雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 4月29日(木) 浜松市政100年の記念に市史を

2010年04月30日 05時29分23秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 4月29日(木) 浜松市政100年の記念に市史を

 来年2011年は、浜松市が誕生して100年だそうです。
 浜松市は、市政100年をどう記念するか,考え始めているようです。

 「われわれは遠くから来た、そして遠くまで行くのだ」
 (白土三平さん著のマンガ『忍者武芸帳 影丸伝』に引用。
 織田信長さんたち武士に抵抗した百姓一揆の指導者で忍者「影丸」の最後の言葉とされていますが(もちろん影丸さんは、白土さんの創作です)。1956年発行の羽仁五郎さん著『明治維新研究』によると、イタリア共産党の指導者パルミロ・トリアッチの言葉のようです)

 きちんと遠くの過去を基礎にできるように、浜松市としては『浜松市史』の通史をきちんと発行するのが義務だろうと思います。

 現在の『浜松市史』は3巻本で、1980年に第3巻が出て完結していますが、1945年までしか記述されていません。
 戦後の浜松市はまったくの空白です。
 
 1980年以後の考古学や歴史学の進歩も取り入れて、30年ぶりの『浜松市史』を「浜松市政100年記念」に編集を初めて欲しいと思います。

本と映像の森33 一色まことさん著『ピアノの森1』講談社

2010年04月30日 04時56分05秒 | 本と映像の森
本と映像の森33 一色まことさん著『ピアノの森 1』<モーニングKC>、講談社、2005年4月12日第1刷、定価514円+消費税

 ある町のある小学校5年3組に、東京から将来はピアニスト志望の少年・雨宮修平が転校してきたところから物語は始まる。

 というより、転校生雨宮修平、
 小学校のそばの“森”の横の売春街に売春婦の母親と住む一ノ瀬海(かい)、
 海が小さい頃からそれで遊んだ“森のピアノ”、
 そしてわけありそうな小学校の陰気な音楽教師・阿字野、
 その3人と森のピアノ、4者がからみあって、物語が進行していきます。

 第1巻は、雨宮修平は自分が弾いても音のでない森のピアノを海が弾きこなすのに驚き、阿字野は、自分が1年前に授業で弾いたピアノ曲を海が正確に記憶しているのに驚きます。

 第1巻のテーマは、「たのしー」です。
 雨宮の家に初めて来た海は、雨宮の家の「軽いタッチの」ピアノで、ラジオ体操の曲をジャズ風にアレンジします。
 海の言葉「ピアノって楽しいよ!」

 今15巻まで達して、雑誌「モーニング」で隔週連載している「ピアノの森」の基本テーマだと思います。

 ピアノだけじゃないですけど。
 「○○って楽しいよ」はすべての人の、すべての人生の基本テーマですね。

 「楽しい」ということは、そこで自分が存在していると言うこと。
 楽しくない、正確さだけを命令される「コンクール」への批判もこめて、第1部の物語が進行していきます。
 
第1巻のピアノ曲 

 阿字野さん編曲(という設定)の「茶色の小瓶」。アメリカンジャズの名曲で、1869年につくられました。
 「茶色の小瓶」はお酒を入れた小瓶で「彼女はジン、俺はライム」というアル中のような夫婦を唄った歌です。
 いいんかいな、こんな曲、小学校で教えて、阿字野先生!


 

人間・心・集団の学習5 何が正しいかは魂(人格)が判断する

2010年04月29日 05時51分39秒 | 人間・生命・宇宙
人間・心・集団の学習5 何が正しいかは魂(人格)が判断する

 うわ!「何が正しいかは魂(人格)が判断する」とタイトルで書いてしまいました。
 どうしよう。

 「何が正しいかは、組織で判断するんだ!個人で判断するのは個人主義だ!」と怒る人、
 「魂だ、人格だなんて、おまえは観念論者か!」と詰問する人、
 「小さな子どもは親が導くし、何も知らない大衆は○○○が導くんだ!」と断言する人。
 そういう人に、どう説明しましょうか。

 人格=魂というのは雨宮理論ですが、そもそも、人格の絶対性は、科学的社会主義の始祖のマルクスさんとエンゲルスさんの基本概念なのを知らない人がいるのは困りますね。 
 知らないのは自由ですけど、知らないのは証拠にはなりません。

 で、4月24日付け「本と映像の森31 安冨歩・本條『ハラスメントは連鎖する』」で書きました。再録します。
 
 「私の理解した範囲でまとめると、ハラスメントとは、
 ① Aという個人が他人に、「これをしろ」あるいは「これをするな」と押しつけ・強要・強制をすること。
 ② ①のことは、AがBに、教育として・助言として・先輩として・親としておこなう善意の行為だから、拒否するな、拒否するならAがBを罰するというさらなる押しつけ。
 ③ ①や②を拒否するBに、受け入れるまで①②を押しつける強制、さらに暴力(言論も含め)をふるうこと。
 つまり、たんなるいじめ・暴力ではなくて、「これはおまえを愛するがゆえの」とか「上司としての指導・教育だ」とか、入ってくるんですね。」

 民主主義の本質は、何が正しいか、一人ひとり、内面の基準で決めていいよということだと思います。

 それを否定して、他人の基準・集団の基準・社会の基準で「決めなさい」ということを押しつける・強要するということが、ハラスメントの本質であるということです。

 ボクは、みんなに「だいじょうぶだよ、他人に聞かずに、自分で決めていいんだよ」と言い続けたいと思います。

 妻のN子さんが決断して○○○するときも、保母をやめるときも、いつも「自分で決めたらいいよ」と言ってきました。

 子どもたちにも同じです。次女のIさんが「非登校」「退学」を決断するときも、長女のTさんがなかなか仕事が見つからないときも、「ボクはきみじゃないから、きみの代わりに決断はできないよ。決めるのはきみ自身だよ」と。

 もちろん、みんなのことはみんなで決めましょう。
 雨宮家の全体のことは、雨宮家の全体で決めます。

 そういう基本原則をはっきりさせながら、支配・押しつけ・強要・従属・いいなり・共依存・固定化・孤立化・いじめ・暴力・ハラスメントなどがない集団・社会を創りたいです。

 この項は、さらに思考中。


 

本と映像の森32 松岡正剛さん著『神仏たちの秘密』春秋社

2010年04月28日 12時56分10秒 | 本と映像の森
本と映像の森32 松岡正剛さん著『神仏たちの秘密 ー日本の面影の源流を解くー』<連塾ー方法日本Ⅰ>、春秋社発行、2008年12月20日第1刷、375ページ、定価1800円+消費税

 松岡セイゴウさんの作品(評論?)は、僕は大好きです。
 最近好きになったので、まだ少ししか読んでいません。
 ネットの「松岡正剛の千夜千冊」はすごいです。

 松岡さんがこの本で語るのは「今日の日本は主語になりすぎて」固定化しているから「方法日本」を「伝えたい」ということです。
 で、松岡さんが語る「日本の方法」のキーワード(キー方法)の一例、一端を以下、あげておきます。一部です。

 「すさぶ」「小さきもの」「あわせ」「そろい」「きそい」「見立て」「てりむくり」「間(ま)」「面影」「うつし」「結び」「取り合わせ」・・・・。

 日本人にはとても有益な本だと思います(非日本人には?非日本人にはさらに有益かな?)

「神仏たちの秘密」は「日本の秘密」であり、私たちが修行して日本の秘密を知ることは、日本人としての「資格」を得ることだと思います。

 今、午後1時ですが、我が家の近くからアマガエルの声が聞こえました。どこに冬眠していたんだろ。

 松岡さんの本は、僕もさらに読んで行きたいと思います。「千夜千冊」に習って「本と映像の森1000」も挑戦したいな。

 写真は通勤路に咲いていたネギ坊主です(何か秘密があるだろうか)。

遠州の遺跡・寺社10 冨幕山の謎の新羅堂(しんらどう)

2010年04月28日 05時28分51秒 | 遠州古代史
遠州の遺跡・寺社10 冨幕山の謎の新羅堂(しんらどう)

 引佐町の冨幕山(とんまくやま)に「新羅堂」というところがあります。
 ネットで検索すると、たとえばこう出てきます。
 
 「新羅堂(しんらどう) 古代寺院遺跡か朝鮮式山城(創筑年代)弘仁11年(820年)か(創筑者)不明 静岡県引佐郡引佐町富幕 (現状)石段 礎石」

 そして別のネット「遠州修験の道を歩く」では「『遠州の霊山と山岳信仰』によれば「富幕山(鳳来山・扇山)西側山中には大福寺の前身である幡教寺が、東側山中には新羅堂がそれぞれ存在する。」という」と書かれています。

 さらに別のネットでも、新羅堂の位置がわからないので教えて、という問いが書かれていました。

 いまや、その位置さえ謎になってるようです。
 古代朝鮮の「新羅」と関係あるのは確かなようなので、調査したいと思います。

 一つ考えられるのは、北九州の山岳信仰では新羅系の渡来信仰が濃厚なことです。
 この浜名湖・湖北地域での山岳信仰が盛んなことからいっても、この山岳信仰が新羅系である可能性は大きいのではないでしょうか。

 まだ現地踏査していませんので、写真はなしです。



雨宮日記 4月26日(月) アメリカのドル紙幣

2010年04月27日 05時49分42秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 4月26日(月) アメリカのドル紙幣

 妻のN子さんが、5月1日から8日まで、アメリカへ、生まれて初めての海外旅行に行くので、静岡銀行へ行って、「円」を「ドル」に換えてきました。
 
 その「ドル紙幣」を見せてもらったら、オモチャみたいな、薄っぺらい紙幣でした。
 「これ、ほんとに、アメリカ政府が印刷してるの?」と思うような、ちゃちさでした。

 こういうのも、文化なんでしょうね。
 ドル=世界貨幣、というのが、嘘のような感じです。

雨宮日記 4月25日(日) 何かが変わる?沖縄県民集会

2010年04月27日 05時37分58秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 4月25日(日) 何かが変わる?9万人の沖縄県民集会でした

 今日は、沖縄でアメリカ海兵隊・普天間基地の撤去を求める県民集会が開かれ、9万人が参加しました。
 高校生の発言や、首長さんの発言など、すごく感動です。

 これまでも10万人規模の沖縄県民集会は開かれていますが、沖縄県知事が参加したのは初めてで、「島ぐるみ闘争」の再現と言えるのではないでしょうか。

 30数年前の「沖縄闘争」の熱気のころ、名古屋で大学生だったぼくは「歌はデモで覚えて」、青春の時を沖縄で過ごしたような気がします。
 
 普天間基地をめぐって、沖縄県民や日本国民とアメリカ政府との関係は、もう耐えられない沸騰点に達している、と思います。
 アメリカ政府は、日米関係を正常に維持したいなら、普天間基地の無条件撤去を決断すべきです。

 何かが変わることを予感できた県民集会でした。

雨宮日記 4月24日(土) 名古屋港水族館に行きました

2010年04月24日 22時34分29秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 4月24日(土) 名古屋港水族館に行きました

 ちょっと時間的にはきつかったですけど(早朝まで仕事だったので)、妻のN子さんと、娘のIさんと3人で、午前9時半ごろに家を出て名古屋港水族館へ、イルカやペンギンや魚などの海の動物たちを見に行ってきました。

 JR浜松駅から東海道線で豊橋から快速になる電車で、金山駅までの所要時間83分で、各駅停車だと2時間かかるのが、かなり短縮されました。
 (最初、経済観念のないボクが「新幹線で行く?」と言うと、2対1の多数決で否決されました。)

 金山駅に着くのが12時ちょっと過ぎなので、東海道線の電車内で、家でつくったおにぎりを食べました。おいしかったです。

 金山駅のホームから階段を上って、下がって、名古屋の地下鉄線で名古屋港駅へ。

 名古屋港駅へ着いて地上に出ると、もう目の前は海で、名古屋港です。少し歩いて、名古屋港水族館へ。1人2000円で3人分は、高い?安い?

 まず北館の「イルカショー」を見ました。何頭ものイルカたちがジャンプしたり、飼育係さんの前で直立したり、すごかったです。
 でも、一部の西洋人やリリーさんのように「イルカに知性がある」とは思えないですね。
 知性はこういう「1つの芸にお魚1匹」を餌にした「ショー」「見世物」を拒否すると思います。
 でもでも、やっぱり、イルカは可愛いです!
 どこか、ほのかな知性の光と、個性のひらめきがあるんですね。

 そのあと、白いイルカの「ベルーガ」や、南館の大水槽のイワシの群遊泳、深海の世界を見てから、白い氷の「南極世界」へ行き、可愛い「飛べない鳥」ペンギンを堪能しました。

 いちばん思ったのは、ペンギンの水泳の早さとすばらしさです。背側が黒くて、腹側が白いペンギンが、水の中を素早く「飛んで」いるのを見ていると「ペンギンって,太ったツバメじゃん!」と感じました。
 娘のIさんに「ツバメみたいだろ?」と言うと「そうだよね、太っちょのツバメだ」と言っていました。

 館内の映画館で「イルカとクジラ」のワイドスクリーンの映画を見ました。マッコウクジラやザトウクジラがゆったり海中で泳ぐ映像、海豚たちが海中で飛び回る映像、フロリダ半島の海で太っちょのマナティが海底の藻を食べて、お昼寝をして、小さな魚がマナティの肌を突っついている映像など、堪能しました。

 帰りは、JR金山駅から豊橋までの快速に乗り、夕食は豊橋駅構内で3人でラーメンを食べて、頭もお腹も満足して帰宅しました。
 
 やっぱり生命は海で生まれて、海で進化してきたんだから、生命進化を学ぶなら、まず「水族館」ですね。
 おもしろかったです。
 

 

本と映像の森31 安冨歩・本條『ハラスメントは連鎖する』

2010年04月24日 05時41分08秒 | 本と映像の森
本と映像の森31 安冨歩さん・本條精一郎さん著『ハラスメントは連鎖する』光文社新書299、2007年4月20日初版第1刷、331ページ、定価840円+消費税

 この本を書店で(たしか谷島屋三方原店で)見つけて、あっ!と思って,買ったのは2008年の初夏の頃でした。
 実は、自分が所属する組織のなかで、自分以外のAさんが、自分以外のBさんに仕掛けたハラスメント事件で、どうしたらいいか、このことの原因や本質は何なのか、悩んでいて、家に帰って、一晩で読みました。
 
 この本は、みなさんの回りにもいっぱいあると思いますが、パワハラ・セクハラ・モラルハラスメントなど「ハラスメント」についての基本的テキストであると思います。
 なぜかというと、ハラスメントについての基本的な構造とそれが起きる原因を解明しているからです。(もちろん、ぼくがこの本を読んでそう思ったと言うことです。)

 同時に、この本は、人間とはなにか、人格・魂とは何か、について、基本的な解明をしているように思います。
 というより、人間とは何かについて基本的解明ができたから、ハラスメントについても解明ができたというこでしょう。

 私の理解した範囲でまとめると、ハラスメントとは、
 ① Aという個人が他人に、「これをしろ」あるいは「これをするな」と押しつけ・強要・強制をすること。
 ② ①のことは、AがBに、教育として・助言として・先輩として・親としておこなう善意の行為だから、拒否するな、拒否するならAがBを罰するというさらなる押しつけ。
 ③ ①や②を拒否するBに、受け入れるまで①②を押しつける強制、さらに暴力(言論も含め)をふるうこと。

 つまり、たんなるいじめ・暴力ではなくて、「これはおまえを愛するがゆえの」とか「上司としての指導・教育だ」とか、入ってくるんですね。
 
 これは、たとえば学校の同じクラスの対等平等の生徒同士では、ぜったい理由になりません。「指導」とか「教育」とか言っても。

 安冨さん・本條さんが解明した問題は、かなり多岐にわたるので、今後は「人間と心と集団」のシリーズで考えていきたいと思います。

 集団という場合、そこには、すべての集団が入りますので(保守的集団・自治会的集団・NPO的集団・民主的集団)、思考はかなり多岐にわたります。
 でも、いつも,普遍的でありたいと思います。

 
 

雨宮日記 4月23日(金) ショパン(ゼロ才)の洗礼の日

2010年04月24日 05時19分37秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 4月23日(金) ショパン(ゼロ才)の洗礼の日

 今年はショパンさん生誕200年で、「ピアノの詩人」フレデリック・ショパンさんがポーランドの首都ワルシャワから西に55kmの「ジェラゾヴァ・ヴォラ」という小さな村で生まれたのは1810年3月1日でした。
 つまり、3月1日は、第五福竜丸事件の起きた日で、1919年に日本の植民地下の朝鮮で3・1独立運動の起きた日、という3つの日が重なっています。(それがどうした?と言われそうですが、自分にとって意味あるというだけです。)

 今日4月23日は、ショパンさんが教会で洗礼を受けた日です。
 今年は、ショパンさんの「全曲集CD」を聞き始め(まだ聞き終わっていません、つい好きな曲をいつも聴いてしまうので)、たとえばポロネーズが「軍隊ポロネーズ」や「英雄ポロネーズ」のような速いテンポの勇壮な作品だけではなく、むしろ感じはノクターンに近いような、優しかったり、悲しかったりする作品の方が多いことも初めて知りました。

 今大好きなのは、ショパンさんのピアノ協奏曲1番・2番と、ラフマニノフさんのピアノ協奏曲2番・3番なのですが、ラフマニノフさんのピアノとオケのからみあった緊密な構成の曲を聴くと(からみあいすぎて時々、ピアノの旋律が聞き取れません)、ショパンさんのピアノ協奏曲は、すごく好きなのですが、オーケストラがバックで伴奏するピアノソナタという感じがします。

 もう一つは、ショパンさんのピアノ協奏曲は、2つとも第1楽章では、オーケストラの前奏が長く入って、かなり立ってからピアノが入ってくるのに、ラフマニノフさんのピアノ協奏曲では(第1番はまだ聴いたことがありません)、第2番ではピアノによる、鳴り響く「鐘の音」から始まるし、第3番もオケの出だしに数秒でピアノがすぐ入ります。
 この違いはなにか意味があるのでしょうか。

 ショパンさんのことも、もっと知りたい,感じたいということで、浜松市アクトシティ音楽院が企画した「ショパン 生涯の軌跡」というレクチャ+コンサートのチケットを買いました。N子さんと2枚です。

 5月26日(水)、6月16日(水)、23日(水)、30日(水)、7月7日(水)の各夜、開かれ、5回通しチケットで3500円です。
 

 

雨宮日記 4月20日(火) 夜の月が雲をカーテンにして

2010年04月23日 23時50分40秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 4月20日(火) 夜の月が雲をカーテンにして

 夜の半月が白い雲のカーテンの向こうで光っていました。
 デジカメの倍率を最大の12倍にして撮ってみました。
 
 『記紀』では、天照大神とスサノオとセットで生まれたはずの月読命(つきよみのみこと)はせっかく配役をもらったのに、ほとんど舞台に登場もせず消えてしまいます。
 なぜなんでしょうか。
 
 

遠州の遺跡・寺社9 天白岩座遺跡幻想

2010年04月23日 23時19分56秒 | 遠州古代史
遠州の遺跡・寺社9 天白岩座遺跡幻想

 引佐町の「石の聖地」「天白磐座遺跡」に似たものは,実は日本列島内にもう1カ所あります。あると思います。

 それは、北九州の玄界灘にある、宗像大社の辺津宮にあたる「沖ノ島」の中腹にある古代祭祀遺跡です。
 別名「海の正倉院」と呼ばれています。 

 沖ノ島の中腹にある23の巨岩の岩上・岩陰・半岩陰・半露天・露天の遺跡から4世紀の古墳時代から10世紀の平安時代に至る、大量の祭祀異物が出土しています。

 さて問題は、この西日本の沖ノ島遺跡は航海の安全を祈った遺跡とされている点です。遺物の規模はともかく非常に似通った遺跡である東日本の天白磐座遺跡は、在地の「井伊氏」だけによる地元の祭祀であるといえるのでしょうか?

 いずれ報告書はきちんと読み込みたいと思いますが、類似性から行っても、沖ノ島遺跡が朝鮮海峡を渡る航海・敵地へ渡る旅の安全を祈願する遺跡であるなら、浜名湖から都田川・神宮司川とつながっている天白磐座遺跡が、たとえば尾張政権・たとえば大和政権、あるいは西日本との関連でもっと空想するなら筑紫政権のいずれかが「東海」の船旅、たとえば関東への旅を祈っておこなった祭祀の場であるとは言えないでしょうか。
 今のところは1つの可能性、雨宮の幻想ですが。

 沖ノ島遺跡については、正木晃さん著『宗像大社・古代祭祀の原風景』NHKブックス、日本放送出版協会、2008年8月30日第1刷、定価970円+消費税、205ページ、を参照しました。

 ネットで「沖ノ島遺跡」で検索すると「沖ノ島バーチャルミュージアム」や「沖ノ島・祭祀遺跡」などいろいろなサイトで、カラーでいろんな写真が見れます。

 記紀」にはヤマトタケルさんの旅が書かれていますが、あれは明らかに陸上ではなく、船による海上の旅(侵略の?それとも友好を求める旅?)です。
 ヤマトタケルさんは、名前は「ヤマト」と称しているのに、東日本から帰ってきて熱田の妻のところにいついてしまい、ヤマト天皇にまず報告にもいかないのはおかしいですね。
 ヤマトタケルさんの本拠地は熱田で、尾張政権の一員ではないでしょうか。

 偶然でしたが、今年は「井伊共保さん生誕1000年だそうです。もうすこし井伊氏や郷土の古代史を追いたいと思います。


 

雨宮日記 4月19日(月) だんだんと朝が明るくなって

2010年04月22日 05時52分55秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 4月19日(月) だんだんと朝が明るくなって

 一日一日と、朝が明るくなるのが早くなってきました。
 自分の仕事は夜の定時に始まって,早朝の定時に終わるので、以前は暗いころに家に帰ってきたのが、だんだんと、仕事がおわる前に明るくなってきます。

 浜松駅前に建設中の高層マンションが、だんだんと高くなってきました。
 ぼくはニワトリではないので、あんな高いところに住んで、地上を見下ろしたくはないですが、浜松駅に近くて便利なのと、車の運転のできない高齢者でも生活できそうなので、人気は高いようです。

宮崎駿さんのアニメ「天空の城ラピュタ」で主人公の少女シータ(ラピュタ王家の末裔)がラピュタ王家の別の末裔、世界支配をたくらむ男に叫ぶ言葉に、共感します。
 「大地から離れて、人は生きられないの!」

 あかつきの浜松駅前の写真です。

遠州の遺跡・寺社8 古代中国の土笛「ケン」と弥生の土笛

2010年04月21日 05時32分10秒 | 遠州古代史
遠州の遺跡・寺社8 古代中国の土笛「陶ケン」と弥生の土笛

 浜松市の弥生時代を代表する全国的にも有名な遺跡が伊場遺跡です。
 その伊場遺跡で、弥生後期の地層から、土笛が1つ、出土しています。

 この「弥生の土笛」「弥生のオカリナ」は、実は、古代中国の殷王朝の時代の楽器で、出雲地方を中心に、弥生前期の日本海沿岸で遺跡から出土しています。

 正式名称は「陶ケン」と言い、「ケン」という漢字は、「土」へん+「員」です。

 口から息を吹き込む大きな穴が1つと、指で押さえるための表て4個、裏で2個の6つの小さい穴があります。

 出土しているのは、福岡県・山口県(下関市・綾羅木(あやらぎ)遺跡)・島根県(松江市・タテチョウ遺跡)・兵庫県(丹後町・竹野遺跡)などの10遺跡で40個余です。

 この土笛を、どういう祭りや祭儀で、どんなメロディーを吹いたのか、再現できないものかと思います。
 もとの「殷」のメロディーが再現できればいいのですけど。

 他の出土が弥生前期なのに、浜松市の伊場だけが弥生後期なのは、想像すれば、やはり、日本海文明「出雲文明」が、何らかの理由で崩壊したときに、そこから逃れて伊場まで「亡命」してきた「亡命者」が持ってきたのでしょうか。

 それとも、出雲から何らかの交易や交流で誰かが持ってきたものでしょうか。

 あるいは、出雲を征服した占領者が戦利品として持ち帰ったものでしょうか。

 古代中国の殷王朝と日本列島の交流という点では、もっと考察したいと思います。
 
 
 

雨宮日記 4月17日(土) 春の馬込川で

2010年04月20日 05時41分25秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 4月17日(土) 春の馬込川で

 黄色い菜の花や、白いタネツケバナが咲き誇り、「新緑」に近くなった緑の葉っぱや青空が、馬込川の川面に緑や青を映して、すごくきれいです。

 黒と白のセキレイや、土に溶け込んでしまうキジバトや、春を祝って舞い続けるツバメや、まだ居残り続けるヒドリガモや、数日前にやってきた赤いくちばしのバンや,白いくちばしのオオバンが、春を堪能しています。

 夕方になると、昼間はどこに隠れているのか、コウモリたちが、小さな羽虫たちを食べる夕食会です。
 コウモリはまだ詳しくないので、何コウモリなのかも知りません。

 街でもツバメが飛び始めたので、これは前からいる馬込川のツバメではなく、東南アジアから渡ってくるツバメたちのようです。