。
  


 地図(手元の『街の達人 静岡 便利情報地図』昭文社、227ページ、定価3200円)で宮下遺跡(p149に「宮下遺跡」が掲載)を見ると、すぐ間近に「坂部神社」という神社があって、しかも地図では坂部神社の参道が神社から宮下遺跡の方向に向いています。
 明らかに、宮下遺跡の関係者が参拝した神社ではないでしょうか。

 宮下遺跡の時代は鎌倉時代初期の13世紀ごろ、つまり今から800年くらい前です。「坂部神社は存在しない」という証明はできないのではないでしょうか。

 新聞では今回の発掘は「仏教遺跡」と解釈されていますが、そんなに簡単なものではないように思います。

 台頭する武士階級と関連するのであれば、たとえば「八幡信仰」など神社との関連も考察してもらわないと、と思いますが、どうでしょうか。



 墨書土器の「福万」は『静岡新聞』では「福万(よろずにふくきたり)」と読み仮名がふられていましたが、なぜ「福万(ふくまん)」と読んではいけないのでしょうか。
 
 「万人の福」(みんなのしあわせ)という思想・思考は、今の時代にはありえますが、中世武士の台頭時代に、そういう共産主義的思想を求めるのは無理があるのではないでしょうか。

 なぜまん丸の池ではないのでしょうか。

 楕円形の池(つまり水)で、真ん中に島がある。ということは「古代史幻想」に属する妄想かも知れませんが、古代の卑弥呼信仰、あるいはアテネ女神信仰のような女性信仰との関連で「福万」という文字を解釈できないでしょうか。

 現代でも「あげまん」という言葉があります。つまり、ペアになった男性の「運」を上昇させる女性のことです。

 「まん」は「間」のことという解釈もされているようですが「まん」と「ま」では違いますね。

 やはり「まん」は、女性のシンボルのことではないでしょうか。

 墨書土器の「寿(じゅ、ことぶき)」も、「長寿」や「結婚」を祝う言葉ですから、やはり「女性信仰」の一つだと言えるのではないでしょうか。

 つまり、女性の受胎と生誕を願う「再生儀式」の一つではないでしょうか。

 

 

浜松・放射線量測定情報 雨宮自宅定点 2月26日(日)夕方

2012年02月27日 05時04分38秒 | 地震・原発・津波・防災情報
浜松・放射線量測定情報 雨宮自宅定点 2月26日(日)夕方
 
 2月26日(日)18時02分

 11回目から20回目、10回計測
  平均値 0.045 μSv/h  
  最大値 0.050 μSv/h 
  最小値 0.039 μSv/h 

 21回目から30回目、10回計測
  平均値 0.045 μSv/h 
  最大値 0.049 μSv/h 
  最小値 0.042 μSv/h 

 11回目から30回目、20回合計
  平均値 0.045 μSv/h 
  最大値 0.050 μSv/h 
  最小値 0.039 μSv/h 

 ☆昨年からの測定で11回目から20回目まで10回測定していましたが
  途中からさらに10回、合計20回測定し始めたため、
  以前からの10回分の測定値と比較できるように、
  11回目から20回目と、21回目から30回目、11回目から30回目、
  3つのデータを煩雑ですが表示しています。
  

雨宮日記 2月25日(土) 眠いのを無理して、午後に静岡市へ

2012年02月25日 21時32分27秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 2月25日(土) 眠いのを無理して、午後に静岡市へ

 24日深夜から25日朝の仕事は、大雨で疲れました。午前5時ごろ、帰宅。パソコンに向かいながら飲んで、もしくは飲みながらパソコンを打って、寝ました。

 午前11時頃、則子さんに無理矢理起こされて、意識もうろうとしながら、自宅前で日課の放射線量測定をしていたら、もう遠鉄タクシーが来ちゃって、すこし待ってもらいました。

 遠鉄タクシーは、いつも指定時間の10分くらい前に来ちゃうんですね。

 家計は裕福ではないですが、こういう時は、則子さんが、電車で行くのではボクが足元フラフラして心許ないので、タクシーにしてくれます。

  ☆

 こういうときは、ボクの父が一人で家にいるので、則子さんは父の昼食と夕食の心配をして、手配をして、でかけます。

 もう十数年以上、こういう生活で、妻の則子さんのボクの父への気配りには、感謝、感謝です。

 父が月何回か、3つの病院に行くときには、タクシーを呼んで、則子さんが午前中、いっしょについていってくれます。

 たぶん、不出来な次男の、望外に出来た「お嫁さん」だろうと思います。

  ☆

 則子さんが午前中に、近くのストアで買ってきた「お寿司」を新幹線の車内で食べようとしたら、「あれ?醤油は?」。

 どうしようもないので、お寿司を醤油なしで食べました。

 やはり、日本人と言えば醤油、醤油と言えば日本人、ですね。

  ☆

 静岡駅から北へあるきました。

 静岡市で駿府城のお堀端で「教育会館」地下・D会議室で「浜岡原発永久停止裁判」の弁護団・原告団の合同会議でした。

 第4次原告が併合になるので、ボクは新しい原告団の事務局として、今日が初めての参加です。

 則子さんは原告団だけの前回の会議に参加しているので、前回、顔見知りになった原告が多いようです。

 5月に出した訴状のあと、第2次原告団追加、第3次原告団追加、と続いて、今回は県西部の第4次原告団追加提訴と、原告「準備書面(1)」の検討をしました。

 ぼくにとっては、半分以上の6割くらいが、初めて見る顔の方々(原告と弁護士)なので、すごく新鮮でした。

 

 

 

本と映像の森 193 高橋留美子さん『ルーミックワールド 1』

2012年02月25日 20時38分32秒 | 本と映像の森
本と映像の森 193 高橋留美子さん『ルーミックワールド 1』<少年サンデーコミックス>、小学館、1984年、200ページ

 別タイトル「タイムリープ」を起こす「きっかけ」を追って

 「タイムトンネル」(古い!)や「タイムトラベルマシン」などの機械的手段でない限り、超能力をもつ人間が、未来や過去へ時間旅行するSFはたくさんあります。

 大好きな漫画家・高橋留美子さんのコミック『るーみっくわーるど1 ー高橋留美子短編集ー』がぼくの部屋の本の地層の白亜紀のあたりから発掘されたので、久しぶりに見たら、最初の漫画が「炎トリッパー」でした。

 女子高校生・鈴子は、ガス爆発がきっかけで近所の男の子「周ちゃん」と共に、戦国時代にタイムリープしてしまう。(周ちゃんは行方不明)。

 戦国の村で鈴子は、若者「宿丸」に助けられる。宿丸には妹「鈴」がいる。

 鈴子は16才で、宿丸は15才である。

 鈴子は「炎」「大火」でそのタイムリープ能力が発言するサイキック(超能力者)です。

 問題は、このタイムリープ能力の発現原因が「炎」という設定は、ボクの大好きなSF作家平井和正さんの「幻魔」シリーズの「新幻魔大戦」で、超能力舎「お時」が同じ設定なことです。

 この「炎トリッパー」は「週刊少年サンデー」の昭和58年(1983年)8月増刊号に掲載されたので、平井和正さんの「新幻魔大戦」は連載が1970年代なので、明らかに平井さんが先です。

 さらにその以前に、筒井隆康さんの「時をかける少女」が有名な「ラベンダーの香り」をきっかけに時を越えてしまうプロットでした。

 さあ、この3つは、それぞれ因果関係があるのでしょうか。

 

 
 
 

放射線量測定情報 JR浜松駅・静岡駅・静岡市地上 2月25日(土)

2012年02月25日 20時10分39秒 | 地震・原発・津波・防災情報
放射線量測定情報 JR浜松駅・静岡駅・静岡市地上 2月25日(土)

 2012年2月25日(土)午後、新幹線で静岡へでかけたついでに途中で測りました。

 ○JR浜松駅の南口を出て、噴水の前の舗装路上1m 10回測定
   平均値 0.097
   最大値 0.102
   最小値 0.089

 ○JR浜松駅構内2F・新幹線待合室の席に座って 10回測定 
   平均値 0.081
   最大値 0.088
   最小値 0.078

 ○こだま車内、南側の窓際の席で 10回測定
   平均値 0.024
   最大値 0.029
   最小値 0.018

 ○JR静岡駅・新幹線ホームにて 6回測定の平均 0.076
 ○JR静岡駅1F構内      6回測定の平均 0.099

 ○静岡市・駿府公園のお堀端の路上(教育会館前) 10回測定
   平均値 0.050
   最大値 0.057
   最小値 0.046

 ○教育会館1F・D会議室内座って 5回測定の平均 0.058


浜松・放射線量測定情報 雨宮自宅定点 2月25日(土)午後

2012年02月25日 20時06分26秒 | 地震・原発・津波・防災情報
浜松・放射線量測定情報 雨宮自宅定点 2月25日(土)午後

 2012年2月25日(土)11時28分、曇り(雨上がり)、微風

 11回目から20回目、10回測定
  平均値 0.043
  最大値 0.046
  最小値 0.040

 21回目から30回目、10回測定
  平均値 0.044
  最大値 0.048
  最小値 0.041

 11回目から30回目 20回合計
  平均値 0.043
  最大値 0.048
  最小値 0.040

 

浜松・放射線量測定情報 雨宮自宅定点・A地点 2月23日(木)夕方

2012年02月25日 05時30分09秒 | 地震・原発・津波・防災情報
浜松・放射線量測定情報 雨宮自宅定点・A地点 2月23日(木)夕方

 2012年2月23日(木)17時19分、晴れ(雲量5%)、微風

 11回目から20回目まで、10回測定 
  平均値 0.053
  最大値 0.056 
  最小値 0.050

 21回目から30回目まで、10回測定
  平均値 0.055
  最大値 0.060
  最小値 0.050

 11回目から30回目まで、20回合計
  平均値 0.054
  最大値 0.060
  最小値 0.050

 少し数値が増えたのは、雨で周囲の放射性物質が測定点に流れてきたからでしょうか?

雨宮日記 2月23日(木)夜 大雨の後は、なぜか大風でした

2012年02月24日 06時04分56秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 2月23日(木)夜 大雨の後は、なぜか大風でした

 久しぶりの大雨でしたが、そのあとは、急に寒くなって、夜、すごく風が吹きました。

 夜は7時半から、事務所で会議でしたが、すごい風の音がヒューヒューするし、換気扇が悲鳴を上げるし、凄かったです。

  ☆

 宮沢賢治さんの童話「風の又三郎」を思い出しました。

 「どっ、どっ、どどうど、どどうど、どう」です。

 その冒頭はこうでした。
 
 「どっどど どどうど どどうど どどう
  青いくるみも吹きとばせ
  すっぱいかりんも吹きとばせ
  どっどど どどうど どどうど どどう」

  ☆

 仕事を終えて家に帰ったら、眠るための「行事」に必要な「聖なる液体」が、ないのに気づいて、家の近くのコンビニに買いに行きました。

 紙パックで「1.8リットル」の「清洲城 信長 鬼ごろし」を買って、968円で、500円玉2つを出して、おつり32円でした。

 ボクの今日時点の年令は、60才なのですが、コンビニのレジで、「20才確認」で指でレジにタッチしてください、と言われました。

 どう見ても、ボクが20才以下には見えないですけど。ぼくが、いくら、少年の魂をずっと維持していますと、主張しても。

 

   



雨宮日記 2月22日(水)夜から朝 雨の中の仕事で「同行二人」

2012年02月23日 05時46分04秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 2月22日(水)夜から朝 雨の中の仕事で「同行二人」

 22日の夜から雨になり、ずっと今、朝まで降り続いています。

 ある女性が「今日は、夜中の仕事、一緒に行ってあげようか」と言うので「はい、お願いします」と答えました。

 本来、一人でやる仕事なのですが、こういう雨の日は、もう一人いてくれると、心強いです。

 四国遍路の「同行二人」は、空海さんが一緒についてくれるようなお話ですが、ボクの人生「遍路」には、空海さんのような男性ではなくて観音様のような女性の守護神がついています。ほんとです。

 冷える夜の仕事なので「智彦くん、ちょっとコンビニに寄って」というので浜松市の中心街の中央地区のセブンイレブンに寄りました。

 男なら立ちションすればいいのですが。

 空海(くうかい)さんではない守護女神さまは「チョコレート買ってきたけど、食うかい?」というので「はい」と答えました。

  ☆

 深夜、車を運転して仕事をしながら、「希望」「絶望」「無関心」「あきらめ」について守護女神さまと対話しました。

 希望の反対は絶望ではありません。
 希望と絶望は表裏一体で、切り放せないものです。
 希望&絶望の反対は、無関心やあきらめです。

 絶望が深ければ深いほど、希望も深いのです。

 そういう話を原発廃止の運動や、環境運動、平和運動の中でしたいと思います。

 というより、そういう「人間の心」の話ができない原発運動は発展しないと思います。


 

 
 

浜松・放射線量測定情報 2月21日(火)夕方 自宅定点 

2012年02月23日 05時40分54秒 | 地震・原発・津波・防災情報
浜松・放射線量測定情報 2月21日(火)夕方 自宅定点 

 2012年(平成24年)2月21日(火)18時19分、曇り、風少しあり
 
 11回目から20回目、10秒ごと10回測定
  平均値 0.054 μSv/h  
  最大値 0.057 μSv/h 
  最小値 0.051 μSv/h 

 21回目から30回目、10秒ごと10回測定
  平均値 0.051 μSv/h 
  最大値 0.056 μSv/h 
  最小値 0.041 μSv/h 

 11回目から30回目、20回合計
  平均値 0.052 μSv/h 
  最大値 0.057 μSv/h 
  最小値 0.041 μSv/h