雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

過去現在未来のメモリーノート 89 組織論② 組織と個人 20200731

2020年07月31日 21時03分54秒 | 過去現在のメモノート

過去現在未来のメモリーノート 89 組織論② 組織と個人 20200731

あぶない組織とは

 ① 個人と組織のバランスが悪い。どっちかが不均等に強くなりすぎている。 (現在)

 ② 組織の個人全体が過去を学んでいない。その企業だけではなく失敗成功史。
あるいはその分野史。戦前史・戦後史。 (過去)

 ③ オリジナリテイに欠ける。マネ。 (未来)



雨宮日記 2020年7月30日(木) すごしやすい日

2020年07月30日 21時34分54秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 2020年7月30日(木) すごしやすい日

 鳥島沖で小さな地震があったのを相模湾沖と間違えて、大地震速報をミスって出たようです。

 郡山市では飲食店ガス爆発。

 真夏なのに最高気温25度で、すごくすごしやすい日でした。

 則子さんも休みなのでボクの部屋の片付けをしました。

 通路が拡がって「通りやすくなったね」と則子さんが言ってくれました。

 明日は今日より7度も高くなる予報です。


青い銀河とオレンジの花 断片 3 新町という今はない町

2020年07月29日 15時56分40秒 | 青い銀河とオレンジの花
青い銀河とオレンジの花 断片 3 新町という今はない町


 生後2ヶ月で父母兄とともに移住した浜松市新町(しんまち)には、ボクが小学校1年生の終わりまでいました。

 祖父のやっていた本屋「林泉書房」を父もいっしょにやりはじめました。このころは大家族でおばあちゃんはもちろんその母親「おおばあちゃん」や父の姉妹もいっしょに住む「大家族」でした。

 新町は東海道筋の西を板屋町、東を馬込川で区切られた商人町で、江戸時代には古文書に新町の名前が書かれています。

 うちは戦前、この新町の東海道北側の一角を借りて古書店をはじめ、戦後、こんどは南側を借りてバラックで商売を再建しました。

 今は「浜松市中央」というあたりです。浜松市が「消して」しまった「新町」は今ではバス停にしかその名前は残っていません。




ことばと詩 35 雨宮智彦語録 ② 細かすぎると 20200728

2020年07月28日 20時16分38秒 | ことばと詩
ことばと詩 35 雨宮智彦語録 ② 細かすぎると 20200728

 「ことばと詩 26 雨宮智彦語録 ① しつこさだけが……」の続編。

 たぶん何か原典の小説があるかもしれないが今はさだかではない。

 ぼくが覚えているのはこういうかたちだ。肝に命じている。


   「細かすぎると滅ぶ」

 

過去現在未来のメモリーノート 88 組織論 いくつかの組織 20200727

2020年07月27日 05時23分06秒 | 過去現在のメモノート

過去現在未来のメモリーノート 88 組織論 いくつかの組織 20200727

 「過去現在未来のメモリーノート 87 独裁体制とワンマン体制 20200725」で「独裁」「ワンマン」を論じた。これは人間論だが別の角度からいえば組織論です。

 つまり「独裁」にしろ「ワンマン」にしろ周囲が抵抗すればできない。周囲の人間が協力するからできるのだ。

 だから人間論は組織論です。

 大きくいえば組織は、2つに分けられる。「集中組織」か「連合組織」か。この2つへの分類はいい悪いの分類ではない。そうなっているということです。

 「集中組織」のなかには会社や学校のクラスや民主集中制の組織も含まれる。そのなかの一部は変質してワンマン化する。またその一部は独裁化する。

 いまのところそれぐらいでしょうか。

 まだ未完の点も多いこの論考ですが、発表する意味はあると思います。


新・本と映像の森 341 柞刈湯葉『横浜駅SF』KADOKAWA、2016年

2020年07月26日 13時38分09秒 | 本と映像の森

新・本と映像の森 341 柞刈湯葉『横浜駅SF』KADOKAWA、2016年

 282ページ、定価本体1200円+

 きわめつけにおもしろいSFと思う。

 横浜駅が暴走して自動繁殖を開始、数百年後、本州はすべて横浜駅化した。北海道と九州は困難な防衛戦を続けている。

 人類は脳に埋め込まれたSuikaカードで横浜駅で暮らせるエキナカの住民と、その外で細々と暮らす住民に分けられる。

 主人公のひとりはエキソトの住民ヒロト。ヒロトはエキナカから来て死んだ男にたのまれて「42番出口」を探す旅に出る。エキナカで出会った男の子型のヒューマノイドロボットのネップシャマイと組んで旅を続ける。

 もう1組の主人公は九州から出発する久保トシル。トシルも四国で会った女の子型のヒューマノイドロボットのハイクンテレケと東への旅を続ける。



 過去のSFへのオマージュ・尊敬に満ちている。早いはなしが目次はこうだ。

1 時計じかけのスイカ
2 構内2万営業キロ
3 アンドロイドは電化路線の夢を見るか
4 あるいは駅でいっぱいの海
5 増築主の掟
6 改札器官

 人間とヒューマノイドロボットのペアによる探索という筋は、アイザック・アシモフさんの名作『鋼鉄都市』『はだかの太陽』のイライジャ・ベイリ/ダニエル・オリヴォーの人間/ヒューマノイドロボットのペアのコンセプトを借りていると思う。

 細かいこともいっぱい書きたいが、めんどくさい。あとは読んでください。

過去現在未来のメモリーノート 87 独裁体制とワンマン体制 20200725

2020年07月25日 16時14分54秒 | 過去現在のメモノート

過去現在未来のメモリーノート 87 独裁体制とワンマン体制 20200725

 独裁とは、独裁体制とは、絶対権力です。たとえばヒットラーやスターリンや毛沢東や習近平さんなどの権力・体制のこと。

 それは一国のすべてにおよぶ。およばないものは独裁体制ではない。

 そういう1カ国全体におよばないものを、ボクはひとまずワンマン体制とよぼう。その政党・組織のなかだけで通用する権威のことだ。

 たとえば安倍自民党。あるいはいまのアメリカ大統領。公明党の池田大作さん。スズキの鈴木修さん。かっての日本共産党の宮本顕治さん。かっての不破哲三さんもその中に入るように思う。

 いまの志位和夫委員長の体制はたぶんワンマン体制ではないとボクは思います。

 ワンマン体制というのは、権威はあるが、その組織のなかだけの場合です、そういう2段階の考え方でいいのかどうか、みなさんの考え方を聞かせてほしいと思います。



雨宮日記 2020年7月24日(金) 図書館へ行った

2020年07月24日 21時13分53秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 2020年7月24日(金) 図書館へ行った

 図書館へ行った。ただそれだけ。ボクは無事、7冊借りた。それと5冊を予約してきた。

 でもいろいろ起きた。2人とも電話を忘れて、図書館にたのんでタクシーに電話してもらった。

 さらに家に帰ったときに、タクシーに本を入れた袋を忘れて、図書館とタクシーに電話した。けっきょくタクシーにあって届けてもらった。

 浜松の2つの飲食店でクラスターが出たので、いつ浜松の図書館も再休館されるかわからない。

 家に居ても暑い。夏ですね。


過去現在未来のメモリーノート 86 生物的ウイルス危機と経済的恐慌危機 20200723

2020年07月23日 07時53分28秒 | 雨宮日誌

過去現在未来のメモリーノート 86 生物的ウイルス危機と経済的恐慌危機 20200723

 今朝、思いついた「比較」。「生物的ウイルス危機」は「経済的恐慌危機」と同じような「危機」で、制御・管理できないという点で同じである。

 資本主義は「会社内」の制御・管理できる部分と「会社外」の販売購買でつながっている商業部分の二重構造なのですが商業部分は制御・管理できません。

 詳しい比較検討はこんごやりたいけど、経済学者の論文ってないのでしょうか。



雨宮日記 2020年7月22日(水) 図書館へ行こう

2020年07月22日 18時37分29秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 2020年7月22日(水) 図書館へ行こう

 今日午後は「図書館へ行こう」と、自宅から則子さんと2人でタクシーに乗った。

 ところが途中で図書館で前にもらった予定表を見て、則子さんが「あれ、22日は中央図書館は休みだ」という。

 しかたないので、「運転手さん、悪いけど城北図書館へ回って」となった。そして城北図書館に来てみたら、なんとここも休み!

 「しょうがない、うちに帰ろう」

 「高いドライブだったね」となった。2940円でした。でも久しぶりの城北近辺や静大近辺、懐かしかったです。

 外は暑い1日。バッタたちは元気に生きています。


ことばと詩 34 『ガリレオ』(テレビドラマ・映画)より、湯川学帝都大学准教授のことば 20200722

2020年07月22日 08時30分12秒 | ことばと詩
ことばと詩 34 『ガリレオ』(テレビドラマ・映画)より、湯川学帝都大学准教授のことば 20200722

 『ガリレオ』(テレビドラマ・映画)より、湯川学帝都大学准教授のことばをすこしだけ抜き書きしてみました。

 湯川学さんが解決編の前に必ず数式を書き連ねるのは、結論が数式的・論理的に導き出せるはずという制作者の誤った思いこみでしょう。

 それ以外は、ボクは湯川学さんのファンです。


 「現象には必ず理由がある」

 「ありえない?誰が証明したんだ?」

 「感情は論理的ではない。論理的でないものにまともに取り合うのは時間の無駄だ」

 「虚像を追い求める人生もあるということだ」

 「人間は計算式のように美しくはない。それどころか、見るに堪えないほど醜いときがある」

 「考えるという行為は、人間に与えられた最大の楽しみだ」

 「物事には見えないものがある。それこそが一番重要かもしれないんだぞ」



ことばと詩 33 ルイ・アラゴン「未来のうた」より 20200721

2020年07月21日 14時09分07秒 | ことばと詩

ことばと詩 33 ルイ・アラゴン「未来のうた」より 20200721

ルイ・アラゴンはボクの大好きなフランスの詩人です。これはボクの愛読書である大島博光さん『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の賛歌』(東邦出版、1971年)の「エルザの狂人」p394から引用します。


わたしは君に言おう
男は女のために生れ
愛のために生れてくるのだと
古い世界のすべてが変わるだろう
はじめに生が つぎに死が変るだろう
そうしてすべてのものが 分けられよう
白いパンも 血まみれのくちづけも
そうして 夫婦たちの わが世の春が
オレンジの花のように 地上に散り敷くだろう


 毎日のように読んでいたこの本(大島博光さん『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の賛歌』)を本棚の隅からやっと今年、引っ張り出してきて見直したのは40数年ぶりでしょうか。

 自伝タイトル「青い銀河とオレンジの花」のルーツのひとつです。


雨宮日記 2020年7月21日(火) 単語覚え違い

2020年07月21日 14時08分27秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 2020年7月21日(火) 単語覚え違い

「7月18日(土) ショウジョウバッタがいたよ」と「ショウジョウバッタ」と書いたのはボクのミスでした。

 正しくは「ショウリョウ(精霊)バッタ」。

 昆虫図鑑によれば日本にいるのは「ショウリョウ(精霊)バッタ」「ショウリョウバッタモドキ」「オンブバッタ」の3種類と書いてある。よくわかりません。

 最近はハードデスクの文書ファイル整理をしている。



雨宮日記 2020年7月20日(月) 被爆者の紙芝居、ビデオ化をはじめる

2020年07月20日 19時03分56秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 2020年7月20日(月) 被爆者の紙芝居、ビデオ化をはじめる

 以前、完成させた被爆者の紙芝居「ターちゃんのヒロシマ」のビデオ製作をはじめた。今日は音声ナレーションの再録をした。

 これから制作シナリオを書く。

 暑いので、毎日のようにお風呂に入るかシャワーを浴びる。いっしょに入れてくれる則子さんはありがたいです。

 まだ梅雨はあけず、晴れか曇りもよう。

自伝「青い銀河とオレンジの花 断片」は、これまで書いたものも含めて、すこしづつアップしていくつもり。

 発作でいつ、このブログが中断してもいいように。自分の人生、後悔しないように。


青い銀河とオレンジの花 断片 2 生まれたころ 20200720

2020年07月20日 08時17分54秒 | 雨宮日誌


青い銀河とオレンジの花 断片 2 生まれたころ 20200720


 ぼくは今は静岡県浜松市で生きていますが、生まれは浜松ではありません。日本列島を遠く西日本へ、山口県光市というところです。

 光市というと、共産党の宮本顕治さんの生まれたところ、と思う人もいるし、海軍工廠のあったところと思う人もいるでしょう。光市については父の自伝『落葉松』に詳しく書かれているので参考にして欲しい。『雨宮智彦のブログ』にも掲載しました。

 ぼくの生まれたのは1951年(昭和26年)8月27日、光市浅江、中村住宅273号というところです。ずっとのち、30代になった頃になって「8月27日」は大好きな宮沢賢治さんの生まれた日だとわかって嬉しくなったことがありました。

 父の書いてくれたメモによれば、次のようなふうだったそうです。たぶん父の書いている日記の転載だと思います。

 「26年8月27日 予定通り本日、22時30分男児出生。由利夫【兄】の時より早し。助産婦を呼びにいったのが19時頃、一度来て、まだ間があるし、お客があるから十時頃又来ると云って帰ってしまふ。十時頃、痛み激しくなりてきたため、呼びにいきかけて【駆けて】来る。時に十時十分。生まれたのが25分頃、危い所なり。出るのが急なりしため、後腹が痛むよし。
 講和を記念して名前は信頼と和解の講和より信和とつける。謝礼200000【20万円】なり。組合より50000祝あり。」

 「9月27日 1ヶ月体重1010匁。由利夫と比較するに1ヶ月の増加が250匁ー100匁=150匁も多い。其の代り乳を良く飲むせいか足りない位である。」

 「27年5月 はしか。発熱は二日のみ。由利夫よりずっと軽し。」

注) 1匁=3.75g、1010匁=3.78kg。


 父が「講和を記念して名前は信頼と和解の講和より信和とつける」と書いているように当時は日米安保条約の締結交渉中で、新聞やラジオも大宣伝していたのでしょう。だからボクは本名の「信和」がすごく嫌いです。

 雨宮智彦などのペンネームを多用するようになった原因かと思います。

 秋10月だから、わずか2ヶ月のとき光から浜松へ移住しました。当然光市の記憶はまったくありません。ボクの小さい頃の記憶は、浜松の新町(しんまち)から始まります。