雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

本と映像の森104 岡本太郎さん『美の呪力』新潮文庫、新潮社、平成16年(2004年)発行  

2010年11月30日 06時21分53秒 | 本と映像の森
本と映像の森104 岡本太郎さん『美の呪力』新潮文庫、新潮社、平成16年(2004年)発行  

 N子さんから借りたのに、どこかに逃亡してしまい、ずっと返せなかった本です。
 やっと、戻って来ました。

 絵や美術は大好きですが、絵や美術を文章で論じて、それがすごいインパクトです。
 
 絵画と文章。
 写真と文章。
 音楽と文章。

 こういう関係って、どうなっているか、謎ですね。

 岡本太郎さんは、名作コミック「20世紀少年」の、あの万博の「太陽の塔」を作った画家です。

 そして、この本で語られる、石や血や火や夜が、すごいです。

 そういうエネルギーが、そこで閉鎖するのか、解放されるのか。
 こういう「呪い」は、そこで閉じられると歪んで、ナチスのような閉鎖空間になるけど、
 解放されて、開かれると、時空を越えて、どこまでも伝わっていく波になるのでしょうね。

 マンガ「20世紀少年」は、そういう閉じられた世界の、哀しい物語だと思います。

 
 

雨宮日記 11月27日(土) ぼくは「山」へ、N子さんは劇団からっかぜの公演へ

2010年11月29日 07時32分02秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 11月27日(土) ぼくは「山」へ、N子さんは劇団からっかぜの公演へ

 妻のN子さんは、8月1日から土日が休みの仕事なので、土日はむしろ、いろんな予定が入っていて、忙しいです。

 今日は、午前中は、ぼくの父(n子さんにとっては義父さん)の病院通いにつきあってくれました。月何回か、病院に行くのですが、父は数年前から耳が聞こえなくなったので、誰かがついていないと、会話ができません。
 
 いっしょに住んでいる息子のボクでは頼りないのでしょうね、息子の妻のN子さんがいてくれて、成り立っています。
 感謝、感謝です。

 午後、ぼくはn子さんに「山に行ってきます」と言って、でかけました。
 「里山」のことです。

 夕方、里山から帰ってくると、N子さんは、劇団「からっかぜ」の福祉交流センターホールでの公演にでかけていました。
 「煙が目にしみる」という、火葬場の煙でしょうか、人間の生と死を扱った劇のようです。

 いっしょに行きたかったな。
 でも、別行動でも、いいよね。
 信頼関係は、変わらないから。

 
 

雨宮日記 11月26日(金) ぼくは歌劇のCDを、娘は宝塚歌劇を…

2010年11月27日 06時20分37秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 11月26日(金) ぼくは歌劇のCDを、娘は宝塚歌劇を…

 城北図書館の音楽CDに、オペラのCDがかなりあるので、最近、ビゼー「カルメン」やワグナー「ワルキューレ」などを聴いていたら、まるで符節を合わせたように、ここ数日、女のIさんも、宝塚の日本製歌劇を聴いていました。
 妻のN子さんも、なぜか気に入ったようで、いっしょに見ていました。

 「カルメン」を聴いて思ったのは、オケだけの「カルメン組曲」とは違って、まるでソロとソロの、ソロと合唱の、声とオケのかけあい漫才のようなおもしろさ、です。

 もちろん、カルメンや{指輪」は、フランス語やドイツ語などの原語ですので、頭の中で訳さないと感じ取れないマイナスはありますね。
 「宝塚歌劇」は日本語ですから、そのままでわかるのは、いいですね。

 

 

 

 

本と映像の森103 尾瀬あきらさん作『夏子の酒 第2巻』モーニングKC、講談社、1989年第1刷

2010年11月27日 05時53分25秒 | 本と映像の森
本と映像の森101 尾瀬あきらさん作『夏子の酒 第2巻』モーニングKC、講談社、1989年3月23日第1刷、224ページ、定価485円+消費税15円=500円

 第2巻は、佐伯酒造の朝6時から始まります。
 夏子さんの解説「酒造りは、一口に言ってしまうと、お米を発酵させてアルコールにすることです。
 でも細かく言うと、これはもう大変な工程と技術がいるのです」

 第1巻で登場した大酒飲みの「元・米づくりの名人」である宮川さんを、夏子さんは訪ねて、酒米・龍錦の栽培の指導をお願いしますが…。

 宮川さんは、龍錦のような優秀な酒米は、重さも重くて、丈も高くなり、台風の被害も受けやすくて、栽培しにくい米だと夏子さんに「あきらめろ」と言います。
 「でも、方法はあるんでしょ」と反問する夏子さんに、宮川さんは「ねえことはねえ。根性のある米をつくるには根性のある土をつくれってことさ」と。
 「どうやって」と問う夏子さんに「このへんの土はぼろぼろさ」と答える宮川さん。せつないですね。

 夏子さんは、郷里に残っている同級生たちとの飲み会で「実はね、わたし、龍錦という酒米を栽培したいの。倒れやすく、虫害にもあいやすい難しいお米で、化学肥料や農薬を使わず堆肥で有機栽培しなくちゃいけないの」と問いかけます。
 答えの一つが「そもそも堆肥なんてどこも作っちゃいないんだ。俺なんか見たこともねえよ」と。

 孤軍奮闘する夏子さんを、老百姓の宮川さんや、同級生たちが、助けてくれて、なんとか、苗を植える25坪の田んぼのめどが立ってきました。

 お酒もそうですが、日本人のくらしって、醤油も、納豆も、すしも、味噌も、お酒もぜんぶ「発酵」でなりたっています。
 「発酵」の勉強もしたいです。

 
 

 

雨宮日記 11月25日(木) 深夜の仕事中に車のライトが…

2010年11月27日 05時45分27秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 11月25日(木) 深夜の仕事中に車のライトが…

 仕事で深夜、車を運転していて、数日前からライトが不安定で消えたり、ついたりしていてのが、ついに完全に切れてしまいました。
 
 アッパービームはついたので、仕方なく、アッパービームにしてできるだけ裏道を通って、わが社に帰って、自分の車で残りの仕事をしました。
 
 配達の順序を変えたので、1カ所、落としてしまい、最後に配り直したので、さらに終わる時間が遅くなりました。
 疲れた!

 

本と映像の森102 石川啄木さん著、久保田正文さん編『新編 啄木歌集』岩波文庫、1993年

2010年11月27日 05時19分11秒 | 本と映像の森
本と映像の森102 石川啄木さん著、久保田正文さん編『新編 啄木歌集』岩波文庫、1993年5月17日第1刷~2008年7月4日第19刷、440ページ、定価800円+消費税

 石川啄木さんは、1886年生まれで、1912年に亡くなりましたから、26才でした。

 生前に刊行された第1歌集『一握の砂』の551首と、死後刊行された第2歌集『悲しき玩具』の195首、初期から編年体でたどる「補遺」が掲載されていて、「全首索引」がついています。

 よく知られた歌も、あまり知られていない歌も、ぜんぶ読んでいくと、何かが自分の中に生まれてくる気がします。

 「いのちなき砂のかなしさよ
  さらさらと
  握れば指の間より落つ」

 これはよく知られていますね。
 以下、すこし里山風の歌を数首、選んでみました。

 「ふるさとの
  かの路傍(みちばた)のすて石よ
  今年も草に埋もれしらむ」

 「ほのかなる朽木(くちき)の香り
  そがなかの蕈(たけ)の香りに
  秋やや深し」

 「世のはじめ
  まず森ありて
  半神の人そが中に火や守りけむ」

 こういう短歌や、俳句や、詩も好きですので、読んでいきたいと思います。

雨宮日記 11月24日(水) 北朝鮮軍の暴挙、朝鮮戦争以来の韓国への砲撃

2010年11月26日 05時36分23秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 11月24日(水) 北朝鮮軍の暴挙、朝鮮戦争以来の韓国への砲撃

 ひどいですね。北朝鮮軍が、国境線すぐ南の韓国の島を突然、砲撃しました。
 祖父・父・息子で3代継承の「半封建的金(きむ)王朝」というのも時代錯誤ですが。

 友達が「沖縄県知事選挙の直前というこういう時期に、いつも北朝鮮は何かやらかす。アメリカか日本の支配層から金が流れているんじゃないか」と言っていました。
 証拠はありませんが、あるいはそうかも知れませんね。

 マスコミでは別の見方で、アメリカとの交渉のための、実力行使を見せつけての「瀬戸際外交」という見方ですが、こちらは確実にそうだろうと思います。
 
 3番目は、ヨーロッパの緊張緩和と違って、中国の尖閣列島問題や、インドパキスタン紛争のように、アジアには「冷戦構造」が依然として残っているという問題です。
 北朝鮮は、尖閣列島問題での中国の実力行使を見習って、今回の砲撃に踏み切ったともいえるのではないでしょうか。
 中国が「やめろ」と言ってきたら「あんたたちだって、やってるじゃないか」と言い返せますからね。

 4番目は、北朝鮮の核兵器開発のためのウラン濃縮施設をみても、東アジアの平和はまだまだ先で、ヨーロッパが第1次世界大戦と第2次世界大戦の、2回の大戦乱が平和のために必要だったように、もう一度、戦乱を経ないと、北朝鮮・中国・韓国・台湾・日本・ロシアなど東アジアの国々の支配層と人民は、骨身に染みないのではないかと思いました。

 北朝鮮にしろ、ロシアにしろ、中国にしろ、日本の一部の支配層にしろ、まだまだ、大国への夢を捨てていませんね。

 本来的には、「戦争犯罪」として、命令者と実行者を、国際法廷で裁くべきでしょうね。
 

雨宮日記 11月23日(火) N子さん・K子さんと3人で里山「作業」談義

2010年11月25日 06時12分05秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 11月23日(火) N子さん・K子さんと3人で里山「作業」談義

 そろそろ年賀状を準備する季節です。
 ぼくにとって今年は「雨宮ブログに始まり、里山作業で終わる」年でした。
 来年は「里山に始まる」年です。

 N子さん・K子さんとぼくの3人で話していたら、N子さんが「智彦くんが、鎌まで買って、里山で草刈りや作業をするとは思わなかったわ」と嬉しそうに言うので、苦笑いして「成り行きです、というか、それが里山を発展させる道でしたから」と言っておきました。
 K子さんに「なにしろ、智彦くんは、十軒町に引っ越してきて20年近く、馬込川の堤防の草刈りに一度も参加したことが無くて、いつも私が行っているのよ」と。

 酒造りと稲作りコミックの「夏子の酒 第2巻」で、米作りも何も知らず、肉体労働に慣れない夏子山河、孤軍奮闘しているのを見るに見かねて、老百姓の宮川さんや、夏子さんの同級生たちが手伝ってくれるでしょ?
 
 去年くらいかな、ぼくが「里山で一番大事なのは、自然でも、生きものでもなくて、人です」と言ったのは。

 ふつうの里山は、① 自然・生きもの・生態系 ② 里山を管理する人間たち で成り立っています。
 
 その人間たち、Fさんや、Kさん、K子さんなどをずっと見てきて、「こういう人たちなら信頼できるから」いっしょに生きようと思ったんですから。

 もう一つ、ぼくたちの、この里山は、① 自然・生きもの・生態系 ② 里山を管理する人間たち ③ 文化・アート(音楽・絵・写真・工芸…)で成り立っていると思います。

 それこそが、他の里山と、ぼくたちの里山との違いではないかな、と思います。

  

本と映像の森101 尾瀬あきらさん作『夏子の酒 第1巻』モーニングKC、講談社、1988年第1刷

2010年11月24日 05時27分57秒 | 本と映像の森
本と映像の森101 尾瀬あきらさん作『夏子の酒 第1巻』モーニングKC、講談社、1988年第1刷

 里山の話を「雨宮日記」で、したので、里山関連のコミックを紹介します。
 
 主人公は、新潟の小さな酒造会社の娘、佐伯夏子さんです。
 夏子さんは、小さい頃からお酒が大好きで、どんなお酒でも一度飲んだらその味を忘れない。
 
 でも東京にあこがれて、佐伯酒造は兄にまかせて、東京の小さな広告会社に就職します。
 それから2年、22才になった夏子さんのもとに、郷里から「兄が倒れた」との報で、仕事の合間に、一日だけ郷里へ帰るところから物語が始まります。

 兄は数ヶ月後にガンで亡くなり、夏子さんは、兄の見つけた「まぼろしの酒米」「龍錦(たつにしき)」の種籾を育てて増やすことを始めます。

 兄の言葉「夏子、お酒はお日様の光りなんだな」

 夏子さんの作った新聞広告「美酒、なないろに輝いて」

 里山もそうですね。
 太陽が光り輝いて、日の光と、土と、水で、里山の生きものは生きていくんです。

 夏子さんの米作りの苦労と、酒造りの苦労は、2巻以降で。


雨宮日記 11月21日(日) 里山で、フルートと合唱のすてきなコンサートの1日

2010年11月23日 06時04分14秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 11月21日(日) 里山で、フルートと合唱のすてきなコンサートの1日

 前の夜は早く(お酒の力で無理矢理)寝て、朝6時半頃目が覚めました。
 珍しく、疲れているのかN子さんが起きてこないので、N子さんに声を掛けて起こしました。

 雲一つ無い、晴天で、「はじまりの里山」「里山0年」だと思います。

 灰ノ木川里の家が始まって10年、「里山喫茶とコンサート」を始めて1年ですが、この秋が「里山再生」の転換点でした。
 すこし荒れて、草ぼうぼうの里山を、みんなで草刈りして、枝を払って、きれいにしました。

 その里山でフルートと合唱の、すてきな音楽会でした。
 詳しくは「浜松の生きものと里山ブログ 灰木川と馬込川」を見てください。

 人間と自然と文化の、三位一体を感じ取れる1日でした。
 みなさん、ありがとうございました。

 
 

雨宮日記 11月20日(土) 明日の準備のために秋の「里山再生」へ

2010年11月20日 20時12分40秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 11月20日(土) 明日の準備のために秋の「里山再生」へ

 今日も、お昼12時に、家をN子さんと2人で車で出発しました。
 夜中には曇りで少し雨粒も降りましたが、いまは、青空です。

 10年前に始まった「灰ノ木川里の家」「灰木里山」を一新させて「はじまりの里山」を夏以降、体験してきました。

 何年も人の手が入っていなかった野草(「雑草」とは言いません)の繁茂を、「ごめんね」と良いながら、鎌でぶったぎりました。命をいっぱい奪うわけです。

 茶の木を剪定して、景観をよくしました。
 里の家の南の崖の木や枝を切って、眺望を良くしました。

 こういう、自分の手を使った作業・労働がすごくおもしろいです。
 汗をかいて、下着までびっしょりになりますが。
 時々、持病の腰痛でいたくなりますが。

 里山では、まだトンボたちが飛んでいます。

 私たちの里山のレピーターの皆さんは、明日、たぶん、目を疑うだろうと思います。
 「えっ!こんなに見通せるの」
 「こんなにきれいになるんだ」

 もっときれいに、多様に、生きものたちの楽しめる里山にしたいと思います。
 
 今夜は、ほぼ満月。
 暗くなったので、坂道を下へ降りて「あれがカシオペヤ」「あれが北極星」など、星談義にふけりました。

 家へ帰って、明日の参加者に配るプログラム・案内ハガキと、感想用紙ハガキを印刷して寝ます。
 

雨宮日記 11月17日(水) ペット化した人間たちに未来はあるのかな?

2010年11月19日 05時33分59秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 11月17日(水) ペット化した人間たちに未来はあるのかな?

 わが静岡県の東部のみなさんを騒がせた、たった1匹のニホンザルさんのことを思うにつけ、人間よりはるかに小さい1匹のニホンザルさんに、襲撃されて、かみつかれたりする人間たちの弱さが気になりました。

 人間は、
 ① 地球生態系の最上位者として、襲撃されたり食われたりすることがなくなったこと、
 ② 文明の生産力の発展で、自ら狩りをしたり、生産したりすることなく、他人の剰余生産物によって、生きていけるようになったこと、
 ③ 情報やニュースもマスコミ報道にたよってしまい、自ら人と接触して、自分の判断で正否を確認していくのではなくなっていったこと

 いま、これを読んでいる、あなた。
 あなたは「ペットを可愛がる人間」ですか?それとも「ペット」ですか?

 ペット化しないためには、どうすれば、いいんでしょうか。
 マスコミや、集団・組織にたよらずに、自分の頭で考えてみることでしょうか。

 すくなくとも、ボクや、N子さんは、ペットではありません。
 
 <11月20日追加>
 おたがいに、甘えることもありますが、急に、牙をむいてかみつくこともあるので。
 おたがいに、油断はできません。


雨宮日記 11月16日(火) 生態系の悲鳴が聞こえるような気がしました

2010年11月19日 05時16分37秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 11月16日(火) 生態系の悲鳴が聞こえるような気がしました

 アクトシティからの帰りに、夜、街路樹に「たむろ」しているムクドリの声を聴きました。
 あの、ギャー、ギャーという、うるさい声です。
 いっしょにいた友達が「苦しそうな声みたい」と言いました。

 家に帰って、ふと浮かんだのは、あれは生態系のゆがみで、不必要に増えすぎて
 樹々の枝に止まっても過密状態で苦悩する、ムクドリさんたちの悲鳴ではないのか、ということです。

 本来なら、あんなに増えることも、ひとつの樹にあんなにたくさんとまることもないのですが。
 ムクドリを食べる捕食者の、鷲鷹類が都会にはいないので、安全を求めて集まるのでしょうね。

 ボクは、地球の生態系の最上位者で「一応、管理人」の人間たちに向けて、
 ムクドリが発している「助けて、助けて」というSOSではないかと思います。

 ムクドリを助けられないような人類は、自分たちも助けられないような気がします。
 
 どうすればいいかというと、やはり、ムクドリを食べる鷲鷹類を繁殖させて、
 生態系の調節機能を発揮させればいいのではないかと思います。

 ボクの提案の第1は、浜松市(自治体)の環境部に「鷲鷹課」をおいて、
 「鷹匠」を専門家として育成して、ムクドリを正常にすることです。

 ボクの提案の第2は、コンクリートの都市砂漠「アクト大通り」はコンクリートをはがして
 そこに、明治神宮のような「平成の森」をつくって、そこでムクドリたちを休ませてあげたいと思います。

 増えすぎるムクドリさんも、増えすぎる鹿あんやイノシシさんも、増えすぎる人間さんも、
 みんな同じ「絶滅の危機」に立っているように思います。
 
 写真はムクドリの声が聞こえるアクト付近
 



雨宮日記 11月15日(月) プレイエルピアノでショパンのコンサートでした

2010年11月16日 05時48分46秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 11月15日(月) プレイエルピアノでショパンのコンサートでした

 楽器博物館のプレイエルピアノ(ショパン当時の古楽器)を使って、アクトシティ音楽工房ホールで、ショパン・コンサートでした。

 N子さんは家に帰るとまにあわないので、バイクで職場からアクトへ。
 ぼくは電車で5時30分過ぎに着いたら、ちょうどN子さんが博物館の玄関に入るところでした。
 
 列に並ばずに、博物館の2階のロビーで椅子に座って、おにぎりを食べながら、友達が来るのを待ちました。
 友達が来たので、いっしょに並びましたが、いつになく長い列でした。

 レクチャーコンサートのレクチャがおもしろかったです。
 つまり、今のピアノは昔の弦楽器としてのピアノとはまったく違う、名称は「フォルテ」にすべき打楽器で、オケと対抗できる強力な楽器になったのです。
 
 第1部の小柄な女性ピアニストの小倉喜久子さんのピアノ演奏とチェロとピアノの共演も、第2部のピアノ五重奏的な「ピアノ協奏曲第2番」も、すごくよかったです。

 第1部をいっしょに聴いた2人に「どれがよかった?」と聴いたら、やっぱりノクターン第20番でした。ぼくもそうですね。

 第1部の最後の「チェロとピアノのための《序奏と華麗なポロネーズ》もうよかったです。チェロも歌っていたし、ピアノのメロデイも最高でした。

 第2部のピアコン第2番は、ピアノ・ヴァイオリン(2人)・ヴィオラ・チェロ・コントラバスです。
 これも、オケ版の渾然たる聞こえ方と違って、一人一人の楽器が明確に聞こえて、うわあ、こういうの、いいなあと感じました。

 終わった後、3人で食事をしながら話をしましたが、すごくよかったけど、ただ一つ、聴衆の床が平面なので、演奏者の指先や表情が、前の人の頭で見えないんですね。
 生の演奏会の魅力が半減ですよね。
 ちゃんとした、客席の傾斜のある、音楽専門ホールをみんなでつくりませんか?

 それと印象的なのは、古楽器の微妙な調整です。
 楽器博物館の館長さんかな、あいさつでお話ししてくれましたが、照明の熱でさえ、音が少しづつ変わってしまうんだそうです。
 現代の金属一体成形のピアノとは違うのだそうです。

 もう一つ、艦長さんが強調していたのは、フランス(かな?)から浜松へ、この楽器が来て、浜松の気候になれて、今が、一番良い音かもしれないということでした。

 楽器博物館は開館15周年だそうです。
 「東京の音楽ファンがうらやむ」古楽器の演奏を生で聴けて、幸せでした。
 
 楽器博物館のみなさま、演奏者のみなさま、ありがとうございました。