雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

地震・防災の本 木村政昭さん『富士山大噴火』宝島新書、2011年8月

2011年11月30日 05時29分27秒 | 地震・原発・津波・防災情報
地震・防災の本 木村政昭さん著『富士山大噴火 ー不気味な5つの兆候ー』宝島新書、宝島社、2011年8月17日第1刷~10月29日第2刷、191ページ、定価952円+消費税

 昨日(11月29日(火))に行きつけの谷島屋三方原店に注文した本を買いに行って、ついでに店の中を回りました。自然科学のコーナーで、お目当ての『天文年鑑 2012』(29日の朝刊に広告が出ていた)がなくて、ちょうど、この本の表紙が目につきました。

 「あっ!この本は、ぼくに読まれたがっている」とピンときて、すぐ買いました。

 木村政昭さんは、海洋地質学者で、別の本を紹介したいのですが、それはまたいつか。

 木村さんは、小規模地震の解析から、過去の1983年の三宅島、1986年の伊豆大島・三原山、1991年の雲仙普賢岳の噴火を「事前に予知していた」(p6)と言っています。

 それが本当かどうかは、実際に皆さんが読んで判断してください。

 ぼくの言えるのは、地震学者の主流の「地震発生確率何%」という確率論よりは、その正否が確定できるということです。

 木村さんは、自分の方法から、小規模地震の起こり始める最初から「30数年」で噴火が起こり、それまでに小規模地震の3回の「山」があるとしています。

 木村さんの計算では、富士山噴火が起きるのは「2011年±4年」です。

 その兆候として、木村さんは、こういう事象をあげています。
 
 ○1987年の富士山の異変、忍野八海の水位低下
 ○1989年、手石海丘海底噴火、8月11日静岡沖地震(M6.5)
 ○2000年からの富士山地下の低周波地震
 ○2003年、富士山東北斜面の熱い噴気
 ○1987年、2006年、河口湖での気泡発生
 ○2011年3月15日、静岡県東部地震(M6.4)
 ○2001年~2010年、青木ヶ原の風穴の氷が溶ける
 ○2007年富士山西麓の「スラッシュ雪崩」

 木村さんの推定が正しいか,間違っているか、ぼくもこれから検討しますが,すくなくとも、無視していい学説ではないと思います。

 それと、大事な意見は、日本列島全体が、歴史時代でいうと、地震・火山活動が活発な3つの時期の、3回目の時期に当たっていると言うことです。

 第1期めは、飛鳥から平安の時代の500年間、第2期は室町から江戸初期の200年間、第3期は1923年の関東大震災に始まるこれからの数百年です。

 もう一つ、興味深く読んだのは、書かれた文献にあまり出てこない、「革新的地質学者」が地殻の大規模な横への移動である「プレートテクトニクス」を受け入れられず、受け入れた木村さんは冷遇視されたという内容の部分です。

 第2章の、p69「プレート学説をめぐりイデオロギーが対立」と書かれています。

 p72に「革新系の地質学者はアンチプレート派が多かった」と明記されています。

 「革新系」というのはぼかした表現で、つまり「地団研(地学団体研究会)」系の、共産党系の学者ということだと思います。もし、違っていたら、抗議・訂正を受け付けます。

 本来「革新」系で、革新が大好きな科学者が、地殻が横に動いて,地震や火山活動を引き起こすという学説に拒否反応を示すのはなぜなのか、理解できませんが、こういう現象を研究・分析した方は、木村さん以外には、まだいないのかな?

 富士山噴火の影響については「本と映像の森9 鎌田浩毅さん『富士山噴火』ブルーバックス、2010年02月25日」で紹介しましたので,参照して下さい。

 

雨宮日記 11月28日(月) 大阪ダブル選挙・橋下さん当選の評価

2011年11月29日 05時33分39秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 11月28日(月) 大阪ダブル選挙・橋下さん当選の評価

 一夜明けて月曜日の新聞は、橋下(はしもと)さんの大阪市長当選をどう評価するか、いろいろ書いています。

 ぼくは、こう思います。つまり「自民・民主・公明・共産…」などの既成政党がダメだから、橋下さんの「維新の会」に期待するというのは、要するに、自分が主体にならなくても誰かに下駄を預ければ幸せになれるという幻想ではないでしょうか。

 幸せになるのではなくて、しわ寄せを受けて不幸になるだけではないでしょうか。

 テレビ漬け・マスコミ漬けにされて、家畜化・ペット化した日本人類は、今や滅亡の危機に立っていると思います。

 つまり、家畜化・ペット化した普通一般の日本人は、自分の「主人」をマスコミで探しているんですね。あるいは、幸福心で拍手できる「アイドル」か。

 「原子力村」が守護神の「アトム神」を信仰しているようなものです。

 あるいは、オウム信者が、教祖様を信仰しているようなものです。

 オカルトと言おうと、カルトと言おうと、スピリチュアルと言おうと、橋下さんと言おうと、維新の会と言おうと、その本質は同じではないでしょうか。

 ハシズムを打ち破るには、それぞれ個人が意見表明をして,個人が構成する運動を再構成しないと対抗できないですね。

 ☆ 以下、蛇足

 ハシズムには、ナチス党のような、市民運動としての「党」すら、そこにはないのです。

 ナチス運動には、暴力装置としての「突撃隊」「親衛隊」が表裏一体でしたが、それもないですね。

 まあ、それは戦前の「大日本帝国」でも同じでしたか。つまり、国家の暴力装置自体を利用していたので、自前の市民運動としての暴力組織は必要なかったんですね。

 「ハシズム」はどうするのかな?

 口だけなら、なんとでも言えますね。橋下さんが実行で試されるのは、これからでしょうね。ぼくはちゃんと、見守りますよ。

 誤解しないで下さいね。期待なんかしていません。期待するのは、ハシズムの破滅の時、ですから。

 


 

雨宮日記 11月27日(日) 袋井月見の里・うさぎホールへ

2011年11月28日 05時56分35秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 11月27日(日) 袋井月見の里・うさぎホールへ

 今日は,則子さんと、うきうきデートです!袋井の「月見の里」「うさぎホール」でのドイツロマン派の無伴奏合唱のコンサートです。

 月見の里へは、浜松楽器博物館での何かのコンサートでちらしが入っていて、講師の平野さんが宣伝していたので、バッハの合唱を2人で聞きに行ったのが最初です。そのときはJR東海道線で、袋井駅からバスに乗りました。

 2回目は、今年10月22日のアンヌ・ガスティネルさんのチェロコンサートで、このときは家から車で、かささぎ大橋を渡って行きました。

 午後5時開演だったので、午後3時に家を出て、磐田の古墳をちょっと見ようと依光をしました。
 
 ところが、お目当ての「銚子塚古墳」「小銚子塚古墳」が見つからず、すこし北の「米塚古墳」は見れましたが、捜索できず、時間切れでした。

 月見の里に到着して、チェロの時には満員で入れなかった「おかんの食堂」で、美味しいコーヒーを飲んでから、コンサートへ。

 最初の解説も、当時の時代背景をスライドとともに語ってくれて、わかりやすく、よかったです。

 ドイツの本場の、無伴奏の合唱を堪能しました。シューマン夫妻や、ブラームスさん、メンデルスゾーンさんのお姉さんなど、の作曲です。

 4パートで総勢30人くらい。
 
 むかし習ったドイツ語の単語がところどころでわかるのですが。

 合唱団で昔、歌っていたので、あらためて合唱のよさを堪能しました。

 素敵なひびき。

 人間の声は最高の楽器ということばに賛同します。

 無伴奏(アカペラ)なので、曲の最初で、すべて音合わせをしていたのが印象的でした。
 
 午後7時頃終了で、ホールを出るともう真っ暗で、2人で夜の道を浜松へ帰りました。

 すてきな一日でした。則子さん、ありがとう。

 
 
 

雨宮日記 11月26日(土) やっと新居図書館での原爆と人間展の感想入力

2011年11月28日 05時49分11秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 11月26日(土) やっと新居図書館での原爆と人間展の感想入力

 ちまたでは、来年の年賀状が売り出され、本屋さんでは来年の手帳が販売され、もうじき、毎年、恒例でぼくが買っている「天文年漢 2012年」も出版されます。

 コンビニではクリスマスケーキやお正月のおせち料理の注文予約を受け付けています。

 今年も、あと1ヶ月なので、今年のことは今年中にと、今日は、則子さん(事務局長)にいわれたわけでもないのに、残っていた新居図書館での「原爆と人間展」の感想をパソコンで打ち込みに没頭しました。

 打ち込んでから、A4版で4ページの原稿に仕上げました。やれやれ。あとは「命どぅ宝」の最終号ですね。

 

原発ニュース 報道特集 東電の元原発エンジニアが語る衝撃の内部

2011年11月26日 20時05分10秒 | 地震・原発・津波・防災情報
原発ニュース 報道特集 東電の元原発エンジニアが語る衝撃の内部

 今日は、何も予定のない土曜日で、週1回の休みの日です。則子さんのつくってくれた夕食を、則子さんとお父さんがゆっくり味わって食べている台所へ行って、あっという時間(たぶん10分以内)にガッと食べて「ごちそうさま」と玄関の脇の居間へいき、めったに見ないテレビの夕方のニュースを見てました。

 「報道特集」で、元東電エンジニアというテロップが出たので、則子さんを呼んでいっしょに見ました。

 福島県で育った男性で、高校は、東電が作っていた「東京電力学園」という高校に入り、東電から給料をもらって高校生活を送り、原子力技術者として福島第一原発で原子炉と向き合ってきた男性です。

 男性は、かなり以前に、実際の原発での体験から、原発の未来に疑問を抱くようになり、東電を「依願退職」し、3/11以後に、奥さんと娘さんと3人で高知県土佐清水市に移住、土佐清水市で、経歴を生かして、太陽発電の提言と普及などをしています。

 サーファーで、自然に向き合っていたことも、決断ができた一つでしょうね。

 彼は、福島原発で、配線の劣化から起きた浸水で、地下の非常電源が浸水した事故をまのあたりにします。

 そして、地震や津波のときには、原子炉が制御不能になると確信を抱いて、上司と話をしますが、上司は「そのとおりだが、上はそういう意見は受け入れないので」という意味の会話で、彼はショックを受けます。

 やっぱり、人間なら、東電の中にいても、こういう風に感じるんだなあと、ホッとする報道でした。

 いや、ホッとしてはいけませんか。

 番組の中で興味深かったのは、福島県の現地で反原発運動を続け居ていて、自分で太陽光など電力を作って、東電からは電気を買わない、という「原人」とあだなされたaさんのお宅へ、東電社員と言えずに、彼が出入りしていたことです。

 「原人」さんのいうには「東電社員というのは、別の世界の存在」で、自分たちの言葉の通じる世界には、いなかったという意味でしょうね。

 いろいろ考えさせられる番組でした。

原発ニュース 朝日新聞報道 東京地裁、衝撃の「放射能」「無主物」判決

2011年11月26日 05時34分46秒 | 地震・原発・津波・防災情報
原発ニュース 朝日新聞報道 東京地裁、衝撃の「放射能」「無主物」判決

 「朝日新聞」の特集『プロメテウスの罠』で、新シリーズ「無主物の責任」が11月24日、スタートしました。

 第一回目のサブタイルは、”「だれのものではもない」”でした。
 
 内容は、福島県二本松市のゴルフ場が、8月、東京地裁に、東電への放射能汚染の除去を求める仮処分裁判を起こしましたが、10月に、地裁は、東電の主張「放射性物質は無主物」との主張を認めて原告敗訴の判決を下しました。

 なんと、まあ!

 怒りを通り越して、なんと低水準なと、あきれ果てました。

 「雨宮日記」で中国批判をしましたが、日本も同レベル、いやそれ以下、でした。

 恥ずかしい限りです。

 なおゴミの不法投棄では、廃棄者・発生源者が判明しないときは、その不法投棄された土地の持ち主が片付ける責任を(仕方なく)追いますが、廃棄者が判明していれば,当然、その廃棄者・発生源者が片付ける責任を負います。

 しかも、論理的に考えれば、このゴルフ場に積もった放射性物質は、自然界の「無主物」ではなくて、東京電力福島第1原子力発電所の原子炉の容器内にあった放射性物質であり、当然、東電が管理・所有している物のはずです。

 どうして、原子炉内から爆発で飛び散ったら「無主物」に、転換するのでしょうか?

 「無主物」という「無責任」主張、いまだに「原子力村」体制が続いています。

 放射能をまきちらしたのは、俺じゃないよ、地震と津波だよ。
 まきちらされた放射能は、俺のじゃないよ。無主物だよ。

 うわ、ぼくの頭が、おかしくなりそうです。

 詳しい判決が手に入ったら、論理分析したいと思います。

 

雨宮日記 11月23日(水) 中国の経済高水準と社会低水準を見て

2011年11月24日 06時27分32秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 11月23日(水) 中国の経済高水準と社会低水準を見て

 63才になった則子さんは、何十年間、ずっと忙しくて、テレビを見るヒマもほとんどありませんでした。

 9月からしばらくは、年金生活で仕事をしてないので、珍しく、テレビを、兎の豆子といっしょに見ていたりします。

 夕方のテレビのニュース特集で、則子さんが、中国の地方選挙で「独立系」として立候補した何人かの女性たち、の苦労を報道しているのを見ていました。ぼくも、つられて、見ました。

 なんじゃ、こりゃ、と思いましたが、中国で自治体の議員に立候補すると、まず審査委員会に何人以上の推薦人を付けて申し入れ、そしてその審査委員会が、どういう基準かわかりませんが、立候補者を絞り込むのだそうです(意味がわかりませんよね)。

 日本では、議員に立候補するには供託金が必要で、中国ではお金でなく推薦人というのが、おもしろいですね。

 そのテレビでは、中国共産党員ではない、女性の主人公が強制立ち退き問題とかかわって、住民の声を議会政治に反映したいと、立候補しました。

 ところがそういう住民の積極的な動きは「当局」「私服警官?」の妨害・尾行にさらされます。

 番組では、その女性は第1次審査は通過しますが、第2次審査で落とされ、残った候補は中国共産党員だけ、ということです。

 日本の常識からは外れていて、訳がわかりませんね。

 日本では、泡沫候補は,立候補しても票数が出ないだけですから、立候補自体を断念させるようなことはありえません。

 もしかしたら、中国共産党の幹部のみなさんは、無党派で立候補して当選されるのが困るから、でしょうか。
 
 その女性は、審査委員の責任者から内容を聞こうとしますが、法的に知らせるようにはなっていないんでしょうね。けんもほろろに拒否される映像でした。

 いちばん印象的なのは、立候補しようとする女性たちを妨害しようとする、当局の、なんでしょうか「私服警官?」かたんなる「手先?」かな?その男性たちの表情、いや無表情です。

 カメラは正直ですね。真実を撮影しています。

 なんの人間的な表情もない人間たち、そういう組織には未来はないですね。

 中国共産党に、いまのところ、未来はないです。

 反省すれば、わかりませんが、たぶん、そういう反省はしないでしょうね。いや、できないでしょう。あまりに、儲かりすぎていて。

 「権力は腐敗する」「絶対的権力は絶対的に腐敗する」ということです。なんの不思議もありません。法則的です。

 

 

 

浜松・放射線量測定 自宅定点 11月22日(火)、23日(水)

2011年11月24日 06時17分22秒 | 地震・原発・津波・防災情報
浜松・放射線量測定 自宅定点 11月22日(火)、23日(水)

 11月15日が最近の最終測定でした。毎日測れなくて、すみません。

 11月22日(火)午後、自宅駐車場A地点。
  平均値 0.048
  最大値 0.053
  最小値 0.044

 11月23日(水)16時16分、くもり、雨がやんだ後、足元に湿り気あり
  平均値 0.057
  最大値 0.063
  最小値 0.051
 
 11月23日(水)16時18分、A地点より1m東へ
  平均値 0.051
  最大値 0.057
  最小値 0.044

 11月23日の測定値は、かなり高いです。平均値で0.04台が通常なので。過去の記録でも、最大値かも。原因は不明です。

 


遠州の遺跡・寺社 65 中区上島6丁目の十湖稲荷さま

2011年11月23日 17時15分49秒 | 遠州古代史
遠州の遺跡・寺社 65 中区上島6丁目の十湖稲荷さま

 浜松の上島の坂を登ってその途中の段丘の平地、グラウンドの東の住宅街の中にあります。

 南北の道を東から入っていくのですが、参道が右に折れて、お稲荷さまは、南向きで、お稲荷様としては普通ですね。

 なぜ「十湖」なのか、説明もないのでわかりません。もしかして浜松の俳人「松島十湖」さん?

 見ての通り、二宮金次郎さんの読書姿の石像がありました。

 なぜかお稲荷さんだけは、○○稲荷とか、□□□稲荷とか、個別の「個人名」ならぬ「個神名」があるようで、他の神さまのように、どこへ行っても同じ「スサノオ命」さんという、同じクローンみたいな感じと違います。すこしづつDNAが違うという主張みたいな。

 なぜでしょうか。

 ☆補足
 
 お稲荷さまは、名前の通り、稲作の神さまで、赤い鳥居と白い狐がシンボルです。

 ネット事典の「ウィキペディア」では「日本にある稲荷神社は6万社を超えるとも言われており、屋敷神として企業のビルの屋上や工場の敷地内などに祀られているものまで入れると稲荷神を祀る社は数えきれない」と書かれています。

 なかなか複雑な神さまのようで、全国総本山の「伏見稲荷」さまが、朝鮮系渡来人の秦氏の氏神さまのため、秦氏との関係も考えないといけないようですが、それだけではないようです。

 研究課題です。



雨宮日記 11月22日(火)の2 鹿谷町の文芸館へ「五山」展に

2011年11月23日 15時55分04秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 11月22日(火)の2 鹿谷町の文芸館へ「五山」展に

 則子さんと、車で高林の電化のコジマに行って、父のSさんの電気スタンドを買いました。あまり種類がなく、最近は部屋が明るいので、わざわざスタンドを使う人が少ないのか?1980円の物を買いました。

 そのあと、鹿谷町の文芸館へ。ここは浜松市が最初、建物の老朽化を理由に廃止しようとして市民の反対の声で存続を決めた施設です。

 「五山」というのは、浜松市民でも知らない人の方が多いでしょう。正確にいうと「浜名湖 湖北 五山 ぶらり文学散歩 ~五山と文学の交差点を歩く~」です。

 この湖北五山というのは、宝林寺・龍湛寺・方広寺・摩か邪寺・大福寺の5寺です。

 例えば浜松在住だった小説家藤枝静男さんの直筆原稿『瓶の中』では、宝林寺が描かれていますし、与謝野晶子さんの方広寺での短歌など、浜名湖北の名寺と文学のかかわりが写真や自筆原稿、出版物などで見ることができます。

 なかなかおもしろかったです。

遠州の遺跡・寺社9 天白岩座遺跡幻想」で書きましたが、浜松には岩石信仰の伝統があるようで、湖北のお寺にも石庭(せきてい)があるお寺が多いです。見ていきたいと思います。


 菅沼五十一(いそいち)さんの『遠州文学散歩』というのを800円で売っていたので、安い!とすぐ買いました。いい本です。

 
 

 


雨宮日記 11月22日(火) 「いい夫婦の日」でした

2011年11月23日 05時42分20秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 11月22日(火) 「いい夫婦の日」でした

 11月22日なので「いい ふうふ」と読んだのでしょうね。
 
 でも、「いい夫婦」ってどんな夫婦なのか、規定はないですね。

 ネットで検索してみたら「いい夫婦の日には「ありがとう」と「愛してる」をバラに込めて贈りましょう」とヒットしました。

 え?その日だけなの?

 その日だけ「いい夫婦の日」かあ。

 それって、違うでしょ?その日だけ、そう言うなら、それは「悪い夫婦」ですよお。

 まず夫婦以前に家族同士の、あいさつを大事にしたいです。

 おはよう、おやすみ、ただいま、おかえりなさい、いってきます、いってらっしゃい、いただきます、ごちそうさま…

 一緒に買い物にいった後は、車を降りるとき「おつかれさま」。お茶をいれてもらったら「ありがとう」(お互い、同じです)。

 ☆写真は次女から則子さんへの誕生日プレゼントへの添え書き兎です

雨宮日記 11月21日(月)の2 大阪で「反ハシズム」統一戦線結成

2011年11月23日 05時25分00秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 11月21日(月)の2 大阪で「反ハシズム」統一戦線結成

 大阪市長選・大阪府知事選のダブル選挙投票日が今度の11月27日の日曜日です。大阪市長選では、当所立候補を予定していた共産党の候補が、橋下さんの独裁政治ストップのために立候補を辞退しました。

 共産党が橋下さんよりまし(そうは言ってないか)と支持した平松さんと、橋下さんの大激戦になっています。

 反橋下さん・反独裁の協定があるわけではなくて、共産党の側が一方的に自党候補を卸しただけですから、厳密には「統一戦線」ではないですが、実質的に、大阪で望まれていた、反独裁、70年前の用語でいうと「反ファシズム統一戦線」が実質的に成立した瞬間です。

 池田香代子さんは「反ハシズム」と言ってますので「反ハシズム統一戦線」です。

 ある意味、戦後史での転換点になるかもしれないと思います。

 27日の大阪市長選で、勝つか負けるかは、ある意味、あまり重要ではないと、ぼくは思います。

 なぜなら、ナチスドイツ政権の成立を阻止するための統一戦線は、成立することさえなく、各個撃破されて、ナチスドイツの侵略戦争の時代に入っていくわけですから。

 つまり「反ハシズム統一戦線」の実質的な結成こそ、今後の歴史を創造する、すべての出発点だと思います。

 この、当然、全国的に波及していく流れの、反ハシズムの一員でありたいと、ぼくも則子さんも願っています。

 

雨宮日記 11月21日(月) 冬が近く、すごく寒くなりました・・

2011年11月22日 06時04分21秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 11月21日(月) 冬が近く、すごく寒くなりました・・

 今日、則子さんは、次女のIさんと2人で、天浜線の旅へ行きました。いいなあ。

 2人ともいない午後に、一人寂しく起きて、車で所用と仕事に行きました。「本が来ました」という電話があったので、三方原の谷島屋書店に車を走らせました。

 9点の本で、1万3千円ちょっとでした。この値段は、則子さんには、うかつには言えませんね。

 職場に戻って車を止めてから、すぐそばの上島郵便局に、「静岡県の前方後円墳」の5100円の支払いにいきました。

 そのあと職場で、仕事の雑誌の仕分けをして、夕方5時過ぎに、家に帰りました。台所に行くと、則子さんと娘がいたので「おかえり」といったら、娘が顔をあげて、あれ?長女のTさんでした。

 結婚前はもっと細い感じで、すこしふっくらしている次女とは似ても似つかない感じでしたが、このごろ、Tさんがふっくらして、Iさんと似てきました。

 ① 結婚して幸せでふっくらしてきたのか
 ② 10月できつい歯医者の職場をやめてホッとしたのか
 ③ もしかして…

 

遠州古代史 「伊場遺跡」の三重環濠は防御遺跡というけど…

2011年11月22日 05時30分22秒 | 遠州古代史
遠州古代史 「伊場遺跡」の三重環濠は防御遺跡というけど…

 「遠州の遺跡・寺社36 中区の弥生時代・伊場遺跡の三重環濠」(2010年10月18日 05時38分07秒 | 遠州古代史)ですこしだけ書いた伊場遺跡の三重環濠ですが、果たしてこれは、ほんとうに軍事的な防御遺跡なのでしょうか。

 JR国鉄線の北側にこの三重環濠の一番北側が、見学できるように保存されていますので、車をその駐車場に止めて、歩いて見学できます。

 この前、行って見た感想は「こんなに水堀が狭くて、防御に役立つの?」ということです。

 もちろん、この環濠だけではなく、塀などの材木で防御をしていると考古学の本には書いてありますが。

 中世の奈良県の環濠集落の水堀や、古墳時代の関東の環濠では、もっとかなり広いです。三重ではなくて、一重です。

 そういう実質的な水堀の例を見ると、伊場遺跡のような狭い環濠は、単純に軍事防御ではなくて、すこし別の意味があるのではないかという提唱が可能ではないでしょうか。

 「三重の輪」というイメージで連想するのは、ヤマトの聖なる山・三輪山です。名前に「三つの輪」とありますが、円を象徴するのは女性ですから(棒を象徴するのは男性です)、三輪山という名前は聖なる女性の山です。

 三輪山という名前の山は、ヤマトだけではなく、飛鳥にもあり、九州の福岡県にもあります。

 つまり聖なる山を,それぞれの土地で「三輪山」と呼んだのではないでしょうか。

 そして伊場遺跡のような三重環濠とは、女性を象徴する「三つの輪」という共通点があります。もしくは「三三九度」という命名で呼ばれるように、女性ー男性ー子ども、という三点セットでしょうか。
 
 別の観点で言うと、ヤマト国家の「三種の神器」である、鏡ー剣ー曲玉、という三点セットになります。丸い鏡は女性のシンボルで、長い剣は男性のシンボルで、曲玉は胎児のシンボルです。

 しかも水は、浜松の古代史では女性の「龍」「蛇」がシャーマンとして管理しているので、それは坂上田村丸伝説でも明らかです。

 伊場遺跡をめぐる三重の水の堀は、たんなる軍事的防御腕はなくて、古代人の心では、伊場の村を守る「霊的な防御」として考えられていたのではないでしょうか。

 そういう「霊的な防御」のいい例として、島根県の田和山遺跡では、三重環濠内に住居はなくて、神殿だけが建っていたようです。

 今日は、かなりはしょって書きました。これから、具体例で、いろいろ展開していきたいと思います。