雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 3月25日(金) 墜落しないように「体も心も」低空飛行

2016年03月25日 20時26分38秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 3月25日(金) 墜落しないように「体も心も」低空飛行

 任務過多です。いつも春は「心ぼろぼろ」になるので、警戒警報です。

 つまり、ひまがあれば、できるだけ、ひたすら「寝る」ようにしています。

 夜でも、昼でも。

 困るのは、やたら「リアルな夢」「リアルな幻視」を見るんですね。

 目覚めるとホッとしますが。
 
   ☆

 ベルギー都市テロですが、あれだけシリアを「空爆テロ」しといて、なぜ反撃されて驚くのですか?

 「想定外」だったのですか?そうじゃなくて「想像力」「想定力」の欠如です。

 2001年から続く「中東15年戦争」、その憎しみを今、終わらせる時です。

 いったい、いつまで続けるのですか。

   ☆
 
 右腕が痛いです。パソコンの打ち過ぎかな?

 背中の右胸も痛いです。なにか病気?汗をかきやすいのと関係在るかな。



 

雨宮日記 3月25日(金) 墜落しないように「体も心も」低空飛行

2016年03月25日 20時26分38秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 3月25日(金) 墜落しないように「体も心も」低空飛行

 任務過多です。いつも春は「心ぼろぼろ」になるので、警戒警報です。

 つまり、ひまがあれば、できるだけ、ひたすら「寝る」ようにしています。

 夜でも、昼でも。

 困るのは、やたら「リアルな夢」「リアルな幻視」を見るんですね。

 目覚めるとホッとしますが。
 
   ☆

 ベルギー都市テロですが、あれだけシリアを「空爆テロ」しといて、なぜ反撃されて驚くのですか?

 「想定外」だったのですか?そうじゃなくて「想像力」「想定力」の欠如です。

 2001年から続く「中東15年戦争」、その憎しみを今、終わらせる時です。

 いったい、いつまで続けるのですか。

   ☆
 
 右腕が痛いです。パソコンの打ち過ぎかな?

 背中の右胸も痛いです。なにか病気?汗をかきやすいのと関係在るかな。



 

雨宮日記 3月24日(木) 屋根の瓦を直してもらう

2016年03月25日 20時11分43秒 | お知らせ
雨宮日記 3月24日(木) 屋根の瓦を直してもらう

 ふつうは「屋根の瓦を直す」と書くのでしょうが、実際にはお金を出して瓦屋さんに直してもらうわけです。ですから、リアルな表現で「屋根の瓦を直してもらう」と書きました。
 
 火曜日から始まって今日で3日目です。

 古代史でも同じような「表現」問題があります。『記紀』で、たとえば「新羅軍を撃退した」という場合、古代世界の常識では、「王が先頭にたって最前線で指揮して敵を撃退した」という意味のはずですが『記紀』では、そうではありません。

 朝鮮半島の闘いに天皇(当時は大王)が最前線にいた叙述がありません。誰かを派遣したという記事ばかりです。

 だから事実として、「大和朝廷の天皇は朝鮮半島には、いかなかった」のなら、実はその「最前線の司令官」が、ほんとうは「倭国の国王=軍事司令官」だったのではないでしょうか。

 近畿天皇家は、朝鮮半島出兵とは無関係な平和な王国だったのではないでしょうか。

 大規模な古墳を作れる剰余生産物の多さは、もし朝鮮半島で戦っているなら、その軍事予算に使うはずです。

 ( 諸氏の「九州王朝説」「倭国九州説」によりました )


お知らせ フェイスブックについて

2016年03月20日 22時24分11秒 | お知らせ
お知らせ フェイスブックについて

 過去、フェイスブックに新規登録した時に、もちろんそれが原因ではなく、ノートパソコンがクラッシュしました。

 パスワードも失われたので、またやり直すのも面倒で、フェイスブックからは撤退しました。

 雨宮に連絡したい方は、このブログのメッセージ機能を利用してください。

雨宮日記 3月20日(日) 馬込川の春を探しに行きました

2016年03月20日 22時11分38秒 | お知らせ
雨宮日記 3月20日(日) 馬込川の春を探しに行きました

 午前中は、西来院にお参りに行ってから、クリエートへ「浜松市民文芸」を取りに行きました。


 午後は2人で馬込川の散歩。

 まだオオバン・ヒドリガモはいました。

 モンシロチョウとモンキチョウが飛び始めていました。

 てんとう虫もいました。

 

雨宮日記 3月16日(水) 平和行進の相談で則子さんと飛び回る

2016年03月16日 19時50分47秒 | お知らせ
雨宮日記 3月16日(水) 平和行進の相談で則子さんと飛び回る

 昨夜は「西遠平和行進実行委員会」で、懸案の5月29日(日)の日程で浜松を「平和行進する」ことを最終的に決めました。

 かなり苦労し、激論若し、いろいろ相談もしましたが、ぼくの提案「六所神社→浜松市役所→高塚熊野神社の幹線コース」を全一の28日に移す」という案は受け入れて貰えませんでした。

 でも、みんなで選択をしたから、いいんです。29日に平和行進も、志位さん演説会も成功させるという合意ができたように思います。

 今日は午前中は則子さんは浜北の長女の家へ行って、孫も子守。

 午後は、ぼくの車で「可美休憩施設探し」、そのあと新婦人・地区労連・共産党など平和行進の相談に行きました。

 則子さんは、夜も「可美村付近の休憩施設」の件で新婦人の「可美村班」の人に電話。がんばっています。

雨宮日記 3月15日(火) 雨で雨漏り

2016年03月16日 19時33分17秒 | お知らせ
雨宮日記 3月15日(火) 雨で雨漏り

 2階の瓦が2個所くらいずれていて、雨になるとぼくの寝る部屋の天井で歩つ、歩つと雨漏りマす。

 これはいかんと、則子さんに相談したら「なんでぼっと早く言わないの」と怒られました。

 「だって、終戦には費用がかかるから」と大蔵省的弁解をしました。

 数万円ですめばいいんですけど。

 則子さんに「数十万円なら、修理しない:と言いました。

  ☆

 雨で梅の花もだいぶ散りました。万葉集にそういう歌があったでしょうか。


雨宮日記 3月13日(日) 頭の調子よくないので休み

2016年03月13日 20時17分24秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 3月13日(日) 頭の調子よくないので休み

 昨日に続いて、頭(心)の調子よくないので、今日も休み。

 ビデオ編集を延期しました。これから3・1ビキニデーの諸行事と、ラブ&ピースの7以後の編集に入ります。

 今日は天気曇り。

げんぱつぶやき 3月11日(金) 5年目の3月11日

2016年03月13日 20時07分08秒 | 原発を考える2
げんぱつぶやき 3月11日(金) 5年目の3月11日

 3月11日、昼間は各局が特別番組でした。ちゃんねを変えて、内容がふかそうなものだけ録画しました。

 政府主催の慰霊式典でおもしろかったのは、どの局も天皇の発言だけは全部流したのに、安倍首相の発言は現地報道に切りかえて流してなかった局がありました。(ほかに流した局があったかもしれませんが)。まあ。重要じゃないということでしょうか。

 いろいろ重要な報道がありました。

 また書いていきます。

げんぱつぶやき 3月9日(水) 高浜原発3、4号機運転差し止め仮処分

2016年03月13日 20時02分33秒 | 原発を考える2
げんぱつぶやき 3月9日(水) 高浜原発3、4号機運転差し止め仮処分

 大津地裁で、関西電力高浜原発3号機・4号機の差し止め仮処分決定が出ました。運転中の原発にたいしてへ初めて。これで半年くらいはとまるかな。

 新基準に批判をしているのが特徴でしょうか。

 とにかく裁判であれ、署名であれ、学習であれ、道はひとつではありません。方法は多様です。

雨宮家の歴史 父の自伝『落葉松』「戦後編 第八部 前立腺ガン 49 ガンの発覚

2016年03月06日 23時01分45秒 | お知らせ
雨宮家の歴史 父の自伝『落葉松』「戦後編 第八部 前立腺ガン 49 ガンの発覚


 「ガンです」
 K医師(泌尿器科の主治医で病院の診療副部長)は、いつもの診察の時と同じように、カルテを見ながら、事もなげに言った。
 「えっ、ガンですか?」
 私は、どうすればよいか、そのあとの言葉が出てこなかった。その日は、二十一世紀になった一年目の、七月十日の火曜日であった。

 実は大分前から、オシッコがすんなり出ないので、病院へ行かねばなるまいと思ってはいた。本を見ると、尿道を取り巻いている前立腺という臓器が影響していて、それは血液検査で簡単に分かるという。

 E総合病院の泌尿器科で検査を受けたのは六月末であった。検尿、採血(前立腺ガンの指標と鳴るP・S・Aの数値の検査)、直腸内触診(肥大ではない)と、超音波検査があった。その結果、P・S・Aが八・四五で、四から十はガンを疑うため、前立腺の細胞を採ってガンの有無を調べる「前立腺生検」という一泊入院の手術を受けねばならなくなった。

 「(病名)前立腺腫瘍。

 (検査の必要性及び方法について)前立腺組織内にガン細胞が存在するかどうか、経直腸的超音波断層法を用いて前立腺生検を施行いたします。

 (検査の問題点などについて)検査時間は一〇分程度です。検査後の問題としては、排尿障害、感染(特に尿路)。血尿等が発生することがあります(通常、四~五日程度で消失することが多い)。これらの問題点がありますが。検査で得られる情報が多いことを考慮し、検査を受けることをお勧めします。」

 月が代わった七月二日の月曜日、十時半までに泌尿器外来へ行き、心電図・胸部レントゲンを撮り、十一時過ぎ、五階の五〇五号室へ入院した。

 先の受診の時、フリバス錠(尿道や前立腺の緊張をゆるめて、尿を出し易くする薬)、クラビット錠(感染症の防止)。アプレ
ース錠(胃の粘膜の保護)等のくすりを処方されて、入院日まで服んでいた。

 一日入院なので、持って行ったものは、スリッパ・筆記用具などぐらいであった。着替えしてベッドに横になると、すぐ先生がみえて、抗生物質などの点滴注射を始めた。この点滴は、翌日の退院する昼前まで続けられた。

 午後手術が始まり、組織を採るとき先生が、「パンと音がしますが、何ともないですから」
と言った。なる程、そのあと子供のオモチャのピストルを発射する時のような音が、パンパンと六度した。前立腺全体より、平均的に六ヶ所から採るのが常識のようである。二〇分ぐらいで終わり、室に戻ってから十六時頃まで二時間安静で動けなかった。

 その後は自由であった。次男の嫁さんは入院する時と、夜八時頃、見舞客の制限時間いっぱいぐらいの時来てくれた。睡眠薬を服んだが、夜半トイレに三時、六時と起きた。八時昼食、昼食前の十一時半に退院し,一人で電車で帰った。

 尿の出血も四日の日にはきれいになり、冒頭に書いた通りの七月十日の「ガンの告知」となったのである。
 「癌 悪性腫瘍。癌腫と肉腫があるが、狭義では癌腫をさす・表皮・粘膜・腺組織にでき、治療困難で死ぬことが多い」(西尾実、岩渕悦太郎、水谷静夫編『岩波国語辞典 第四版』)

 即ち「癌」と言えば障害物で、人間にとっては究極的には死を意味する。今まで如何に多くの人びとが、それと闘ってきたか知るところである。私が絶句したのも自然の成りゆきであろう。

 「来週月曜日の十六日にご家族に説明いたしますから、一緒においで下さい。その日に骨シンチグラフィー検査も行います」
 私は院内の公衆電話から。次男の嫁さんの勤め先の保育園に連絡して「ガンだった」と知らせ、十六日は午後なら時間があるとのことで、先生の予約をとった。

 私は、その日の夜、名古屋の長男へ電話して「ガンだった」と伝えたところ、長男は絶句してしばらく無言だったが「ガンだった人でも、元気で働いている人は沢山いるから、心配しなくてもいいよ」と元気づけてくれた。

 十六日の先生の説明のある日まで、私が最も心配したことは、手術をするのかどうかということである。お腹を切られるのは、何とかして避けたい。もし切ると言われたら、死んでもいいから断ろうと思っていた。

 その日がやってきた。午前十一時から骨シンチグラフィー検査のための、放射性同位元素の薬を右腕に静脈注射した。全身に回わるのに時間がかかるので、検査は午後である。先生との話も午後なので、百貨店へ行って中元品の発送を頼み、弁当を買って来て、病院の待合室で食べて時間をつぶした。

 十三時半から約十五分間、次男の嫁さん同席で先生の説明を受けた。前立腺ガンの標識となるP・S・Aは最初に言われた通り、八・三五であり、ガンの進行度はC(ガンが前立腺の外まで広がった状態)で、中分化(中位)のガンであるという。ガン自体はそんなに大きくないそうである。それはそれで、切るのか切らないのか、どうするのかと思っていたら、切らないで内分泌治療法(ホルモン療法)をするとのことであった。思わず、「万歳」と叫びたくなるところであった。

 骨の検査は機械の故障で少しおくれ、十四時半から約四十分行われた。午前中に注射した放射性同位元素から、ガンマ線が放出され、ガン細胞の部分を写し出すのである。その結果とホルモン注射は次回の七月三十日に予定された。骨への転移はなかった。P・S・Aが五十を超えると、転移が疑われるというから、私の場合はまずその心配はなかった。

 最初の検診から一ヶ月が過ぎて、私のガンの現在の症状と,治療方針が決まった。それにしても解(げ)せないのは、難しく言えば「告知の問題」であるが、何故、私一人の時に、早ばやと「ガンです」と知らせたのであろうか。その後、家族同席で説明を受けているのである。この時、告知する方法もある。或いは本人は知らせずに、家族のみに知らせることもある。

 ガンが致命的な病気であるというイメージがまだ強いから、ガンと言われれば、死の宣告と受け取る人もいる。そのため、医師もためらうが、本来は前向きの姿勢で生きていけるようにするためである。私の主治医となったK先生の経歴などは、一切知らない。その人に治療をまかせるのであるから、患者からすれば運を天にまかせるしかない。

 最近はインフォームド・コンセントといって、医師と患者の側で治療方針について説明と同意をとる方法が重視されているので、患者も医師にまかせず、主体性をとるべきである。

 前立腺ガンは、進行が遅いので、多くのものは寿命より長くかかって増殖する。私のように八十代の高齢者は。ガンで死ぬ前に、他の病気で寿命がくるので「天寿ガン」と呼ばれている。先生もそれらの事を勘案して、ガンを告知しても差支えないと判断したものと私は考えた。

  ( 「50 膀胱の手術」に続く )
  

雨宮日記 3月6日(日) 夜まで雨でした

2016年03月06日 22時51分00秒 | お知らせ
雨宮日記 3月6日(日) 夜まで雨でした

 午後から降り始めて夜まで雨でした。

 日本政府が普天間基地問題でついに和解協議に入る。参院選対策とはいえ、画期的なことです。

 沖縄側のつかのまの勝利でしょうか。

   ☆

 3月15日に沖縄海兵隊のオスプレイが今年始めて、東富士に飛来し訓練をおこなうと発表されました。オスプレイは寒いと飛べないようです。果たして暖かくなるか?



 

雨宮日記 3月5日(土) 総がかり行動浜松のビデオ完成まじか

2016年03月06日 22時44分55秒 | お知らせ
雨宮日記 3月5日(土) 総がかり行動浜松のビデオ完成まじか

 昨年8月30日の「戦争法阻止、全国100万人総がかり行動」のビデオをを完成寸前にしました。

 あとは最終回、「津和野ふき」さんにナレーションを入れてもらい、完成です。約50分。

 集会での発言は全文入れました。

 そのあとは「LPM」の編集と、3・1の編集をします。


3月4日(木)ひなまつりに げんぱつぶやき 原発の有毒ガス対策

2016年03月03日 18時44分58秒 | 原発を考える2
2016年3月4日(木)ひなまつりに げんぱつぶやき 原発の有毒ガス対策

 今年1月25日付け(15)面「しんぶん赤旗」の記事「原発の有毒ガス対策へ 規制委 検討会設置し議論」という切り抜きが出て来ました。

 これは、原発敷地内に保管されている「塩酸」や「アンモニア」などの化学物質が洩れた場合、中央制御室での作業か困難になるという記事でした。

 「今頃かよ」と思います。

 というのは、北朝鮮による原発へのミサイル攻撃は前から予測されていて、その場合、着弾範囲が大雑把な北朝鮮の核攻撃では、f原発に当てることは困難でしょう。だったら「化学兵器」つまり「毒ガス兵器」で付近一帯を汚染させるのが一番効果的なのではないっでしょうか。

 その場合、原発がたくさんある若狭湾をまず攻撃するでしょう。