雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

静岡県の古墳 静岡市清水区・神明山1号墳

2014年11月05日 14時00分01秒 | 東海の古代史

静岡県の古墳 静岡市清水区・神明山1号墳

 静岡県文化財保護審議会が清水の神明山(しんめいさん)1号墳を静岡県史跡に指定するよう静岡県教育委員会に答申しました。

 神明山1号墳は、県内でも最古級の前方後円墳で、長さ69メートルです。マスコミ記事は「3世紀後半」としていますが、本当かな?

 「前方後方墳」との前後関係を明らかにしてほしいと思います。

 場所は、静岡市清水区袖師町の静清バイパス庵原交差点のすぐ東の「神明宮」のある森です。たぶん、庵原川を見下ろす丘になるんだろうと思います。

 たぶん記紀に出てくる庵原氏の一族が築いた古墳でしょう。神明山は、ほかにも5号墳までありましたが、破壊されて、残っているのはこの1号墳と、5世紀末~6世紀初頭の円墳4号墳だけです。


東海の歴史・古代史 御嶽神社と御嶽教

2014年10月05日 02時19分02秒 | 東海の古代史

東海の歴史・古代史 御嶽神社と御嶽教

 御嶽噴火で、御嶽の頂上にある御嶽神社がヘリからの撮影映像でTVで流されました。

 山頂にあるのですが、ヘリの撮影角度から見て、東向き、つまり太陽信仰の神社ではないでしょうか。

 火山ですから、太陽を火と見立てたのかもしれません。文献調査いっさいなしですから、妄言化も知れません。

 浜松に住んでいる方なら知っていますか?浜松とくに笠井のあたりは「御嶽教」というのがあります。また踏査したら報告します。


東海の遺跡・寺社・地名 3 藤枝市の鬼岩寺(きがんじ)

2013年04月02日 05時36分53秒 | 東海の古代史

東海の遺跡・寺社・地名 3 藤枝市の鬼岩寺(きがんじ)

 藤枝市の生涯学習センターへ会議で行きましたが、ちょっと会議前の時間があったので、すぐ横の「鬼岩寺(きがんじ)」へ寄りました。

 「鬼の岩の寺」という名前が、興味深かったからです。

 鬼岩寺という名前のいわれは、昔、この付近に悪鬼(説明板では「魔魅(まみ)」とも)が出現して、「史跡 鬼かき石」で里人を悩ましたそうです。

 そこで、空海(くうかい)さん=弘法大師(こうぼうだいし)さん(8~9世紀の人ですね)が「真言秘密の法」という「超能力」で、鬼を石に封じ込めたということで「鬼岩寺」という名前になったそうです。

 つまり、古代のSFですよね。

 境内を探索しましたが、なかなか興味深い、一筋縄ではいかないお寺のようです。別途、書きます。

 古い古い、「石の文明」と、どうつきあうのか。鬼を中に封じ込められて、つまり「牢獄」の役割を果たしている「石」はどう思っているのでしょうか。

 鬼岩寺は南向きです。


東海の遺跡・寺社・地名 2 御前崎市の桜ヶ池にある「池宮神社」

2012年11月23日 06時41分31秒 | 東海の古代史

東海の遺跡・寺社・地名 2 御前崎市の桜ヶ池にある「池宮神社」

 桜ヶ池へ車で南から入っていくと、池の手前に鳥居があって、その左に駐車場があると書いてあるので駐車しました。カンカラに100円を入れます。

 鳥居の左側には、「忠魂碑」などがあります。鳥居をくぐって北へ、池へ向かって歩くと、肝心の「池宮神社」など、すべて東向きで、つまり日の出方向です。

 行って解説板を読んで初めて知ったのは、祭神は「瀬降津比め命」「事代主命」「建御名方命」の3神です。つまり「事代主命」は大國主の国譲りの時の長男的存在で海へ身を投げた、「建御名方命」は次男的存在で力比べで負けて諏訪湖まで逃げて降服した。

 だとすると「瀬織津媛命」も出雲に関係する女神と推定できますが、古事記・日本書紀には出てこないようです。

 「祝詞」には出てくるようですが、謎の女神、この意味を解きたいですね。

 なぜ封印されたのか?なぜ秘密にされたのか?

 竜神と関係ありそうですが、これから調べて行きます。ここが出発点です。

 則子さんとお握りを食べていたら、あじゃりさまの柱にハシブトガラスが飛んで来て、ガーガーとだみ声で鳴いていました。「お前、もしかして、神のお使いの八咫烏か?」と秘かに聞いて見ましたが、しらをきって答えてくれませんでした。

 つまり「八咫烏」とは神のお使いの天使族の「カラス天狗」さまでしょ?うわ、こんなこと書いて「神がかり」と誤解されたら、どうしよう。


東海の遺跡・寺社・地名 1 御前崎市佐倉の「桜ヶ池」は諏訪湖につながって

2012年11月20日 05時51分37秒 | 東海の古代史

東海の遺跡・寺社・地名 1 御前崎市佐倉の「桜ヶ池」は諏訪湖につながって

 「遠州古代史」のカテゴリーの中に「東海の遺跡・寺社・地名」というのも変ですが、いわゆる「遠州」(静岡県西部)の範囲を超えて、日帰りであるいは1泊で行ける範囲で、「古代探索」を広げてみようということで「東海の遺跡・寺社・地名」を始めます。

 本来の古代の「遠江」jは「駿河」との国境である大井川以西ですから、「桜ヶ池」も「遠州」でいいのですが、現代では「遠州」の範囲はかなり縮まって、磐田や遠州森町くらいまでという実感もあるので、適当に「遠州」と「東海」を使っていきます。

 昔の浜岡町佐倉にある桜ヶ池は、約2万年前の氷河時代に、山から川で運ばれた砂が堆積して池になった「せきとめ湖」だと書いてありました。

 面積は2万平方m。行って見ると、北側と東側・西側は高く森が茂っていて、南側だけが開けていて、池にはカモたちが浮かんでいました。

 桜の名所というのですが、地名は昔の浜岡町佐倉で、あきらかに「さくら」の「さ」は「早乙女」とか「早苗」というように、稲の神さまの「さ」です。

 桜の花の咲くのを、稲の豊作を祈って(予祝ですね)、みんなでお酒や食べ物を神さまにお供えしてから、みんなでお祝いするのが「お花見」です。

 ☆

 この桜ヶ池がおもしろいのは、地下が底なしで、実は長野県の諏訪湖とつながっているという伝承があることです。

 そして竜神信仰との関係で、平安時代末期に比叡山の「あじゃり」上人が、56億年後に降臨するという弥勒菩薩に「教えを請う」と言って桜ヶ池に身を投げて、大蛇になったという伝説があるということです。

 いつの、どんな文書か、まだ不明。調べます。

 遠州と信濃が地下水路でつながっているという伝説は、いろいろあるようなので、遠州側からと信州側から調べて、報告します。おもしろそうです。

 日本列島の他の地域では、こういう「遠州と信州」の「地下水路」のようなものは、あまり聞いていませんが、ぼくの情報不足でしょうか?