雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記2010年1月30日(土)妻は試験、兎は家出

2010年01月30日 20時44分54秒 | 雨宮日誌
雨宮日記2010年1月30日(土)妻は試験、兎は家出

 今年も、もう1ヶ月が立ってしまいました。今日は妻N子さんは、昨年から勉強をしていた社会福祉士試験というものに挑戦して、明日の朝からの試験に遅れないように、今日から名古屋へ行きました。
 会場の吹き上げホールの近くのビジネスホテルに泊まって(N子さんがぼくに「会場の近くのビジネスホテルを探して予約してね」と言うので「はい!」とネットで探して電話して予約を取りました。ぼくに支援できるのはこれくらいですね。
 
 昨夜は仕事が休みの次女が名古屋へ何かを見に行って(演劇なのか、映画なのか知りません)遅くなっても帰ってこないで、午後11時過ぎに「今から名古屋を新幹線で出るけど浜松駅についたら迎えに来れる?」という電話でした。
 午前0時過ぎに次女から電話があったので「もう夜勤の仕事に入ったからいけない。タクシーで帰って」ということで、娘はタクシーで帰りました。横浜の架線が火事で切れた事故の影響でした。
 妻はそれで用心したのと、「ホテルで最後の勉強する」と言って、早々と午後早くに出掛けました。

 夜勤から帰って寝て、午後起きると、娘2人が外でなんだかあたふたしているので「どうしたの?」と聞くと、「豆子(註 次女が飼っている兎)がいない。たぶん倉庫の下」とのこと。
 またか、前のミントの時にもあったのに、と思いましたが、口には出さず、夕方の仕事で事務所へ。2時間くらいして帰ってくると、まだ女女と長女が倉庫の下を探していました。
 夕食の支度をする長女とバトンタッチして、私と次女で懐中電灯で照らしたり、倉庫の裏からちょうど車に乗せてある網をつっこんだりして、ようやく豆子を家に戻しました。

 夕食の後で、次女と、天王町のカーマに行って、板を買ってきて倉庫の下を封鎖しました。あー、疲れた。


 

本と映像の森3 清川あさみ絵『銀河鉄道の夜』リトルモア

2010年01月30日 04時28分24秒 | 本と映像の森
本と映像の森3 銀河鉄道① 清川あさみ絵『銀河鉄道の夜』リトルモア

 宮沢賢治さんの『銀河鉄道の夜』を、糸や布を使ったアート作家の清川あさみさんが50枚の絵で絵本にしました。

 私は、最近新聞の日曜日の書評で読んだ記憶があったのですが、本屋さんの店頭で、この本を偶然見て「うわ、感覚的に好きな絵だな」と思って手に取って、即決で買いました。
 「布、糸、ビーズやクリスタルで織りなす宇宙」です。

「銀河鉄道の夜」の魅力は、なんと言っても、「銀河ステーション」と次の「白鳥の停車場」から始まって暗黒星雲の「石炭袋」まで、美しい天の川を汽車で旅していく楽しさでしょう。

 もう一つのテーマは、いじめられている(現代で言うハラスメントを受けている)少年ジョバンニと友だちカンパネルラの2人の主人公です。
 友だちのカンパネルラ(名前の意味は鐘(かね))と共にたどる銀河の悲しい旅です。

 「悲しい」という意味は、ジョバンニとカンパネルラは、これから、ずっといっしょに旅する「旅の仲間」ではありません。
 いろんな人たちが、生から死へ導かれる「銀河鉄道」で、ジョバンニとカンパネルラは、いっしょに乗り合わせました。でも、幸せな天国へ行くカンパネルラとは別れて一人で遠くへ行かなければいけないことをジョバンニは心の表面では納得できなくとも、心も奥底ではわかっています。

 「赤い帽子をかぶったせいの高い車掌」が「切符を拝見いたします」と来たときに、カンパネルラが出したのは「小さな鼠いろの切符」でした。
 ジョバンニが出したのは「いちめん唐草のような模様の中に、おかしな十ばかりの時を印刷したものでだまって見ていると何だかその中に吸い込まれてしまうような気がするのでした。
 同席していた「鳥捕り」は「おや、こいつは大したもんですぜ。こいつはもう、ほんとうの天上へさえ行ける切符だ…こいつをお持ちになれぁ、なるほど、こんな不完全な幻想第四次の銀河鉄道なんか、どこまででも行けるはずでさぁ」
 
 「銀河鉄道の夜」は、大人にとっても子どもたちにとってもいろんな読み方がありますね。その違っている読み方の、それぞれが貴重なのだと思います。

 そして、ここから派生して、たくさんの物語が生まれました。たとえば、松本零士さんのマンガ「銀河鉄道999」や、大橋さんの演劇「銀河鉄道の恋人たち」などなど。

 こういう素敵な作品が、戦前の1920年代から1930年代に書かれたという点だけでもすごいです。同じ時期で言えば、金子みすずさんの詩のように、現代的人間の感覚と思考があの時代になぜできたのか、考えてみたいと思います。

 (2月2日補作修正)

 

哲学の学習7 対立物の統一と相補物の統一

2010年01月28日 04時54分51秒 | 人間・生命・宇宙
哲学の学習7 対立物の統一と相補物の統一

 32年前に発行された書籍に、次のように書かれています。
 「弁証法は事物の変化、発展の原動力を事物の内部にもとめ、この原動力になるのは。すべての事物の内部にある矛盾であることをあきらかにしています。」(同署p198)

 どう「あきらかにしてい」るのかは、そこには叙述が何もないので、私にはわかりません。どなたか、「あきらかに」わかる方がいれば、教えてください。

 そのあとには、こう書かれています。

 「事物の内部の矛盾とは、一つの事物のなかにたがいに対立する側面があって、それがたがいに結びついていることをういいます。
 たとえば、すべての生物は、外界から栄養をとる同化作用をおこなうのと同時に、これを体内でエネルギーとして消費し、老廃物を外界へ排出する異化作用をおこなっています。このどちらもが停止しても、生物は生きることができません。
 資本主義社会には、労働者階級と資本家階級という対立する二つの階級が存在します。
 一つの事物のなかの対立した二つの側面はたがいにむすびつき、一つの側面は他の側面なしにはありえないというように統一しています。たとえば、同化は異化なしにはありえないし、資本家階級はかれらの搾取する労働者階級なしには存在しえません。このような関係を対立物の統一といいます。」

 同化と異化が「対立物の統一」「矛盾」であるというのは。どうなのでしょうか。
 生命における物質代謝の両側面である、同化と異化は、なんら対立しているわけではなくて、お互いに相互に支えあっているのではないでしょうか。

 環境の安定なしには、恐竜類や裸子植物の大繁栄もなかったのではないでしょうか。

 地球に落ちた大隕石か、それとも、もっと他の要因かは、わかりませんが。
 
 生命のほんとうの矛盾は、生命内にではなくて、生命と環境のあいだの相互作用にあるのではないでしょうか。

 文明である人間社会は、環境の影響を脱して、自立的な矛盾をもっていると思います。
 しかし、歴史を溯るほど、環境とシンクロ(同調)する生き物の姿が、わき上がってくるものと思います。
 
 

雨宮日記 2010年1月27日 結婚しておもしろかったよ

2010年01月27日 04時37分19秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 2010年1月27日(水) 結婚しておもしろかったよ

 いま、我が家にいる家族は、おじいちゃん(私の父)・私・私の妻・長女・次女・次女の飼いウサギの豆子、の6人と1匹です。

 昨年末に、娘がわたしに「お父さん、なんで、お母さんと結婚したの?」と、マジメな顔をして聞くので、ぼくもマジメに答えました。
 「お母さんと結婚すると、おもしろそうだったから」

 今から考えると、まったくタイプ・性格の違う、異業種・異性格です。
 当時は、N子さんは「浜松市保育問題研究会委員長」という肩書きだったので、わたしは最初は「あ、研究者なら、ぼくの同類なんだ」と誤解して会ったら、そうではなくて、わたしとは全く別の、行動が先のタイプでした。

 結婚して、おもしろくないか、おもしろいか、もっと、考察しましょう。

 

雨宮日記 2010年1月26日 ショパンの曲が鳴っています

2010年01月27日 04時01分18秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 2010年1月26日(火)ショパンのピアノの曲が鳴っています 1

 思春期の頃から、クラシック音楽を聞くのが大好きで、中学生・高校生の頃はラジオ、それもNHKのFMラジオしかありませんでした。貧乏な小さな本屋の次男で、高価なレコードを買うお小遣いはなかったので。

 大学に入ったときに「○大混声合唱団」で歌い始め、実家の浜松に帰ってきて、まだヒマな時に浜松の中心街をぶらついていて、偶然、電柱にかけてあった「合唱団美樹」の「うたごえ喫茶」という看板を見て、行ってみて、雰囲気が気にいってその場で入団を決めました。
 1976年ですから、今から34年前で、今は名鉄ホテルとなった場所です。

 合唱団と同時並行で、浜松の平和運動ともかかわりあって、当時の20代の青年男女で、平和サークル「ブーゲンビリア」をつくりました。
 今は、当時の国鉄(今のJR)の高架化でなくなってしまった「平田(なめだ)」の「開かずの踏切」のそばの、当時の「浜松書房」「新婦人浜松支部事務所」で、後で妻となる保母のNさんとも初めて会いました。

 こういう話を書き始めると、また別に「雨宮智彦の自分史」を書かないといけなくなりますね。
 とにかく、当時の合唱団美樹の団員では例外的に、美樹の団員ではない女性と結婚して、その女性を美樹に入団させたのが雨宮です。すみません(何が、すみませんだ?)。
 
 1980年代後半まで、10年弱を合唱団美樹で歌って過ごしましたが、他の分野での活動が忙しくなって、もっと謡いたかったのですが、涙をもって断念し、「歌のわかれ」となりました。
 
 そんなこんなで、なんとなく、クラシック音楽へのアクセスも減っていましたが、去年、偶然、少年ピアニストの成長をテーマにしたコミック「ピアノの森」(いま15巻まで刊行)を読んで、じっくり、ショパンやピアノ音楽を聴きたい気持ちになりました。

 毎日、何時間か、ショパンあるいはラフマニノフを聴いています。

 きのう、妻には内緒で、高林のイケヤレコードに行って、CD「ショパン全集」全16枚を注文しちゃいました。

雨宮日記 1月20日(水) 大寒(たいかん)です

2010年01月23日 20時54分48秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 1月20日(水) 大寒(たいかん)です

 1月20日は大寒(たいかん)です。
 昔の旧暦は、太陰暦といって月の満ち欠けで月を数えるので、1年の季節の移り変わりとはずれてしまいます。
 そこで、1年365日を「24節気」に分けて、季節の変わり目が分かるようにこよみに書き込みました。
 その1つが大寒(だいかん)です。
 「おおさむ」とは読まないでくださいね。

 ボクが小さい頃から覚えている「唄」ではこうです。
 母が歌ってくれた子守歌かもしれません、
  「大寒(おおさむ) 小寒(こさむ)
   山から小僧(こぞう)が 泣いてきた
   なんと言って 泣いてきた
   寒いと言って 泣いてきた」
 と覚えています。もちろん「大寒(おおさむ)」は「大寒(だいかん)」のことで、「小寒(こさむ)」は「小寒(しょうかん)」のことですが。

 加藤文三さんの『民謡歳時記(上)』(青木書店、1980年)の「1月 寒天唄」(p52)には、「これは東京の唄だが、長崎では初めを「あー寒さ、こー寒さ・といい、熊本では「ああ寒み、小寒み」という」とあります。
 
 ボクの母は東京育ちで、結婚して浜松へ来たので、これは「東京の唄」なのか、それとも父の、浜松の唄なのか、わかりません。
 回りの友だちに聞いてみたいと思います。


哲学の学習6 変化・運動・発展の原動力

2010年01月22日 04時16分45秒 | 人間・生命・宇宙
哲学の学習6 変化・運動・発展の原動力

 自分の頭で考える「学習」シリーズです。

 他人の頭で考えることのできるヒトは絶対いませんが。他人の頭にたよろうとするヒトはたくさんいます。自分の感覚や判断ではなく、「世間の基準」や「他人の評判」や「他人の規範」にたよろうとすると自分の正直な心・魂・人格を殺すことになります。
 私は、自分の心・魂・人格が死んだゾンビー状態で生きたくはありません。

 通説では、事物の変化・運動・発展の原動力は、事物の内部に存在する矛盾あるいは対立によるということのようです。
 なぜ通説なのか、誰が決めたのかは、ボクに聞かないでください。なぜ通説なのか、誰が決めたのかわからないのが通説であり、常識なのです。

 これは詳しく証明したのではないですけど(時間があれば詳しく証明したいと思いますが)、具体的な1つの変化・運動・発展という「ベクトル」の矢印の長さを規定するのは、「事物の内部に存在する矛盾あるいは対立」ではなく、事物に内在する「エネルギー」ではないでしょうか。
 「事物の内部に存在する矛盾あるいは対立」が規定するのは、「変化・運動・発展」のベクトルの長さではなく、その方向を規定すると思います。

 つまり、原動力であるエネルギーが「変化・運動・発展」を起こすが、その方向性を決めるのは「事物の内部に存在する矛盾あるいは対立」であるということです。

 この世界は、① 物質 ② エネルギー ③ 情報、という3つの要素で成り立っていると思いますが、エネルギーが「変化・運動・発展」のベクトルの長さを規定し。情報がその方向性を規定するということだと思います。

 生物の日々の動的平衡や成長を支えているエネルギーは、ミトコンドリアで生産されるATPですが、そのエネルギーがどう使われて、生物がどのように成長していくかは、生物の細胞の核にある「遺伝情報(DNA)」に規定されています。

 社会の発展のエネルギーは「生産力」ですが、その社会の発展方向は、その社会の成員の情報伝達の総意によって規定されています。
 いまの北朝鮮やスターリンソ連、毛沢東中国、ヒトラー独裁のナチスドイツ、戦前の絶対主義的天皇制日本のような独裁社会では、社会の総意ではなく、どの独裁者によって「変化・運動・発展」ベクトルの方向が規定されていると言えるでしょう。

 もっと感じて、考えて、学習していきます。



雨宮日記 2010年1月16日(土) ウサギの豆子

2010年01月16日 20時52分37秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 2010年1月16日(土) ウサギの豆子

 昨年秋に来た雨宮家の2代目のウサギ「豆子」、毛の色は茶色です。

 次女が育てていた初代の白ウサギ「ミント」は次女が中学生の頃から7年間の家族としての同居生活を終えて、天国に行きました。
 火葬場で焼くのはいやだと言うので、自然のある場所に地主さんの好意で埋めさせてもらいました。ミントの魂や原子は、里山で生きていると思います。

 ミントは、ウサギに似合わず、おっとりとしていて、玄関内の自分の居場所で座っていて動かなかったのですが、豆子は敏捷なのか、臆病なのか、私が帰宅して玄関を開けると、すぐにパッとカゴの中に飛び込んでしまいます。
 つい最近、あまり慌てて飛び込もうとしたので、カゴを置いてある段ボールの段差にぶつかってしまい、つい「そんなに慌てるなよ」と、笑ってしまいました。
 なぜか、わが妻にはなついていて、匂いを覚えたのか、なんなのか逃げません。

 ミントの時にはそんなことはなかったので、玄関のすぐ横の部屋に高さ40センチくらいの障害物を置いて、ふすまを開けておいたら、豆子はジャンプして部屋の中に入り込んでいました。ウサギはコードをかじったりするので、慌てて、部屋から追い出しました。

 ウサギにも、個性があるんですね。
 私たち夫婦と、20代の娘2人と、86才の父と、豆子との共同生活です。これが永く続くといいなと思います。 


2010年1月15日 今日は小正月、むかしの成人の日

2010年01月16日 05時36分46秒 | 雨宮日誌
2010年1月15日 今日は小正月、むかしの成人の日

 1月15日は「小正月(こしょうがつ)」です。旧暦で1年の最初の満月の夜で、中国から暦が入ってくる前は、1月15日が「正月」でした。
 つまり、年の替わる日です。

 ですから、子どもが大人になる「成人の日」なわけです。つまり「元服の儀」は小正月におこなわれていました。
 それを「ハッピーマンデー制度」によって、15日からずらして「連休」にするのは歴史も民俗も軽視した傲慢な態度だと思います。
 「成人式は1月15日」に戻すべきだと僕は主張します。
 こんな恥ずかしいことをするから、成人式で騒ぐ若者たちを本気で叱れなくなるのでははいでしょうか。

 小正月には、たくさんの行事が全国でおこなわれました。
 小豆がゆで「年占い」、秋田などの「鳥追い」、「どんど焼き」、「かまくら」、男鹿半島の「なまはげ」、奈良の若草山の山焼き、などなど。

 浜松市中区には「小豆餅(あずきもち)」という地名があります。これも、単なる地名ではなくて、行事と関係のあるのではないでしょうか。

 お米に小豆を混ぜて炊いた「赤飯」は、「赤い」ということで「邪気」を払う力があるとされたようです。
 こういう知識・常識も、どんどん失われていくのは、さみしいです。

 参考文献:加藤文三著『民謡歳時記 上 ~くらしの文化誌~』青木書店、1980年


 

2010年1月15日 「雪の降らない浜松」は撤回

2010年01月16日 05時20分08秒 | 雨宮日誌
2010年1月15日 「雪の降らない浜松」は撤回

数日前、何人かで「浜松はめったに雪が降らないねえ」
「名古屋から吹いてくる風花(かざはな)だけだよ」
「浜松人は、雪が降ると自動車事故が多くてたいへんなんだ」という話をしていたら、
1人だけ「いや、おれんとこは毎年雪が降るよ」とぼそっと言いました。

彼は、合併して天竜区の住民で、私は深く反省しましたね。
旧浜松はめったに雪が降らないのですが、
遠州北部の新浜松市北部は、毎年雪が積もります。

寒くて氷の張った浜松ですが、昨日の夜、仕事から帰ってきた次女が
「お父さん、馬込川でなんか救助隊がライトで川を探しているよ」と言うので、
家から5分の馬込川の三浦橋に行ってみました。
なるほど、消防署の救助隊でしょうか、ライトを照らして川を捜索していました。
わが家の近くで消防車が赤いライトを回転させて、
何か指令を飛ばしていました。

帰って娘や妻と「誰か川に落ちたのを探してるのじゃないか」
「もしかしたら、身投げで川に飛び込んだんじゃない?}と会話しました。

娘は「私だったら、もっと楽に死にたいな」と。まあ、それはそうだけど。
自殺するのは、そんな選択ができないくらい追いつめられてるんだよ、と思ったけど、
そんな説教はせずに、馬込川の冷たさに思いをはせました。





本と映像の森2 小松左京原作・一色登希彦『日本沈没 1』小学館

2010年01月13日 04時23分54秒 | 本と映像の森
 小松左京原作・一色登希彦『日本沈没 1』<ビッグコミックス>、小学館、2006年8月1日初版第1刷、210p、524円+税

 SF作家小松左京さんが30年前の70年代初めに書いた小説「日本沈没」をベースに、マンガ家・一色登希彦さんが書き下ろした、新たなマンガです。

 「新たな」というのは、小松左京さんの原作小説を基礎にして、感覚的に違う世界をつくりあげているからです。
 ぼくは、この世界の方が好きです。

 第1巻の舞台は、東京・新宿・11月。
 原作でも主要人物だった、深海調査会社の社員で、若い青年・小野寺俊夫とその同僚の「結城」の仕事帰りの新宿での会話から始まる。

 この日、この時に、新宿の居酒屋「クロス・ブリード・パーク(雑種天国)」に、深海調査会社の潜水艇操縦士の小野寺俊夫と結城(ゆうき)、「東京消防庁、ハイパーレスキュー(消防救助機動隊員)」の阿部玲子と酔いつぶれた堀田(ほった)、科学者の田所、が集まった。
 それがすべての始まりだった。

 全編のキーワードは、その居酒屋で小野寺に阿部玲子が言った「だいじょうぶだよ、ここは」という一言.
 ああ、こういう一言を言えたらいいですね。

 映画版は見たことないので、昔読んだ原作小説と比較すると大きな違いは、1995年の阪神淡路大震災依然と以後と言うことです。あのときの、自主的なボランテイア活動・支援活動の始まりが、このマンガではストーりーの主要な太い線となっています。
 



本と映像の森1 宮城谷昌光さん著『古城の風景1』新潮文庫

2010年01月13日 03時59分17秒 | 本と映像の森
 宮城谷昌光さん著『古城の風景Ⅰ』新潮文庫、平成20年4月1日発効、386p、552円+税

 宮城谷さんの歴史小説『風は山河より(単行本で5巻、文庫で6巻』『新三河物語(単行本で3巻)』を読むための必読本であると思います。
 歴史小説で歴史的にたどった同じ地域を地理的にたどった名著です。
 『古城の風景Ⅰ』のサブタイトルは「菅沼の城 奥平の城 松平の城」です。

 『風は山河より』『新三河物語』『古城の風景』などの古城や寺や戦闘場所の位置を、たとえば市販の地図帳や国土地理院の5万分の1地図に落とす手作業をしながら歴史を考えるといいなと思いました。
 
 この新潮文庫版『古城の風景Ⅰ』は、新潮社刊の書籍の第1巻、第2巻を合本したものです。まだ文庫になっていない書籍版の第3巻は「一向一揆の城」、第4巻は、静岡県西部中部の「徳川の城、今川の城」、第5巻は「北条の城」です。
 戦国時代に興味のあるセンゴクマニアには、こちらも必読と思います。

 わが浜松城についても、指摘がありますので、これをヒントに考えていきます。



雨宮日記2010年1月6日 小寒にむかご・山芋

2010年01月06日 22時24分57秒 | 雨宮日誌
雨宮日記2010年1月6日 小寒にむかご・山芋

 夕食に知人からいただいた山芋のとろろ汁とムカゴが出ました。ムカゴとは普通は山芋の葉の裏につく豆みたいな小さいお芋です。これが地に落ちて発芽することで植物が増えていくための栄養生殖の器官です。
 食べながら、小さい頃に覚えた数え歌を思い出しました。
 「いちじく(無花果)、にんじん(人参)、さんしょ(山椒)にしいたけ(椎茸)、ごぼう(牛蒡)にむかご(零余子)にななくさ(七草)、ほいっ!」
 というのですが、バリエーションはいろいろあるようです。これは雨宮家バージョンです。

 昨日は小寒、「寒の入り」です。「寒(かん)」の時期には、各地で「寒中水泳」「寒稽古」「裸祭り」などがおこなわれます。
 みんな正月を終え、仕事に復帰ですね。風邪を引かずに元気で過ごしたいですね。

数学の学習1 素数と俳句・短歌

2010年01月06日 04時16分40秒 | 人間・生命・宇宙
数学の学習1 素数と俳句・短歌

 たぶん、数学関係者にも文学関係者にも「なんじゃこれ」という、奇想天外なタイトルだろうと思います。
 
 ある本で指摘を受けて、調べた結果です。いま、その「ある本」の「何ページ」かを探していますので、見つかり次第、アップします。

 「素数」とは定義で、たとえば「整数p>1が、1とpのみで割り切れれるとき、pを素数という。」
 素数を小さい順に並べると、2,3,5,7,11,13,17,19,23,31、…となります。

 妻のN子さんが最近、俳句をやっているので、考えたことです。
 俳句は、たとえば、一茶の俳句
 「がりがりと(5) 竹かじりきり(7) きりぎりす(5)」
 のように、5-7ー5です。5と7は素数です。5と7と5を足すと17文字で、これも素数です。
 短歌はどうかというと、5-7-5-7ー7 です。
 たとえば、俵万智さんの『サラダ記念日』(河出文庫)で「万智(まち)ちゃんが(5) ほしいと言われ(7) 心だけ(5) ついていきたい(7) 花いちもんめ(7)」(p57)。

 つまり、俳句の構成部分と合計は 5+7+5=17で、すべて素数。
 短歌の構成部分と合計は、5+7+5+7+7=31で、すべて素数。
 これはなぜなんでしょうか。
 
 考えたのは、素数は、2以外は、すべて奇数です(2以外の偶数は素数ではない)ですから、素数であるということより、奇数であるということが俳句・短歌と関係があるのではないかと。

 日本語の特徴なのか、言語学をきちんと勉強していないので。わかりませんが、日本語の名詞に「4文字」言葉が多いことも、「名詞+接尾辞」で「5文字」が必要な理由かもしれません。

 575ではない「古歌」もあるという記憶もあるので、研究していきたいと思います。

 



 

哲学の学習5 要因と属性

2010年01月05日 05時49分52秒 | 人間・生命・宇宙
哲学の学習5 要因と属性

 これは哲学というより、経済学かも知れませんが、そういう区別は意味がないので、そのままにします。

 『資本論』の「第1巻」の「第1編 商品と貨幣」の「第1章 商品」の第1節は「商品の2つの要因ー使用価値と価値」というタイトルです。
 
 この「要因」とは何でしょうか。
 本文は第1行目で「商品は、なによりもまず、その諸属性によってなんらかの種類の人間的欲求を満たす1つの物、1つの外的対象、である」としています。
 本文で言う「属性」とはなんでしょうか。

 この問題について、山本広太郎さんの『差異とマルクス ー疎外・物象化・物神性ー』(青木書店、1985年)が参考になります。
 山本さんは以下のように述べています。
 「属性 Eigenschaft とは物 Ding の属性であり、物のうちで自立性を喪失し、観念化され、したがって「互いに分離して」いないものだからである。分離しておれば、属性ではなく、要因 Faktor (因数分解の因数はこれ)である。」(p173)

 商品が、価値と使用価値という要因に分解できるからこそ、その独立した要因の運動で、新たな「貨幣:という現象が膿まれてくるのだと思います。
 『資本論』では、そのような、見た目には1つのプロセスが、それぞれの要因で、二重の意味をもって二重な結果をもたらすという「二重性」が大事だと思います。
 
 物の「属性」となっていれば、それは単純明快で、「青い」とか「ガラス」とか「丸い」とか、そこには二重性はないということでしょうか。

 思いついたのは「組織の民主主義」の場合で、形式的には、その組織が「民主的」と言っていても、一人ひとりの構成員(人間)が、その組織の独立の要因ではなく、組織の属性になっていたら、民主的組織とは言えないな、ということです。