雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

人間宇宙生命社会 18 過去記録 16 哲学の学習11  「量」と「質」を考えます、その2 どっちが先 20210228

2021年02月28日 19時55分08秒 | 人間宇宙生命社会
人間宇宙生命社会 18 過去記録 16  哲学の学習11  「量」と「質」を考えます、その2 どっちが先 20210228


「哲学の学習11  「量」と「質」を考えます、その2 どっちが先
2010年03月10日 04時03分50秒 | 人間・生命・宇宙


 量と質、あるいは質と量は、相補的な概念として考えられています。
 (相対立する概念という言い方・考え方もあるかもしれませんが、私はそういう「対立物」ではなく「相補物」として考えたいと思います。)


 では、人類の認識の歴史では、量と質、質と量、どちらが、先に認識されたのでしょうか。


 量とは、たとえば、1つ、2つ、というように、「数詞」=「言語」なしには、とらえられません。
 分離量であれ、連続量であれ、「数える」ことなしには、認識できません。
 
 でも、質は、たとえば「涼しい」「暑い」「でかい」「小さい」「丸」「四角」「植物」というように、言葉なしのイメージとして認識できるのではないでしょうか。


 あるいは、「なんかいやだ」「逃げないと」「心地よい」「好きだ」「嫌いだ」という感情。


 言語をもつ段階以前の人類、あるいは神経と脳のある動物たちは、みんな、「質感」を言葉としては表現できなくても、感覚しているのではないでしょうか。


 ですから、量よりも,質の方が人類の認識史から考えても先ではないでしょうか。」



人間宇宙生命社会 17 過去記録 15 哲学の学習10 「量」と「質」を考えます、その1 20210227

2021年02月27日 16時39分28秒 | 人間宇宙生命社会
人間宇宙生命社会 17 過去記録 15  哲学の学習10 「量」と「質」を考えます、その1 20210227

「哲学の学習10 「量」と「質」を考えます、その1
2010年03月02日 04時14分02秒 | 人間・生命・宇宙


 ある「教科書」(87年度ですから23年前でかなり古いですけど、全面改定したという話も聞かないので、もし、今はかなり違っていたら許してください)に、次のように書かれています。


 「世界におけるすべての事物は、質の側面と同時に量の側面をもっており、そして、この質の側面と量の側面には切りはなすことのできない密接な関係があります。」
 
 この叙述は賛成です。
 
 次に「「それはどんなものか」という問いに対応する事物の側面、それが質です。つまり、質とは、ある事物を他の事物から区別する特徴・性質の総体のことをさします。」書いています。これも、まあいいかな。


 叙述は、質の具体的例として、「資本主義」と「社会主義」の質の違い、別の例として、液体状態にある「水」と気体状態にある「水蒸気」の違いをあげています。


 1987年なので、まだソ連のいつわり「社会主義」崩壊の前で、まだ日本共産党の認識が、ソ連社会主義は社会主義ではなく、歪んだ別の種類の社会である、というところには到達していない段階ですから、仕方ないですね。


 では、量とはなんでしょうか。


 同書では「量とは、長さ、広さ、重さ、温度、速度、人数など、「どれだけか」という問いに対応する事物の側面、つまりなんらかの単位で測定できる事物の側面のことです。10万人のデモ隊、40度の湯、1日1時間の学習などという時、問題にされているのが量の側面です。」と明確に書かれています。


 つまり「量」とは「単位で測定できる事物の側面」だと主張しています。でも、ここでちょっと立ち止まって考えてみました。


 たとえば温度、現代では温度計で、どんな温度でも測ることができますが、それは温度計ができてからの話です。
 それまでは「今日は暑いね」「今日は寒いね」という感覚で会話がされています。
 
 「熱い」「冷たい」「暑い」「寒い」「大きい」「小さい」「速い」「遅い」などのけいようしをすべて「量」であると強弁するなら別だけど、事物の同じ側面を「量」として表現すると同時に「質」として表現することができるのではないでしょうか。


 つまり「事物の側面」の中には、同時に「量」であり「質」であるような側面がある。


 「事物の側面」の中には、「優しい」「きれい」「美人」のような質的にだけ表現ができて、量的表現ができない側面もあるのかな。


 だれか「美人」という質を量に変える「美人指数」を発明できれば、すごいですね。


 なんだか、本題から逸れてきたような気もしますが。量と質を考える第1回目とします。」



人間宇宙生命社会 16 過去記録 14 哲学の学習9 「安定」「固定」と「変化」「発展」の関係 20210226

2021年02月26日 17時07分10秒 | 人間宇宙生命社会
人間宇宙生命社会 16 過去記録 14 哲学の学習9 「安定」「固定」と「変化」「発展」の関係 20210226




「哲学の学習9 「安定」「固定」と「変化」「発展」の関係
2010年02月25日 04時33分37秒 | 人間・生命・宇宙


 「ものごとはすべて変化・発展する」かどうか、という学習の続きです。


 「変化」とは何かということですが、「ある物あるいはある物事」の「要因」「要素」「属性」の一部の量あるいは質が変化することではないかと思います。
 ただし、「ある物あるいはある物事」の統一性というか、「ある物がある物である量と質」「ある物事がある物事である量と質」は保っているので、連続性はあるわけです。


 たとえば「ある物A」の属性「a、b、c、d・・・・」とするとき、属性aがa1からa2に変化しても「A」が「A」であることに変わりありません。
 
 連続性とは何かというと、たとえば、カフカさんの小説「変身」で、主人公が毒虫(さそり?)に変身するのに、周囲の人が「この毒虫はお兄ちゃんの青年グレーゴル・ザムザが変身した姿である」という妹グレーテの認識がなければ「お兄ちゃんがいなくなって、嫌な毒虫が現われた」ということになります。
 
 あるいはガラスのコップが壊れれば、コップは「変化・発展した」わけではなくて、たんに「コップでなくなった」、ガラスの破片になっただけです。
 コップが「ガラスの破片」に変化したと強弁できなくもないですが、すでにコップでないことには変わりありません。
 
 基本はこうだと思います。ものやものごとは、
 ① 変化せずに安定している場合
 ② 「そのもの」を保持しながら、変化・展開・発展していく場合
 ③ 「そのもの」や「そのものごと」の統一性を保持できなくて崩壊・分解する場合
 つまり「ものごとはすべて変化・発展する」というのは「安定期」を無視し、「崩壊・分解の可能性を軽視していて、正しくありません。


 ①と②との関係では「物あるいは物事」が安定して存在するためには、周囲の環境・条件も長期にわたって安定していないといけません。


 ですから、「変化・発展」の時期と、「固定・安定」の時期は「物あるいは物事」を構成する2つの両面で、「変化・発展」の方が本質的で大事だとか、「固定・安定」の方は表面的で軽視できる話と言うことは正しくありません。


 地球生命の進化でも、長期の安定的地質条件と、矛盾が爆発する短期間の危機とが混在しています。


 人類の歴史でも、たとえば300年にわたる江戸時代の長期の安定期は、戦国時代の転換期と、明治維新の転換期にはさまれています。」







雨宮日記 2021年2月25日(木) 最初の訪問リハビリの日

2021年02月25日 17時58分30秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 2021年2月25日(木) 最初の訪問リハビリの日


 脳出血で倒れて5年、やっと最初の訪問リハビリを始められた。佐藤町診療所の介護施設でやっている訪問リハビリを利用することにした。


 週1回、40分、約1時間。若い男性のPT(理学療法士)さんが来てくれた。いろいろ相談もできてよかった。


 もうじき3・1ビキニデー、今年は浜松でオンラインで見る会を準備している。



人間宇宙生命社会 15 過去記録 13 資本論の学習3 商品の属性と要因、要素としての商品 20210224

2021年02月24日 21時00分30秒 | 人間宇宙生命社会
人間宇宙生命社会 15 過去記録 13  資本論の学習3 商品の属性と要因、要素としての商品  20210224




「資本論の学習3 商品の属性と要因、要素としての商品
2010年02月18日 22時01分16秒 | 人間・生命・宇宙


 「第1章第1節 商品の2つの要因ー使用価値と価値」の第3回目です。


 まず哲学の学習で書いたことを繰り返しますが、本文は第1行目で「商品は、なによりもまず、その諸属性によってなんらかの種類の人間的欲求を満たす1つの物、1つの外的対象、である」としています。


 また「このような物はどれも、多くの属性からなる1つの全体であり、それゆえ、さまざまな面から有用でありうる。」
 
 この「属性」について、山本広太郎さんは『差異とマルクス ー疎外・物象化・物神性ー』(青木書店、1985年)で、以下のように述べています。


 「属性 Eigenschaft とは物 Ding の属性であり、物のうちで自立性を喪失し、観念化され、したがって「互いに分離して」いないものだからである。分離しておれば、属性ではなく、要因 Faktor (因数分解の因数はこれ)である。」(p173)


 商品の属性とは、たとえばコップが① ガラスでできている、② 透明である、とか、③ 上から見ると円形である、④ 横から見れば長方形である、⑤ 液体を入れておくことができる、などのことです。
 
 それに対して商品の要因の1つである「使用価値」とは「鉄、小麦、ダイヤモンドのような商品体そのものが、使用価値または財である」と述べているように「商品体」そのものを指しています。


 そして、商品が、価値と使用価値という2つの要因に分解できるからこそ、その独立した要因同士のからみあう運動によって、新たな「貨幣」という現象が生まれてくるのだと思います。


 『資本論』では、そのような、見た目には1つのプロセスが、それぞれの要因で、二重の意味をもって二重な結果をもたらすという「二重性」が大事だと思います。


 第1行目に戻りますが「資本主義的生産様式が支配する諸社会の富は、「商品の巨大な集まり」として現われ、個々の商品はその富の要素形態として現われる。それゆえ、われわれの研究は、商品の分析から始まる。」とあります。


 ですから、「個々の商品」「諸社会の富」「の要素形態(独 Elementarform)」であり、要素である「個々の商品」が、また、2つの要因(独 Faktren)に分かれるということです。


 この「要素」と「要因」はマルクスは使い分けていますが、同じものなのか、違うものなのか、私にはまだわかりません。学習していきたいと思います。」



人間宇宙生命社会 14 過去記録 12 資本論の学習2 商品の「使用価値」とは何か

2021年02月24日 20時59分57秒 | 人間宇宙生命社会
人間宇宙生命社会 14 過去記録 12 資本論の学習2 商品の「使用価値」とは何か




「資本論の学習2 商品の「使用価値」とは何か
2010年02月10日 04時14分49秒 | 人間・生命・宇宙


 「第1編第1章第1節 商品の2つの要因ー使用価値と価値」の続きです。テーマは「商品の使用価値」とは何か、です。


 よくある誤解は「使用価値」とは、その語感から言っても、「使用することの価値」なのだから、その商品を使用するときの「効用」あるいは「満足感」とか、主観的なものではないかという誤解です。


 マルクスさんは、こう書いています。


 「ある物の有用性は、その物を使用価値にする。しかし、この有用性は空中に浮かんでいるのではない。この有用性は、商品体の諸属性によって制約されており、商品体なしには実存しない。それゆえ、鉄、小麦、ダイヤモンドなどのような商品体そのものが、使用価値ままたは財である。」(新日本新書版①p60ー61)


 つまり、ある商品の「使用価値」とは、固いその商品体そのもののことです。だからこそ、ある商品の使用価値は「見える」のです。」





雨宮日記 2021年2月23日(火) 城北図書館に行く

2021年02月23日 16時52分29秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 2021年2月23日(火) 城北図書館に行く


 これまで月1回ぐらい松城町の浜松市立中央図書館に行っていたが、今日は和地山の城北図書館に行った。


 前にボクは音楽CDを借りに行ったことはあるが、本の部屋に入ったのは初めて。びっくりしたのは本棚が低くて3段しかなく車椅子のボクでもいちばん上の棚に充分手が届くこと。


 本の冊数も多いので、当分は城北へ来ることになりそうです。


 目一杯、12冊を借りる。


 風は強いけど、日中は暖かい。




雨宮日記 2021年2月22日(月) 「青い地球387号」等を作る

2021年02月22日 22時00分09秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 2021年2月22日(月) 「青い地球387号」等を作る


 「青い地球 387号=2月25日号」を無事完成。今回は珍しく文章ばっかりで写真が1枚もない。ボクは写真も好きだけど、こういう文章だけってのもいいですね。


 今月は2回、発行できた。目標は月3回発行だけど、実際は最近やったことはない。たいへんですからね。


 3月の浜松市原水協の動画学習資料も完成。情勢論で約22分。まあまあ自己満足っていう感じ。


   ☆


 今日も腐海の胞子がさかんに飛んでます。ボクも則子さんもアレルギー・花粉症で、目がかゆくなり、鼻水がジュルジュル。花粉症は日本人の「基礎疾患」ではないんでしょうか。


 今日は暖かくて最高温度は20度になったはずだけど、明日はまた寒くなる。日本の政治も聞いてると寒くなってくる。


 「記憶がなくなる」官僚が多すぎる。そんな健忘症で高級官僚(高給官僚?)はつとまるんだろうか。


 暖かくなる話しは、いまのところあんまりなさそう。春は、まだまだ先です。





人間宇宙生命社会 13 過去記録 11 「資本論」学習 1 商品の要因、見える使用価値と見えない価値 2021022

2021年02月21日 21時33分47秒 | 人間宇宙生命社会
人間宇宙生命社会 13 過去記録 11  「資本論」学習 1 商品の要因、見える使用価値と見えない価値 20210221

「「資本論」学習 1 商品の要因、見える使用価値と見えない価値
2010年02月07日 22時30分26秒 | 人間・生命・宇宙

 何年か前まで「資本論」の第1巻の全行読みを仲間をつのってやりました。月2回、2時間くらい、全行を読んで、疑問・開設を出し合う作業でした。その収穫も含めて、雨宮智彦の読んだ「資本論」を少し書いていきます。
 
 なお、マルクスさんの書いたドイツ語の原題は「DAS KAPATAL」で「資本」です。「論」は含まれていません。原題通りなら、「資本論」ではなく「資本」というタイトルになります。
 
 推奨するテキストは、新日本出版社の新書版13巻本か、第1巻から第3巻までそれぞれ1~2冊にまとめたものです。


 「第1部 資本の生産過程」(これが、いわゆる第1巻です)のいちばん最初は、「第1編 商品と貨幣」の「第1章 消費」の「第1節 商品の2つの要因ー使用価値と価値(価値の実態、価値の大きさ)」です。


 この「使用価値と価値」のうち、「使用価値は見える」けど「価値は見えない」というのが「資本論」の出発点になると思います。
 「見える使用価値」と「見えない価値」という2つの要因がからみあって、商品から貨幣へ展開していきます。


 以下、後述。 」







雨宮日記 2021年2月20日(土) 学習会とオンライン集会に参加

2021年02月20日 19時53分53秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 2021年2月20日(土) 学習会とオンライン集会に参加


 則子さんと2人で午前中は資本論学習会、第3部の第37章から第39章に参加。


 午後は平和運動の自主企画「日本政府に核兵器禁止条約の批准を求める署名推進静岡県連絡会結成総会&講演会をオンラインで見る会」に参加。おもしろかった。


 こういうのを一人で見てると退屈だし、直接会場にいたら勝手な無駄話はできないし、そういう意味でおもしろかった。


 NHKの午後7時のニュースで、航空自衛隊浜松基地のパイロットがアメリカで訓練中に墜落死したと。引き続き調べます。


 きのうよりは暖かい。冬と春のあいだくらいかな。



人間宇宙生命社会 12 過去記録 10 哲学の学習8 形式論理的事物と弁証法論理的事物 20210219

2021年02月19日 19時24分00秒 | 人間宇宙生命社会
人間宇宙生命社会 12 過去記録 10 哲学の学習8 形式論理的事物と弁証法論理的事物 20210219


「哲学の学習8 形式論理的事物と弁証法論理的事物
2010年02月02日 22時55分22秒 | 人間・生命・宇宙


 「変化・発展」の稿の続きも含む内容です。


 世の中のすべてを「弁証法論理学」で「矛盾」と「発展」で分析できるように書いてあるテキストもありますが、どうでしょうか。


 たとえば、あなたが家を建てるとすると、その家は弁証法論理ではなく、形式論理学のバランスと安定の論理によって設計図が描かれ、その通りに建てられます。
 もし我が家が「弁証法的発展」によって「変化」「発展」していっては非常に困るわけです。


 ですから、家は発展しないように、AはAであり、Bではないという形式論理で建てられ、寿命が来ればそれは破壊され取り壊されます。つまり、家や都市など人間が作った物は、すべて形式論理学に従っています。


 それにたいして、例えば地球環境は進化・激変もしますが。一定の期間は相対的安定の時期で、一定の環境の下では、生物も安定して、産卵、成長、生殖の安定した循環を繰りかえすことができます。


 「カエルの子はカエル」で「ナマズの孫ではない」のです、
 
 生物が進化する時期は、たとえば地球誕生の初期に藍藻類の大繁殖で酸素が大気に放出され、それまで無酸素で栄養とエネルギーを得ていた「嫌気的生物」が生存の危機に陥った時期です。


 あるいは、地球全体が凍結した時期です。あるいは中生代末期の有名な「隕石衝突」(または地球内部からの大激変)です。
 
 このような環境の激変と生存の危機に対して、生き物たちは生き残るためには、自らが進化することを強制されます。別の言い方を言えば、そのような劇的な進化を遂げて新しい生き物に変身した種類だけが生き残れたのだと。


 要約して言うと、世の中は、変化・発展しないものと、変化・発展するものでも、のべつまくなしに変化しているわけではなく、安定する時期は長く、変化・発展する時期には短時間で激変が起こると、いうことでしょうか。


 (参考文献) 井尻正二『ヘーゲル「大論理学」に学ぶ』築地書館、1980年初版」


本と映像の森(第3) 15 柘植文『喫茶アネモネ』東京新聞、2021年 20210218

2021年02月18日 10時13分56秒 | 本と映像の森

本と映像の森(第3) 15 柘植文『喫茶アネモネ』東京新聞、2021年 20210218


 A5版、124ページ、定価本体1000円。マンガ108編を掲載。


 『東京新聞』『中日新聞』連載の新聞マンガ。ボクは『中日新聞』で愛読者です。


 「とある町にある、ちょっとした商店街の、ちょっとした喫茶店」。


 年取ったこの道65年のマスターとアルバイトの女性よっちゃんと常連さんたちと、たまに迷い込む一般人が織りなす物語。


 みんな一癖も二癖もあるけど、どこかいいんだよね。悪人はいないのは、この世界はよっちゃんがまとめている世界で、異質な人間は追い払っちゃうんだと思う。(p17)


 マスターは、すこくいい味出してます。料理がじゃなくて、人間がです。


 こういう喫茶店、ないですかねえ。


 ちなみにボクは、先週に5年ぶりで喫茶店に行けました。5年ぶりで外でコーヒー飲みました。行きつけだった上島の喫茶店、行きたいなあ。


 『喫茶アネモネ』続刊、熱望です。



人間宇宙生命社会 11 過去記録 9 哲学の学習7 対立物の統一と相補物の統一 20210217

2021年02月17日 14時03分22秒 | 人間宇宙生命社会

人間宇宙生命社会 11 過去記録 9 哲学の学習7 対立物の統一と相補物の統一 20210217

「哲学の学習7 対立物の統一と相補物の統一
2010年01月28日 04時54分51秒 | 人間・生命・宇宙


 32年前に発行された書籍に、次のように書かれています。「弁証法は事物の変化、発展の原動力を事物の内部にもとめ、この原動力になるのは。すべての事物の内部にある矛盾であることをあきらかにしています。」(同署p198)


 どう「あきらかにしてい」るのかは、そこには叙述が何もないので、私にはわかりません。どなたか、「あきらかに」わかる方がいれば、教えてください。


 そのあとには、こう書かれています。


 「事物の内部の矛盾とは、一つの事物のなかにたがいに対立する側面があって、それがたがいに結びついていることをういいます。


 たとえば、すべての生物は、外界から栄養をとる同化作用をおこなうのと同時に、これを体内でエネルギーとして消費し、老廃物を外界へ排出する異化作用をおこなっています。このどちらもが停止しても、生物は生きることができません。


 資本主義社会には、労働者階級と資本家階級という対立する二つの階級が存在します。


 一つの事物のなかの対立した二つの側面はたがいにむすびつき、一つの側面は他の側面なしにはありえないというように統一しています。たとえば、同化は異化なしにはありえないし、資本家階級はかれらの搾取する労働者階級なしには存在しえません。このような関係を対立物の統一といいます。」


 同化と異化が「対立物の統一」「矛盾」であるというのは。どうなのでしょうか。
 生命における物質代謝の両側面である、同化と異化は、なんら対立しているわけではなくて、お互いに相互に支えあっているのではないでしょうか。


 環境の安定なしには、恐竜類や裸子植物の大繁栄もなかったのではないでしょうか。


 地球に落ちた大隕石か、それとも、もっと他の要因かは、わかりませんが。
 
 生命のほんとうの矛盾は、生命内にではなくて、生命と環境のあいだの相互作用にあるのではないでしょうか。


 文明である人間社会は、環境の影響を脱して、自立的な矛盾をもっていると思います。しかし、歴史を溯るほど、環境とシンクロ(同調)する生き物の姿が、わき上がってくるものと思います。」
 





人間宇宙生命社会 10 過去記録 8 哲学の学習6 変化・運動・発展の原動力 20210216

2021年02月16日 18時50分46秒 | 人間宇宙生命社会
人間宇宙生命社会 10 過去記録 8  哲学の学習6 変化・運動・発展の原動力 20210216


「哲学の学習6 変化・運動・発展の原動力
2010年01月22日 04時16分45秒 | 人間・生命・宇宙


 自分の頭で考える「学習」シリーズです。


 他人の頭で考えることのできるヒトは絶対いませんが。他人の頭にたよろうとするヒトはたくさんいます。自分の感覚や判断ではなく、「世間の基準」や「他人の評判」や「他人の規範」にたよろうとすると自分の正直な心・魂・人格を殺すことになります。
 私は、自分の心・魂・人格が死んだゾンビー状態で生きたくはありません。


 通説では、事物の変化・運動・発展の原動力は、事物の内部に存在する矛盾あるいは対立によるということのようです。
 なぜ通説なのか、誰が決めたのかは、ボクに聞かないでください。なぜ通説なのか、誰が決めたのかわからないのが通説であり、常識なのです。


 これは詳しく証明したのではないですけど(時間があれば詳しく証明したいと思いますが)、具体的な1つの変化・運動・発展という「ベクトル」の矢印の長さを規定するのは、「事物の内部に存在する矛盾あるいは対立」ではなく、事物に内在する「エネルギー」ではないでしょうか。
 「事物の内部に存在する矛盾あるいは対立」が規定するのは、「変化・運動・発展」のベクトルの長さではなく、その方向を規定すると思います。


 つまり、原動力であるエネルギーが「変化・運動・発展」を起こすが、その方向性を決めるのは「事物の内部に存在する矛盾あるいは対立」であるということです。


 この世界は、① 物質 ② エネルギー ③ 情報、という3つの要素で成り立っていると思いますが、エネルギーが「変化・運動・発展」のベクトルの長さを規定し。情報がその方向性を規定するということだと思います。


 生物の日々の動的平衡や成長を支えているエネルギーは、ミトコンドリアで生産されるATPですが、そのエネルギーがどう使われて、生物がどのように成長していくかは、生物の細胞の核にある「遺伝情報(DNA)」に規定されています。


 社会の発展のエネルギーは「生産力」ですが、その社会の発展方向は、その社会の成員の情報伝達の総意によって規定されています。


 いまの北朝鮮やスターリンソ連、毛沢東中国、ヒトラー独裁のナチスドイツ、戦前の絶対主義的天皇制日本のような独裁社会では、社会の総意ではなく、どの独裁者によって「変化・運動・発展」ベクトルの方向が規定されていると言えるでしょう。


 もっと感じて、考えて、学習して


雨宮日記 2021年2月15日(月)の2 訪問リハビリの相談

2021年02月15日 20時00分33秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 2021年2月15日(月)の2 訪問リハビリの相談


 長いあいだ、やりたいねと言っていた訪問リハビリを始めることにした。今日はケアマネさんと看護師長さんと理学療法士さん、3人が来てくれて具体的な相談と契約をした。


 月末から毎週1回で理学療法士(PT)さんに来てもらって始める。




 午後、雨が上がって晴れたので、?を見に散歩に行く。風が強くて、ちょっと寒い。白い?と赤い?が何カ所かで咲いていて、花もつぼみもきれいだ。






 ボクが予想したとおり、メジロが2羽いたけど、則子さんが撮ってくれた大写しの写真にはお尻しか写っていなかった。残念。