雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

遠州の遺跡・寺社・地名 99 三方原学園内瓢箪塚古墳(1号墳)

2012年10月31日 06時08分23秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社・地名 99 三方原学園内瓢箪塚古墳(1号墳)

 三方原学園内古墳群のいちばん北側にあります。正門から入って左の事務棟の東にグランドがありますが、グランドの東隅の通路を北へ歩くと、こんもりした森が見えてきます。

 後期初頭=6世紀初頭の前方後円墳で、東西に向いています。東が後円部です。正確には前方部から拝むと後円部は、東から10度北へ偏しています。

 古墳の全長は44で、後円部の直径は27m、高さ3m、前方部の高さは2.8mです。

 後円部に「内部主体」として3つあり、ということは、つまり、3人がここに葬られたということですね。普通は2人だと思いますが、3人の例は他にもあるのでしょうか。3つとも古墳の主軸に平行です。

 第1主体部の80cm下に第3主体部が発見されています。

 3つの主体部からは、武器としては鉄刀・鉄族、馬具としては鏡板が出土しています。

 5世紀後葉の「千人塚古墳(6号墳)」に比べると、後円部からの眺望はあまりよくありません。もっと、いい位置もありそうな気がしますが、どうでしょうか。

 

 


本と映像の森 231 レイ・ブラッドベリ『華氏451度』ハヤカワ文庫

2012年10月30日 23時12分07秒 | 本と映像の森

本と映像の森 231 レイ・ブラッドベリ『華氏451度』ハヤカワ文庫、早川書房、1975年11月30日~2004年(平成16年)9月30日第28刷、288ページ、定価600円+消費税

 原著は1953年、アメリかです。「華氏451度」は紙が燃え始める温度(セ氏233度)で主人公のモンターグの職業が「ファイアマン」でヘルメットに「451」と刻印されています。

 職業はテレビが支配する社会で、禁止されている本を焼くことです。その本を焼く仕事で、妻あり、30才のモンターグガ隣に越してきた少女クラリスと出会うところから物語は始まります。

 クラリスはモンターグに聞く。「ずっと昔、火事をあつかうお役人の仕事は、火をつけることではなくて、火を消すことだったんですってね」

 そしてクラリスはこう言います。「たしかにあたし、あなたの知らないことを知っているわね。夜明けになると、そこら一面、草の葉に露がたまるのを知っていて?」

  本を焼くという行為に対置されるのは「記憶」です。疑問を持ち始める前半から始まって、ついに禁書を手にしてしまう主人公が前半です。

 そしてそれが発見されて逃げることになる後半はこの社会が一瞬の原子戦争に突入するのと平行して、モンターグが逃げ回り、ついに…。

 「書物の熱愛者」が描いた人間讃歌です。

  ☆

 ここまで来て、似たような「記憶」の物語が同じアメリカの、同じSF作家であるアシモフさんの「暗黒星雲のかなたに」にあるのを思い出しました。「暗黒星雲のかなたに」は原著「The Stars,Like Dust」で1951年ですからアイディアとして「華氏451度」より早いですね。

 


遠州の遺跡・寺社・地名 98 東区の三方原学園内「千人塚古墳」

2012年10月30日 05時41分08秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社・地名 98 東区の三方原学園内「千人塚古墳(学園内5号墳)」

 10月13日に 「遠州の遺跡・寺社・地名 特報 三方原学園内の古墳群の見学をします 」をアップしましたが、10月15日(月)に、実際に見学した報告です。

 則子さんと車で学園の正門から入って、校舎(事務棟?)前の駐車場に止めて、事務室へ行きました。事務室で「古墳見学」の受付名簿に記入して、ガイドの小冊子をもらいました。

 まずいちばん重要と思われる「千人塚古墳」に行きました。「千人塚」というネーミングは、徳川と武田の三方原合戦の死者を葬ったお墓と誤解されての名称です。

 直径48m、高さ7.2mの円墳で、小さな造り出し(幅12m、長さ9m、高さ70cm)があります。古墳時代中期後葉、5世紀後葉と推定されています。(『静岡県の前方後円墳 ー資料編ー』p55)

 造り出しの方向は「北ー62度ー西」ですので、造り出しから古墳への方向は、東から南へ28度振れていることになります。東京では冬至の日の出の方角は「29度」ですので、この「28度」はもしかしたら、この位置で「実測」した可能性もありますね。

 頂上に登ると、三方原学園内古墳群では、いちばん眺望が良くて、東の平野が一望できます。

 頂上には2人葬られていて、「第1主体部」は木棺直葬で、頭の方位はほぼ東向きで、東から5度南に振れています。

 第2主体部は、割竹型木棺の直奏で、頭の方位は第1主体部とほぼ同じ東向きで、こちらは東から3度北へ振れています。

 周溝・円筒埴輪(Ⅴ式)・葺石がありました。

 文化遺産オンライン http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=163642 で「千人塚古墳出土鉄製革綴冑 せんにんづかこふんしゅつどてつせいかわとじかぶと」を見ることができます。

 他にも、そこから「千人塚古墳出土鉄製の鏃」「千人塚古墳出土鉄製の斧」、「千人塚古墳出土斧頭形石製模造品」、「千人塚古墳出土鉄製の鍬先」を見ることができます。

 


雨宮日記 10月28日(日) 浜岡原発周辺の地質現地見学

2012年10月28日 22時21分40秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 10月28日(日) 浜岡原発周辺の地質現地見学

 西から低気圧の接近で天気が悪くなる中、いつ雨が降り出すか心配しながら車で出発しました。

 現地の浜岡原子力館駐車場に集合して、車6台で乗り合わせて、まず御前崎海岸の中新世層を見ました。砂泥互層ですが傾斜していて層がよくわかります。ところがとても「堅い岩盤」とは言えず、簡単に崩れるのに、みんなびっくりしました。

 その上、浜岡原発の下の地層はこの中新世層よりさらに新しい鮮新世の「比木互層」でその露頭はもっとぼろぼろでした。

 その他、いろいろ収穫のあった1日でした。天気もなんとか保って、野外の予定が終わって浜岡原子力館に行った頃に、雨が降り出し、雨がひどくなったのは浜松に帰った頃でした。

 写真はアカウミガメも産卵に来る御前崎の海岸に露出した中新世層です。

 収穫について詳しくは 浜岡原発永久停止裁判 原告団・弁護団・支援組織共同ブログ で書く予定ですが、すこし時間がかかります。よろしく。

 


雨宮日記 10月27日(土) 日曜は朝から早いので早く寝ました

2012年10月28日 22時14分18秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 10月27日(土) 日曜は朝から早いので早く寝ました

 このごろ、「星」付いている則子さんと「浜松天文台」へ、土曜の夜間公開(20センチ屈折)に行こうかと言ってましたが、天気が怪しく曇ってきたので断念。来週行けるかな。

 日曜日は朝8時出発で浜岡原発の地質を見に行くので、早く寝ました。則子さん、おやすみなさい。

 写真はイチョウの落ちた葉っぱ。黄色いのは台風の塩害かもしれません。

 

 


雨宮日記 10月26日(金) 則子さんのいない2日間は終わり

2012年10月27日 05時57分05秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 10月26日(金) 則子さんのいない2日間は終わり

 則子さんが午後早めに帰宅しました。やはり、家の「主人」がいないと何かヘンで、昨日jは夜、「国民大運動実行委員会」があるのをまったく忘れて家でのんびりしていました。

 ☆

 部屋の片付けをしていて、30年前の「ブルーインパルス事故」の写真(プリント)を見付けました。プリントをすべてスキャナーでファイルとして取り込んでパソコンに入れました。こうしておけば、もう探さずにすぐに利用できます。

 11月25日(日)のブルイン事故(1982年11月14日です、偶然の一致ですが則子さんの誕生日です)30年の学習会で「ブルイン事故写真展」をしようと思います。

  ☆

 サナギになるときに、何処かへ逃げないように植木鉢に網を掛けたのが正解で、アゲハチョウの緑の青虫が網にくっついて、サナギになる準備を始めました。いつなるのでしょうか?楽しみです。もうかなり涼しいので、もしかしたら羽化は来年春かもしれません。

 


雨宮日記 10月25日(木) 則子さんは日本平へ被爆者の会へ参加しました

2012年10月26日 06時04分38秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 10月25日(木) 則子さんは日本平へ被爆者の会へ参加しました

 則子さんは、25日から26日の一泊二日で、静岡市の日本平ホテルでの被爆者の会の会合に参加しました。則子さんがいなくても、ぼくや次女は自分で適当に食べるので、問題ないけど、ぼくの89才の父は、則子さんがいないと、何を食べるか心配なようです。

 1日目は、父の好きな「煮物」をたくさん作っておいて、2日目は、近所の寿司屋さんに「お寿司」を注文しておいて、なんとかしています。

 父にとっては「同居する次男の嫁さん」ですが、則子さんがいなかったら、ぼくと父だけでは、かなり悲惨な生活になりそうです。ぼくが30数年前、則子さんと結婚して、ずっと夫婦でいることは、父にとっても幸せな事態だったと思います。

  ☆

 午後起きて、まずシャワーを浴びました。最近は、ほとんど湯船には入りません。そして、車でガソリンスタンドへ行って給油しました。1ヶ月に1回くらいですね。今日は24.36リッター、単価は149円で、支払い3630円です。

 そのまま松城町の中央図書館に行ったら、なんと休みでした。なにかの臨時休業でしょうね。

 車で「こじま電器」へ行って、パソコン印刷の普通用紙「画彩 250枚」を3つ、900円で買いました。

 上島の事務所へ行って、今月の給与(14万5千円)をもらい、家に帰って、則子さんが作っておいてくれた夕食を暖めて、父が起きてくるのを待ちましたが、起きてこないので、自分だけで食べました。

 次女のIさんは「遅番」で、帰宅は午後9時過ぎでした。

  ☆

 則子さんは26日(金)の夕方に帰宅予定です。


遠州の遺跡・寺社・地名 97 浜松の船岡山と京都の船岡山

2012年10月26日 05時31分20秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社・地名 97 浜松の船岡山と京都の船岡山

 「遠州の遺跡・寺社 71 坂上田村麻呂伝説、東区半田山の船岡山・法源堂 」で紹介した「船岡山」ですが、その名前の起源は、どうも京都の「船岡山」ではないかと思いつきました。

 京都の船岡山は北区にある112mの岡で、平安京の南北の中心軸である「朱雀大路」の延長線上にあるため京都の都市計画の原点になったのではないかという説があります。

 船岡山には岩石祭祀の跡があり、平安時代にも宮廷の祭祀の場とされていたので、京都の原点という資格は充分あると思います。

 清少納言さんの『枕草子』の「231段」に「岡は船岡」と出ているそうですので、やはり「整地」だったのでしょう。

  ☆

 そういう「船岡山」が浜松にあって、しかも古代の坂上田村麻呂伝説に関連して出てくるということは、渡来人の伝説と言うことです。京都が渡来人の「秦氏」の地盤だったことは有名ですし。浜松でも坂上田村麻呂伝説の「漢氏」計だけではなく、「八幡」の地名がたくさんあるように「秦氏」がかなり栄えていたことは確実です。

 浜松の「船岡山」の南には、浜松の古代の中心都市があるでしょうか?古代から中世の「曳馬宿」があって、京都と浜松、規模は違いますが、北の「船岡山」とまっすぐ南に伸ばした「中心市街地」ということは共通しています。

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 和歌山県に「船岡山」があるのを見付けました。関係あるかどうか。

 滋賀県東近江市にも船岡山がありました。ここは万葉の「蒲生野」で、南に都市はなさそうです。滋賀県の「船岡山」は渡来人と関係ありそうですが。なぜかというと、天智天皇は「百済系」、天武天皇は「新羅系」という説があるからです。

 新潟県小千谷市にも船岡山がありました。

 

 


雨宮日記 10月24日(水)夕食 今夜の雨宮家の食卓の写真です

2012年10月25日 06時26分53秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 10月24日(水)夕食 今夜の雨宮家の食卓の写真です

 こういう写真に歴史的価値はないかも知れませんが、「記録されないものは記憶されない」と誰かが言っているので、「記録」しました。

 上の右側は、ぼくが作った「野菜炒め」でナス1個とタマネギ1個が材料です。上の左側は、則子さんが作った「テンプラ」です。

 どっちもおいしかったです。自分の作った料理も、則子さんの作った料理も、おいしいですね。

 


雨宮日記 10月24日(水) 午後起きて積志のからくあん(喫茶店)へ久しぶりに

2012年10月25日 06時09分47秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 10月24日(水) 午後起きて積志のからくあん(喫茶店)へ久しぶりに

 午後2時頃、起きて、「肩がこって」と言っていた則子さんに「散歩行こうか?」と言ったら「今日は、Oさんたちとからくあんで逢う予定でしょ!」と怒られました。ごめんなさい。起きた瞬間は忘れてました。

 2時半頃、車で則子さんと家を出ました。

 からくあんに着くと、平日の午後というのに、やけに混んでいました。4人でいろいろ相談をしました。写真は則子さんの注文。昔は、毎日、起きると喫茶店にコーヒーを飲みに行ってましたが、最近は月に数回ですね。

 「浜松はおいしいコーヒーが飲める喫茶店が少ないですね」という話もしました。

 フランス革命は、パリの喫茶店から起こったという話がある?ない?そんな話を聞いたような気がします。喫茶店が少ないので、根本的な革命は遠いのでしょうか。

  ☆

 かなり寒くなったので、則子さんに掛け布団を出してもらいました。みなさん、風邪をひかないように温かくして過ごしましょう。

 


本と映像の森 230 林直道さん著『百人一首の世界』青木書店、1986年

2012年10月24日 06時25分16秒 | 本と映像の森

本と映像の森 230 林直道さん著『百人一首の世界』青木書店、1986年4月15日第1版第1刷~2003年12月17日新装版第1刷、217ページ、定価本体2300円+消費税

 日本人で「百人一首」を知らない人は少ないとは思いますが、その「百人一首」を、文学者でも歌人でもない、マルクス主義経済学者が研究した異色の本です。

 「百人一首」の歌の選び方が、最高の歌人の最高の短歌を選ぶのではなく、何かおかしい。別の原理で選んでいるのではないか、という疑問から始まって、この100人の歌人の各1首が、「織物」のように縦横で関連のある歌を配置していることを主張しています。

 選んだ人は誰もが知っているように、藤原定家さんですが、その定家さんの内面の心境に沿って、どうやってその句が洗濯され、「歌織物」として何を表現しているか?

 つまり「百人一首」は、地理と歴史を強く反映している、歴史的な「作品」です。

 もっと考察していきます。

  ☆

 この本は浜松市中央図書館で借りました。


雨宮日記 10月24日(水)早朝 急に寒くなった夜でした

2012年10月24日 06時13分30秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 10月24日(水)早朝 急に寒くなった夜でした

 23日は寒冷前線が通過した雨で、雨が上がったあとの夜、急に寒くなりました。則子さんに「毛布だけじゃ寒いから、お布団出して」と言ってから仕事に出掛けました。

 則子さんが「この温かい上着、着て行って」と出してくれたのをきていったので、なんとか保ちました。則子さん、ありがとう。

 これだけ寒いと、玄関の横の、アゲハチョウとキアゲハの幼虫はもう蝶々になる温度より下がってしまって、サナギになってもたぶん、来年春までサナギのままかもしれません。

  ☆

 NHKラジオ「深夜便」の天野ゆうきちの「ご隠居大学」で中村めいこさんと対談をしていました。天野さんは「人生整理」という言葉がきらいでしたが、中村めいこさんの『店じまい』という言葉(本?)に共感したそうです。

 則子さんのありがたい忠言に逆らって、いまだに、ぼくは「店を広げて」いますからねえ。


浜松放射線測定情報 10月24日(水)朝 自宅2階で0.046~0.050μSv/h

2012年10月24日 05時47分40秒 | 地震・原発・津波・防災情報

浜松放射線測定情報 10月24日(水)朝 自宅2階で0.043~0.050μSv/h

 朝5時49分、2階の「智彦部屋」は、0.043~0.050μSv/hで通常通りです。

 文部科学省の 放射線モニタリング情報
 では浜松市中区の県総合庁舎の駐車場で 0.033μSv/h で通常通りです。

 0.03μSv/hは、年間に換算すると、0.26mSv/yです。

 つまりその20倍の0.6μSv/hは、年間に換算すると5.2mSv/yになり、これ以上は日本の法律でいう「放射線管理区域」になり、「放射性同位元素等による放射線障害の防止に関する法律」によると業務停止命令が出るようです。

 それでは1時間で0.6μSvの地域はどこかというと。現在の数値は文部科学省のモニタリング情報で見ることができます。1年半たって、経ているのはもちろんですが、いまだに0.6を越えている数値もあります。

 なぜ政府は1年半前に「放射線管理区域」以上の数値の区域は「全員移住」あるいは「高齢者以外は移住」としなかったのでしょうか。これこそイタリアで地震を「警告」しなかった科学者に「金庫数年」を課したより、何十倍も悪質な犯罪ではないですか?


本と映像の森 229 『宇宙の絶景 魅惑の天体ショー』<TJムック>、宝島社、2012年10月

2012年10月23日 05時51分44秒 | 雨宮日誌
本と映像の森 229 『宇宙の絶景 魅惑の天体ショー』<TJムック>、宝島社、2012年10月28日、A5版、111ページ、定価600円(本体571円)

 ぼくが10代~20代のころ(1960年代~1970年代)は天体写真といえば、すべて黒白(モノクローム)でした、もちろん、当時、カラーフィルムはありましたが、暗い天体を撮影するのにカラーフィルムではとても撮れなかったのです。

 当時のパロマ天文台の『天体写真集』が記憶にあります。

 いまは、電子的な増感技術の進歩でかなり小さな望遠鏡でもきれいなカラー天体写真が撮影できるようになっています。

 コンビニで売っていたのを、すてきだったので衝動買いして、則子さんに「星を」プレゼントしました。

 星雲や星団や銀河や惑星をカラーで捉えた素敵な天体写真集です。

 

 

雨宮日記 10月22日(月) 浜松市環境審議会ゴミ減量部会を傍聴、夜は平和の会議

2012年10月23日 05時36分28秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 10月22日(月) 浜松市環境審議会ゴミ減量部会を傍聴、夜は平和の会議
 
 珍しく朝9時頃に目が覚めてしまったので(寝てから3時間、アルコホル量が少なくて…)、台所へ行ったらちょうど則子さんがいて朝食もあったので「食べてもいい?」「いいよ」と食べて「お休み」とまた寝ました。

 12時過ぎに起きて、シャワーを浴びてヒゲを剃りました。ずっと毎日、シャワーで過ごしています。ちゃんとお風呂につかるのは1ヶ月に数日か。
 
 午前中に則子さんが買って来た「網」をアゲハチョウの緑の幼虫のいる鉢と、キアゲハの黄色と黒の縞模様の幼虫の居る鉢にかけました。サナギになったときにどこかに逃げてしまわないように、です。

 午後1時に車で則子さんと家を出て鴨江の保健所へ向かいました。午後1時半から3時過ぎまで「浜松市環境審議会ごみ減量推進部会」を傍聴しました。傍聴は市民では私たち2人だけ、記者さんは静岡新聞の記者さんが1人。

 いったん帰って則子さんが作った夕食を食べて、夜は(夜も)則子さんと車で「基地のない平和な浜松をつくる会」の幹事会に出席。11月の「浜松基地シンポジウム」と11月14日の、ブルーインパルス墜落事故30年追悼行事の準備です。

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 夜から寒冷前線の接近で、夜中の仕事は雨に降られました。上半身は下着まで濡れたので、家に帰って着替えて、いまパソコンを打っています。一日でいちばん、くつろげる時間です。