雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 4月30日(月) 薔薇が咲いた

2018年04月30日 11時57分38秒 | 雨宮日誌

 
雨宮日記 4月30日(月) 薔薇が咲いた

 今日で4月も終わり。ゴールデンウイークもぼくらにはあまり関係はない。

 庭のピンクの「薔薇」が咲いた。正確にはバラが咲いたのだ。漢字で薔薇と書けない。細かく言うと、パソコン・ワープロの「一太郎」が「ばら」と、つまりローマ字で「BARA」と4文字打って「漢字変換」すると機械が変換してくれる。

 もし手書きで書いたら「薔薇」を漢和辞典か、ボクの場合は電子辞書で見て、何画書かなければいけないか。

 これは進歩か退歩か、思いは複雑です。



則子さんが薔薇の花を切って花瓶にさして、台所に飾ってくれた。

           妻の思いか 鳥の響きに 薔薇一輪


過去現在未来のメモリーノート 12 セクシャル・ハラスメントについて

2018年04月28日 20時21分49秒 | 過去現在のメモノート


過去現在未来のメモリーノート 12 セクシャル・ハラスメントについて

 いま話題になっている福田淳一前財務次官の「セクハラ」問題について考えました。

 1 これは、「福田淳一前財務次官の「セクハラ」問題について」であって、一般的な「セクシャル・ハラスメント」問題についてでは、ありません。

 2 福田淳一前財務次官がテレに朝日の女性記者にした行為は基本的にセクハラにあたるとボクは考える。

 3 しかし、福田淳一前財務次官の言うことや弁解がすべて100%間違っていると考えることも正しくないとボクは思う。もちおん福田淳一前財務次官の言うことや弁解が正しいと言うことではない。

 4 テレに朝日の女性記者がされたことはセクシャル・ハラスメントだとボクは思う。

 5 ただしテレに朝日の女性記者がその後言ったことについて、すべて正しいとはボクは言わない。

 あとフェミニズムがどうかとかいろいろあげられている問題は多いが、基本点はそんなところかな。

 「盗人(ぬすっと)にも三分の里」というぐらいだから。

 どちらも、「自分は100%正しい」とか「相手が100%間違っている」のゴリゴリ主義は卒業したほうがいいいと思う。

 


 雨宮日記 4月27日(金) アリさんたち来たる

2018年04月27日 22時00分26秒 | 雨宮日誌


 雨宮日記 4月27日(金) アリさんたち来たる

 暑くなってきたので、2階のボクの部屋にまでありんこさんが来る.お弁当を置いてあるので、そこまで匂いを嗅ぎつけてくる。

 小さな数ミリのありさんだから、人間だとどれくらいの距離を匂いで嗅ぎつけて歩くことになるだろうか。

 ありさんは6mm、人間は1.5m(1500mm)とすると、250倍。

 2階まで何十mか?2階まで、たとえば10mとしようか。人間ならその250倍を歩かないといけないから、2500m=2.5km。

 計算は正しいかな?

板門店で北朝鮮=韓国首脳会談。反応はいろいろ。ボクとしては手放しではないけど支持賛同するというとこかな?

 たとえ嫌いな人でも、敵であっても、正しいことをすれば支持します。

 


古代ブログ 49 古代史の本 7 『三国志』「鳥丸鮮卑東夷伝 第三十」

2018年04月27日 16時48分28秒 | 遠州古代史


古代ブログ 49 古代史の本 7 『三国志』「鳥丸鮮卑東夷伝 第三十」

 『正史 三国志 4 魏書 Ⅳ』ちくま文庫、1993年~2007年第11刷、
504ページ、定価本体1500円 

 有名な「魏志倭人伝」ですが、そういう書物や書物の部分は存在しません。

 存在するのは「魏書」のうち「鳥丸鮮卑東夷伝 第三十」という部分、そのなかの倭の部分を日本人が勝手に「倭人伝」と呼んでいます。

 つまり「倭人伝」というサブタイトルがついているのではありません。

 「魏志」ですらありません。「魏書」です。

 これでは「偽志」になってしまいます。「魏志倭人伝」という本なり、そういうページは存在しないのです。

 できるだけ正確に言うなら「魏書」「鳥丸鮮卑東夷伝」のなかの「倭人」部分とでも言うべきでしょうか。

 ボクのもっている『正史 三国志』はちくま文庫で全8巻、そのうち第4巻のp420~495の75ページが「魏書」「鳥丸鮮卑東夷伝 第三十」です。

 「鳥丸伝」がp420~431,「鮮卑伝」がp431~442、「東夷伝」がp442~491です。

 東夷伝は細かく、夫余・高句麗・東沃狙・濊 わい・韓・馬韓・辰韓・弁辰・倭人・西域に別れています。

 倭人はp469からp477,約8ページです。

 正史『三国志』は字数で3書65巻で全36万字くらい、倭人の部分は1983文字だそうです。それでも3世紀の日本のことを詳しく書いてくれたもんだなあと思います。
 

 


過去現在未来のメモリーノート 11 「超感性的」とはなにか

2018年04月26日 11時04分07秒 | 過去現在のメモノート

 

過去現在未来のメモリーノート 11 「超感性的」とはなにか

 『資本論 第1巻』の「第1篇 商品と貨幣、第1章 商品、第4節 商品の物神的性格とその秘密」に「超感性的」は出てくる。

まず、p121

 「たとえば木材でテーブルが作られれば、木材の形態は変えられる。にもかかわらず、テーブルは相変わらず木材であり、ありふれた感性的な物である。
 ところが、テーブルが商品として登場するやいなや、それは感性的でありながら超感性的な物に転化する。」

 それからp123

 「この“取り違え”によって、労働生産物は商品に、すなわち感性的でありながら超感性的な物、社会的な物」に、なる。」

 ボクが発見したのは、この2個所です。「超感性的な物、社会的な物」という概念は、目に見える感性的な物とは違って、「目では見えない」という意味でしょう。

 ところが人間たちにとって商品が価値をもち、値段をもつのは社会的常識です。

 つまり、これが「超感性的な物、社会的な物」です。

 超感性的、という言葉はカントの哲学的概念のようです。またカントはあとで読むつもりなので何かわかったらアナウンスします。

 この超感性的、ということは、人類誕生にもかかわる大事な概念ではないでしょうか。有名な「土台ー上部構造論」は一部で誤解されていると思います。

 「土台ー上部構造」は人類史の始まりからずっと継続しているのに、階級社会の誕生で変容したために、それがわからなくされた。

 いまNHKでやっている「人類」のなかで「心の誕生」に触れている。「心の誕生」によって、人間は「言葉」「概念」「空想」「妄想」「宗教」を創り出した。

 そのなかで「感性性」をもたないのが「超感性的」なものである。

 商品は「感性性」と「超感性性」と両面をもつ。

 そういうことではないかと、推定する。

ややこしい問題もあるので、だいぶ略した。機会があれば詳述したい。

 


新・本と映像の森 130 佐藤貴美子『銀の林』新日本出版社、1998年

2018年04月25日 14時59分21秒 | 本と映像の森


新・本と映像の森 130 佐藤貴美子『銀の林』新日本出版社、1998年

 270ページ、定価本体1900円

 これは小説です。主人公は名古屋の設計事務所に勤める中森晶(しょう)と池田文雄の2人。

 二人の恋愛と仕事上の建築トラブル、そして現実の「名張事件」がからみあって物語は進行していく。

 晶は38才、独身、ひとりぐらし。

 文雄は23才、独身、おばあちゃんと2人で住む。

 流れのなかで2人それぞれにあるいは共同して発揮する人間性と主体性に、ボクは強く共感します。

 晶は名張出身で名張との縁も深い。偶然、2人は救援運動に係わるようになり、事件のナゾを追い始める。

 「名張事件」は1961年に三重県名張市で女性5人が毒で死亡し、容疑者として逮捕された奥西勝さんが死刑囚とされ、2015年獄中で89才で亡くなりました。

 奥西さん本人も、この『銀の林』は「ノンフィクションの部分が8割位、私が体験した記憶と照合しても確実です。」(『救援新聞 1999年2月5日 (4)面』)と書いています。

 < 目次 >

  1章  年下の男
  2章  姉の謎
  3章  偽証
  4章  結婚
  5晶  バブル
6章  国民救援会(1)
7章  国民救援会(2)
8章  現場
9章  削除キー
 10章  雨戸を開けたのは誰
 11章  12人の怒れる男
 12章  片手落ち
 13章  母
 14章  「女」
 15章  名古屋拘置所
 16章  「ひそかに情をつうじ」
 17章  銀の林

 「名張事件」を知るには最高の最初の1冊。小説・フィクションとしても1級だと思います。

 誰でもがもつ「奥西さんが犯人でないなら、では真犯人は誰なの」という疑問には、どう答えるのでしょうか。

 ボクはぼんやりと浮かんできたように思いますけれど、考察はまた別の機会に

 ところでこの小説のテーマを一言で言え、と言われたら「女性の苦しみ」と答えると思います。

  < 訂正 4月26日 >

 犠牲者を4人と書きましたが5人でした。訂正します。

 

 


雨宮日記 4月24日(火) 雨が降り続いてます

2018年04月24日 23時15分31秒 | 雨宮日誌


 雨宮日記 4月24日(火) 雨が降り続いてます

 お昼ごろから雨がずっと降ってます。

 青空文庫で戸坂潤さんの科学論・技術論を読む。

 いま蔵原惟人さんの芸術論を読みたいのだけど、1、2冊は奧の部屋の棚の奧にあったと思う。則子さんに探したいんだけどと言いかけたら、「いま忙しいんだから!」と怒られた。

 たぶん来月になるだろうと思います。

 蔵原さんが亡くなったのは1991年なので、青空文庫に掲載できるのは2041年です。ボクが死んでからのことですね。

 


古代ブログ 48 浜松の遺跡・古墳・地名・寺社 28 「遠州の「サナキの社」」

2018年04月24日 21時27分42秒 | 遠州古代史


古代ブログ 48 浜松の遺跡・古墳・地名・寺社 28 「遠州の「サナキの社」」

 歴史的に天竜川を通じた遠州地方と諏訪地方との結びつきはよく知られています。

 たとえば縄文時代の諏訪の黒曜石の石器が浜松で見つかるなど。

 文化的なものの1つとして「さなぎの社」があります。

 以下、再録

「遠州古代史考 5 『諏訪明神絵詞』「遠州の「サナキの社」」とは?
2011年06月22日 05時34分53秒 | 遠州古代史

 「遠州古代史の本 12」で紹介した大庭祐輔さん『竜神信仰』論創社、2006年(2011年06月20日 19時45分42秒)に銅鐸問題で大事な指摘がされていますので、紹介します。

 「四 諏訪に来た神々」の「3 天竜川の再生観」の章、p273です。

 「中世の文書である『諏訪明神絵詞』にも次のような記述がある。
 「ある行者がお御神渡り(おみわたり)を待つために諏訪湖の寒氷の上に旬日通いつめた。ところがある夜、行者は湖上で寝込んでしまった。…そして、目覚めて左右を見たところ、自分の国ではない、重いもかけない所に浮き出てしまっている。そこで近くの人に何処かと尋ねてみたところ、遠州の〝サナキの社〟という答えがかえってきた。諏訪湖から天竜川を下って流れついたのである。行程七日ばかりのところであった。」

 これは、どう見ても「佐鳴湖」のことかと思うでしょう。
 
 ところが、さらにブログ「諏訪大社と諏訪神社《八ヶ岳原人版》」の「葛井神社 御手幣送りと葛井の清池 15.1.3」の項目に次のように書かれていました。

 「葛井神社から静岡まで2時間 諏訪教育会編『諏訪資料叢書』に『諏方上社物忌令之事(神長本)』が収録してあります。ここに「七不思議」の一つとして載っています。
 楠井池御幣・御穀・酒。十二月晦日夜寅剋(刻※朝4時)に彼(かの)幣穀を奉入れば、遠江(※静岡県)いまの浦見付郡猿擲(さなげ)池に正旦夘刻(※朝6時)に彼幣酒穀彼池浮かぶ、宮人取上拝す。楠井與(与・より)猿擲池の間七日路あり、只一時に通ずるなり。
 『諏方大明神画詞』にも、御神渡りを見ようとした「タフト坊」が神力で一晩の内に「遠州さなぎの社」まで“飛ばされて”、諏訪へ帰るのに七日間掛かったと書いてあります。」

 つまり、『諏方上社物忌令之事(神長本)』によれば「浦見付郡猿擲(さなげ)池」とあり、「見付」の、となれば、これは今の磐田市の、たとえば大池のことかとも思えます。

 今のところは、両説を並記しておきますが、大事なことは、天竜川の最上流の諏訪湖と、最下流の浜松か磐田の「サナギの社」または「猿擲(さなげ)池」と超常的な直接行き来できる通路があると信じられていたという伝承があることです。

 ぼくは一応歴史学ですので、実際にそういうハイパー空間的なワープ通路があることを信じているという意味ではありませんので。」

 


新・本と映像の森 129 日本地質学会監修『地球全史 スーパー年表』岩波書店、2014年

2018年04月23日 10時04分16秒 | 本と映像の森


新・本と映像の森 129 日本地質学会監修『地球全史 スーパー年表』岩波書店、2014年

 1枚で縦1020mm×横360mmに10の図で地質史を描いている。

 この1枚の紙と24ページのカラー解説で成り立っています。この1ページの紙が、なかなか読み応えがあり、長時間かけて味読できます。

            全幅30cmが  幅1cmが
   レンズ1;宇宙史 150億年 5億年
    ビッグバン、銀河の形成

   レンズ2;地球史 50億年 1.67億年
    太陽系・地球・月の形成、海洋の形成、隕石重爆撃、最古の生物化石、超大陸

   レンズ3;顕生代   6億年 2000万年
    古生代、中生代、大量絶滅、魚類、大森林時代、恐竜、裸子植物

   レンズ4;新生代    7000万年 233万年
    古第三紀、哺乳類、日本海の拡大、ヒマラヤ山脈、酸素同位体比

   レンズ5;人類時代    600万年 20万年
    ミランコビッチ・サイクル、鮮新世、イエローストーン火山、アウストラロピテクス

   レンズ6;氷河時代    100万年 3.3万年
    打製石器、北京原人、ナウマン象、松山地磁気、ギュンツ氷期、ミンデル氷期

   レンズ7;最終氷期     20万年 6700年
    旧石器時代、阿蘇2~4火山灰、トバ火山、慣例化

   レンズ8;先史・文明時代   2万年 667年
    中石器時代、農耕の開始、新石器時代、縄文海進、メソポタミア文明

   レムズ9;歴史時代       2000年 67年
    ローマ帝国、小氷期、ペスト発生、平安海進、白頭山噴火、ラキ火山

   レンズ10;近現代        200年 6.7年
    産業革命、クラカタウ火山、温暖化

 むかし高校生の頃に、「地学」を勉強しました。あのころの「洪積世」が今は「更新世」となり、「沖積世」は「完新世」となりました。

 それは後半の話ですが、「レンズ1」「レンズ2」あたりも様変わりしましたね。

 何十年も経てば科学も進歩するものです。

 

 


古代ブログ 47 古代史の本 6 谷川健一『民俗学の愉楽』現代書館、2008年

2018年04月22日 17時15分27秒 | 遠州古代史

古代ブログ 47 古代史の本 6 谷川健一『民俗学の愉楽』現代書館、2008年

 <FOR BEGINNERS>、174ページ、定価本体1400円

 「神と人間と自然の交渉の学、谷川民俗学の真髄」って表紙に書いてありますが、そのとおりで、民俗学の1級の入門書です。

 一 民俗学とは
 二 古代人の世界観
 三 なぎさの風景
 四 日本の神
 五 地名
 六 未来につながる視点としての民俗学

 以下、おもしろそうな言葉・キイワードをあげておきます。

  栁田國男
  折口信夫
産屋
うぶすな
スク
かしこきもの
オオカミ
ヨナタマ
  太陽の洞窟
沖縄
ギガズン
タマ

 この本でなくとも日本民俗学の本は読んでみたらいいと思います。しかし中国民俗学とか韓国民俗学とかフランス民俗学とか西欧民俗学とは無いのでしょうか。

 


お知らせ NHKテレビ「ファミリーヒストリー」再放映

2018年04月21日 20時34分13秒 | 雨宮日誌

 お知らせ NHKテレビ「ファミリーヒストリー」再放映

 明日、4月22日(日)午後にNHKテレビ「ファミリーヒストリー 細野晴臣さん」再放映されます。

 午後3時05分より、48分間。

 細野晴臣さんはボクの親戚にあたり、番組にはボクの父もほんのすこし出演しています。

 興味のある方はごらんください。

 以下は、3年前の「雨宮日記」の再録です。

「2015年06月16日 19時09分11秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 6月16日(火) 父がNHKテレビ「ファミリーヒストリー」に映像で出ました

 毎週金曜日午後10時の、NHKテレビ「ファミリーヒストリー」のデイレクター・伊藤さんから4月に私に電話があって、書けば長くなるのですが、5月に父・節三さんにテレビカメラと音声さんと3人で取材に来て、2時間くらい撮影していきました。

 ミュージシャン・細野晴臣さんが親戚にいるのですが、会ったこともありません。細野さんの番組をつくるので、細野さんの母方の祖父になる「中谷孝男」さんのことを聞きたいというのです。

 中谷孝男は、ヤマハの調律師養成所の第1期生で日本の調律師の重鎮です。

 放映された番組をみましたが、よくできていました。父方と母方のバランスが取れていて。

 あえていえば日楽葬儀と孝男さんがやめたこととの追求が弱いかな。あのころ、他の技術者もたくさんやめているんですよね。」

 


古代ブログ 46 古代史ニュース 浜松市が光明山古墳を発掘調査 20180418

2018年04月21日 20時13分54秒 | 遠州古代史

古代ブログ 46 古代史ニュース 浜松市が光明山古墳を発掘調査 20180418

 浜松市は3月末から天竜区・山東の光明山古墳を初めて正式の発掘調査していた。

 古墳が2段であること、古墳や埴輪・葺石が見つかった。

 調査は5月まで続けられる。

 『中日新聞』(4月19日(26))では古墳が畿内型であることから「こうした特徴から、大和朝廷とつながりが深く、地域で勢力を誇った王族が眠っていると推測している、」と書いています。

 浜松市の推測は「こうした特徴から、大和朝廷とつながりが深く」までは事実でいいのですがそれから後の「地域で勢力を誇った王族が眠っていると推測している、」というのは事実とはいえない推定・フィクションに属していると思います。

 「王族」とは現状では踏み込みすぎではないでしょうか。

 この古墳が単発で、継続しないのも「王族」という規定でいいか考えさせられるところだと思います。

以下、再録。


古代ブログ 11 浜松の遺跡・古墳・地名・寺社 4 天竜区の光明山古墳

 浜松市の最大規模の前方後円墳は、三方原台地には無く、天竜区の天竜川が平野に出る直前にある。

 光明山(こうみょうさん)古墳は長さ82メートル、浜松市内で最大で、後円部は直径42メートル、高さ8メートルです。

 『静岡県史 通史編 1 原始・古代』に3箇所で叙述がある。

 219ページ 「すでに松林山古墳、銚子塚古墳など100メートルを超すほどの大型前方後円墳は4世紀代に出現していたが、5世紀になると畿内系の古墳という範疇で理解できるような古墳 ー たとえば天竜市光明山古墳、磐田市堂山古墳などの90~100メートル級の前方後円墳も認められる。同時にこの時期には有数の大型円墳が登場し、首長層の中にも重層的な階層差のあったことがうかがわれる。」
 
 245ページ 「F2【天竜川流域(左岸)ー石田古墳群ーの磐田北大支群】には4世紀の古墳はないが、5世紀の大型前方後円墳(光明山古墳)が含まれている。その占地は、天竜川平野の扇央を押える位置にある。そこで、4世紀代に天竜川の東と西に地域を分けていた勢力圏が5世紀に統一され、群集墳盛行期になるとD・E・Fの3地域に分立したとする構想が成り立つことになる(浜松市博物館『古代の浜松』昭和62年)。」

 404ページ 「この地域に土師部がいたことは疑いない。とくに京見塚【磐田市の円墳、直径47m、高さ8.1m、5世紀後半】の埴輪窯で焼かれた円筒埴輪と同一の製品が、天竜川沿いの光明山古墳(全長88メートルの前方後円墳。天竜市山東)と千人塚古墳(径50メートルの円墳。浜松市初生町)から出土しており、水運を使った搬出・輸送も考えられている(『磐田市史』資料編1)。」

 また、神谷昌志さんの『遠州歴史散歩』静岡新聞社、1989年、の「光明寺と光明山古墳」(p114~115)によれば「昭和30年に静岡県の文化財に指定された。この古墳は昭和10年光明寺がこの地に移ってきた時点ではまだその存在が判らなかったが、数年後に埴輪の破片が発見されたことから古墳であることが判り、昭和46年古墳の南側に老人憩いの家を建設するにあたって、隣接地にあった円墳を調査したとき、本格的な測量を実施し・・・・天竜市【現在では浜松市】最大の古墳であることが判った。」(p115)

 以下、過去の再録を3つ「遠州の遺跡・寺社」の「25」「26」「27」まで

「遠州の遺跡・寺社 25 天竜区の光明山古墳を暑いなか…
2010年08月17日 05時14分57秒 | 遠州古代史

 二俣にN子さんと車で出かけたので、ついでに、以前から行ってみたかった光明山古墳(こうみょうさんこふん)と光明寺を見に行きました。

 土地勘はないので、天竜区役所(建て替え中)から少し東という感覚で、最初入っていった谷間は、現地の山の西側の谷で、間違いでした。

 もう一度、谷間に入った道に戻って目の前に見える山の東側へ回りました。「光明寺」と書いてあったので山裾を巡る道を、車で上へ上りました。

 光明寺へ登る階段を見つけたので、空き地に車を止めて、二人で北へ登ろうとして、南側を見たら、なんとそこに「光明山古墳」の看板が立っていました。
 あ!これだ!
 これが新浜松市内で最大の古墳なんですね。
 
 古墳らしく整備されているのではないので、看板がなければ、樹木のおいしげる、たんなる山です。
 たしかに、周りの谷を見下ろす尾根の頂点にあるので、きちんと整備して古墳の前方部に立てるようにしてもらえば、この位置の重要性が感覚出来ると思います。

 南北の方向の前方後円墳で、長さ82メートルは浜松市内で最大で、後円部は直径42メートル、高さ8メートルです。
 
 なんで、平野に出たもっと南ではなくて、天竜川が平野に出る直前の山の上に、浜松市内最大の前方後円墳があるのかという問題です。

 やはり、これは、長野県に分岐した出雲勢力が天竜川を南下したことからくるのではないでしょうか。
 つまり、南から海から来た古墳ではなく、北側から天竜川を南へ下ってきた古墳です。

 浜松市の解説では、古墳時代中期の、5世紀後半の古墳のようです。
 この古墳を築いた二俣の古代豪族と、もっと南の天竜川に住み着いた豪族との関係を知りたいなと思います。

 ちょうど、ほかのご夫婦といっしょになって、そのご夫婦も、いっしょに浜松の古墳を回っているそうで、浜松の古墳談義に花が咲きました。
 蛭子森古墳や内野古墳群は行ったそうですので、ぼくのおすすめは「入野古墳は、頂上から下の平野が見れていいですよ」と話しました。
 こういう古代史マニアがもっと増えるといいですね。」


「遠州の遺跡・寺社26 天竜区の光明寺と光明山古墳
2010年08月20日 05時12分48秒 | 遠州古代史

 「遠州の遺跡・寺社25 天竜区の光明山古墳を暑いなか…」で書いた光明山古墳のすぐ北側の階段を上っていくと、光明寺の境内です。

 目の前に、大きな「大黒堂」があって、まさしく金色のお顔の巨大な「大黒様」がニコニコして座っていらっしゃいました。
 どうみても、藤子不二雄さん(どっちか忘れました)のマンガの主人公です。いま、あのおじさんの名前が出てきません。年ですねえ。思い出したら、加筆します。

 やはり山伏さんや修験道とも関係する山岳寺院なのでしょうね。
 右に(東に)ある社務所でN子さんが何か買っているので、ぼくも行って、聞いてみました。

 「上の方にあるあの寺院はなんですか?」
 「ああ、あそこが、ここのご本尊さまの摩利支天さまですよ」
 「へえ、でもこの暑さじゃ、登っていくのはきついですね」
 「そうですね、ぜひ涼しい季節においでください」
 「はあい、秋になったらまたきますね」

 その摩利支天さまですが、かなり複雑な性格のようで、調査研究します。

 今日書きたいのは、その光明寺と光明山古墳の関係です。
 つまり、光明寺へ登っていく階段を望む位置に、なぜ光明山古墳があるのでしょうか。しかも、光明山古墳は、南北方向なので、被葬者の豪族の遺体は南北向きに寝かせられたとみるのが妥当な線でしょう。

 光明山古墳に埋葬されている5世紀の天竜の支配者・族長と、光明寺の関係が問題なのですが、古墳とお寺とどっちが先であるにしろ、古墳に埋葬された支配者(男女かは不明)が、死後に神仏に参拝するとすると、ちょうどいい位置に階段があって、ということになります。

 ふつう、考古学者と宗教学者を兼ねる人は、たぶん、いないので、こんな話を書く人も少ないかなと思いますが。
 
 ぼくは、やはり、光明山古墳の被葬者(浜松市内で最大の古墳を築いた本人)が死後も神仏に参拝することを想定して、光明山古墳と光明寺の位置が決まったのだと思います。

 もちろん、光明寺はむかしはもっと奥の「光明山」にあったり、という歴史がありますが、基本線は変わらないと思います。

 もう一つ、同じような実例をあげておくと、東区の羽鳥八幡神社と蛭子森古墳です。
 同じように、南北向きの羽鳥八幡神社の参道を延長すると、道の向かいの蛭子森古墳につきあたります。
 しかも、円墳ですが、遺体の向きは南北向きです。
 
 寺社と古墳の関係で、これほど明確ではないですが、近接して同一地内にあると解釈できるのが、浜北の六所神社と興覚寺後古墳、中区の蜆塚遺跡の蜆塚古墳と山神社です。

 六所神社は南向きで興覚寺後古墳は東西、蜆塚古墳は円墳で山神社は東向きということで、その意味はもうすこし考えます。」


「遠州の遺跡・寺社27 天竜区二俣・光明山古墳の続き
2010年08月23日 04時56分11秒 | 遠州古代史

 『天竜市史 上巻』(天竜市役所編集・発行、1981年)の「原始・古代編」の第2章「古代の天竜市域」の「第1節 光明山古墳」と「第2節 天竜市の古墳群」で、139ページから170ページまで、光明山古墳を始め、天竜市内の47の古墳(うち現存は39基)を解説しています。

 145ページで以下のように推理しています。

 「光明山古墳に葬られている人が、生前どこに住んでいて、どれ位の範囲に勢力を張っていたかよくわからないが、この古墳を作らした次の首長とその取り巻きは、山東一帯、例えば八幡遺跡や上市場遺跡あたりに居を構えていたのではないかと思われる。
 そして、その勢力範囲は、後の古墳群のあり方から見て東は、豊岡村野部あたりまで、西は浜北区根堅から宮口あたりまでと考えられる。
 とすれば、それは天竜川三角州地帯の頂点に位置するわけで、天竜川の水利権を掌中にした一大勢力ではなかったかと考えてみたくなる。」

 生前どこに住んでいたかはともかく、その勢力範囲についての考察は妥当なものではないだろうかと、思います。

 つまり、通常、いまの天竜区と浜北区に分けて、以前で言うと天竜市と浜北市に分けて考えてしまうのっが普通の思考法なのですが、この光明山古墳の主は、天竜区を南へ越えていまの浜北区の範囲まで掌握し、「天竜川の水利権を掌中」のものにしていたというのは妥当でしょう。

 さらに推理するなら、その後、この「水利権」は誰かに奪われたと推理すべきでしょう。
 この点については「遠州の遺跡・寺社」の別項で推理したいと思います。

 そして、光明山古墳付近での古墳造営は断絶したと見て良いのでしょうか、それとも細々と続いていたのでしょうか。」

 


雨宮日記 4月20日(金) HDDにパソコンデータをコピー

2018年04月20日 22時34分00秒 | 雨宮日誌

 
 雨宮日記 4月20日(金) HDDにパソコンデータをコピー

 新しい2つ目のハードデイスク(HDD)にノートパソコン内のデータをコピーする。

 メモしておくと

 「過去写真A」      59.1 ギガ、
 「コピー写真」       8.74ギガ、
 「音楽」      2.37ギガ、
 「戦争と平和」       9.79ギガ
 「動画」      34.1 ギガ
 「へんしゅう(3)」     2.34ギガ  これは日常作業に使うファイル類
 「新しいフォルダー (4)」 14.7 ギガ
 「dounload(2)」  5.78ギガ

計           136.92ギガ

 1つのノートパソコンの中って、そんなにあるんですね。これでひとまず最新データを完全コピーしました。あくまで現時点で、ですけどね。

 ビデオ撮影のデータは基本的に別です。なにしろ膨大ですから。

 今日は「穀雨」だそうです。気温は今日から数日は暖かく、いや暑くなります。

 


古代ブログ 45 古代史の本 5 豊田亜紀子文、新津健監修『ときめく縄文図鑑』山と渓谷社、2016年

2018年04月20日 18時19分09秒 | 遠州古代史

 
古代ブログ 45 古代史の本 5 豊田亜紀子文、新津健監修『ときめく縄文図鑑』山と渓谷社、2016年

 128ページ、定価本体1600円

 愛
 不可思議
 爆発

 これがキイワードです。あんまり古代史の本ぽくないですね。

 でも縄文のおもしろい形の土偶や土器やアクセサリーや用具をカラー写真いりで解説してくれて、とても興味深いです。

 仮面の女神
 みみずく土偶
 合掌土偶 星に願いを
 ハート型土偶
 岩偶 垂れ目がチャームポイント
 人面付土器
 台付双口土器 ラブラブカップ
 ミニチュア土器 縄文式おままごとセット
 イノシシ型土製品 イノシシバラバラ事件
 角偶
 釣針
 茸型土製品
 鐸型土製品
 ヘアピン
 耳飾り
 首飾り 笑うカエル
 貝輪

 ボクのとくに興味を引いたのは「鐸型土製品」です。ようするに弥生時代の近畿~中部地方の銅鐸のはるかな源流のような小さな土製品。

 しかも秋田県角館市です。時代は縄文後期。

 「鐸形土製品」でネットで検索するといっぱいヒットします。


 著者の「こんだあきこの公式ブログ」もおすすめです。
 https://lineblog.me/kondaakiko

 


過去現在未来のメモリーノート 10 道德・モラルについて 

2018年04月19日 15時36分35秒 | 雨宮日誌


過去現在未来のメモリーノート 10 道德・モラルについて 

 財務省の事務次官が「セクハラの疑い」で辞任した。これが事実かどうかは、今も本人は認めていないので、終結していない。

 しかも勤務時間外に、どういう店かボクは入ったことないのでわからないが、健全なお店とは言えないような気もする。

 ただ、この人の人格としては「記憶にない」というのは、どうなのか。

 (1) この手の店にいったことはありません。

 (2) この手の店にいった記憶は今はありません。

 (3) この手の店にいった記憶は、たくさんありすぎて、いつの話かまったくわかりません

 それで今日の話は「道德」、以下、ちょうど図書館で借りてきた本から引用します。


 「われわれには常識的に良心とよばれているところの精神活動があって、さまざまな機会に心の中で「かくせよ」「かくすべからず」と命令してくるのを経験している。心の中から出てくる命令であるから、現実の世界とはまったく別のところから由来するようにも思われるし、現に哲学者たちはこれを経験を超えた「価値の世界」から出てくるものだなどと説明している。
 このような心の中から自分自身になされる命令を規範とよぶのであるが、先験的だとか襪世界だとかいう観念論的解釈はすこしも必要ではない。これは認識の受けとる1つの社会的性格であり、われわれが社会的な関係で規定されながらもさらに社会的な関係を発展させるためにつくり出す、意思の特殊な形態である。
 規範にはさまざまな形態があるが、誰でも毎日のようにつくり出している約束と称するものもその1つである。」
 ≪ 三浦つとむ『三浦つとむ選集 ③ 言語過程説の展開』頸草書房、1983年、「第3章 規範の諸形態、1 意思の観念的な対象化」、p149 ≫
 
 「道德のほうは法律と現象形態が異っている。われわれの目にうつるのは、道德に従って行われる行動だけである。道德は生活の中で自然成長的につくり出され個人の頭の中に存在するにはちがいないのだが、この存在を外部から直接に見ることはできない。
 ある人間がどんな道德を身につけているかは、その行動から背後にあるものへと推察していかなければならない。この現象形態のちがいが、理論的なふみはずしの原因となる。
 法律を論じる学者は条文を法律とよんでそれに従う行動は法律と区別するにもかかわらず、道德を論じる学者は規範だけでなく行動をも道德のうちに押し込んでしまうのである。」
 ≪ 三浦つとむ『三浦つとむ選集 ③ 言語過程説の展開』頸草書房、1983年、「第3章 規範の諸形態、3 自然成長的な規範」、p175 ≫



 まだ展開は必要ですね。道德には「成文の目に見える道德」と「心のなかの目に見えない同等」がありそうです。

 ではこの事務次官さんの「道德」は、どうなっているのでしょうか。

 それと新潟県知事さんの道德は?去年、感じたのは、この新潟県知事さんは、職務上じゃなくてネットで他人を非難してすこし変だなあと思いました。

 あ、財務省事務次官さんも職務上行ったことではないですね。