雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

浜松・放射線量測定情報 自宅定点 12月28日(水)~31日(土)

2011年12月31日 22時35分05秒 | 地震・原発・津波・防災情報
浜松・放射線量測定情報 自宅定点 12月28日(水)~31日(土)


 測定器 :堀場製作所「RadI PA-1000」
 単位  :μSv/h
 測定回数:スイッチオン後20回(3分20秒)パスして、
      10秒ごとに60秒積算値を自動表示、10回観測
 測定高さ:地上1m
 測定位置:雨宮夫妻自宅の駐車場(コンクリ舗装)のA地点
 測定者 :特記ないかぎり雨宮智彦

 12月28日(水)13時20分、晴れ、風少しあり、あたたかい 
  平均値 0.052
  最大値 0.058
  最小値 0.046

 12月29日(木)15時28分、晴れ、うすぐもあり、寒い
  平均値 0.051
  最大値 0.057
  最小値 0.046

 12月30日(金)15時04分、快晴、風あり
  平均値 0.046
  最大値 0.050
  最小値 0.039

 12月31日(土)16時08分、晴れ、風(西南より北東へ)少しあり
  平均値 0.053
  最大値 0.057
  最小値 0.051

 8月末に放射線量測定値が到着し、9月はじめから測定を始めました。則子さんといっしょに「見えないモノを見えるようにしていく測定」の地道な4ヶ月間は、ボクたち夫婦にも、何か「変革」をもたらしたような気がします。

 もう、世界は元の世界には戻れません。

 もちろん、この霧の先が見えるわけではないけど、ぼくと則子さんで「こっちへ行こう」と決めた道を歩いて行くしかありません。

 「君の 行く道は 果てしなく 遠い
  だのに なぜ 君は行くのか 
  金も ないのに」
  (自分が10代だった頃にはやった歌「若者たち」の歌詞を一部改変)

 もちろん、道が閉ざされていて、引き返したこともあります。「ひとすじの道」なんて、うそですよ。

 2012年は、則子さんと、どこまで歩いて行けるかな?

 歩いて行く道の角を曲がると、どういう光景がみえてくるか?_
 それが楽しみで、則子さんと歩いてきました。

 横道、寄り道も、則子さんと歩いて行く道の楽しみです。

 こういう風に歩いていると、近くを、あるいは遠くを、たくさんの人がそれぞれの早さで、歩いて行くのを感じます。

 とっても心強く、温かいけど、でも、やはり、自分たち夫婦の歩みは、自分たちで決めて歩いて行きます。

 明日からも、ぼくたちは則子さんと2人で、歩いて行きます。



 

雨宮日記 12月31日(度) 今年最後の日、来年の準備で過ごしました

2011年12月31日 22時09分51秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 12月31日(度) 今年最後の日、来年の準備で過ごしました

 「雨宮日記」も今年最後。今年は年賀状も早々出したので、例年より気楽です。あまり冷え込まないけど、雲の多い天気でした。

 午後にノロノロと寝ぼけまなこで起きてくるぼくと違って、鼠年(子=ね)でサソリ座の生まれの則子さんは、いつも動き回っています。
 (なお、ぼくはウサギ年で乙女座生まれ(!)です)。

 家の外では白いバイクに乗って飛び回っていて、風の谷には、なかなか帰って来ません。帰って来ていると、家事をするか、家の片付けをしていて、趣味は、自分の部屋の模様替えだと思います。
 
 夕食の前は、ぼくは一人で車を運転して、高林のコジマ電器へ行って、プリンターのインクを買いました。4つで4000円出費。

 そのあと、マックスバリュー早出店へ行き、瓶の純米酒を買って帰りました。(なぜ特筆するかというと、日常的には、コンビニで紙容器のお酒を買っているからです!)

 夕食の後、友人が「岩手のタコがあるけど」というので上島2丁目まで二人で車でもらいにいって、そのあと市野の100円ショップ「セリエ」へ明日の準備でタッパーとか食器を買いに行ったら休み!
 
 じゃあ行って見ようと「イオン」にいったら、イオンの中の「せりえ」はやっていました。

 いま、紅白をやっていますが、ボクは今年は見向きもせずにパソコンに向かって「雨宮ブログ」と、則子さんが「書いてね」とやんわり言う、則子さんが事務局長をしていて、ぼくがその下で事務局員をしている市民団体の議案を打っています。
 
 則子さま、今年も365日、ありがとうございました。
 直接に言うのは、照れるので「雨宮ブログ」の場を借りて、心からの感謝と愛を込めて、お礼申し上げます。 
 あの、リアル雨宮夫妻を知っているみなさん、「則子さん、こんなこと、雨宮ブログに書いてあったよ!」というたぐいの「密告」は、なしにしてくださいね。

 こういうのは、ひっそりと書くのがいいんです。

 キリスト教の『聖書』では、イエス・キリストさんは、弟子に「右手のしていることを左手に知らせるな」と教えた、そうです。(ほんとかどうか、『聖書』に出ているかも、確認してません。そう記憶しているだけです。)

 「愛」って、世界の中心で大声で叫ぶものではないと、覆います。

 ということで、雨宮ブログは、この世界の片隅で、ひっそりと来年も書き続けたいと思います。

  ☆

 2012年まであと1時間31分、気が向いたら補足を書きますが、間に合わなかったら「2012年1月1日」を適当な時間に書きます。
 
 来年も「やるぞー!」
 (「天空の城ラピュタ」で地下の坑道からシータといっしょに出てきたときの少年場ズーのせりふ)。

 

 

雨宮日記 12月30日(金) 妹夫婦の家で、お餅をわけてもらいました

2011年12月31日 21時52分56秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 12月30日(金) 妹夫婦の家へ、つきたてのお餅をわけてもらいに行きました

 ぼくは浜松の雨宮家の次男で家をついでいて、上に長男の兄、下に長女の妹がいます。昨日は名古屋に住んでいる兄夫婦が泊まりに来ましたが、今日は夕方、下石田の農家の長男に嫁いだ妹のIさんのところへ、毎年恒例ですが、則子さんと2人で、お餅を分けてもらいにいきました。

 イオン市野店の前を通って西から東へ車を走らせるのですが、いつもは東から西へ来る車の方が多いのに、今日は逆に西から東へ走る車の方が多かったです。

 妹夫婦の家へ着くと、まだ餅つき(といっても、もう臼と杵ではなくて、もち製造器です)の最中でした。

 なんと、14枚もつくるのだそうです。

 餅の後、赤飯を作るからそれまで待ってというので、名にもせずに、感心しながらもちづくりを見ていました。

 妹の夫であるTさんと話をしていたら、なんとあと4年で定年退職だそうです。みんな、そんな年齢になったんだなあ、年月はすごいですね。

 妹のIさんの顔が、母親に似てくるわけですと、納得。

 おもち2枚と、おいしい赤飯(「出来たてがおいしいんですよ。これ、つまんでください」とすすめるので、すこしつまんで食べた赤飯のおいしいこと!)とたくさんの野菜をアルトの後部荷台に乗せて、家へ還りました。

 そのあと、一人で職場へ行って,今年最後の昼間の仕事(雑誌の仕分け)をしてから、家へ還り、則子さんが作ってくれた夕食を食べて、いっしょに、コープ小豆餅店に年末の買い物で必要な物を買ってから、谷島屋の三方原店へ寄り、注文していた本を大枚はたいて、買って家へ戻りました。

 ふと疑問に思って「大枚」はいくらか調べたら、1~2万円では「大枚」ではなさそうです。


原発ニュース 「福島県浪江町で5月に耳なし兎が生まれた」

2011年12月30日 11時53分31秒 | 地震・原発・津波・防災情報
原発ニュース 「福島県浪江町で5月に耳なし兎が生まれた」

 昨日(12月29日)、兄夫妻と話をしていて「むかし日本子孫基金という名称の団体の情報で、福島で耳なし兎が発見された」という話を聞いて、いまネットで検索しました。

 ちゃんと耳が見当たらないウサギの写真が載っていました。「耳なしウサギ 福島」でヒットします。

 たくさんウサギを飼っている浪江町のAさん(56才)で、今年4月末に生まれたと推定されるウサギの中に1匹だけ、耳の見当たらないウサギがいるのを5月11に見付けたそうです。

 Aさんの話「本来なら耳がある部分を触ってみると、小さな突起がありました。声をかけても反応が鈍いので、聴力にも少し問題があるようです」


 福島第一原発から30km以上です。

 「YouTube」の動画も乗っていて、映像を見ました。実在に疑う余地はないと思います。

 飼い主さんが獣医さんに見てもらったら「耳の穴そのものがない。耳骨で音を感じているのではないか」とのこと。

 さらに飼い主さんは「3月には私も鼻血が出ました」

 みなさん、これをどう考えますか?

 ウサギの子は、妊娠して約1ヶ月で生まれるそうです。

 つまり、このウサギの子が母ウサギの胎内で生命を得たのは3月末となります。

 ぼくはやはり、爆発初期の放射能、とくに「ヨウ素131」の影響による遺伝子異常と思いますが。

 このウサギの遺伝子異常があるかどうか、調べて欲しいですね。

 

本と映像の森 181 『ニュートン2011/10』「太陽」特集

2011年12月30日 11時16分47秒 | 本と映像の森
本と映像の森 181 『ニュートン2011/10』「太陽」特集

 月刊科学雑誌の「Newton ニュートン」(ニュートンプレス発行、10月号定価1000円)は、コンビニにおいてあるので、ときどき、気に入った特集があると買います。

 この号は「太陽=地球コネクション 今おきている太陽の〝変調〟と地球環境」(p20~p51)で、太陽の異変の特集です。

 太陽の明るい光球に現れる真っ黒い「黒点」はふつう11年周期で増えたり,減ったりしていますが、黒点がいちばん少なくなる極小期である2007年から黒点がほとんど現れない日が通常より異常に多く、しかも、極小期が通常より異常に長く続きました。

 古代中国人は,肉眼で太陽面に出た黒点を(どうやってかわかりませんが)見て「太陽面に黒いカラス」がいると認識したようです。

 観測史上では、17世紀の1650年頃から1700年くらい(「マウンダー極小期」)と1790年から1820年頃(「ダルトン極小期」)があり、実はその時期は気温が地球上で低下する「寒冷期」になったのです。

 マウンダー極小期にイギリスで描かれた絵画では、ロンドンのテームズ川が凍結している様子が描かれています。

 黒点の少ない時期は、地球に届く太陽光も少ない時期なのです。

 つまり、二酸化炭素の増大で「温暖化」が起きている(と多数派説ではなっている)のですが、それを打ち消すような「寒冷化」が働くと、結果として±、どっちになるのか、わかりませんということです。

 そこで『天文年鑑 2012』(2011年11月25日発行)をみると「太陽黒点相対数(年平均値)」(p204)は、以下のようです。

 2007年  90.0
 2008年  34.4
 2009年  37.2
 2010年 198.0

 ここに掲載されている1949年以後の年平均値では、1954年の極小期で54.9ですから、それを下回っていて、しかも極小期が2年も続いています。

 ようやく黒点数は回復してきましたが、どこまで回復するか、注視すべきだと思います。

 二酸化炭素による地球温暖化を打ち消すほどの寒冷期はくるのでしょうか?


雨宮日記 12月29日(木) ぼくの兄夫婦が恒例の里帰りで飲み会

2011年12月30日 05時20分25秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 12月29日(木) ぼくの兄夫婦が恒例の里帰りで飲み会

 ぼくの兄弟は、上に兄がいて、下に妹がいます。兄は名古屋で大学で知り合った彼女(名古屋の人)の家に結婚して入り込んで、名古屋に住んでいます。
 
 妹は、テニスサークルで知り合った彼氏と結婚して、浜松市東区下石田町に住んでいます。

 毎年、兄は、年末に浜松に帰ってきて1泊してから、兄の別荘のある長野県白馬で、お正月を過ごしています。

 今年も、兄夫妻が泊まりに来たので、我が家の近くのお寿司屋さんに、にぎり寿司とちらし寿司を注文して、宴会になりました。

 ぼくは、深夜の仕事がまだあるので、ウーロン茶を飲みながら、兄夫妻、ぼくたち夫妻、88才の父(耳が聞こえないので、筆談で会話に参加)、家にいる次女、結婚して我が家の近くに住んでいる長女、の7人で、いろいろ話をしました。

 兄夫妻は、大学時代から、ずっとアマチュア演劇をしげいて、兄は、執筆や演出や役者をしています。

 今年2月に、兄が役者として出演する、チェーホフの「三人姉妹」のチラシを見たら、見に行けそうなので、今年は、則子さんと見に行こうかな、と思います。

 話をしていたら、次女のIさんが「何年か前に、チェーホフの「かもめ」を名古屋で観たけど、なんか、よくわからなかった」といいました。

 兄「それは演じる側の問題だな」
 
 ぼく「Iさんの方の問題じゃないよ」

 兄「ただね、チェーホフは、劇の中で解決しないんだよ。いろいろ提起はするけど。最近の若い人たちの傾向として、わかりやすく解決する劇をつくっちゃうということはあるね」

 ぼくは「そうかあ、簡単に解決できる課題なら、劇にするまでもない、ということかな」

 ☆

 そういう演劇の話のあと、兄が2月に「三人姉妹」公演のおわったあと、夏に福島原発事故をテーマにした演劇の戯曲を書くのだそうです。

 原発と放射能の話で盛り上がりました。

 ぼくの長女も、次女もふくめて、雨宮夫妻と子ども2人の合計4人の参加した、まじめな話ができたのは、初めてかな?

 兄弟や親子で、こういう深い話ができたのは、感激です。

 

 

浜岡原発情報 浜岡原発訴訟の第4次原告団と支援組織の結成集会

2011年12月30日 04時56分13秒 | 地震・原発・津波・防災情報
浜岡原発情報 浜岡原発訴訟の第4次原告団と支援組織の結成集会

 来年の話をしますが、もうあと2日で2012年(平成24年)ですから、鬼は笑わないでしょう。

 今年5月27日に、静岡地方裁判所浜松支部に、まず地元御前崎町などの人々が中心に原告になり、中部電力を被告に、浜岡原発の永久停止を求めて提訴しました。

 その後、静岡県中部の人たちが第2次、磐田・掛川など東遠地方の人たちが第3次提訴をして、第3次までで129名の原告団になっていました。

 浜松市・湖西市からも原告を募ることになり、いま50人を目標に、各階・各分野に原告をお願いしています。

 1月15日(日)午後に、「浜岡原発永久停止訴訟第4次原告団」と支援組織の「浜岡原発裁判を支える浜松・湖西の会」の結成のつどいをおこないます。

 時間:午後1時30分開会
 会場:浜松地域情状センターホール(定員160人)
    場所は遠鉄電車遠州病院駅下車、東へ徒歩数分です
 

 総会後、東芝で福島第1原発や浜岡原発の基本設計を担当した渡辺敦雄さん(東京大学工学部卒業、東芝原子力事業部に所属、現在は沼津高専特任教授)の記念講演があります。
 
 どなたでも参加できます。

 会場で講演のカラー資料(A4版で5枚、裏表印刷)の募金をお願いする予定です(任意です)。

 なお、雨宮智彦(静岡県西部ゴミ環境問題ネットワーク代表として)と雨宮則子(原水爆禁止浜松市協議会事務局長として)の2人も原告になります。

 原告は、裁判所への訴訟費用1万円を負担する約束で原告になるので、何回か、典子さんと夫婦の真剣な話し合いをしました。

 なにしろ1万円ですからね。

 結論としては、すこし財政のあるごみ環境ネットからは団体として1万円支出する、財政の余裕のない浜松市原水協からは出さず、これは則子さんが個人的に負担をする、ということになりました。

 浜岡原発をとめるために、則子さんといっしょに、できることは何でもしたいです。

 やるぞー!

 (宮崎駿さんのアニメ「天空の城ラピュタ」で、主人公のひとりの男の子・バズーが、主人公のひとりの女の子のシータの前で、飛行石の坑道を出て「やるぞー」と決意をシータにいう場面がありますが、そういう気分です。アニメではそのあと、天敵のムスカ大佐に二人ともつかまっちゃいますから、空決意に終わったんですが…)。

 

 

雨宮日記 12月27日(火)の2 「絆」の続き…

2011年12月29日 05時01分22秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 12月27日(火)の2 「絆」の続き…

 「絆」論の続きを、1日おいて、やっと今書いています。

 「絆」とは、ぼくは誰か(Aさん)が主体的に、誰か他人(Bさん)に投げかける「つながり」から始まるのではないかと、思います。

 「絆」が成立するためには、Aさん(主体)→Bさん(客体)の前半だけでは成立せず、Bさんが今度は主体となってAさんになげかける「つながり」、こうして前半と後半で初めて「絆」が成立するのでは。

 あれ?これって、いわゆるコミュニケーション論そのものですね。どう違うのか?声と声なりたつ、あるいはメールとメールでなりたつ情報交換過程、会話としてのコミュニケーションと違って、「絆」は物質あるいはエネルギーの交換です。

 そういう物質的・エネルギー的作業は、東日本大震災(超巨大地震・超巨大津浪・原発過酷事故)のような「目に見える事象」では、どうやって助けたらいいか、わかりやすいですね。

 ところが、「心の中」の「うつ病」のような、目に見えにくい事象では、どうやって「絆」を交換しあえるのか、まず悩みますね。

 まだまだ、僕たちは未熟で、あるいは日本社会は未熟(あるいは熟しすぎて崩壊しかけている?)です。

 1年で3万人の自死や、ハラスメント(セクハラ、パワハラ)、暴力や差別、無縁社会、競争社会、ワーキングプアー(月給20万円以下、ぼくもそうです)などなど、解決できていません。

 映画「つれがうつになりまして」で描かれたご夫婦の場合、夫はばりばりの会社員、奥さんは売れない漫画家(たぶん)でした。

 夫がうつになって、奥さんは必死で彼を治そうと献身して、でもはかばかしくなくて、ある日、ついに切れてしまい、夫に「入院しろ!治るまで返って来るな」と言ってしまう。

 夫がその日、お風呂場で自殺しようとして未遂だったことを、奥さんは、後になって彼の日記を見て、ショックを受けます。

 それでも、うつ病を治そうと、必死で2人で協力し合う日々…。

 ある日、奥さんは「そのままでいいんじゃない?治らなくても、私、あなたのことが大好き。いっしょに生きていくから」みたいなことを言った!

 「治らなくてもいいの」と言ったら、まるで魔法のように、うつ病は治っていったのです。

 ぼくも、じつは鬱的な症状のことがあったので、これは、よくわかります。つまり、あなたの職業とか、地位とか、経歴とか、世間体とか、給料金額なんか、どうでもいいの、それよりも、生きているあなたの方が大事なの!という素敵なメッセージと思います。

 次女が中学から高校にかけて「登校拒否」「不登校」のときに、ぼくは「君は,君でいいんだよ」というメッセージを発信していました。

 それは自分が、いろんな状況の中で、大学を中退したので、そういうときの気分・状態はよくわかるような気がします。

 つまり、娘と父の「絆」=「統一戦線」です。

 時間がないので、今日は、これまで。則子さんとぼくの歴史は、きちんと書きたいなと思います。



 
 

雨宮日記 12月27日(火) 今年もあと4日、「絆」はどうなったか…

2011年12月27日 23時12分15秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 12月27日(火) 今年もあと4日、「絆」はどうなったか…

 大晦日(おおみそか)まであと4日です。「今年の漢字」(注:「財団法人 日本漢字能力検定協会」が毎年選ぶ)は「絆(きずな)」でした。
 
 東日本大震災で日本人がとった行動が「絆」と評価されたようですが「日本人はいいね」と考えるなら、それは短絡的と思います。

 なぜなら、東日本大震災の死者・行方不明者(12月27日現在で1万9312人)をはるかに上回る3万人の人たちが毎年「自死」に追い込まれているからです。この人たちにとっては「絆」は存在しないか、きわめて弱いものだったのです。

 ここまで書いたところで(午後11時20分)、仕事に出かける準備で携帯にセットしたアラームが鳴り出したので、残りは仕事から帰って来た明日の早朝にかくつもりです、たぶん。

 ☆

 今日も深夜は寒いです。魔法瓶にさっき入れた熱いお茶は必携です。
 
 じゃあ、則子さん、行ってきます!

雨宮家の物 5 次女が買って来た急須です

2011年12月27日 16時05分00秒 | 雨宮家の物
雨宮家の物 5 次女が買って来た急須です

 いつもの急須(イオンの「織部」で買ったもの)がなくて、これがあったので、「あれえ?いつものは?」と聞いたら「○○○さんが落としちゃったので、○○○さんが自分で買って来たの」と言ってました。

 わざわざ、ありがとうございます。○○○さん。

 趣味が渋いでしょ?


雨宮家の物 4 則子さんのミシン(ついに粗大ごみへ)

2011年12月27日 15時43分17秒 | 雨宮家の物
雨宮家の物 4 則子さんのミシン(ついに粗大ごみへ)

 則子さんの使っていたミシンですが、ついに粗大ごみへ出します。

 これはまだ結婚する前に、則子さんが実家の初生町の近くの電気屋さん(今はもうない)で買ったミシン。つまり、30年以上使っていたわけです。

 家にミシンがなくなるので、則子さんは「ミシンが欲しいなあ」と言ってます。

 今は浜松市は「粗大ごみ」は電話して、市が指定した番号を書いて自治会のごみ収集所に指定された日に出せばもっていってくれます。「無料」という人がいますが、実はみなさんの税金で処理されています。

 この粗大ごみを、浜松市は、再来年度(平成25年度)の4月、つまり15ヶ月後から「連絡ごみ」という名前で有料化する案をパブリックコメントで提示しています。

 料金は300円から1200円です。これについての意見を書いて出しました。

浜松・放射線量測定情報 自宅A地点 12月27日(火)

2011年12月27日 15時19分56秒 | 地震・原発・津波・防災情報
浜松・放射線量測定情報 自宅A地点 12月27日(火)

 今日も寒いですがすこし緩みました。天気晴れ,外は8.1℃。

 12月27日(火)14時50分
  平均値 0.049μSv/h
  最大値 0.051μSv/h
  最小値 0.045μSv/h

 なお上記の値を8760倍(365日×24時間)すると、1年間の放射線量になります。 
 0.049μSv/h×8760=429μSv/y=0.429mSv/y

 (28日(水)の注:当初、ここに書いた国と静岡県の放射線量測定の変更は、どうも強化ではなくて、薄くするようですので、叙述を消去しました。)

 浜松市は、給食に使う食品の放射線量測定は始めましたが、まだ放射線測定器を買いますという報道も、放射線量を量りますとの報道はありません。

雨宮日記 12月26日(月) 北朝鮮にたいして友好か?敵視か?

2011年12月27日 15時09分57秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 12月26日(月) 北朝鮮にたいして友好か?敵視か?

 今日も寒いです。日本海側は大雪。

 金正日(きむじょんいる)さんが急死した北朝鮮、金正恩さんが「世襲」で後を継ぐとか、金正恩さんの母は、実は元在日朝鮮人で北朝鮮へ帰った人でこれは「秘密」だと報道されちゃっているとか、いろいろ騒いでます。

 ネットを見ていたら、「テレビ東京」が金正日さんの急死に動じず、通常どおりの番組を続けて評判が上がっているそうです。他国の独裁者に騒ぎすぎはよくないです。

 独裁者より独裁体制をきちんと報道せよと「雨宮日記 12月19日(月) 「金正日さん急死」の2、独裁者と独裁体制」で書いたのですが、それは報道するなら、という場合で、場合によっては、そんなこと報道しないという態度は大事です。

 よく北朝鮮に①友好的か、②敵視か、と2つの態度をいいますが、③ 無視する、というのもありえます。

 中途半端に介入するとおかしくなる場合があります。北朝鮮問題についてのアメリカの態度が典型だと思います。

 だって、一人ひとりにとっても① 友、②敵、③無関係な大部分に別けられるわけですか。

 

原発ニュース NHKテレビ「大震災発掘 第2回 巨大津波」を見ました

2011年12月26日 05時06分08秒 | 地震・原発・津波・防災情報
原発ニュース NHKテレビ「大震災発掘 第2回 巨大津波」を見ました

 1 

 12月25日(日)クリスマスの夜に、NHKテレビで夜10時から11時まで、「ETV特集シリーズ」の「大震災特集 第2回 巨大津波 新たなる脅威」を則子さんといっしょに見ました。

 ボクとしては仕事に行く直前の時間なので、ふつうは録画して後で見るのが通常ですが、娘が先に同じ時間帯で別の番組の録画をセットしていて、しかもその録画が始まっていたので、娘に「録画解除してもいいよ」と許可を取ったのですが「録画途中で解除はできません」というシステムなので、録画がだめでした。
 
 それで、ちょうどテレビの部屋にいた則子さんと二人で見ることにしました。

 2
 
 科学は事実と仮説といいますが、すごいですね。番組は、高知大学の地質学者の岡村さん(体重80キロ)と、北海道大学の地理学者の平川一臣さん(名誉教授)を追っています。

 プラスとマイナス、陰と陽のように対照的でおもしろいのですが、岡村さんが追っているのは、海岸から遠く、池・窪みに堆積した地震津波堆積物です。

 逆に平川さんが追求しているのは、海岸沿いの崖にかけのぼった津波堆積物で、つまり、標高で何mとか十何mの堆積物です。

 岡村さんの場合は、大学の若い学生たちと共に、西日本の沿岸の池の堆積層をボーリングする自主的なシステムを作りました。

 つまり、ボートをいくつか寄せ集めて、自力で湖底の地層のボーリングシステムを作ったわけです。

 平川さんの場合はもっと過激で、番組ではたった一人で、スコップ一つ持って、海岸の崖を調査していく初老の男性の姿をリアルに写していました。

 ぼくは、単純に、その思いだけで、岡村さんや平川さんに感動しましたね。

 3

 岡村さんが発見したのは、2000年前の西日本の「超巨大地震」です。2000年前というと、弥生時代なので、太平洋岸沿いの弥生時代の村が壊滅したこともありそうです。

 それって、浜松の伊場遺跡にも関係してきそうですね。

 平川さんが発見したのは、北海道東部の、アイヌの人たちが生きていた時代に起きた時地震です。アイヌの人たちは文字をもたなかったので、そういう地震が記録されていません。

 平川さんは、北海道の「十勝沖」と「根室沖」の2つが連動した地震を追っています。

 その結果、いままで慶長16年(1611年)におきた「慶長三陸沖地震」とされていた地震が、北海道沖の地震の津波であることをつきとめたのです。

 すごい!

 こういうドキドキする追求・推理・解明を、ぼくも追っていきたいと思います。

 岡村さんも、平河さんも、自然が語りかける事実に耳を傾けて、「池の声に耳を傾けて」「砂が語っている」と言っています。

 ぼくも、こういう自然の声に耳を傾けて聞きたいと思います。



 

雨宮日記 12月26日(月)早朝 早朝は雪が浜松としてはかなり…

2011年12月26日 04時55分32秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 12月26日(月)早朝 早朝は雪が浜松としてはかなり…

 今、深夜勤務の仕事を終えて帰って来ました。

 午前4時前から、いつのまにか浜松の中心街でも空はくもって雪がちらつきだしました。4時半前後には、浜松としては「かなり降ってる」感じになって、急いで家へ帰りました。

 家に帰って車から出たら、雪はまだちらついていましたが、星が、いくつか見えました。

 車に積んである温度計を車から出して、家の外を測ったら、気温1.7℃でした。

 家の中に入ったら、温度計(小さい奴ですが、センサーが本体とケーブルでつながっているので、センサーを外して水温も測れるやつです)がぐんぐん上がって、今、自分の部屋で10.4℃です。もちろん、自分の部屋は暖房はいっさいありません。何かの自然主義ではなくて、暖房器具を入れるスペースが地層になった本と資料で、まったくないからです)。

 今日は、道路や橋の凍結があるかもと、覚悟したのですが、大丈夫でしょうか。

 昨年の大雪では、ボクは危うくスリップ事故を起こしかけたし、浜松ではスリップ事故が多発しました。

 ☆写真は則子さんがカレンダーから切り抜いて12ヶ月分をはりつけました