雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 8月30日(月) 田中美智子さんのブログ見ました

2010年08月31日 06時12分38秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 8月30日(月) 田中美智子さんのブログ見ました

 友人の「ヤマビコ」さんに「おもしろいよ」と言われて、元名古屋の革新共同衆議院議員の田中美智子さんのブログを見ました。

 いつも長々書く「雨宮日記」と違って、すごくシンプルなブログは、カルチャーショックでした。
 美智子さんが「短ければ短いほど、読んでくれるのよ!雨宮くん、わかった?」と言ってるような気がしました。
 はい、美智子おばあさま、わかりました。

 「自然と猫と私」でヒットします。
 ぼくが2○才のころ、ちょうど名古屋にいて、田中美智子衆議院議員当選もたいけんしました。
 なつかしいな。

 美智子さんは猫ですけど、我が家はウサギです。
 豆子も暑さで、ばてぎみです。

 

人間・心・集団の学習7 「仲間」の概念について

2010年08月31日 05時03分31秒 | 人間・生命・宇宙
人間・心・集団の学習7 「仲間」の概念について


 5月25日の「人間・心・集団の学習6 魂・人格の幸せとくらし・生活の幸せ」以来、3ヶ月ぶりのコーナーです。「雨宮日記」で書いてきた内容もありますが、すこしこのコーナーを開きます。

 「仲間」とは通常、同じ組織・同じ集団の構成員ということになりますか。「同じ仲間だろ?」という場合です。

 ぼくは自分の痛切な経験から、同じ組織の構成員=仲間という等式を否定したいと思います。
 つまり組織内で意見が違って論争をしているのに、「同じ仲間でなぜ仲良くできないのか」と公然と言われました。
 「仲良くする」ということと「論争する」ということは、ぼくは両立できると思うのですが、「ああ、仲良くすると言うことは論争しないで黙ってしまうと解釈する人がいるんだ!」とわかって、びっくりしました。

 じゃあ、誰が仲間か。
 ぼくにとっての「仲間」は、ぼくが決める範囲です。
 ですから、人によって、個人によって「仲間」の範囲は大きく違います。
 つまり、自己決定権ということです。

 ぼくにとってAさんが仲間でも、Aさんにとってはぼくは仲間ではない場合もあるでしょう。
 Aさんにとってぼくが仲間でも、ぼくにとってAさんは仲間ではない場合もあると思います。

 たぶんぼくの「仲間」の範囲は、他人より狭いだろうなと思います。
 つまり「厳選した」仲間です。
 
 ぼくにとって妻のN子さんは「旅の仲間」なのですが、もしN子さんにとってぼくが「旅の仲間」ではなかったら…怖いですね。
 
 すごく複雑な世界になりますが、「仲間」と「非仲間」という、黒か白かの単純バカの世界よりは住みやすいと思いますが、どうでしょうか。
 これもいろんな色調のスペクトルです。
 濃淡のない世界には、ぼくは住みたくありません。

 そういう意味では、もっと話を進めて、「仲間」か「非仲間」かというより「仲間度」30%とか、70%とか、そういうほうがいいかもしれませんね。
 もちろん、質的なものを量的な指標で図ろうというのは、無理な冗談です。

 

雨宮日記 8月29日(日) 風車の見える橋と「白鳥の心臓」

2010年08月30日 05時59分45秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 8月29日(日) 風車の見える橋と「白鳥の心臓」

 まだ昼間は暑いけど、夜は涼しくなりました。
 久しぶりに、馬込川の散歩に、夜、行きました。
 
 馬込川の土手で見上げると、真上に、飛翔する「白鳥の心臓」が真上に輝いていました。
 「白鳥」は、東から西へ向けて羽ばたいていています。

 白鳥さん、きみは、どこまで飛んでいくのだろう。

 こういう大自然を見ると、自分がフレッシュになりますね。

 三浦橋から太鼓橋まで歩いて戻ってくると、三浦橋の向こうに、低い位置に、白い光りがいくつも見えました。
 あれ?これって、灰ノ木から見た風車の光りだなと思いました。 
 新しくできた風車かも知れません。
 調べてみたいと思います。

 「風車の見える橋」でした。

雨宮日記 8月28日(土) 雨宮智彦の収入大公開

2010年08月30日 05時35分11秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 8月28日(土) 雨宮智彦の収入大公開

 現代は資本主義社会ですので、農業での自給自足でもなければ、お金がなければ生きていけません。 
 私も、妻のN子さんも娘たちも雇われて給料を毎月もらって、そのお金で物を買ってくらしています。

 それで、私が1ヶ月、アルバイトで、日曜日だけ休みで、深夜と少し午後に働いてどれくらい収入があるか、まず公開します。後悔したりして。

 手元にちょうど今年5月の給与明細があったので、合計だけ書きます。
 「13万6840円」でした。

 つまり月収20万円以下の「ワーキングプア」(働いている貧乏人)ということです。
 
 妻のN子さんとの協定によって、このうち毎月9万円をN子さんに渡しますので、ぼくの手元にはこの月、4万6840円。
 このうち、定期的に新聞・雑誌代や車のガソリン代が出て行きますので、まあ毎月、月末には、ほとんど残りません。
 衝動的に本を買っちゃうこともありで。
 行きつけのガソリンスタンドで、月末、「ごめん、10リッターだけ入れて」とかは日常です。
 
 雨宮家の家計の全体は、家族5人の収入・支出の全体を計算しないといけないので、別途報告します。

 30数年前に妻のN子さんと初めて結婚したころは、本屋の自営業者でした。自営業者というのは、今月、多い収入があっても来月はわからないという、風まかせの不安な商売です。
 本屋を廃業して、アルバイト専従に移行して生きてきたのですが、ほとんど30年間、N子さんの収入は、ぼくの収入の上でした。
 ぼくやN子さんが「男の沽券」とか「妻を養うのは夫の義務」とか思っていたら、雨宮夫妻の30年以上の対等平等の結婚生活は崩壊していたと思います。
 N子さん、ありがとう。

 N子さんは、8月1日から今のアルバイト仕事につきましたので、来月に、1ヶ月分の収入を公開します。ちなみに、ぼくより、時間単価はずっといいです。

 時間単価の話は、もうすこし調べて、書きたいと思います。

 あなたも、自分の家計を大公開しませんか?
 もしあなたのコメントもらえれば、ここで公開します。
 「家計公開同盟」総裁より。


本と映像の森74 古田武彦さん『盗まれた神話』ミネルヴァ書房

2010年08月28日 23時05分52秒 | 本と映像の森
本と映像の森74 古田武彦さん『盗まれた神話』ミネルヴァ書房、2010年3月10日初版、定価2800円+消費税

 5月17日に「本と映像の森40」で「古田武彦さん『失われた九州王朝』ミネルヴァ」を書きました。
 これはその続編です。正確に言うと第3作です。

 副題は「記・紀の秘密」。
 つまり『古事記』『日本書紀』の記事は、本来のヤマト天皇家の歴史・伝承だけではなく、さらに古い他の王朝の歴史・記録・伝承を「盗んだ」。
 「盗んだ」はないだろと言う方がいると思うので「借りた」ことにしましょうか。

 そういえば、ついこの前、見たアニメ映画「借りぐらしのアリエッティ」で女中のはるさんが「どろぼうこびとども!」って言ってましたね。

 「盗作」かどうかの判断は読んだ皆さんでしてください。
 ただ、言いたいのは、こんなにおもしろい古代史の本は他にないだろうということです。なぜおもしろいかと言うと、古田さんが自分の頭で考えているからです。(自分の頭で考える人はそう多くないと思います)。まるで推理小説と名探偵の素敵な推理を読むような気がします。

 そうなんですよね、科学や歴史と推理小説は「謎解き」という点で共通なんです。
 「事件」の「謎解き」のない歴史書、「迷宮入り」の歴史書が多すぎるのではないでしょうか。

 一部だけ、古田さんの謎解きの成果をあげておきます、
  ・景行天皇九州大遠征の謎
  ・秋津島(蜻蛉島)の謎
  ・天孫降臨の場所の謎
  ・神武天皇の発進地の謎
  ・「天国」の謎
  ・「オノゴロ島」の謎
  ・「大国」の謎
  ・『日本書紀』の「一書」の謎
  ・『日本書紀』の朝鮮記事の謎

 これらの内容については、ほとんど市民にも知られていないので、また機会をみてカテゴリー「日本古代史」で紹介していきたいと思います。

 なおこのミネルヴァ版への古田さんの追記、422ページから432ページに出てくる「「荒吐神要源抄録」という本」「「荒吐神要源抄録」を含む和田家資料」については、私は戦後に書かれたいわゆる「偽書」であると思います。
 などと、書くと、古田さんがこれを読めば激高すると思いますが。

 この古田さんの精神の変質は、それ以前の古田さんの著書の価値を低下させる性質のものではないと思います。
 ある時から、ある人がおかしくなったからと言って、それ以前のその人の言行をすべて否定するようなことは不当であると判断しております。

 「その判定はこの本を読み終えた読者ひとりひとりの特権に属し」ているのですから。
 その判定は、「雨宮日記」にも書いたように、黒か白か、正しいか虚偽かではありません。
 この本のすべてのページについて、ひとつひとつ判断を下していくことが「読者ひとりひとりの特権」ではないでしょうか。
 まあ、しんどいですけどね。
 
 ですから古田さんを信じるとか、そういうことは「学閥」や「宗教せくと」の世界の話で、科学や歴史学であるなら、信じたりしてはいけないと思います。
 でも、言うは易く行うは難し、ですね。
 実行している人がどれくらい、あるだろう。
 
 数値で言うと「 割」?。9割はぜったい無いですね。じゃあ、5割?…うーんそれもどうかな。
 みなさんはどう思います?
 1割くらいかな?もっと少ないかな?

 話が逸れましたが、
 ① 近畿天皇家=ヤマト朝廷=日本国の以前に、倭国=九州王朝があり
 ② 倭国=九州王朝の以前に、出雲王朝があった
 この2点を日本古代史の基本に据えると、日本古代史のいろんな事実と資料が、生き生きと人間的に動き出してくる、のではないでしょうか。




 

本と映像の森73 北森鴻さん『緋友禅~旗師冬狐堂~』文春

2010年08月28日 22時12分58秒 | 本と映像の森
本と映像の森73 北森鴻さん『緋友禅~旗師冬狐堂~』文春文庫、2006年(単行本は2003年、文藝春秋社)、285ページ、定価571円+消費税

 少し「雨宮日記」が熱中しすぎたようで、炎上・蒸発しないように「これしかない」思考ではなく、バイパスや脇道をいっぱいつけて、迷い道を散歩をしながら、ときには座り込んで空をながめたりしながら、歩いて行きたいと思います。

 推理小説家・北森鴻さんは2010年(今年)1月25日に心臓麻痺で他界されました。もっともっと生きて素敵な作品を書いていただきたかったです。
 北森さん、さようなら。
 北森さん、ありがとうございました。

 つい先週、次女Iさんと北森さんの話になり、Iさんが「北森さん、死んだよ」と言ったので、びっくりしました。

 Iさんが見つけてきて所有している本を借りて読んでいましたが、古代史や民族学を駆使した作品と主人公の女性たちの個性が大好きでした。
 私の大好きな主人公の一人が、店のない古美術商「旗師」宇佐見陶子、通称「冬狐堂」です。

 第1短編集『緋友禅』の冒頭作「陶鬼」では、ほぼ40才くらい、でも若く見えるようで「べっぴんさん」とか呼ばれています。

 「陶鬼」では、萩焼の贋作の話、「永久笑みの少女」では古代の埴輪、「緋友禅」では珍しく現代の友禅染め、「奇縁円空」では円空仏をめぐって真贋と人の人生が渡り合います。

 ここまで書いてハタと思い当たりました。
 真作と贋作、本物と偽物、嘘とまこと、人間にとってこれこそ大きなテーマですね。
 自分はどこまで本物なのでしょうか?

 陶子さんにとっても、頼りになるのはただ自分の目・自分の感覚だけです。だまされたら?それは自分の目が曇っていたからです。

 「他人の権威に頼っていては真実にたどりつけない」
 「自分で確認したことだけが、ただひとうの真実なんだよ」



 

雨宮日記 8月27日 ボクの誕生日でしたが(59才)

2010年08月28日 05時26分10秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 8月27日 ボクの誕生日でしたが(59才)

 小さい頃、「なぜボクの誕生日は夏休みの終わりなんだろ」と呪ったことがあります。だいたい、8月の末で、忙しくて見捨てられます。
 それは今も同じですね。
 夜の9時頃になって台所でN子さんが「今日、智彦くん、誕生日だったね」というので、「うん」と答えておきましたが。
 夏は睡眠がとれないので少し寝て起きたら、午後11時半でした。
 階段のところにいた長女のIさんが「お父さん、誕生日おめでとう」と言うので「ありがとう。お母さんは?」というと「寝たんじゃない?なに?」「うーん、何もくれずに寝ちゃった」というと笑って「明日に期待したら?」と。

 まあ、あんまり期待できませんが、N子さんに「○○○○が欲しい」と言ってみようかな?

 さわやかに、スッキリと生きたいと思いますが、なぜか「雨宮日記 8月26日(木) ベキベキ通信・ネバネバ通信」の補足です。

 なぜ「べきべき人間」「ねばねば人間」になれるのか、です。
 それは、やはり長い間、指導部的な位置にいたりして、他人に指図するのが身についてくる、別のことばでいうと「自分が偉い、いつでも他人を指導する正義の人間なんだ」という「物語」を信じてしまうからではないでしょうか。

 国同士が人口や国力が大きかろうと小さかろうと、対等平等であるように、政党同士が対等平等であるように、人間同士も能力があろうとなかろうと対等平等なのですが、そういうこともわからなくなってるのではないでしょうか。
 
 だから絶対命令である「べき」とか「ねば」ではなくて、「したいです」とか「してみたら」とかいうソフトな提案・相談ならいいんですけどね。
 
 自分が、自分の正しさを確信するあまりに、他の道の可能性を否定していないか、科学の目で、N子さんやほんとの「旅の仲間」と相互点検をして生きていきたいと思います。
 そういう自分たちを保持するためには、自分たちのなかの弱点・欠陥を平気で捨ててしまう覚悟はいりますね。
 ちゃんと、そういうごみを捨てることができれば、すごくスッキリして身軽になれます。これはぼくたちの経験です。

 N子さんが言うには「だからね、智彦くん、部屋の不要な物を捨てれば、すごくスッキリするよ。これは命令じゃなくて、提案です」と。
 はい、提案は少しづつ実行します。ありがとうございます。

 写真は早朝の馬込川です。
 最近、こういう「空」にこっています。



雨宮日記 8月26日(木)の2 「1984年にボクは」

2010年08月27日 05時41分26秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 8月26日(木)の2 「1984年にボクは」

 いま(8月27日の午前5時42分)、仲間が愛読しているという「金子勝」さんのブログに初めてアクセスしました。
 「私は、「1Q84」に何を考えていたのだろうか。」と出だしですが、まだ村上春樹さんの小説「1Q84」は読んでいません。
 買うと高いし、図書館で読めるかな?
 ジョージ・オーウェルの「1984年」も読みたいですね。文庫版であるかな。

 同じ村上で、村上龍さんの小説では、「半島を出よ(上・下)」だけは、単行本を買って読みました。北朝鮮武装部隊の福岡侵攻の部分はリアリティを感じ、戦慄しました。感想としては、そういう事態になったときに、自分たちが受け身ではなくどう攻勢に出るか、ということです。
 なぜ、これが関係アルかというと、組織と人間という根源的な問いを、たとえば北朝鮮をテーマに考えたいからです。
 特殊な話のままでは、物語がつながらないので、できるだけ一般化して考えたいと思います。

 話がそれましたが、テーマは、1984年に、ぼくは何をしていたか?何を考えていたか?
 N子さんの回想では(まだ松城町の古い本屋の2階が私たちの部屋でした)「あのころ、あなたは、動物園の熊みたいに、何か考えて歩き回っていたわ」。

 そうなんですよね。1976年に実家の浜松へ帰ってきて、しばらくすごして大好きな沖縄へ移住するつもりが、そこでN子さんと知り合ってしまって結婚して、1984年を迎えました。
 
 この年の、日本の原水爆禁止運動の混乱から、ぼくのほんとうの自立が始まったんですよね、N子さん。
 そういう物語をどういう形で誰に伝えていったものやら。
 小説?ドキュメント?
 今年は、N子さんと雨宮の物語を書き始めたいと思います。

 写真は三浦橋の上から撮った西空です。

 (友人の指摘により、9月2日(木)一部補正しました)
 

雨宮日記 8月26日(木) ベキベキ通信・ネバネバ通信

2010年08月27日 04時56分25秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 8月26日(木) ベキベキ通信・ネバネバ通信

 日記で「よい社会をつくるには、一人ひとりがよい発信を」と書きました。
 夜、N子さんが会議から帰って来て、いろいろ話しましたが、感じたことを書きます。

 「本と映像の森」で書きましたが、清水真砂子さんの『本の虫ではないけれど』を読んだときに、清水さんは、以前は「べきべき人間」だったと書いてあって、N子さんと「ほら、同じ事を考えている人がいる!」とびっくりしました。

 もう「みんなで、これをすべき」とか言う「べきべき人間」や、「これをせねば、だめだ」とか言い張る「ネバネバ人間」のような幼虫時代からは脱皮したいと思います。

 そうではなく、会議は一人ひとりの意志を確認しあう場でありたいです。
 「わたしはこれをしたい」という意志とか「これをしたらどうでしょうか」という提案なら、いいのですが。
 自分の意見だけが正義であるかのような「べき」「ねば」は、事実と大地に立脚しない、宙に浮いた架空の「正義」だと思います。

 誰かが「べき」「ねば」と言っても、みんなが対等平等であれば、それに賛成するか、反対するかはそれぞれの自由なので、かんたんにそういう「正義」意見が通ることはないのですが、そうでない組織では、反対意見を言うのはむずかしいでしょうね。
 ぼくは、平気で反対意見を言いますが(それで、よく浮きます)。

 「勝つためにはこれをすべき」「負けないためにはこれをせねば」という意見は、「そうしないなら、だめ」という押しつけの否定がくっついています。
 自分の意見が否定されることを最初から拒否している意見は、現代の民主主義(をめざす時代)にそぐわない、遅れた保守的な潮流であると思います。
 
 自分の意見が否決されることもありえることを念頭において行動できるかどうかが、民主主義者の基準ではないでしょうか。

 写真は、馬込川の散歩の途中で川の階段で休むぼくたちの影。
 
  

雨宮日記 8月25日(水)の2 お皿も社会もキレイに掃除を

2010年08月26日 05時49分14秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 8月25日(水)の2 お皿も社会もキレイに掃除を

 昨夜、帰ったら台所にN子さんだけいたので「ただいまあ」って言ったら、即座に「智彦くん、夕食のあとお皿洗ってくれた?」というので、うなずくと、「ありがとね…」と、なんとなく不穏な感じ…。
 あ、やばいと思って黙っていると、「TとIがね、誰、お皿洗ったの!油がとれていない」って言ってたので「おじいちゃんじゃないかな」と言っといたよ、と。
 はい、すみません、おじいちゃんは冤罪です、真犯人はぼくです。
 
 ここまで書いたところで、地震だ!ぐらっと揺れました。
 8月26日の朝5時54分頃
 ネットで5分後のいま出ました。愛知県西部が震源です。
 中区は震度1だそうです。

 N子さんは、昔から「部屋の片付け・模様替え」が趣味で、気にしないぼくとどうやって折り合ってくらしているのか、ぼくはわかりません。
 たぶん、あきらめて…見て見ぬ振りか…(「お前が言うな!」とぶん殴られそうですが)

 N子さん、いっしょに社会をきれいに大掃除しましょうね。
 で、部屋の中は、死ぬまでにキレイにします。
 問題は「いつ死ぬのか」自分でわからないことです。
 N子さん、期限をいつに設定しましょうか?

 写真は、N子さんの作った天ぷら。
 おいしかったです。ごちそうさまでした。
 自分の末期の時には、N子さんの作った天ぷらを食べて死にたいな。

遠州古代史の本7 夏目隆文『萬葉集の歴史地理的研究』

2010年08月26日 05時39分59秒 | 遠州古代史
 夏目隆文(たかぶみ)さん著『萬葉集の歴史地理的研究』法蔵館、1977年(昭和52年)2月10日第1刷、355ページ

 遠州で歌われた万葉集の歌を読むための基本文献だと思いますが、今日(2010年8月25日)出版社の 法蔵館に電話で確認したところ、本編は品切れ、続巻は在庫があるが保存状態はすぐにはわからないとのこことでした。
 正編は、古書店などで探して手に入れてください。
 「引馬野」、「安礼乃崎」、「二見の道」「吾跡川」「きへ人」「お那の峰」「白羽の礒」「若倭神社」など現地の調査に基づいた新考が興味深いです。
 詳しくは、また紹介していきます。

 第1部「萬葉集の歴史地理的研究」の目次を紹介します。
 「第1章 萬葉「引馬野」新見ーヒクマの起源と背景
  第2章 「安礼乃崎」新考
  第3章 「三河なる二見の道」新考ー伊場木簡の出土に関連して
  第4章 「遠江吾跡川」考ー近江説は成立しない
  第5章 「あらたまのきへ」私注ー遠江あら玉郡はた郷のきへの戸
  第6章 「お那の峰」考
  第7章 「白羽の磯・贄の浦」私注ー防人は「二見の道」を経由したか
  第8章 「牟良自が磯」「離り礒」私注
  第9章 防人歌にみえる商長首麻呂の周辺ー「商長首」は高句麗系帰化氏族か
  第10章 東国防人の出自について

 「第2部 防人の故地と風土の研究 第1 防人本郷考 遠江編」の最初は
  第1章 遠泡海国造家の族かー国造丁・物部秋持
  第2章 幻の「若倭神社」は実在するー主帳丁・若倭部身麻呂 (以下略)


雨宮日記 8月25日(水) よい社会を作るにはよい発信を

2010年08月26日 05時26分36秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 8月25日(水) よい社会を作るにはよい発信を

 21日(土)に「アンダンテ ~稲の旋律~」という映画の浜松上映実行委員会「観る会」というのがあり、ゴミ環境ネットから参加しました。

 そこで「観る会」のブログを作ったらという話になってしまって、作成経験のあるぼくから作成経験のない人に教えてくださいということになりました。

 ネット接続環境のある、ある事務所で午後4時から「観る会」のブログを作りながら、立ち上げました。
 自分でも、きちんと習ったわけではなく、自分で初めてアクセスして、ああでもない、こうでもないとやってきたので、原理的に教えられるわけではありませんが。
 なんとか、やってもらえるまでにしました。

 その時になんとなく浮かんできて、言った一言「よい社会を作るには、よい発信をみんながしないと」と。
 大事なのは、誰か偉い人や賢い人が発信オンリーで発信して、偉くないぼくらや賢くないぼくらは受信だけというのではないということです。
 ワンウエイ(一方向)通信は、未来社会のイメージに反すると思います。
 30年前にあるジャーナリストが言った「ツーウエイ(双方向)」という事が大事だと思います。
 ブログもそのための大事なツール(道具)です。
 大事に使いましょう。

 写真は、映画「アンダンテ」のチラシから。
 12月に浜松のシネマイーラで上映です。
 

遠州古代史の本6 浜松市博物館『浜松市の銅鐸』

2010年08月25日 05時25分54秒 | 遠州古代史
遠州古代史の本6 浜松市博物館『浜松市の銅鐸』

 これは、A4版の横長で、2007年3月25日に浜松市博物館が発行した、45ページのカラーパンフです。

 浜松の銅鐸についての基本文献だと思いますので、紹介します。

 浜松市の弥生時代と言えばやはり銅鐸、浜松市内で出土した24個の銅鐸のそれぞれと全体像を総合的に紹介しています。
 浜松の古代史ファンは必見・必読だと思います。
 定価は400円です。

 8月16日の「本と映像の森71」で紹介した「梅原猛さん『葬られた出雲王朝』」では
銅鐸は、鈴や鐘のような楽器であることが本質とされています。
 ぼくも正しいと思います。

 銅鐸の謎については、いずれ、大和朝廷・出雲王朝・倭国などとの関係も含めて解明したいと思っていますが、その前に、浜松市内の銅鐸出土地報告はしますね。

 

雨宮日記 8月23日(月) 夜、浜北での会議から帰って来たら

2010年08月24日 05時15分32秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 8月23日(月) 夜、浜北での会議から帰って来たら

 昨日も暑い1日でした。
 
 午後6時過ぎに家を車で出たら、ちょうど三浦橋の上で、仕事からバイクで帰ってきたN子さんと会って、手を振って通り過ぎました。

 浜北での会議が終わって、家へ帰るのに、ちょうど40分くらいあるので、いつもウォークマンをイヤフォンで聞いて、30数分の曲をかけています。
 チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を聴きました。
 メンデルスゾーンのメンコンよりは渋いですが、好きな曲です。

 途中、サークルKに寄って買い物をして家に帰ったら、台所にN子さんと娘のiさんがいたので「これ食べる?」と言ったら、顔を見合わせて苦笑いしています。
 「なに?ぼくが買ってくると変?」と聞いたら、娘が
 「お母さんが、さっき同じアイスクリームを買ってきたの」というので、ぼくも苦笑いでした。
 「まあ、好みが同じなので…」と言ってごまかしました。
 冷凍室は、それぞれの好みで買って来た、何種類かのアイスクリームで一杯でした。

 N子さんが「お父さんが、1階のトイレのウオッシュレットが壊れてるって、聞いてる?」と言うので、
 「聞いてない」というと、さもぼくが悪いやつのような、どうしてそんな大事なことをあなたは聞いてないのと、いう顔をしていました。
 雨宮家内では、87才のお父さんにとっては、ぼくは頼りにならない息子で、嫁さんのN子さんが頼りになる人なんですよ。

 夜になると、コオロギや虫の声がして、そろそろ秋の気配です。
 早く涼しくなるといいですね。

 今日24日は午後、N子さんと湖西市へ行かないといけないので、早く寝ます。
 N子さま、午後1時に市役所のあたりまで車で迎えに行くので、11時30分頃に携帯に電話して起こしてください。

雨宮日記 8月22日(日) 草食系・肉食系・雑食系

2010年08月23日 06時13分38秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 8月22日(日) 草食系・肉食系・雑食系

 なんで思いついたのか、わかりませんが、マスコミでいう「草食系男子」とか「肉食系女子」とか、なにか変だと思います。

 人類は、その歴史の最初からいままで、たとえば100万年間あるいは数万年間、ベジタリアンの「草食系」でもなく、ライオンや虎などの「肉食系」でもない、どっちちかずの「雑食系」でした。

 どっちかに決まっていない、という点にこそ、人類の特異性があるのだと思います。
 可能性があるからこそ、未来は未定であり、選択の余地がある。

 白か黒かの2分法は、わかりやすいけど、事実と真実にあっていません。
 白と黒とのあいだの「灰色」を大事にしたいと思います。
 
 「敵」か「味方」かとか、いやですね。
 ぼくはN子さんとですら「敵」にもなるし「味方」にもなります。
 最愛のN子さんにたいして、平気で反対意見を公然と述べますから。
 だからと言って「敵」ではないですが。

 「敵」にすると100%敵視し、「味方」だと100%信頼し、っていうのが変ですね。
 「敵」だろうと「味方」だろうと「灰色」だろうと、100%客観視して、
 客観的に観察すべきではないかと思います。

 もちろん、自分自身に対して、それはいちばん言えますね。
 いちばんむずかしいですが。
 
 音楽マンガ「ピアノの森」でショパン・コンクールの時に、雨宮修平のポーランド人の先生が「自分のピアノを客観的に聴けるピアニストなど、ほとんどいないよ」という意味の話を雨宮くんにしています。
 ぼくも、それは同感です。
 同時に、それをめざして必死に努力しようとしないなら、文化芸術にしろ、社会運動にしろ、退廃していくだろうなとも思います。