雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮家の歴史 14 「落葉松 第2部 1-11 孝男叔父」

2014年01月31日 22時32分14秒 | 雨宮家の歴史
雨宮家の歴史 14 「落葉松 第2部 1-11 」

  「Ⅰー11 孝男叔父」

次男孝男が日本楽器の技術養成所見習生の第一回生として入所したのは、福男が谷島屋へ入店した、翌明治三十九年のことで、小学校を出たばかりの十三歳であった。技術見習生というのは、ピアノ・オルガンの製作に一般工と区別して、専門の技術者を養成するためだった。

 五年の寄宿生活による年季と、一年の御礼奉公の計六年間の修業年限があった。昼は工場において技術を、夜は中学程度の英語・国語・修身・数学・体操の五科目を教えられた。月十銭の小遣いが支給され、五年後には五十銭、御礼奉公には月二円支給された。寄宿生活といっても、寄宿舎がある訳でもなく、各自勝手に事務所や工場、天井裏などに寝た。

 第一回生は五名採用されたが、六年間勤めて技術を習得したのは、孝男叔父と、砂山町にある外波山楽器の創始者、外波山昇作氏の二名のみであった。孝男十八歳、昇作氏十九歳であった。昇作氏が受け取った「技術修得証明書」が同家に残っているとの事であるが(平成五年三月八日付『静岡新聞』夕刊)孝男叔父も山葉寅楠翁署名の終了証書が今に残っていると、自著『ピアノの技術と歴史』(音楽の友社刊)の中で述べている。

孝男叔父はピアノ調律技術を修得して、日本のピアノ調律界の第一人者となり、社団法人・日本ピアノ調律師協会を設立した。

 私が昭和十年春、浜工入学祝いの東京見物の時、泊まったのは孝男叔父の家で、自宅でピアノ調律師を養成しながら、音楽プロデューサーを兼ねていた。仕事上とはいえ、自動ピアノがあり、電話は勿論、電気冷蔵庫もあったのには驚いた。

戦後、国立(くにたち)音楽大学にピアノ調律技術科を作り、講師となった。昭和四十八年紫綬褒章を受賞したが、五十一年、八十三歳でその一生を終えた。私たち夫婦の仲人であった。

密葬の時、娘婿の細野日出臣氏より、戦時中私が在鮮中に(「第三部 在戦記」参照)世話になった平壌医学専門学校教授の坂田氏一家が、故郷の新潟へ無事引き揚げたことを聞いた。坂田氏の奥さんは日出臣氏の姉であった。在鮮中は、はっきりとその系累を聞く間もなかったが、引き揚げてから知った。

 因みに日出臣氏の父親、細野正文氏は氷山と衝突して沈没した、「タイタニツク号」に乗船していて救助された、たった一人の日本人だったことも最近分かった。ミュージシャン・細野晴臣はその孫になる。

 

雨宮日記 1月30日(木) 何もないのに忙しい昼間

2014年01月30日 20時55分52秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 1月30日(木) 何もないのに忙しい昼間
 
 朝は、午前9時過ぎの図書館の開館時間に間に合うように、8時半過ぎに、ガソリンゼロになったマイアルトで家を出て、曳馬の有人ガソリンスタンド(人のいるところ、無人はなじめません)で給油して、4千数百円。1ヶ月分のガソリンです。いかに、遠出しないか、わかります。

 図書館へ行って、4冊返して、5冊借りました。13冊借りられるので、まだ1冊空きがありますが。

  ☆

 午後は、少し強い雨なので、妻・則子さんの予定につきあって、配達・集金・買い物をしました。
 
  ☆

 夕方は、則子さんが夕食をつくって、まだ病院にいる長女と赤ちゃんの面会に行きました。

  ☆
 
 今夜、そこでつくった、久しぶりの「詩的メッセージ」、六句、掲載します。

 芸術的価値はないですが、ぼくの心から出たものなのですので。

 
  生まれし赤子 時おり声動 何の夢見る

  新生児室は 時静かに 外は冬雨

  今日はよく動くね 2週間後に はずむ妻の声

  初孫生まれ 娘の足もむ 妻 可愛ゆし

  妻の歌「ぞーさん、ぞーさん」に ほほえむ赤ちゃん

  お七夜に 命名の うれし筆とる妻


 

雨宮日記 1月28日(火) 「則天去私」について

2014年01月28日 22時56分57秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 1月28日(火) 「則天去私」について
 
 忙しい一日が終わり、則子さんと「もう1月末だね。早いね」と会話していました。
 
 絵手紙の雑誌を見ていた則子さんが「則天去私」ってなに?_というので、ぼくのカシオ、EXーワードで検索して見せてあげました。
 
 夏目漱石さんの有名な言葉です。

 「天の法則に則り、私的なことから去る」という意味のようです。

 それが、則子さんの名前の由来です。ぼくより、いいな、と思います。

  ☆

 

遠州の遺跡・寺社・地名 129 中区曳馬4丁目の三浦神社

2014年01月26日 15時17分47秒 | 遠州古代史
遠州の遺跡・寺社・地名 129 中区曳馬4丁目の三浦神社

 家から一番近い三浦神社。神社名は地名「三浦」です。場所は、曳馬中の約200m北、遠鉄曳馬駅の約150m東です。

 鳥居から神社を拝むと、なぜか316度、または313度です(2つ数値があるのは測定器具の違いです)。つまりこの方向は真西(270度)から46度または43度北で、つまり北西です。

 逆に神さまからみると、南東の方角を向いているということで、夏至の日の出の方向を大きく南へ越えてしまっています。
 
 この南東の方角に何かがあるのでしょうか?

 『浜松神社名鑑』(180ページ)によれば祭神は大物主命です。奈良県の聖なる山・三輪山にある大神神社の祭神が大物主神で、出雲系ともヤマトの土着神ともいわれる神です。

 この本の由緒に「永正十七年二月中旬、洪水の為朽木多数三浦の里に流れ寄る中に、日の如く輝く流木あり、霊異ありて大物主命なる神託あり」と書かれています。

 永正十七年とは、室町時代の西暦1520年です。

 「日の如く輝く流木あり」というのは太陽信仰でしょうか。

雨宮日記 1月24日(金)の3 則子さんは夜勤で、いません

2014年01月24日 20時44分52秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 1月24日(金)の3 則子さんは夜勤で、いません

 則子さんは夕方から「夜勤」なので、午後は仮眠して、午後3時過ぎに起きて、勤務施設の介護施設へ行きました。
 
 家から自転車で数分の勤務先ですが、もう60何才だから、仕事はきついですね。則子さんは、いま63才のぼくより2才10ヶ月年上です。

 いま、ショスタコービッチのヴァイオリン協奏曲第1番を聞いています。すごくいいです。彼は、かなり複雑怪奇な情勢のもとにおかれた一筋縄ではいかない作曲家ですが。
 
 ☆
 
 則子さんが夜勤でいないのですが、次女のアイさんが帰って来たので、赤ちゃんと里帰りした長女のTさんは次女といろいろ相談しています。父(ぼくです)は、何もわからず頼りになりませんからね。
 
 それでいいですよ!やはり、子どもが1人だけではなく、兄弟姉妹がいるというのは、同じ世代の人間がいるので、少し安心ですね。
 
 お隣の国、チャイナの「一人っ子」政策は、かなり冒険だと思います。

 

 

雨宮日記 1月24日(金)の2 午前中は図書館へ、午後は数カ所。いずれも車で

2014年01月24日 14時14分16秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 1月24日(金)の2 午前中は図書館へ、午後は数カ所。いずれも車で

 最近は、毎週、朝、中央図書館へ車で行ってます。1人13冊(2週間)まで借りられるので、毎週6冊くらい借りて2週間後に返すようにしています。

  ☆

 午後は、車で、本屋(文庫を2冊買う)、佐藤町診療所(購読している月刊雑誌の溜まった分を支払う。380×6冊=2280円)、ひまわり薬局(父が注文してあった飴の受け取りと支払い)。

 帰り、新津町?の五味はっちんの南の空き地で、ストアの建設準備が始まっていました。

 
 
 

雨宮日記 1月24日(金)の1 早朝の夢だけが記憶に残るのかな?

2014年01月24日 06時31分18秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 1月24日(金)の1 早朝の夢だけが記憶に残るのかな?

 最近、早朝に目が覚めるようになって(老化現象っていわないでください。原因は、たぶん、別です)。

 今朝、目が覚めたら午前4時半ごろでした。もういちど寝ることにしたら、次に目が覚めたら6時半前、すごく鮮やかな夢を見て、記憶がありました。

 今、午前6時40分。外は少し薄闇になってきました。

 夢はカラーで、非常にリアルです。修学旅行のバスの中、学生の制服で、たぶんイメージは高校の修学旅行?池の中の鳥や魚や生きものもデッサンは正確です。

 そのあと夢で見たアニメ映画(オリジナル)も正確なデッサンだし、自分で再現できるなら、指の訓練さえすれば正確な絵は描けるでしょうか。

 写真はリラックスする豆子。

 


遠州古代史 浜松の円墳と前方後円墳のサイズ比較表(10m以上)

2014年01月23日 21時48分53秒 | 遠州古代史

遠州古代史 浜松の円墳と前方後円墳のサイズ比較表(10m以上)

 ぼくが作った、浜松(天竜川以西の「西遠」)の円墳、そして前方後円墳の「後円部」のサイズ比較表を掲載します。

 この表の作成の意図、および解釈については、別項でアップします。みなさん、なぜ「円墳」と「前方後円墳」のサイズを、同等に比較するのか、比較できるのか、考えてみてください。

 まだ、表は作成途中です。もっと充実させて完成させます。

 もちろん、「Aメートル」という誤差では不十分です。センチ単位で実測頭を計り直さないと、と思います。

 では、以下アップします。


    古代浜松の円墳の直径順   前方後円墳の後円部直径も組み込んで 直径10m以上
   
   
               直径   高さ      墳丘  時代   埋葬       表面
☆光明山古墳  46m  7.5m    5C後半      葺石・埴輪
                   全長80m                                            天竜区山東
 千人塚五号墳 46m  7.2m        5C中頃  2木棺  葺石・埴輪 東区有玉西町
 入野古墳   44m   5.9m 2段 5C前半       葺石       中区入野町
☆陣座ヶ谷古墳 42m                                                   北区細江町中川
                    全長55m
 稲荷山古墳  37m  4.3m 2段 4C末~5C前半  葺石        浜北区内野
 赤門上古墳              4.9m       4C                            浜北区内野
      (後円部)36.2m  全長56m
 谷津古墳   36m          5C              北区引佐町
☆馬場平古墳  34m  5.4m                                        北区引佐町
                  全長50m
 光明山2号墳 31m                          天竜区山東
 住吉南古墳  28m                 中期                            中区住吉
 雲岩寺B1号墳 28m 2m            (人形山1号墳)  浜北区
 権現平山7号墳 25m         4C末?
 千人塚四号墳 25m                    5C末?                        東区有玉西町
 蛭子森古墳  24m  3m以上        6C後葉                        東区豊町
 於呂神社内古墳 24m 4m      5C末か  (御馬ヶ池2号墳) 浜北区於呂
 火穴古墳   22m                          西区深萩町
 狐塚古墳   方墳 1辺22m     5C半ば      円筒埴輪  北区細江町
 狐塚古墳   21m                          中区富塚町
 四ッ池1号墳 20m                   中期                            中区
 住吉古墳   20m          中期              中区住吉
 向野古墳   18m  3m      7C代                          浜北区根堅
 石ノ塔古墳  17m                          西区伊左地町
☆郷ヶ平4号墳 16.5m 全長26.5m 6C前半           北区都田町
 山の神古墳  16m  2m      6C前~中葉                    浜北区内野
 妙法塚古墳  15m                          中区富塚町
 根山古墳  15m  不明      6C中頃                        浜北区尾野根山
 サロマ古墳  15m                          天竜区春野町宮川
 中平古墳   15m         6C初め 陣座ヶ谷古墳の南西800m 北区細江町
 将軍塚古墳  14m  3m      7C代             浜北区根堅岩水寺
 上の平古墳  14m                          西区古人見町
 西山古墳   14m  3m      6C後半            北区三ヶ日町釣
 見徳古墳   12m  3m      7C前半                        北区都田町
 恩塚山古墳  11m    2m      7C初頭                        北区都田町
 愛宕平古墳  11m  2m      7C前半            北区三ヶ日町都築

 


雨宮日記 1月23日(木) 長女と孫の里帰り2日目、家での初風呂!

2014年01月23日 21時15分05秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 1月23日(木) 長女と孫の里帰り2日目、家での初風呂!

 今朝は、いつもと違って、朝早く目が覚めても起きれなくて、則子さんが仕事に行く朝8時過ぎまで寝ていたので、則子さんが「仕事に行くね、昨日は疲れたの?」と声をかけて仕事に行きました。

 午前中、長女Tさんからの依頼で、市野町のカーマと新津町のキョウリンドウに買い物に行きました。

 おじいちゃんと長女の昼食を準備してから、午後は、浜岡原発裁判県西部の会の事務局会議に車で出かけました。

 浜岡原発裁判の原告募集について、近いうちに公募を発表します。みなさま、よろしく。 

  ☆

 写真は16日に静岡へ、午後、行ったときに浜松駅前でとった「ソラモ」の天井装飾。たぶん、夜になると光り輝くと思います。

 

 


雨宮日記 1月22日(水) 今日は、長女と生まれた赤ちゃんが里帰りしました

2014年01月22日 19時10分42秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 1月22日(水) 今日は、長女と生まれた赤ちゃんが里帰りしました

 2人の娘が生まれた頃は、まだ何の自覚もなく、若さだけで育児をしていたような気もしますが、おじいちゃんの立場になって見ると、今の子育ては大変かも、と感じます。

 まあ、とにかくあたふたとしながら、ニコニコと孫の顔を見ています。

 「ぼくは赤ちゃんである。名前はまだない。」

  ☆

 浜松の学校給食から大流行して1000人以上の患者が出たノロウイルスは、いちおう収まりつつあるのでしょうか。

 この地域の上島小学校が、患者数は一番多かったです。

 100個から1000個のウイルスで感染する。人間の腸内でだけ繁殖して、食品では繁殖しない。85度以上に煮沸すれば死滅する。人間の体内で10億個くらいに増える。

 トイレ(大)をながすときは、立ち上がってトイレの蓋を閉めてからでないと、ウイルスがトイレ内に飛散する。だから、本当は座ったままで、先ず手を洗い、洗った手で衣服を整えるようなトイレ設備が欲しい。

 ワクチンはない。治療薬もない。

 以上、テレビの特集の内容でした。

  ☆

 写真は入野古墳の頂上から見た雪の富士山。残念ながら、ここからは、夏至の太陽は昇りません。

 

 


遠州古代史 目次1 2009年11月~2010年7月(遺跡・寺社・地名1~22)

2014年01月21日 08時29分47秒 | 遠州古代史

遠州古代史 目次1 2009年11月~2010年7月(遺跡・寺社・地名1~22)

 自分でも、あの神社を載せたのか載せてないのか、わからなくなってきたので、ちゃんと過去の目次をつくることにしました。古代史関係の内容の本や日記も載せました。

遠州古代史1 浜松の神社の方向性 2009年11月09日 23時21分16秒 

遠州の遺跡・寺社2 遠江「若倭部」の万葉歌と木簡 2009年11月21日 00時06分31秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社3 山神社と蜆塚遺跡 2009年11月21日 16時42分10秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社4 早出町の薬師堂(早出薬師瑠璃光如来) 2010年02月18日 05時17分28秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社5 不動寺(秋葉山)の天狗は羽があって 2010年02月23日 04時25分09秒 | 遠州古代史

遠州古代史2 浜北人・三ヶ日人・牛川人の年代測定 2010年02月23日 20時06分07秒 | 遠州古代史

遠州の古墳1 浜北区・稲荷山古墳を浜松市文化財に指定 2010年02月26日 04時28分40秒 | 遠州古代史

日本古代史3 さくら・さつき・さなえ・・・の「さ」とは 2010年03月27日 19時03分49秒 | 古代史を考える

日本古代史4 クジラって誰?イザナギさん・イザナミさんは誰 2010年03月27日 19時32分14秒 | 古代史を考える

遠州古代史3 銅鐸・さなぎ・猿投・佐鳴湖 2010年03月29日 20時50分29秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社8 古代中国の土笛「ケン」と弥生の土笛 2010年04月21日 05時32分10秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社9 天白岩座遺跡幻想 2010年04月23日 23時19分56秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社10 冨幕山の謎の新羅堂(しんらどう) 2010年04月28日 05時28分51秒 | 遠州古代史

本と映像の森40 古田武彦さん『失われた九州王朝』ミネルヴァ 2010年05月17日 05時31分56秒 | 本と映像の森

遠州古代史の本3 辰巳和弘さん著『聖なる水の祀りと古代王権』 2010年05月23日 08時12分36秒 | 遠州古代史

本と映像の森52 松岡正剛さん『白川静 漢字の世界観』 2010年06月24日 05時24分28秒 | 本と映像の森

遠州の遺跡・寺社15 十軒町の「十軒観音さま」 2010年06月29日 05時10分21秒 | 遠州古代史

雨宮日記 7月9日(金) 明日は納豆の日で… 2010年07月10日 05時31分40秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 7月10日(土) 納豆の日です 2010年07月10日 22時09分54秒 | 雨宮日誌

遠州の遺跡・寺社16 中区上島7丁目の赤池薬師(白華寺) 2010年07月14日 05時27分34秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社17 高林の白山神社とスサノオ 2010年07月15日 05時49分23秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社18 東区天王町の「大歳神社」 2010年07月21日 05時08分25秒 | 遠州古代史

雨宮日記 7月23日(金)夜 ウサギ「豆子」と稲葉の白ウサギ 2010年07月24日 22時57分54秒 | 雨宮日誌

遠州の遺跡・寺社19 南区龍禅寺町の「龍禅寺」 2010年07月24日 23時14分01秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社20 豊町の羽鳥八幡神社 2010年07月28日 05時31分28秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社21 豊町の羽鳥八幡神社(2) 青い龍神 2010年07月29日 05時16分53秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社22 東区豊町の蛭子森(えびすもり)古墳 2010年07月29日 05時32分28秒 | 遠州古代史

 

 


雨宮日記 1月19日(日) 沖縄名護市長選で米軍基地反対の稲嶺さん当選

2014年01月20日 22時27分22秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 1月19日(日) 沖縄名護市長選で米軍基地反対の稲嶺さん当選

 19日(日)投票・即日開票の沖縄・名護市長選で、米軍辺野古基地建設反対の無所属現職・稲嶺さんが、勝ちました。

 稲嶺進さん  68歳 1万9839票(得票率 55.8%)

 末松文信さん 65歳 1万5684票(得票率 44.2%)

   合計         3万5523票

  自民党の石破幹事長は、選挙中に約束した「500億円」を稲嶺さんが当選しちゃったので「撤回」すると言い出しました。

 結局、買収資金だったのですね、石破さん。そう、告白しているに等しいです。ほとんど、馬鹿ですね。

  ☆

 海上自衛隊護衛艦「おおすみ」と釣船の衝突事故について、責任のあるのは、やはり、衝突した側だと思いますが、現在段階の情報では、どうも、釣り船がおおすみに衝突したようです。

 この状況では、重い責任は釣船の側にあるように思います。違うかな?

 よくわからないのは、あんなでかい「おおすみ」が近づいてくるのを、釣り船の船長は認識していたのか、いないのか?

 両者の詳細な航海記録と、速度などの事実が出てきてから、検討し直します。


遠州の遺跡・寺社・地名 128 入野古墳 その2 入野古墳から南を遠景

2014年01月19日 19時09分55秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社・地名 128 入野古墳 その2 入野古墳から南を遠景

 入野古墳は洪積世にできた三方原台地の南端にあるので、南側は海岸付近まで見渡せます。

 写真はその現在の光景です。

 古墳ができた時代には、鉄塔もないし、木々もないはずです。

 


遠州の遺跡・寺社・地名 128 浜松で第2位の円墳・入野古墳

2014年01月19日 18時52分46秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社・地名 128 浜松で第2位の円墳・入野古墳

 入野古墳は、直径44.0m、高さ5.9m(標高ではありません)で西遠地方では第2位、浜松市南部では最大の円墳です。

 位置は入野町のイオン(もうじき無くなるようですが)の北、ど高いマンション「パーク・ホームズ」のすぐ北に鬱蒼とした森があります。その森の頂上が入野古墳です。
 
 西北にセブン・イレブンがある信号を南から来たら左折、北から来たら右折します。最初の南に入る道路を入るのですが、駐車違反になるので、ぼくはそのまままっすぐ走って佐鳴湖に出るすぐ手前の北側に入る駐車場に止めて歩きます。

 自衛隊の払い下げ飛行機がいくつも置いてある喫茶店「飛行場」を過ぎて、「竜雲寺」を過ぎて信号の手前を南へ入ります。巨大マンションの手前に北へ上がっていく舗装道路を昇っていき、目の前の石段から古墳のある山へ入ります。

 まだ古墳ではありません。古墳の基礎になる標高20数mくらいの山です。
 
 石段を登ると、もう道はないので、昇りやすい斜面を適当に登ります。運動不足のぼくは息が切れました。

 頂上の手前に「説明板」が立っています。つまり、この説明板の立っている標高から上が古墳ということです。

 頂上は標高29.16mです。北と西は木がうっそうと茂っていますが、南と東はほとんどなく、とくに南方ははるか彼方まで見渡せます。
 
 この浜松南部地域の豪族の墓という説明はなっとくできますが、これ1基だけなのは何故でしょうか?もっとあったのに、あるいは別の場所にあったのに破壊されたのか?
 
 関係があるとしたら、弥生時代の伊場遺跡や、佐鳴湖の西岸、つまり対岸になる、古墳時代の大平遺跡ぐらいでしょうか。

 入野古墳は発掘調査で葺き石は出ましたが、埴輪はなく、古墳時代中期、5世紀前半と推定されています。

 入野古墳は未発掘です。盗掘はあったかも知れませんが。

 円墳としては直径44mで、西遠地方第2位なのですが、浜松市内の第1位は千人塚古墳群の7号墳で径49mです。

 千人塚5号墳は、発掘がおこなわれ大量の鉄器が出土、5世紀中頃と推定されています。千人塚5号墳の造成を指揮した被葬者のおそらく息子は、入野古墳が「44m」というのを知っていて、「あれより、少し大きく」と思い「49m」つまり、約1割増しの古墳を作ったという推理はどうでしょうか?

 お隣の磐田では、根山古墳(69m)・城之崎丸山古墳(60m)、秋葉山古墳(55m)、京見塚古墳(50m)、澄水山(ちょうすいざん)古墳(50m)と、浜松より大きな円墳があるのは、なぜでしょうか?

 やはり、磐田の誰かが50mクラスの円墳を作っちゃうと、みんなそれくらいの大きさを作らないと、という感覚でしょうか、

  ☆

 入野古墳のまとまった情報は、浜松市が2008年に発行した、浜松市生活文化部生涯学習課(文化財担当)編集『浜松市文化財ブックレット1 浜松の古墳めぐり』(A5版、63ページ)のp36~37にあります。このパンフレットの「中表紙」に入野古墳の上空からのカラー航空写真がのっています。

 周囲が住宅地に化したなかで、入野古墳と竜雲寺だけが緑を残しているのが印象的です。つまり、古墳や神社やお寺が、人間のおろかさによる、森の破壊の抵抗ポイントになっているということです。

  ☆

 写真は入野古墳の南の側から頂上を見ました。

 


雨宮日記 1月19日(日) 寒い中、入野古墳に行ってきました。

2014年01月19日 15時25分46秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 1月19日(日) 寒い中、入野古墳に行ってきました

 数日前、ブログの見直しをしていたら、なんと「遠州の遺跡・寺社・地名」で、入野古墳の紹介をしていなかったのに気づき、少し時間があったので写真を撮りに行ってきました。

 寒くて、すぐ退散しました。

  ☆

 京都は雪で、「ライブカメラ 京都」で検索すると、雪の大原の里や雪の銀閣のライブ映像がみられます。