雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 2月23日(日)の2 マウスを買った。長女夫妻の赤ちゃん

2014年02月23日 19時28分35秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 2月23日(日)の2 マウスを買った。長女夫妻の赤ちゃん

 夕方、急に、このパソコンのパッドの左クリックが効かなくなって、反応しないので、慌てて小島電器に行って、マウスを買いました。

 いちばん安いのでいいんで、980円。きゅうはちぜろです。

  ☆

 おじいちゃん(ぼくではありません。ぼくの娘達にとっての「おじいちゃん」、つまりボクの父です)が、心配するので、長女夫妻が気にしてくれて、今日は、生まれて1ヶ月と10日くらいすが、赤ちゃんを連れて見せに来て、くれました。優しいですね。ありがとう。

 ぼくは全然、心配しませんが。

 ① 親である長女夫妻を暖かく見守る

 ② 必要な支援を要請されればする

 ③ 余計なことばは、ぜったい口出さない

 というのが基本でしょうか。

  ☆

 マウスは、もちろん、英語で「口」ではなくて「ネズミ」です。

 


雨宮日記 2月23日(日) 曜日の区別のつかない無職者の1日

2014年02月23日 19時14分53秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 2月23日(日) 曜日の区別のつかない無職者の1日

 今日は、日曜日だな、っていうのは、本屋さん勤務で毎週、日曜日・月曜日休みの次女アイさんが家に居ると、「ああ、日曜日だな」と気づきます。

 則子さんも土日関係なく、毎週2日、休みがあるので土日は感覚できていません。

  ☆

 今日は、浜岡原発裁判の総会準備で、原告・会員のあて名発想名簿の最新版を「一太郎」で打ち込み、さらに、会費を集めるための原告・会員の名簿を打ちました。

 この前、学習組織の毎月の会議で「雨宮くん、まだ一太郎使ってるの」と言われましたが、「ワード」なんか使いません。使えません。この点だけは、本居宣長さんばりの「国粋主義」「国産主義」になります。

  ☆

 暖かい日だったので、カメラを持って近所の梅の花を穫りに行きました。

 白梅も紅梅もすてきです。

 


雨宮日記 2月19日(水) 「雨水」ですが話題は「雪水」でした

2014年02月20日 22時04分03秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 2月19日(水) 「雨水」ですが話題は「雪水」でした

 2月19日は「雨水」で雪も氷も溶け出し、春が芽生え始める火ですが、世間の話題は、未だに豪雪で「封鎖」「農業被害」で、かなりひどいです。

 とくに山梨県や、静岡県東部は農業への被害がひどいです。

 「雨水」の頃になると、わが家の近所でも、紅梅や白梅が咲き始めています。梅は『万葉集』でも、いちばん多い119首の梅の歌が歌われていて、桜より多いです。

 なぜでしょうね?解明した論考を見たことがないのですが、いつか自分で解明したいですね。

 菅原道真さんの京都と太宰府の「飛び梅」の謎も。

  梅が枝に鳴きて移ろふ鶯の翼白妙に淡雪そ降る(『万葉集』巻第十、1840) 

  しら梅に明る夜ばかりとなりにけり  与謝蕪村

 

 


遠州の遺跡・寺社・地名 133 西区舘山寺の愛宕神社

2014年02月19日 18時48分21秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社・地名 133 西区舘山寺の愛宕神社

 「132」で書いた、弘法穴古墳(穴大師)と近接する位置にある神社です。愛宕神社は、「舘山寺」のお寺への登り口より、左に登り口の石段がありますが、舘山寺と同じ標高にあります。

 弘法穴古墳より1段、低い標高にあります。

 祭神は「カグツチの神(火之加具土神)」ですから、火の神で、この地方で有名な「火の神」である秋葉山(あきばさん)とも関係ありそうです。

 鎮座は「神亀四年(西暦772年)」ですから、古いです。

 お隣の「舘山寺」を開いたという空海さんが生まれたのは774年で亡くなったのが835年ですから、愛宕神社は舘山寺より前にできたと暗に(いや公然とですね)主張していることになります。

 愛宕神社で有名なのは京都府右京区の愛宕神社で、火伏せ(防火)と天狗の神さまですから、こちらの愛宕神社の火の神であるカグツチ神と、まあ同じだと言えるでしょう。

 このカグツチは日本神話で、母イザナミから生まれるときに、その炎で母を焼き殺してしまったので、父イザナギに斬り殺されるという短命の神さまです。

 なお「カグツチの神」と『竹取物語』の「カグヤ姫」は、いろいろ説はありますが、関係有りそうですね。もちろん「家具屋」では、ないです。

 ここは、神社・古墳・寺院の3つが近接してあるという珍しいところです。おもしろいですね。

 (予告編) 次回「134」は、天竜区秋葉山についての新たな発見!

 


遠州の遺跡・寺社・地名 132 西区舘山寺町の弘法穴古墳(穴大師)

2014年02月17日 14時39分12秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社・地名 132 西区舘山寺町の弘法穴古墳(穴大師)

 浜名湖に突き出た舘山寺温泉は、古生代の岩石の岩山の麓にできた温泉です。もちろん、最初は「舘山寺」と「湯治」地があったのでしょうが、次第に温泉が主になったのでしょうね。

  舘山寺温泉のいちばん北側の岩山に「曹洞宗 舘山寺」があり、その横の石段を登ると、「弘法穴古墳」(別名「穴大師」)があります。

 後期古墳で、墳丘は直径約12mの円墳、横穴式石室は全長8.4mです。

  弘法大師さん(空海さん)が、ここに来て、この横穴で1ヶ月こもって修行し、そのお礼に「舘山寺」を開いたという伝承があります。

 つまり古墳が先で、お寺はあとです。

 今も信仰の対象になっていて、とくに眼病に効くと書いてあります。古墳の横穴のいちばん奥に祭壇があり、いまもロウソクが燃えています。

      ☆

 なお、愛宕神社の登り口の左に出ている看板の「穴大師」の位置がお寺よりかなり上の位置にありますが、これは間違いで、お寺のすぐ裏側です。お寺にある案内図が正しいです。


雨宮日記 2月14日(金)、15日(土)、関東は大雪です

2014年02月15日 20時27分48秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 2月14日(金)、15日(土)、関東は大雪です

 バレンタインデーにチョコレートをくれたのは同居している次女。則子さんは、毎年のことですが、くれません。来年は、請求書を出そうかな。

 先週に次ぐ、今週も太平洋岸の大雪。なんと山梨県では1mを越えました。東京でも20cm。

 東名高速道路が「高速」どころか、24時間近く、静岡県東部~神奈川県西部で数十キロ、停止していて、車に閉じこめられています。

 浜松は、先週も、今週も、雨です。

 昨日、中部電力が浜岡原発4号炉の審査を原子力規制委員会に申請しました。なんという厚顔無恥、非科学。

 「恥を知れ」「科学」という語彙は中電の辞書にはないのでしょう。


浜岡原発永久停止裁判 第7次原告を公募します

2014年02月13日 12時10分27秒 | 浜岡原発ニュース

☆この記事は他のHP・ブログ・メール・機関紙などに転載自由、自由に転記して、

 拡散してください。なお原告募集はこの雨宮ブログでも受け付けます。

 

浜岡原発永久停止裁判の第7次原告を公募します 

なくそう浜岡原発!原告を1000人に

 あなたも 浜岡原発永久停止裁判原告になってください

 第七次原告募集

 

 中部電力浜岡原発の運転が止められてから、もうすぐ3年となり、中電は三号炉・四号炉の審査申請をして、無謀な再稼働をねらっています。

 浜岡原発の永久停止を求めた裁判は、2011年5月に中電を被告に提訴、第5次から国も被告に加え、六次までの追加提訴で原告は355人になりました。

 いま、全県で第七次原告を募集しています。目標は総原告数1000人です。

 浜岡原発の永久停止を願うみなさんに、ぜひ浜岡原発裁判の原告になっていただき、原発ゼロの運動を大きく広げていきたいと願っています。 

 静岡県民の手で浜岡原発を永久停止させるため、あなたもぜひ、裁判原告に加わってください

 

原告になっていただける方は

   ① 各原告団か弁護団へ連絡して下さい.「訴訟委任状」・原告申し込み書

     郵便振込用紙を事務局からお送りします。

     または最下段にアクセスしダウンロードしてください。

     ② 「訴訟委任状」に楷書で住所・氏名・年月日(書いた日)を記入し、

     「印」と書いてある 右下と左の2カ所にハンコを押し

     原告申し込み書にも記入して、2枚を送付又は手渡して下さい。

      ③ 訴訟費用(印紙代)1万円を直接に各原告団または弁護団に手渡すか、

   郵便振込先へ振り込んでください。

       郵便振込先 「0870-2- 214935 浜岡原発永久停止裁判・静岡県の会」

    ☆「申し込みは3月末締め切りです。

    ☆次回の第11回口頭弁論(4月14日(月)午前11時開廷)に開廷前に提訴します

  

浜岡原発永久停止裁判静岡県の  (代表:林弘文)

  連絡先 

    第一次原告団(御前崎・菊川・掛川)   

       tel&fax  0537-86-8378      清水澄夫

    第二次原告団(焼津・牧ノ原・藤枝・島田・吉田)

       tel&fax  054-622-4782     杉田源太郎

    第三次原告団(磐田・袋井・森)

            tel&fax  0538-32-9863        野沢正利

    第四次原告団(浜松・湖西)

       tel 090-9899-7674  tel&fax 053-421-7993    落合勝二

    第五次原告団(静岡)

           tel 054-287-1293  fax 054-286^7973   静岡県評・林克

    東部地域連絡先

       tel 055-931-6123 板垣和子

           (浜岡原発を廃炉にし原発ゼロをめざす市民の会)

  弁護団 〒430-0927 浜松市中区中央一丁目6-22 SLビル4F

              はままつ共同法律事務所  電話 053-454-5535

       〒420-0839 静岡市葵区鷹匠一丁目5-1 NEUZEIT4F

              弁護士法人鷹匠法律事務所  電話 054-251-1348

      〒411-0943 駿東郡長泉町上士狩1291-1 第2古谷ビル202号

             おぎ法律事務所  電話 055-043-5601 

    ☆訴訟委任状などは下記にアクセスし、ダウンロードできます。

   ワードデータ
http://dp01037492.lolipop.jp/hamaoka/ininjyo.zip

   PDFデータ
http://dp01037492.lolipop.jp/hamaoka/ininnjyoPDF.zip

  なお、原告になりたい方は住所・郵便番・氏名とともに連絡先の電話番号・メールアドレスもお知らせください。


雨宮日記 2月12日(水) 身体も政治もイライラすることばかり

2014年02月12日 20時16分54秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 2月12日(水) 身体も政治もイライラすることばかり

 岬洋介さん(誰?という方は、中山七里『さよならドビュッシー』『おやすみラフマニノフ』『いつまでも・ショパン』を読むべし)の教えに従い、椅子を上に上げ、ピアノ(パソコン)タッチを下にしたので、少し楽になりました。

 政治は、東京都「反原発知事」の誕生を、馬鹿が多くて、逃がしましたね。宇都宮さんか細川さんのどちらかが降りるか、2人と周りの陣営で、緊急協議をおこなって、対応をするべきでした。あ、ごめん。ぼくも終わってから書くのはアホですね。

 アホさを反省をこめて書いておきます。

  一番の重大問題は、どうやって「桝添に勝つか」、客観的条件をもとに論議していないことです。

 ☆

 やっと、1987年に一回目の手書きで出した「平和年表」「平和書籍」「平和事典」を、本格的に打ち出し始めました。

 もう30年近く経つんですね。あのころは、まだ若かったなあと思いますが、いまは63才。数年かけて「第2版」を完成したいです。


雨宮日記 2月9日(日) ボクのあり得ない「肩こり」

2014年02月09日 18時44分38秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 2月9日(日) ボクのあり得ない「肩こり」

 昨日の夜の「資本論」学習会の頃から、ぼくとしては63年間の生涯で有り得ない「肩こり」(だと思う)を感じて、今も異常を感じています。

 痛むとか、そういう感じではなくて、なんか肩がやるせなくて、悶えるような感じです。

 もう8ヶ月近く、「無労働」状態で、もちろん、ちょっと「家事労働」はしていますが、身体を動かすのが足りないのと、かなり長時間、こんを詰めて、本を読んでパソコンで抜き書きをしているので、手指と肩の筋肉を酷使しているんでしょうね。

 え、これって、もしかして腱鞘炎?けいわん?

 少しパソコンタッチを制限するのと、少しパソコンが高い位置で打っているのを低い位置にして、腕に負担が少ないようにしました。

 中山七里さんの推理小説『さよなら、ドビッシー』の主人公の、あのピアノコンクールでの体験ですよね。

  ☆

 夕方、妹が野菜とつきたてのお餅を持ってきてくれたので、夕食後、まだ軟らかいうちに切りました。最初は、包丁を前後に動かして切っていたのですが、お餅が包丁に粘りつくので、途中から、包丁を少し左右に揺らして振動の力で切っていったら、かなり簡単に切れました。

 これだ!これなら、自分の力を余り入れなくてもいいし。則子さん、次から、ボクが全部切りますね。

 


遠州の遺跡・寺社・地名 131 浜松市中区富塚町安座の狐塚古墳

2014年02月09日 18時33分35秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社・地名 131 浜松市中区富塚町安座の狐塚古墳

 浜松市中区富塚町安座(あんざ)にあります。市販地図にはゼンリンの住宅地図でも載っていない古墳ですので、浜松市が発行している『浜松市文化財分布図』で、おおよその見当をつけて出かけました。

 場所は我が家から車で行くと、北高のすぐ北、付属小(古い言い方ですか)のすぐ南を東西に通る広い道を西進、コープ富塚店を右に見る「富塚西信号」で左折、道が右にカーブしていくので道なりに直進(間違えて左へ入ると佐鳴湖へ出てしまう)して、右手に「橋本クリニック」が見えてきますから、クリニックの手前を右折、次の十字路の手前、左側に明らかに古墳らしき盛り上がりが見えます。

 看板はありません。

 1968年発行(古い!)『浜松市史1』には直径21m、高さ1.7mで、幅8mの周濠があると書いてあります。かって鏡・勾玉・須恵器などを出したと「伝えられているが」行方不明としています。同書では「6世紀前葉」と推定しています。」

 なお同じ名前の「狐塚古墳」が浜松市内にあり、最近発掘された方が北区細江町の狐塚古墳ですので、混同しないようにしてください。

 


雨宮家の歴史 15 「落葉松 第2部 生い立ちの紀 Ⅰ-13 広沢町」

2014年02月09日 18時22分38秒 | 雨宮家の歴史

 雨宮家の歴史 15 「落葉松 第2部 生い立ちの紀 Ⅰ-13 広沢町」

 (十三) 一回も手を挙げぬ吾子の不甲斐なさ 列後に掛けて心耐おり
            ( 昭和九年 )
 
  私は昭和四年四月、静岡県浜松師範学校付属付属尋常高等小学校の尋常科一年に入学した。「 付属 」と呼ばれていたが、当時広沢町に住んでおり、付属が一番近かったから入った。運よく抽選に当たった。次弟は抽選に外れ、西小学校に入ったが、広沢校が開校して転校した。

  付属は一学年男女各五十名で、四年生までは共学で、五、六年生は男、女に別れた。高等科は二年制で、各学級に師範の学生が教生として配属されていた。
 
 修身の時間に、歴代天皇の名を神武から今上まで暗唱したO君は、学徒出陣で帰らぬ人となってしまった。分かっていても、手を挙げることのない私は、余り小学校の記憶は残っていない。私の最も古い記憶の「 まっ黒なかたまり 」は昭和五年五月の二年生の時である。

 (十四) 冬日さす縁に書よみ疲れたり 循環自動車埃あげゆく
            ( 昭和四年 )

  紺屋町から広沢町二五二番地に移って来たのは昭和三年である。今もある神村ふとん店の、南側一帯の広い地所の奥の方に、中二階の家屋が建っていたが、現在は住宅がひしめいていて、当時のおもかげを感ずることは出来ない。ここも谷島屋のものだったと思う。

 遠鉄バスの西循環の通る道を、民営の循環バスが通っていた。まだ舗装されていなかったから、風に土埃が舞い上がるのは日常であった。停留所など無く、どこでも停ってくれたので便利だった。市営になった昭和十一年に停留所も出来、道も舗装された。

  浜松高等工業学校( 現静大工学部 )が出来たのは大正十一年、今の市立高校の所である。父は中学を出ていて英語が解るので、適任者として、谷島屋の高工売店の主任となった。広沢町に移ったのも、高工に近いためであった。父は誠実さを見込まれて、高工の多くの先生、職員から親しまれ、それは戦後、静大工学部となってからも続いた。

 それを私が引き継ぎ、店をやめるまで三十年間、図書館・先生・職員方に本を届けるため通ったので、学校のすみずみまでを知っていた。

 (十五) 藁葺きの古家うれし雨降れど  暁知らずねむりよりさむ
           ( 昭和八年 )

  広沢町二五二番地より、少し南に下がったところの、谷島屋別荘内に移ったのは昭和八年である。別荘が出来たのは大正十年であった。「六谷荘」と名付けられ、本宅と従業員宿舎を造り、店と住まいを別にしたのである。店員もここから通勤することとなったが、抵抗があったのかいつの間にか、元通りになってしまった。その留守番役として、従業員宿舎だった建物に入居した。

 玄関・出窓つきの三畳・六畳・八畳・十畳と土間があった。土間に炊事場と風呂場を作った。藁葺屋根だったので、時々天井のすきまからムカデがポトリと落ちて来ることがあった。

 本宅と宿舎の間に大きなポプラの木が二本聳えており、砂場があって鉄棒が付いていた。本宅は十室もあって、日曜日には雨戸の開閉を手伝わされた。バス通りよりも、少し傾斜して高くなって、大きな木製の扉のついた門があり、玄関まで砂利が敷きつめられていた。南側は広い芝の植えられた庭で、大きな傘松が一本そびえていた。

  東側は普済寺で、崖下から大きな椎の木が物置小屋の上まで蔽っていた。この樹の上で、夜「ふくろう」がほうほうと啼いて、夜のしじまを一層深くした。「いうことを聞かないとゴロ助(ふくろう)にやってしまうよ」が、母の口ぐせであった。

 今この崖下は住宅がびっしりと詰まっているが、当時は大きな池があって、食用蛙が棲み着いていて、毎晩「グォー、グォー」と啼いた。もとは釣り堀だったかと思う。

 (十六) 夕刊を読み居る夜半に下池ゆ 声太太と蛙啼きいず  
               ( 昭和八年 )

  私たち兄弟たちは、毎晩このゴロ助と食用蛙の合唱を聞きながら、眠りに落ちていった。

  ☆

 編者注) この「落葉松」は雨宮智彦の父(今年91才)が執筆した著書『落葉松 ー自伝と文芸評論ー』(自費出版、2013年5月発行、253ページ)を1章づつ掲載しています。この章は、本ではp40です。

 本で一気に読みたい方は、まだ若干本が残っていますので、希望者には贈呈いたしますので、メールをください。先着順、数名です。


雨宮日記 2月8日(土)の2 浜松「雪」情報

2014年02月08日 14時01分11秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 2月8日(土)の2 浜松「雪」情報

 テレビで見たら関東は関東はこれから大雪とのこと。浜松はいま、雨が止んでいます。静岡県の海岸部はちょうど雪と雨の境のラインが静岡県の山間部を東西に通っていて、いまのところ雪は降ってません。

 風も静かです。

 これなら夜の学習会もやれそうかな。


雨宮家の歴史 15 「落葉松 第2部 Ⅰー12 祖母の影」

2014年02月08日 09時21分16秒 | 雨宮家の歴史

雨宮家の歴史 15 「落葉松 第2部 Ⅰー12 祖母の影」

  明治四十二年(1909年)暮に上京した福男は、大正七年(1918年)に浜松に帰るが、大正九年祖父卓二が亡くなった。その時は元城149番地で、今のホテル・コンコルド付近である。
 三男武は大正九年四月に鴨江で生まれたが、大正十四年三月、僅か五年の短い生涯を閉じた。

 (九) 亡き吾子の青写真の道具いでにけり  言葉少なく仕舞いけるかも
                 ( 大正十四年 )

  住まいの移り変わりを見ると、下垂(尾張町)ー元城ー鴨江ーそして私の生まれた東伊場に落ち着くこともなく、その年のうちに紺屋町に移った。
 現在の連尺ー谷島屋本店裏通りの、谷島屋駐車場になっている所である。奥の方に二軒長屋の平屋建てがあり、前は広く空いていた。隣は渡辺さんで、今も近くに住んで居られる。

 (十) 移り来ていまだなじまぬこの家に  夜更けし雨の音静かなり           
                 ( 大正十二年  )

  ここで三男武が亡くなり、弟二人が生まれた。ここは谷島屋の所有地だったようである。以後私たち一家は谷島屋に関係した家に住むようになる。

 (十一) 事々に口差しいだす母の性質  朝目覚めて聞きいたりけり
                 (  大正十五年  )

  祖父が福井に赴任する時、先妻に同行を断られ、しゃしゃり出てきたと言われた祖母まつはそれだけ気が強く、何事にも口を出さねば気が済まなかった。
 反対に母は無口な堅い性格であった。この祖母に仕えて、忍従の一生を過ごした。母のみならず、祖母の口出す性格は、私たち兄弟の身にも及んだ。私の消極的な、人より一歩先んじようとしない、人の後ろに着いて行く性質は、多分に祖母の影響する所があったと思っている。何かすると、叱るのは祖母であり、親はそれに口を出すことも出来なかった。

 (十二) 言に出でて言わむは安ししかすがに 母と思えば黙しけるかも
                 ( 大正十五年 )

 


雨宮日記 2月8日(土)の1 関東は雪、浜松はまだ雨です

2014年02月08日 09時01分19秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 2月8日(土)の1 関東は雪、浜松はまだ雨です

 おはようございます。すごく寒いので、珍しく部屋に電気ヒーターをつけています。

 浜松はまだ雨です。静岡県南岸に雨のゾーンができています。テレビを見たら、関東は雪でした。このまま雨で終わってくれるといいんですけど。

  風は少しあります。

 低気圧がまだ遠いのでしょうね。


雨宮日記 2月7日(金) 明日は浜松も大雪のようです

2014年02月07日 20時50分33秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 2月7日(金) 明日は浜松も大雪のようです

 明日の天気予報では、日本列島南岸を低気圧が発達して通過していくので、今夜から明日にかけて、太平洋岸は「大雪」になりそうです。

 東京の去年の8センチの雪の2倍くらいとか、20年ぶりの大雪とか、言ってます。

 浜松でも夜中か雪になりそうで、積雪10~20センチとかいってます。

 明日午後から雨に変わってくれると、融けますが、そうでないと明日夜まで雪が残るかも。

  今の浜松市内の天気は、Yahoo!で見たら、雪299人、曇り237人、雨22人、晴れ22人でした。

 ☆

 今日は早く、呑んで寝ちゃおうと、呑んでいたら、則子さんが顔を出して「配達は?」と言うので、アアッと思い出しました。

 ボランテイアで近所を配達しているのを、運転手で行く予定だったのです。

 ごめんなさい、と謝ってもだめすね。不機嫌そうに配達に行きました。ほんとに、ごめんなさい。今夜は、則子さんのお布団のなかには入れませんね。

 あ、ぼくって、ほとんど『ビブリオ古書店の事件手帖』の栞子さんと大輔くん状態ですね。でも、それは、いやじゃないですけどね。