雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

青い銀河とオレンジの花 断片 9 深夜の脳出血と入院 ② 20200831

2020年08月31日 21時54分09秒 | 雨宮日誌

青い銀河とオレンジの花 断片 9 深夜の脳出血と入院 ② 20200831


 倒れたときは、浜松市平和委員会事務局長だったので、仲閒には迷惑を実際かかけたと思う。浜松市平和委員会のことは、また別の話になる。


 右手は指が完全に動かず、右手膝から先が動かしにくい。右足は歩行が不可能ではないが、グラグラして危ないが病院内をつえをついて歩くことはなんとかできた。


 しかし退院すると、家のなかを左手で伝って歩くのがせいっぱいだった。外を歩くことはできず、外出するときは車椅子となった。


 倒れた最初は、ちゃんと自分ではわかっているはずの言葉が口には出てこず、ずいぶんあせった。


 これ、なんていう名前だったかな。「リンゴ」「雨」などの簡単なことばさえ、わかっているのにすぐ出てこない。


 リハビリ病院には言語治療室というところがあって、そこで言語カードなどで言語訓練を受けた。


 言語治療室の若い女性の先生が、だいじょうぶな左手で字を書く訓練を自分でしてみたらというので、則子さんに家から中西進さん編集『万葉集①』を持ってきてもらい、新しいノートに『万葉集』の短歌を1回に数ページ、書いていく訓練をした。


 字はだいぶじょうずになったと思うけど『万葉集①』の半分くらいで終わり、家へ戻り自分でパソコンを使い始めたら、左手文字は絶望的なほどヘタになって左手文字はついに諦めた。


 パソコンが打てなくなったら、またそのとき考えよう。


 なにしろそれまで則子さんの「事務局・秘書・参謀」を自認していたし、人生は「2人のチーム」で歩いてきた。則子さんも不安だったと思う。


 退院のころには、ことばも回復して、自分で「右半身は動かないけど、口と脳は前以上に動きます」と冗談でいうくらいになった。



青い銀河とオレンジの花 断片 8 深夜の脳出血と入院 ① 20200830

2020年08月30日 21時32分06秒 | 雨宮日誌
青い銀河とオレンジの花 断片 8 深夜の脳出血と入院 ① 20200830




 2016年(平成28年)の5月6日(金)はいつものように過ぎていた。週に1回の赤旗配達の日だったのでそのつもりでいた。2階の真ん中の自分の部屋で午後11時半ごろだった。


 フトンの上で立ち上がったら、急に右足がカクンと抜けてしまい膝をついてしまった。アレッと思うと右手も変で動かないのに気がついた。


 ほんのしばらく自分であがいてみたが、これはだめだと思い、声は正常に出るので隣の部屋で寝ていた則子さんをあわてて呼んだ。ちょうど介護施設の夜勤が休みで、そのときはちょっと体の調子が悪いと言うボクに深夜ついてきてくれることになっていた。


 相談してすぐ病院へ行こうということになり、則子さんに手伝ってもらって階段を這いずって1階へ降りた。則子さんに119番を呼んでもらった。


 生まれて初めて救急車に則子さんと乗って、聖隷住吉病院へ緊急入院した。意識はズッとあったと思う。ボクはジッと治療を受けているか、今はジッと寝ていた記憶しかない。治療室の映像のイメージはなんとなく残っている。


 「脳出血」だった。ただし出血部が脳幹部なので手術はできなかった。


 脳出血して1週間目で和合町のリハビリテーションセンター病院へ移り、リハビリ訓練を始めた。則子さんはボクが倒れてから退院する8月末までまでほぼ毎日、バイクで病室に通ってくれてボクのリハビリと生活を支えてくれた。


 毎日、「しんぶん赤旗」と「中日新聞」を持ってきてくれ、きのうの洗濯物を洗ってもってきて、今日の洗濯物を持ち帰り、いろいろ話をしていってくれた。


 十軒町から和合町まで高台へのきつい坂を毎日登るので、3ヶ月で自分のバイクを1台、のりつぶして買い換えた。





雨宮日記 2020年8月30日(日) 地球大変動

2020年08月30日 21時09分49秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 2020年8月30日(日) 地球大変動


 金曜日の夜にFMラジオ「青春アドベンチャー」で「タイムライダー」というタイトルのSFドラマをやっていた。残念ながら最終回だけ聞けた。


 原作を探してみよう。


 夜、自分の部屋から月がきれい。虫の声も。


 まるで携帯の呼び出し音みたいなリリリリリリリという音でおもしろい。いや、携帯の呼び出し音が虫の声をまねているんだ、たぶん。




   月の光と虫の声ぼくのパソコンの上に


   地球大変動コロナ苦しみ命危機



雨宮日記 2020年8月28日(金) 安倍内閣ついに引退

2020年08月28日 19時59分17秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 2020年8月28日(金) 安倍内閣ついに引退


 8月28日は「ハニワ(828)の日」とボクは勝手に言っている。


 午後、ニュースで「安倍内閣引退」のニュースが流れる。各局は「病気引退説」で一致しているが、ほんとうか。病気は口実につかわれただけではないのか。


 安倍晋三さんは最近、やる気無いことおびただしい。記者会見もやらんし。ようするにボクは「やる気無くした」説です。この政治にかけるものがない。


 安倍さんはコロナ対策やってもつまらんということでしょう。最大の目標である改憲はできないし。


 まあ日本首相最長記録は達成したので、それでよしとしようや。というところかな。


 明日から日本の政治はかくだんに面白くなるだろう。


 仲閒の反応が知りたいな。







雨宮日記 2020年8月27日(木) 69才の誕生日

2020年08月28日 19時58分13秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 2020年8月27日(木) 69才の誕生日


 今日が69才の誕生日です。かなしいことに思い出してもらえないので、自分で則子さんに言わないといけない。ケーキは後日。


 夜は平和委員会臨時理事会に出る。埋田昇二さんが昨日亡くなったと聞く.87才。高校教師で詩人、平和活動家。どれがほんとうの埋田昇二さんだったんだろう。


 ぼくが「青い地球」に埋田昇二さんを悼む文をかくことになりそうだ。


 夜はひさしぶりの雨。



新・本と映像の森 346 斎藤貴男『カルト資本主義 増補版』ちくま文庫、2019年

2020年08月26日 21時07分51秒 | 雨宮日誌
新・本と映像の森 346 斎藤貴男『カルト資本主義 増補版』ちくま文庫、2019年


 原著1997年、458ページ、定価本体950円。


 カルト・オカルトと企業の関係を探究している貴重なノンフィクションと思います。


  ソニーと超能力
  永久機関
  京セラの稲森和夫さん
  「万能」微生物EM
  比嘉照夫さん
  世界救世教
  船井幸雄さん
  ヤマギシ会
  アムウェイ商法
  道德オリンピック


 全体として「危ない」人・団体・会社がルポされています。著者の主張に共感します。なお「共感」だけで「賛同」ではありません。


 以下、抜萃です。


 「米国の臨床心理学者マーガレット・シンガーによれば…「カルトは、信者の行動をコントロールするという点で全体主義的すなわち全体を包括するものであり、世界観において熱狂と過激な傾向を示すという点でイデオロギー的な意味でも全体主義的である。(中略)ほとんど全部の問題に関して、いわゆる白か黒か式の思考で単純に割り切り、すべてか無かの観点に立つことをカルトは奨励するのだ。」(中村保男訳『カルト』p32)」(p124)


 「(EM液のビンを見せる)。このなかには、全部で80種類以上の微生物が入っています。人間の役に立つ微生物だけです。そして、この微生物に協力してもらって、悪くなっているいろいろなことをストップする。」(p230)


 「私は、EMを超能力だと教える向山のやり方の本質を表現するのに、多くの言葉は必要ないと思った。わずか一言で足りる。
 愚民教育。」(p234)


 「今はただ、たまらなく怖い。本書で取り上げたさまざまな人物や企業、政府機関ばかりではない。彼らの扇動にたやすく操られ、一定の方向に突っ走ってゆくわれわれ日本人が、である。」(p419)


 この本は買って読むことを推奨します。











青い銀河とオレンジの花 断片 7 帰郷と出会い ④  20200825

2020年08月25日 21時40分45秒 | 雨宮日誌
青い銀河とオレンジの花 断片 7 帰郷と出会い ④  20200825




 もう記憶も定かではないし、記録もない。1976年のころだと思う。民青の会議が和地山公園のなかの和地山集会所であり、ボクも参加していた。民青の会議が終わった頃に、会場内の他の場所で会議をしていた団体も終わって出て来た。


 その会議は「平和委員会」の会議だと、その団体名を初めて聞いた。その中にIくんと知り合いの、若い女性がいて、当時保母だったS典子さんだった。後でIくんから、静岡県原水爆被害者の会のS会長の長女ということを聞いた。


 その時に、どういう話を3人でしたかも覚えていない。おぼろげで申し訳ないが、いつ平和委員会へ入ったかさえさだかではない。この前後であることは確かだが。


 その後の記憶は、当時の成子の「開かずの踏切」がまだあった頃、これもその年のうちだと思うが、民主書店の「浜松書房」の店があり、同居していた新婦人の事務所などがあった、浜松市平和委員会の事務所もそこに同居していた。


 その浜松書房の店で、典子さんと待ち合わせ、その場で、同じ保母という伊藤則子さんを紹介された。それがいまの雨宮則子さんとの初めての出会いだった。


 その後、たぶん、場所を移動したのだと思うが、なんと、申し訳ないことに、その場にいたはずだとは思うが、Iくんや、現在の典子さんの夫であるAさんがいたかどうか覚えていない。


 今は妻の則子さんがそこにいたということだけがボクの記憶に残っている。ごめんなさい。


 そこは、地下室になっている喫茶店だと思う。最近になって(2014年)、被爆者の会西遠支部の総会に、ぼくが浜松市原水協事務局長の則子さんの代理で出席したら、A夫妻に出会い、聞いてみたら、昔の松菱デパートの前、北側の日興證券の地下にある喫茶店「グリーンパーク」であると答えてくれて、A夫妻の記憶がいいのには感心した。


 その時に、青年平和サークル「ブーゲンビリア」の結成の話をしたように思う。またそれは別の話になる。



雨宮家の物 54 CDデッキ 20200824

2020年08月24日 20時42分27秒 | 雨宮日誌
雨宮家の物 54 CDデッキ 20200824


 台所において朝食や夕食のときラフマニノフやショパンのピアノ協奏曲を聞いていたCDデッキが「日本でいちばん暑い日」に動かなくなった。


 昨日はいちど動いたが、また今日は動かない。


 もうすこし見てCDが使えなければ、SDカードが使えるので、やってみる予定.





雨宮日記 2020年8月23日(日) 7月の総がかりビデオアップ

2020年08月23日 21時21分18秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 2020年8月23日(日) 7月の総がかりビデオアップ


 今日は雨が降るかと思ったが、十軒町はおしめり程度、回りはもっと降った。


 午後、「青い地球 8月25日号=380号」完成。今年10号。


 7月19日の浜松総がかり行動ビデオも完成。YouTubeにアップする。約13分。


青い銀河とオレンジの花 断片 6  その日、2011年3月11日 20200823

2020年08月23日 10時01分34秒 | 雨宮日誌
青い銀河とオレンジの花 断片 6  その日、2011年3月11日 20200823

 その前日3月10日、まるで予兆のように「雨宮日記」でこう書いている。
 「雨宮日記 3月10日(木) 車のガソリンが高騰して146円でした
2011年03月12日 05時41分52秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 3月10日(木) 車のガソリンが高騰して146円でした


 行きつけのガソリンスタンド(二俣街道沿いの上島)へ行ったら、なんとガソリンがリッター146円でした。


 「高くなったねえ。経営も大変でしょ?」
 「そうですね、困ってます」
 「150円を超えそう?」
 「まだ高くなりそうですよ」


 ガソリンも野菜も高くなって、輸入大国は不安定ですね。
 やはり「自主独立」で「地産地消」、「循環する」ことがだいじですね。


 それと、石油文明に頼らない、太陽や風力の
 自然エネルギー文明を築きたいと思います。」


 その日、3月11日は、午後の早めに目が覚めて、里山へ車を走らせました。


 前日に、上島の「小西商店」で3000円で買った気温・水温両用の「温度計」で
里の家の向かいの池の水温を測っていたら、携帯電話が鳴りました。


 携帯電話が鳴り、見ると、則子さんからだった。今日は、まだ勤務中のはず。なんだろう。帰り、何か買い物をしてこいと言うことかな。


 「はい、何?」
 「大変!東北で大地震!市役所も揺れてる」
 「え!わかった。すぐ家に帰る」


 里山ではまったく揺れを感じなかった。慌てて、ゴム長から普通のズック靴に履き替えて、みんなと別れて、車で家に向かった。車のラジオを付けて地震情報を聞きながら帰る。浜北の里山からは十軒町の家まで30分くらいかかる。


 自宅に着いた頃から、大津波のニュースも入り出した。もちろん、この時点では、ボクの頭の中には、原発のことは全くない。


 その頃には、則子さんも職場からバイクで帰って来た。


 「ちょうどビルの1階のATMにいたら、最初、あれ、めまいかな?と思った。体がすごく左右に揺れるの。7階の職場に戻ったら、職場の2人とも机の下に潜んでいるので、「どうしたんですか?」と聞いたら「地震よ!感じなかった?」と言われて、あ、さっきのは地震だったんだと初めてわかったの。」


 後で思えば、その日が、すべての始まりの日、転換点だったが、まだ気がついていない。


 当時の「雨宮日記」からリアルタイムな思いを紹介する。




「2011年03月12日 10時58分01秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 3月12日(土)の1 平静ではいられない…壊滅映像を見て


 午前10時に目が覚めて、パソコンのワンセグテレビを見ています。


 まるで空襲後のような、戦争後のようながれきの山…。


 つい昨日まで市街だったはずのところが大きな湖のように、一面が水だけ。


 津波で運ばれた陸上の大きな船。


 あちこちで火が起こって…道がふさがれて消防車も入れない。


 がれきの前に突っ立っている中年男性の背中の映像が印象的でした。
 家を失ったのか、家族を失ったのか…。


 証言で「胸まで水がくる中、小学校へ避難した」という男性。


 「3階建ての建物の2倍くらいの高さの津波が来た」とも。


 仙台空港の滑走路をまるで生きもののように浸していく水の動きが
 不気味でした。


 まだまだ地震被害の全体像はこれからです。
 大津波警報も、まだそのままです。」


雨宮日記 2020年8月22日(土) 昨日は火球

2020年08月22日 20時24分06秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 2020年8月22日(土) 昨日は火球


まだ今日も暑いので昼閒は下にいる。午前中は則子さんと玄関横の部屋にエアコンをつけるため、本棚の本を押し入れにしまう作業。


 午後は則子さんと台所で新聞切り抜き。


 昨日は東京でまた火球。たくさん鮮明な映像があれだけあれば落下軌道が正確に判り、地上まで隕石が残れば発見できるかも。習志野隕石みたいに。期待します。


 引き続きハードデスクの主に画像ファイル整理。膨大な画像ファイルがあるので時間がかかる。まだまだ。


 明日は最高気温が3度くらい下がるかも。



雨宮家の物 53 右腕をいれる布 20200821

2020年08月21日 21時54分06秒 | 雨宮日誌
雨宮家の物 53 右腕をいれる布 20200821


 「右腕をいれる布」と書いたけど、何か正式名称があるとたぶん思う。


 前身は、ボクが入院した4年前に、病院の冷房が寒いんで則子さんが買ってくれた「両腕をいれる布」です。


 夜、寝る部屋に2つ扇風機を入れたので、ボクの右腕に寒い風があたって、気になって眠れないので、則子さんが探し出してくれました。


 これで眠れます。


雨宮日記 2020年8月21日(金) 今日も暑い

2020年08月21日 21時51分17秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 2020年8月21日(金) 今日も暑い


 今日も暑い。きのうのニュースで藤井七段が二冠獲得。18才1ヶ月で八段に。人間ってすごいね。


 今日テレビを見ていたら、書道の先生の女子中学生書道部への7日間集中授業をやっていて、すごくよかった。NHKテレビ、午後3時から4時。


 当然、書道は表現なんだけど、平和運動も表現の側面があると思う。ところが平和運動は情報の伝達だけと思い込んでいる人がいてめちゃ困る。


 発言も表現の側面がある。だからおもしろいと思う。


青い銀河とオレンジの花 断片 5 帰郷と出会い ② 20200820

2020年08月20日 20時37分32秒 | 雨宮日誌
青い銀河とオレンジの花 断片 5 帰郷と出会い ② 20200820

 帰って来てすぐ、共産党の支部の転籍と赤旗日刊紙の購読手続きを共産党の西部地区委員会の事務所へ、日刊赤旗の購読と転籍手続きに行った。共産党は、全国のどこにでも地区委員会と支部があるので、愛知県の自分の住んでいる地区委員会へ引っ越し前に行って「転籍証明書」というのを書いてもらい、引っ越し先の共産党へその「転籍証明書」を持っていくのだった。


 電話帳で調べたら、当時の事務所はわが家のすぐ近く、元城町にあり、電話をして場所を教えてもらった。家から広い通りの坂道を歩いて降りていき、市役所を過ぎて、最初の細い交差点を北へ曲がると、古びた木造の「日本共産党静岡県西部地区委員会」事務所があった。


 そこで翌日から日刊紙を入れてもらう申し込みをし、党員の転入の手続きをすると、所属支部を紹介された。「中央支部」といい、浜松の中心部を担当区域にしていた。
 
 当時、25才だったので、当然、「民主青年同盟」通称「民青」は卒業年齢が25才となっていたので、名古屋で卒業手続きをしてきた。ところが、中央支部にIくんという青年がいて、まだ「民青」に入っていた。「雨宮くん、民青手伝ってください」と言うので「ぼく、もう卒業年齢の25才だけど、いいの?」と聞くと「特例措置ですよ。必要な人はいいので、すみません再加盟してください」と言われ、加盟用紙を書いた。


 当時、地域班だった「サイモン」班という班に属して、班長だったIくんと共に青年活動を始めた。それも楽しい思い出だ。


 なお「サイモン」という班名は「サイモンとガーファンクルなの?」と聞いたら、まったく関係がなく、班を結成したのが、喫茶店「サイモン」だったので、喫茶店名でつけたそうである。いまも喫茶店「サイモン」があるかどうかは調べていない。