雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

郷土史浜松静岡 2 鄕土ニュース 沼津市長選が無投票に 20220418

2022年04月18日 11時44分03秒 | 浜松静岡郷土史
郷土史浜松静岡 2 鄕土ニュース 沼津市長選が無投票に 20220418


沼津市長選が無投票になりました。初めてだそうです。


 そんなに革新は人材が払底してるんですね。沼津は人口18万9千人、静岡県東部の中心都市です。


 でも浜松市だって人口82万人とでかいけど、似たようなものかもしれません。



郷土史浜松静岡 1 鄕土ニュース 焼津谷島屋が倒産 20220416

2022年04月16日 19時58分29秒 | 浜松静岡郷土史

郷土史浜松静岡 1 鄕土ニュース 焼津谷島屋が倒産 20220416


 焼津谷島屋は15日、静岡地裁に民事再生法の適用を申請しました。負債総額は約16億円です。書店を4店舗、雑貨店が16店舗だそうです。


 いまは資本関係を持たない谷島屋(浜松市)が会社分割により書店事業だけを引き継ぎます。



浜松静岡郷土史 4 郷土史の本 3 二本松康宏/監修『北遠の災害伝承 ー 語り継がれたハザードマップ ー』三弥井書店、2021年 20210520

2021年05月20日 19時45分08秒 | 浜松静岡郷土史
浜松静岡郷土史 4 郷土史の本 3 二本松康宏/監修『北遠の災害伝承 ー 語り継がれたハザードマップ ー』三弥井書店、2021年 20210520


 3月18日発行、A4版、30ページ、定価本体500円。


 『北遠の災害伝承 ー 語り継がれたハザードマップ ー』というタイトルだが、地震や洪水の伝承ではなく、蛇や龍が引き起こす水害の祟りをどう防ぐかという伝承。


 どっちかというと民俗学的伝承として、ボクが好きな古代史の伝承として扱うべきかもしれない。


 目次を見ると「犬居のつなん曳の由来」、「新宮池の大蛇」、「池之田の大蛇」、「たらいに乗った女」、「上村の蛇婿入り」、「沼元の池野明神」。


 個々のお話も、またいつか紹介できるといいなあ。


 今年出たばかりの本で、『中日新聞』の郷土?で紹介されていたので、友だちに買ってきてもらいました。




浜松静岡郷土史 3 郷土史の本 2 雑誌『浜松グラフ 1号』、1980年 20210507

2021年05月07日 09時34分22秒 | 浜松静岡郷土史
浜松静岡郷土史 3 郷土史の本 2 雑誌『浜松グラフ 1号』、1980年 20210507


 41年前の「郷土雑誌」です。その創刊号。2月1日発行。32ページ。350円。


 創刊号は、「グラフ特集「庚申信仰を追って」米田一夫」、ルポ「新川」、フォトスナップ「20才の大行進」、「施設探訪「浜松市博物館」」など。


 付録だと思うが、石像写真が2枚、厚紙写真でついている。


 いま浜松市立中央図書館郷土資料室に電話して確認してもらったら、それは3号まであるということなので、いずれ見に行こうと思います。


 第4号以降が発行されたのかは不明。「3号雑誌」に終わったのかも。





 


浜松静岡郷土史 2 郷土史の本 1 那須田稔『障子をあけてみよ 外はひろいぞ ー 豊田佐吉ものがたり 湖西市制四〇周年記念ー』湖西市、2012年12月

2021年03月31日 09時42分02秒 | 浜松静岡郷土史
浜松静岡郷土史 2 郷土史の本 1 那須田稔『障子をあけてみよ 外はひろいぞ ー 豊田佐吉ものがたり 湖西市制四〇周年記念ー』湖西市、2012年12月


 A5版、79ページ、那須田敏子/編集制作。


 いつどこで手に入れた冊子か、わかりません。たぶん湖西市で「原爆と人間展」をやったときにかなあと推測します。


 これはおとなりの湖西に生まれた豊田佐吉という貧乏な大工のものがたりです。佐吉は父も大工ですが、大工をやめて発明家になります。


 お母さんが苦労していた機織りの機械を改良して新型の織機をつくりだします。でも、やっぱり貧乏ですし家族をかえりみないで日夜発明に没頭するので、ついに奥さんは別れてしまいます。そんななかで織機をつぎつぎに作り出します。


 1867年(慶応 3年) 2月14日現湖西市山口に生まれる
 1896年(明治29年) 動力織機を発明
 1906年(明治39年) 環状織機を発明
 1924年(大正13年) 自動織機を発明
 1930年(昭和 5年) 10月30日病気で亡くなる


 まだボクにはよくわからない織機の構造がよくわかったら、また書きたいと思います。


 豊田織機からトヨタ自動車が始まり、浜松の鈴木織機からスズキ自動車が始まったように、遠州の木工業は明治の新しい産業の基礎になりました。ヤマハ(日本楽器)もそうですね。


 もうひとつは金属産業ですが、この問題はまた書きたいと思います。


 著者の那須田稔さんのことも別項目で書きます。



浜松静岡郷土史 1 浜松市のコロナ情報 1 「新型コロナウイルス感染症による患者確認について【1061~1069例目】(3月8日) 20210309

2021年03月09日 11時06分59秒 | 浜松静岡郷土史
浜松静岡郷土史 1 浜松市のコロナ情報 1 「新型コロナウイルス感染症による患者確認について【1061~1069例目】(3月8日) 20210309


 コロナ情報や浜松市情報を出していなかったので、新しく「浜松静岡郷土史」をつくって「古代史」とは別に中世から未来までの「浜松静岡郷土史」を掲載することにします。


 今日はその第1回。


 「浜松市HP」の中の「新型コロナウイルス感染症」のページの最新ページ。


 「新型コロナウイルス感染症による患者確認について【1061~1069例目】(3月8日)
3月7日(日曜日)に実施した9件の行政検査で、新たに陽性患者1人が確認されました。このほか、市内医療機関から新たな陽性患者8人が報告されました。」


 注)患者個人の情報は略しました。直接ホームページを見てください。




「集団発生の状況


市内事業所における集団感染


報告日 従業員 家族等 知人友人 その他
2月17日~2月20日 3(900・908・914例目) 2(915・916例目) 1(902例目)
2月21日 11(920~930例目)
2月22日 1(932例目) 1(公表を希望しない)
2月23日 15(936~950例目) 1(952例目) 1(951例目)
2月24日 8(964~969、971・972例目) 1(970例目)



市内医療機関における集団感染


報告日 医療従事者 患者 家族等 その他
2月22日 2(954・957例目) 3(958~960例目)
2月23日 3(961~963例目)
2月24日 2(976、977例目)
2月25日 3(981~983例目) 3(984~986例目)
2月26日 4(990~993例目) 7(994~1000例目)
2月27日 2(1001、1002例目)
2月28日 4(1006~1009例目)
3月1日 3(1011~1013例目) 1(1014例目)
3月2日 2(1018、1019例目) 4(1020~1023例目)
3月3日 1(1025例目) 1(1026例目)
3月5日 1(1033例目) 2(1034、1035例目) 1(1036例目)
3月6日 2(1039、1040例目) 17(1041~1057例目) 1(1058例目)
3月7日 6(1061~1066例目) 1(1067例目) 1(1068例目)


患者様及び関係者の皆様への人権の尊重並びに個人情報の保護に、ご理解とご配慮をお願いします。


市民の皆様には、市長が発しましたメッセージのとおり「新しい生活様式の実践」、「はままつLINE身守りシステムの活用」などについて、積極的にご協力をお願いします。」





郷土史の片隅に 1 詩人峠三吉さんと静岡市 20201216

2020年12月16日 09時44分32秒 | 浜松静岡郷土史
郷土史の片隅に 1 詩人峠三吉さんと静岡市 20201216


 「郷土史」とういうのは古い言い方で今は、はやらないかも知れませんが、ここではその範囲を2020年現在の浜松市・静岡県を中心とする範囲としておきます。話が三河地方や愛知県・長野県・神奈川県へ行ってもいいということでお願いします。


 「郷土史の片隅に」という呼び方は、もちろんアニメ映画「この世界の片隅に」へのオマージュです。


 なお古代史のことは「遠州古代史」のなかで扱います。ここでは中世史・近世史・近代史・現代史・未来史の範囲です。


 今日が第1回。




郷土史の片隅に 1 詩人峠三吉さんと静岡市 20201216




「にんげんをかえせ」で知られる原爆詩人峠三吉さんと静岡とのかかわりは、ほとんど知られていないと思います。


 増岡敏和著『原爆詩人 峠三吉』という新日本新書があります。1985年発行の本です。いまはAmazonなどで古本で探してください。


 1952年の峠三吉さんの活動を妻の和子さんは、次のように手記に残しています。


 「1952年峠にとって命を賭けた最後の闘いの年となった。原爆を受けた広島として、病人でありながら平和運動の為に休む事無く働き続けなければならない峠であった。
 2月、国鉄全国大会への原爆展を依頼され恰度来広中の赤松俊子さんと面談中喀血、翌3月、文学戦線統一の重大性を思う故に推されて新日本文学会全国大会参加の途中で喀血。静岡文学会支部、民主グループの手厚い看護を受け、1ヶ月療養後上京」(p198)


 増岡敏和さんは、そのあと次のように詳しく書いています。


 「三吉は上京途中汽車の中で喀血し、下車して静岡日赤病院に入院するはめになった。そして入院直後大量喀血をし、また死に瀕した。新日本文学会静岡支部や全日自労静岡支部は救援活動をおこし、それを伝え聞いた新日本文学会広島支部と合同して峠三吉救援活動委員会を結成、全国に檄をとばして活動する。そうした力と療養のせいでかれは回復し、1ヶ月後に退院する。」(p200)


 この「静岡日赤病院」は静岡赤十字病院として、JR静岡駅から大通りを北へ左側を歩いて、市役所を過ぎて産業経済会館へ行くすぐ手前にあります。


 1952年当時、おなじ場所にあったか、峠三吉さんが入院したり、救援活動を静岡市民がしたことを直接体験した方や文献はないものでしょうか。


浜松の歴史本 浜松市市民部文化財課『東海道を歩く』500円

2014年04月22日 19時13分44秒 | 浜松静岡郷土史

浜松の歴史本 浜松市市民部文化財課『東海道を歩く』500円

 浜松市政としては市民に優しいヒット本シリーズですが、「浜松市文化財ブックレット8」として『東海道を歩く』が、2014年3月28日に発行されました。

 今日の『中日新聞』に記事が出ていたので、別の用事で、今日、則子さんと市役所にいったとき、文化財課に寄って買って来ました。

 A5版、160ページ、しかも昔のモノクロ写真以外は、ほとんどカラーです。

 嬉しいですね。

 これで行った処は「遠州の遺跡・寺社・地名」で紹介していきます。


遠州の歴史 浜松城の新しい天守門完成と桜

2014年04月04日 08時20分59秒 | 浜松静岡郷土史

遠州の歴史 浜松城の新しい天守門完成と桜

 浜松市が発掘に基づいて新たに復元していた天守門が完成しました。一般公開(有料)も始まります。これが堀尾時代なのか、徳川時代なのか、説明ではまだよくわかりません。調べてわかったら書きます。

 後ろの「天守閣」と称する時代考証のない建物が目障りですね。

 


東海の歴史の本 宮城谷昌光さん著『古城の風景 Ⅱ』新潮文庫、2010年

2012年07月24日 05時34分31秒 | 浜松静岡郷土史

東海の歴史の本 宮城谷昌光さん著『古城の風景 Ⅱ ー 一向一揆の城 徳川の城 今川の城 ー 』新潮文庫、2010年(平成22年)11月1日、391ページ、定価525円+消費税、

 以前に 本と映像の森1 宮城谷昌光さん著『古城の風景1』新潮文庫 2010年01月13日 03時59分17秒 | 本と映像の森 を紹介しましたが、その続編です。

 今回は、家康さんに敵対した一向一揆の城と、遠州地域の徳川の城、そして静岡県中部の今川の城、です。当然、わが浜松城や曳馬城も入ります。

 徳川家や今川家の歴史、東海地方の近世史を読むときには、非常に役に立つし、単独で地図を見ながら読んでも、おもしろいです。

 ただし、二俣城などや武田の北遠の城が載っていないのは残念です。

 宮城谷さん、ぜひ探索して書いてください(宮城谷さんは、わが浜松市の北区三ヶ日町に住んでいます)。

 ページのあちこちに載せられている原田維夫さんの絵もとても魅力的です。

 なおこちらの本もぜひお読みください 本と映像の森 130 宮城谷昌光さん『風は山河より』新潮文庫 2011年02月07日 05時37分24秒

 

 


愛知の遺跡・寺社・地名 1 岡崎市の大樹寺(その1) 山門は岡崎城を向いてます

2012年07月17日 05時31分45秒 | 浜松静岡郷土史
愛知の遺跡・寺社・地名 1 岡崎市の大樹寺(だいじゅじ)(その1) 山門は岡崎城を向いてます

 今年4月8日に愛知県岡崎市(長女の夫の故郷)を訪ね、長女の夫のお父さん・お母さん・弟さんと長女夫妻、ぼくたちの7人で岡崎市内を案内してもらった時の記録です。少しづつ整理しながら書いていきます。豊橋付近は、ぼくたちだけで行って見たいと思っています。

 静岡県と同じように、愛知県も興味深い遺跡・寺社がいっぱいあります。

 今日は第1回目で、徳川家康さんが桶狭間の戦いで今川義元さんが戦死した後、最前線から撤退して最初に岡崎に入って駐屯した、松平氏の菩提寺である大樹寺です。

 つまり、戦場から直接、岡崎城に進撃せずに慎重に行動した先が、大樹寺です。

 松平元康さんの「自立」の出発点となった記念すべき歴史的ポイントです。

 山門から外を見ると、岡崎城が見えます。山門が、その当時にあったのかどうかは、わかりません。

 宮城谷昌光さんの『古城の風景 Ⅱ 一向一揆の城・徳川の城・今川の城』身長文庫、p35~40に紹介されています。

  ☆

 なお「浜松と遠州の歴史 徳川・織田・豊臣の謎を考える 1」2012年04月10日、で、岡崎城・大樹寺~鳳来寺山~駿府城~久能山東照宮が同じ東西線上に並ぶ、同緯度であることを指摘しておきました。

 この謎の出発点です。

 べつの言い方でいうと「風水思想」になりますが、これも追求していきたいと思います。

 

浜松と遠州の歴史 徳川・織田・豊臣の謎を考える 3 徳川家康さんの東照宮の謎

2012年07月14日 06時09分03秒 | 浜松静岡郷土史
浜松と遠州の歴史 徳川・織田・豊臣の謎を考える 3 徳川家康さんの東照宮の謎

 つい数日前に、NHKラジオ第1の「深夜便」で、久能山東照宮のことを紹介していました。

 ぼくもまだ久能山東照宮には行ったことがないので、初耳でしたが、家康さんのお墓は、実は西を向いているのだそうです。つまり、当時、対立していた豊臣系の大名の多い西日本を向いていたようです。

 お墓が西を向いているというのは、たとえば西に向いている出雲大社と同じで、興味深いです。

  ☆
 
 そして家康さんは、生地の岡崎城から浜松城、江戸城とどんどん東へ向かっていったのに、なぜお墓が西を向いているかというと、一つは、夕陽と死に向かっているということでしょうか。

 もう一つは天皇家の初代、神武天皇さんは、最初、西から大阪湾に攻め込んで見事敗北、南へ逃れて、熊野から北上して、近畿中枢の敵に東側から、つまり「太陽を背に」して闘って日本の支配者になりました。

 同じことをしたのが、天智朝廷に反乱をおこした天武さんです。天武さんは、吉野から尾張へ脱出して、関ヶ原付近で天智朝廷に東から、つまり太陽を背にして攻撃して勝利します。

 この2例を家康さんは、心に深く刻んでいたように思います。なぜ?は、別途、考えます。

 ① 家康さんが岡崎から浜松へ侵攻したとき、西から曳馬城を攻めないで、いったん東へ陣を置いてから東から西へ攻めた
 ② 三方原の武田信玄との決戦でも家康は東から西へ攻撃を仕掛けた
   (ただし、このときは失敗でした)
 ③ 関ヶ原のたたかいでも、家康さんサイドは東から攻撃しています。これはもちろん同じ場所で闘った天武天皇をまねたものです。
 ④ 豊臣家との大阪城の決戦でも、家康さんサイドは、東から攻めています。

 織田・徳川連合軍のたたかいである、姉川のたたかいや、長篠のたたかいでは、東西軸ではなくて、織田=徳川が南側になっていt、東西原則からはずれています。織田信長さんは、方角など「迷信」(信長さんにとって、です)は、余りきにしなかったんでしょうね。

 江戸時代の終わり、徳川家の終わる鳥羽伏見のたたかいでは、こういう話とは逆に、徳川が西から攻撃していますから、負ける運命だったんでしょうね(?!)。

  ☆

 14日の夜の捕捉

 三方原戦争(通常「三方原の戦い」と呼んでますが、軍事史的に「戦争」と呼ぶことにします)は家康さんからは東から西に攻める、通常なら日を背負った戦争ですが、武田信玄さんの方が霊的に一枚上手で戦争開始を引き延ばして夕方にしたので、逆に家康さんにとっては「太陽を攻める戦争」になってしまいました。

 ただし、この日に晴れていたかどうかは、確認していませんが。

 
 

  

浜松と遠州の歴史 徳川・織田・豊臣の謎を考える 2 源氏は東へ、平家は西へ

2012年04月11日 14時40分10秒 | 浜松静岡郷土史
浜松と遠州の歴史 徳川・織田・豊臣の謎を考える 2 源氏は東へ、平家は西へ

 いまNHK大河ドラマは「平清盛」ですが、12世紀の平氏は、当時の中国の宋との交易で栄え、最後は京都から西へ兵庫県の福原港に都を移転しました。

 それに対して、源氏は頼朝が鎌倉に幕府を開きましたが、東へ向かい、武士の独立国家をつくる路線でした。

 同じような状況が戦国末期に繰り返されます。

 統一国家を作ろうとした織田・豊臣・徳川のうち、織田と豊臣は商業や産業で得た富を駆使して朝鮮や中国を征服する西へ向かう路線でした。

 それに対して、徳川は東へ向かい、鎌倉幕府のような武士国家をうちたてる路線でした。

 源平時代と違って、名古屋にいた織田と、岡崎にいた徳川は、軍事同盟を結び、お互いの背後からの危険を遮断してから、織田は西へ、徳川は東へ向かうのが、大きな違いですね。

  ☆

 そしてせっかく天下をとった豊臣家が朝鮮侵略で冨を浪費し、疲弊して、威信を喪失したことは、日本と朝鮮との関係を考えるときに興味深い点です。

 古代から近代まで、日本の朝鮮への出兵は3回ありました。

 1、古代の「倭国」時代 7世紀の白村江の戦いで大きな打撃を受けて倭国は滅び、701年、日本国が日本を統一する
   (なお、このことは、通常「倭国の名前を日本国に変更した」という単なる看板の掛け替えみたいに矮小化されています)

 2、近世の豊臣時代 豊臣氏の権威は低下し、関ヶ原と2回の大阪の陣で豊臣は滅び、徳川が日本を統一する

 3、近代 大日本帝国が朝鮮を「併合」するが、それが遠因となって「15年戦争」となり、大日本帝国は滅ぶ

 こう見てみると、朝鮮半島を侵略した国は、3回とも滅んでいます。

 どこへも征服戦争をおこさず「300年の平和」を守った徳川氏がいちばん理性があったと思います。


浜松と遠州の歴史 徳川・織田・豊臣の謎を考える 1

2012年04月10日 14時15分43秒 | 浜松静岡郷土史
浜松と遠州の歴史 徳川・織田・豊臣の謎を考える 1

 徳川家康さんは元は、松平元康さんといい、お父さんは松平広忠さん、お母さんはお大の方(かた)です。松平広忠さんは、父の松平清康さんの時代から岡崎城が拠点なので、家康さんも岡崎城で生まれました。

 生まれる前に、なかなかお大の方が懐妊しないので、懐妊祈願に夫妻で行ったのが、鳳来寺山です。

 家康さんが今川の武将として出陣していたときに、今川義元さんが桶狭間で織田に敗北し死亡、元康さんは独立し、まず最初に岡崎城の北にある松平の菩提寺・大樹寺に入り、それから岡崎城に入ります。

 そして、家康さんは、浜松へ侵攻してから武田を織田と共同で攻め滅ぼして、駿府城に住みます。そのあと、江戸城にとなるのですが、最後は駿府城で亡くなり、祀られたのが久能山東照宮です。

 これらの地点の緯度経度を並べると、以下のようになります。

 
 岡崎城 愛知県岡崎市康生町
     北緯34度57分22.71秒 東経137度09分31.7秒

 大樹寺 愛知県岡崎市鶴田町広元5-1
     北緯34度59分03.86秒 東経137度09分55.09秒

 鳳来寺山 愛知県新城市 標高695m
     北緯34度59分02秒 東経137度34分58秒

 ◎浜松城 静岡県浜松市中区元城町
     北緯34度42分42.39秒 東経137度43分29.67秒

 駿府城 静岡県静岡市
     北緯34度58分45.96秒 東経138度23分00.9秒

 久能山東照宮 静岡県静岡市駿河区根古屋
     北緯34度57分53.47秒 東経138度28分03.33秒

 ◎江戸城 東京都千代田区千代田
     北緯35度41分17.97秒 東経139度45分15.72秒

 つまり、北緯34度40分線の浜松城、北緯35度40分線の江戸城以外の6つは、全て北緯34度57分~59分の範囲に東西に並んでいます。

 つまり、家康さんは、こういう東西ラインの信仰、当時の「風水思想」に基づいて、聖なる地点として、駿府城や久能山東照宮を決めたようです。

 古代で有名なのは奈良のまんなかを東西に通る「太陽の道」=北緯34度32分線ですが、それいがいにもたくさんの「聖なるライン」があります。

 以下は「浜松と遠州の歴史 徳川・豊臣・織田の謎を解く基礎資料1(2012年04月09日 21時22分39秒 | 浜松と遠州の歴史)」のデータを参照してください。

 ① 九州の政治的中心である「太宰府」の真東に「宇佐神宮」があります。
 ② 天武天皇時代の政治的中心である飛鳥地方の真東に「伊勢神宮(内宮・外宮)」があります
 ③ 江戸城は、武田信玄のつつじヶ碕館(現在の甲府市)の真東にあります
 ④ 岡崎城から西へ35度線を延長していくと、清水寺・比叡山・平安京を通り、秀吉の伏見城・豊国神社を通ります
 ⑤ 織田信長の名古屋時代や安土城は、その他のラインと全くちがう北緯35度10分線です
 ⑥ 出雲大社・荒神谷遺跡・加茂岩倉遺跡・出雲の熊野大社・大山(だいせん)・伊吹山・岐阜城(一時期、信長さんが居住)・富士山などが同じ35度20分ラインです。

 つまり代々の松平家や成り上がりの豊臣家は35度線の信仰(当時の思想で言うと「結界」でしょうか)を尊重していますが、神も仏もない、おれが神だという織田信長さんは、そういう古来の信仰ラインと関係なく、自分の育った名古屋の緯度に安土城を築いています。

 まあ、だからこそ信仰のあつい明智さんに反乱をおこされたのかも、しれませんね。

 そのほか、斜めのラインも発見されています。

 ① 江戸城の真北にある日光東照宮は、富士山と久能山東照宮を結ぶライン上にあります
 ② 出雲大社と平城京と伊勢神宮は同じラインで結べます

 もっと個別に検討することが必要でしょうね。
 

浜松と遠州の歴史 徳川・豊臣・織田の謎を解く基礎資料1

2012年04月09日 21時22分39秒 | 浜松静岡郷土史
浜松と遠州の歴史 徳川・豊臣・織田の謎を解く基礎資料1

 「雨宮日記 4月4日(水) 徳川家康の「謎」を一つ解いたように思います」と書きました。そのための「基礎資料1」を掲載します。

 この表から読み取れることは、何でしょうか?次回に書きます。

「古代~近世の建築物と北緯X度Y分ラインとの関係

 北緯33度30分線 

太宰府天満宮 福岡県太宰府市太宰府4丁目7番1号
   北緯33度31分17.49秒 東経130度32分05.45秒

宝満山(ほうまんざん) 別名・御笠山(みかさやま) 旧筑前国三笠郡 標高829.6m
   北緯33度32分23.04秒 東経130度34分08.46秒

宇佐神宮 大分県宇佐市南宇佐2859
   北緯33度31分34秒 東経131度22分29秒


 北緯33度40分線 

熊野那智大社 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山1
   北緯33度40分07.46秒 東経135度53分24.65秒


 北緯34度32分線 

大仙古墳 大阪府堺市大仙  
    北緯34度33分50.6秒 東経135度29分16.5秒
        (祈寅方角 京都御所 比叡山 金沢 輪島 札幌)

二上山(にじょうざん)奈良県葛城市加守・大阪府南河内郡太子町大字山田 雄岳517m
    北緯34度31分 東経135度40分

箸墓古墳 奈良県桜井市箸中
    北緯34度32分21.34秒 東経135度50分28.42秒

三輪山(みわやま) 奈良県桜井市 標高467.1m
    北緯34度32分06秒 東経135度52分01秒

長谷寺 奈良県桜井市初瀬731-1 山号=豊山(ぶざん)
    北緯34度32分09.22秒 東経135度54分24.57秒

室生寺 別名・女人高野 奈良県宇陀市室生78
    北緯34度32分16.39秒 東経136度02分26.22秒

伊勢斎宮跡 


 北緯34度28分線 


耳成山 橿原市
    北緯34度30分53秒,東経135度48分22秒

甘樫丘 
    北緯34度28分46秒 東経135度48分55秒

天武・持統天皇陵 奈良県
    北緯34度28分07.4秒 東経135度48分28.0秒

天の香具山 奈良県橿原市南浦町
    北緯34度29分45秒 東経135度49分06秒

伊勢神宮内宮 三重県伊勢市
    北緯34度27分17.9秒 東経136度43分33.1秒

伊勢神宮外宮 三重県伊勢市
    北緯34度29分14秒,東経136度42分13秒


 北緯34度40分線 

鬼の城(きのじょう) 山城。岡山県総社市 標高397m
    北緯34度43分46.49秒 東経133度45分46.49秒

造山古墳 岡山県岡山市北区新庄下
    北緯34度40分25.63秒 東経133度48分13.35秒

伊射奈岐(いざなぎ)神社 大阪府吹田市山田東2丁目3-1
    北緯34度47分36.6秒 東経135度31分57秒

大阪城 大阪府大阪市
    北緯34度41分14.56秒 東経135度31分33.04秒

平城京 奈良県奈良市
   北緯34度41分33秒 東経135度47分49秒  

平城京朱雀大路跡 奈良県奈良市 
    北緯34度41分08秒 東経135度47分42秒

春日大社 奈良県奈良市
    北緯34度40分50.9秒 東経135度50分48.1秒

浜松城 静岡県浜松市中区元城町
    北緯34度42分42.39秒 東経137度43分29.67秒


 北緯34度50分 

二俣城 静岡県浜松市天竜区二俣町二俣 
    北緯34度51分43.29秒 東経137度48分32.16秒

小国神社 静岡県周智郡森町一宮3956-1 
    北緯34度50分51秒 東経137度53分57秒


 北緯35度線 

京都御所 京都府京都市
    北緯35度01分20秒 東経135度45分56秒

方広寺 京都府京都市東山区大和大路通七条上ル茶屋町527-2
    北緯34度59分31.58秒 東経135度46分19.43秒

豊国神社 京都府京都市東山区大和大路正面茶屋町530
    北緯34度59分29秒 東経135度46分21秒

伏見城 京都府京都市伏見区桃山町
    北緯34度56分13.32秒 東経135度46分52.06秒

金地院(こんちいん)京都府京都市左京区南禅寺福地町86-12 家康の側近・崇伝が移転
    北緯35度07分37.02秒 東経135度47分25.56秒

比叡山 滋賀県大津市・京都府京都市左京区 標高848.3m
    北緯35度03分57秒 東経135度50分04秒

清水寺(きよみずでら) 京都府京都市東山区清水1-294
    北緯34度59分41.39秒 東経135度47分06.01秒

岡崎城 愛知県岡崎市康生町
    北緯34度57分22.71秒 東経137度09分31.7秒

大樹寺 愛知県岡崎市鶴田町広元5-1
    北緯34度59分03.86秒 東経137度09分55.09秒

鳳来寺山 愛知県新城市 標高695m
    北緯34度59分02秒 東経137度34分58秒

駿府城 静岡県静岡市
    北緯34度58分45.96秒 東経138度23分00.9秒

久能山東照宮 静岡県静岡市駿河区根古屋
    北緯34度57分53.47秒 東経138度28分03.33秒


 北緯35度10分線 

安土城 滋賀県近江八幡市安土町豊浦 
    北緯35度09分21.29秒 東経136度08分21.87秒

名古屋城 愛知県名古屋市
    北緯35度11分07.77秒 東経136度53分56.71秒

古渡城(現在・信州大谷派名古屋別院) 愛知県名古屋市中区橘2-8-55 織田信秀の城
    北緯35度09分08.09秒 東経136度54分07.05秒


 北緯35度20分線 

出雲大社 島根県出雲市大社町杵築195
    北緯35度23分55秒 東経132度41分16秒

荒神谷遺跡 
    北緯35度22分35.4秒 東経132度51分08.4秒

加茂岩倉遺跡 島根県雲南市 
    北緯35度21分25秒 東経132度53分08秒

熊野大社(くまのたいしゃ) 島根県松江市八雲町熊野2451
    北緯33度22分23.50秒 東経133度04分13.98秒

大山(だいせん) 鳥取県大山町・琴浦町・江府町 標高1729m
    北緯35度22分16秒 東経133度32分24秒

皇大神社(こうたいじんじゃ) 京都府福知山市大江町内宮字宮山217
    北緯35度25分48.5秒 東経135度09分16.2秒

伊吹山(いぶきやま) 滋賀県米原市・岐阜県 標高1377m
    北緯35度25分04秒 東経136度24分23秒

岐阜城 岐阜県岐阜市 金華山
    北緯35度26分02.66秒 東経136度46分55.97秒

富士山 標高3776.24m
    北緯35度21分38.26秒 東経138度43分38.52秒


 北緯35度40分線 

武田氏つつじヶ崎館 山梨県甲府市古府中
   北緯35度41分12.71秒 東経138度34分38.87秒

江戸城 東京都千代田区千代田
   北緯35度41分17.97秒 東経139度45分15.72秒


 北緯35度50分線 

香取神宮 千葉県香取市香取1697
   北緯35度53分09秒 東経140度31分43秒

鹿島神宮 茨城県鹿嶋市宮中2306-1
   北緯35度57分56秒 東経140度38分05秒