雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 11月30日(土)の2 句会のはなし

2013年11月30日 22時04分15秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 11月30日(土)の2 句会のはなし

 いま午後10時17分、則子さんと「谷川舜太郎さんの「20億年の孤独」、むかし読んだ記憶がある、と言ってます。

 則子さんが眠れないというので「ぼく、暖めてあげようか!」と言ったら、「いい、いい」と拒否するので、断念しました。残念。

 今日は、則子さんは夜勤明けのお休みの日で、午後は、「30日」で「山頭火」句会でした。俳句のはなしで、「銀河鉄道」(=遠州鉄道)を歌を詠んだというので、「それ、ちょうだい」と言っておきました。もらったら、ここに掲載します。

 だって、宮沢賢治さん「銀河鉄道」の旅、ジョバンニとカンパネルラの2人旅は、ぼくと則子さんの、長い長い2人旅ですからね。

 ジョバンニとカンパネルラの旅は、わずか1日の旅ですが、ぼくと則子さんの長い長い「2013年宇宙の旅」は、まだまだ続きそうです。

 カンパネルラが生き残って「星の子(スターチャイルド)」になる宇宙飛行士の役割だとすると、則子さんの軍事参謀・秘書であるぼくの役割は、「コンピューターHLA9000」でしょうか。

 おやすみなさい


雨宮日記 11月30日(土) 「特定秘密法案」衆院通過とアイソン彗星崩壊

2013年11月30日 20時51分02秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 11月30日(土) 「特定秘密法案」衆院通過とアイソン彗星崩壊

 26日夜、日本国会衆議院を「秘密保護法案」が通過しました。これで「日本国家」の「秘密」が無事守られて、現在の「日本国家」が永遠に栄えると思った人がいるなら、それは逆だと思います。

 この「秘密保護法案」は、法案を作った人たちの「意志」には反対に、1945年から68年経った「戦後日本国家」の「終末」を結果的に促進する法案だと考えます。

 どんな国家も「永遠」ではありません。いつか終わりが来ます。徳川幕府国家は二百数十年、保ちました。明治からの「大日本帝国」は78年(かな?)しか持ちませんでした。戦後の「日本国」は1945年から今、68年です。親の「大日本帝国」の寿命まであと10年。

 どうみても100年は持たないのでは?

 マルクスさん・エンゲルスさんの「弁証法哲学」は、「すべての物・もの・者に終わりがある」ことを告げています。

 終わりの形態はいろいろです。アイソン彗星のように「崩壊」「雲散霧消」するか、「起承転結」するか、井尻正二さんの言うように「起承転開」するか?

 未来は「決定」されていません。それはみんなで探り、判断し、決定することができると思います。つまり、不確定であり、希望のある未来へ時間腺は伸びていくかもしれないし、途中で崩壊したり、切断しているかもしれません。

  ☆

 東アジア情勢をみるとき、やはり中国共産党政権の動きを見ないと。中国が、今になって「防空識別圏」を設定して、それが日本と韓国がすでに設定してきた「防空識別圏」と重なっているということです。

 つまり、いつでも中国は、日本と韓国と「軍事衝突」あるいは「戦争」をすることが「できる」体制あるいは覚悟に入ったということです。

 中国は、国内のウイグルやチベットなどの民族紛争や人権問題、経済問題、格差問題を抱えています。実は、日本も同等な、非正規労働者や格差問題などを抱えています。

 こういう国内矛盾を「国際問題」に転化しようとする「右翼的欲求」は日本でも、中国でも共通のものではないでしょうか?

 これが中国での「習政権」の成立と、日本の「安倍政権」の成立で、影響し合って、高めあって、「危機」が相乗効果で進行していると思います。

 つまり、中国でも、日本でも、どちらがわにも、決定的な「阻止」点は存在しないように思います。

 違っていると思う人、ぜひ異論を欲しいです。

 

 


雨宮日記 11月28日(木) 寒い夜、則子さんは夜勤なのでひとり寒い

2013年11月28日 20時47分13秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 11月28日(木) 寒い夜、則子さんは夜勤なのでひとり寒い

 お昼前に、近くの産科クリニックに2週間に1度、検診に行っている長女のTさんが「検診終わって、近くの遠鉄ストアで買い物したら、迎えに来て」というので、いそいそと車で行きました。

 ちょうど則子さんが休みで家にいるので、父の昼食は則子さんにお願いして、出掛けました。

  ☆

 則子さんは午後4時から翌朝までの夜勤なので、Tさんをアパートまで送って家に帰ってくると、午後は、夜勤の準備で「仮眠」していました。

  ☆

 寒い夜は、則子さんの暖かい身体に抱きついて、眠るのですが、今夜はいないので、寂しいです。


雨宮日記 11月27日(水) 市役所~図書館~地域情報センターなど回る

2013年11月28日 20時26分42秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 11月27日(水) 市役所~図書館~地域情報センターなど回る

 則子さんが今日は、珍しく「完全休み」なので、午後、則子さんと車で、必要なところを回りました。

 家を出て、曳馬のセブンイレブンで図書館に返す「蘇我氏・葛城氏」の本を数頁コピー。

 高林の新婦人浜松支部によって、注文のあった「いわさきちひろ2014年カレンダー」1箱を届ける。ここは、大地震が来れば、確実に潰れそうな古い家です。いま、どこかに引越をする三段をしているそうです。

 浜松市役所に行くと、「駐車場」が新しくなっていて、今までの「人間」はいなくなって「無人ゲート」と「駐車券」での管理になっていました。

 かなり満杯で、どこが開いているのか分からずウロウロしました。 

 空白に入れて、則子さんは、労働組合「浜松市職」へ、ちひろカレンダーを届けに行きました。すぐ戻って来て「30分以内は、スタンプいらないって」と。

 市役所を出て、中央図書館に寄りました。ぼくは予約していた、安良城盛昭さん『日本封建社会成立史論 上』を借りるのが主目的ですが、数冊返して、則子さんもぼくも何冊か借りることにしました。

  ☆

 図書館から出て、地域情報センターへ行き、則子さんが次回の浜岡原発裁判12月9日(月)の報告集会で借りる代金を支払いました。

 それから、上島のT保育園へ行って、バザーで扱って販売してもらった「ちひろカレンダ-」の代金と残りの引き取りをしました。

  ☆

 則子さんが作ってくれた夕食を味わってから、夕方6時から、毎週1回の、ボランテイア活動で、事務所へ。

 

  


雨宮日記 11月26日(火) 結婚すると夫が妻に要求されること!

2013年11月26日 21時55分41秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 11月26日(火) 結婚すると夫が妻に要求されること!

 ぜんぶ信じるわけではないですが、テレビ番組は、おもしろそうなのは録画して、見ることにしています。

 今日おもしろいので録画してみたのはNHKの、高齢化社会・認知症・介護問題を扱った特集と、民放の「500人の男性に聞きました 結婚して妻に要求されたこと」

 介護問題のほうの感想は「本と映像の森」で書きます。ここで事前に書いておくと、「孤立」の角度からしか見ていなくて、孤立の遠因である「依存」を見ていないのが、大きな弱点だと思います。

 つまり「自分への依存」あるいは特定の「家族への依存」だけで生きていて、それで最後まで生きていけると錯覚しているのだと思います。

 「助けて」と大声で恥ずかしげもなく叫べる「主体」をつくりだすことが欠落しています。

  ☆

 「500人の男性に聞きました 結婚して妻に要求されたこと」は、すごく面白かったです。

 発表順序で、第10位から書くと、⑩ コレクション ⑨ 夜更かし ⑧ 立ちオシッコ(わかる!) ⑦ 食習慣 ⑥ 家に友達を呼ぶ ⑤ ゴルフ ④ 外で飲み会 ③ 車・バイク ② ギャンブル ① タバコ。

 則子さんと、この録画をいっしょに見ていて、いちばん面白かったのは、タレントに混じって(タレントかも知れませんが)、明治天皇の玄孫(やしゃご)という、皇族の末裔の竹田恒泰さん、1975年生まれ。独身。9LDKに住む。

 「コレクション」で9室のうち「3室」は「書庫」で「たぶん3万冊ある」そうです。則子さんと顔を見合わせて、苦笑いしました。元皇族の竹田さんは9室のうち3室、僕は2階の4室のうち、ほぼ2室を「本」で占拠しています。たぶん「◎千冊」は、あるかな。

  ☆

 昨日、新聞に載っていた広告を見て、高林の本屋に月刊雑誌『スマート SMART 1月号』宝島社、780円を買いに行きました。

 付録に「スマホや携帯音楽プレーヤーのイヤフォンジャックに接続」できると書いてあったので。

 買って来て、いま、自分の「ソニー ウオークマン」に接続して、音を鳴らせました。

 


雨宮日記 11月25日(月) 寒冷前線と竜巻の危険と「銭湯」

2013年11月25日 22時43分40秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 11月25日(月) 寒冷前線と竜巻の危険と「銭湯」

 北日本で、低気圧が発達してそこから南に延びる寒冷前線が、日本列島を通過したので、夕方から夜に、かなりの雨と風でした。

 則子さんは、今日は、普通の午後5時までの勤務のはずなのに6時半を過ぎても帰らないので、どうしたのか、心配になりました。

 午後6時半過ぎ、風雨が強まって、テレビで「竜巻注意報」が出たので、慌てて雨戸を閉めました。

 そしたら則子さんがカッパ姿で帰って来ました。おかえりなさい。

 今は、風も雨も、静かになりました。

    ☆

 今日は、昼間の昼食は次女のアイさんが「ナポリタン」を作ってくれて、夕食も「麻婆豆腐作るよ」というので、僕は「じゃあ、僕はお汁をつくるよ」ということで、父用の「焼き魚」も「知久屋」で買いました。

 いずれにしても、今の4人家族の「雨宮家」の食事は、則子さんと次女のアイさんと僕の3人の共同作業でまかなっています。

 3人のそれぞれ個性があるので、父も、変奏曲(バラエテイ)があって、いいと思います。

    ☆

 今日の新聞に、静岡県内では、ふつうの「銭湯」が、もう12軒しかないと出ていました。浜松市内では、中区に2軒だけ、わが家の近くの、遠鉄電車曳馬駅のすぐ西のお風呂と、大工町の、と2軒だけです。

 「スーパー銭湯」は、日常的な「お風呂」ではなく、遊びとしての「温泉」ですからね。

 夜10時ごろ、則子さんに言いました。

 「ちょっとニューヨークに行ってきます」

 「行ってらっしゃい。10分間の入浴ね」

 「はい、カラスの行水です。あ、カラスさんに失礼ですけど」

 

 


遠州の遺跡・寺社・地名 126 東区上新屋町の保食稲荷

2013年11月25日 16時20分44秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社・地名 126 東区上新屋町の保食稲荷

 佐藤→細島→丸塚→上新屋と「バイパス」が北へ走っていますが、中田町との境の信号、東北の角に焼き肉「火の国」があると信号を東へ曲がって、最初の四つ角を南に曲がると西に見える、小さなお稲荷さんです。

 西に鳥居が向いていますが、途中でもう1つ鳥居があって方向を北へ曲げて、けっきょく、ふつうの南向きのお稲荷さんです。

 「保食」というのは、本来の日本神話で「保食神」と書いて「うけもちのかみ」と読みますが、これがお稲荷さんと融合したんでしょうね。

 


遠州の遺跡・寺社・地名 125の2 浜松・ツツミドオリ銅鐸出土地の2

2013年11月23日 13時28分21秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社・地名 125の2 浜松・ツツミドオリ銅鐸出土地の2

 「1」は安松町ですが、「2」の今回は芳川(ほうがわ)町です。つまり「碑」の建っている位置は安松町なのですが、実は,実際の銅鐸出土地は「南陽中学の東側」ではなく「南陽中学の南側」なのです。(浜松市博物館『浜松の銅鐸』による)

 石碑の建っている位置から芳川の支流「東芳川」の約300m下流、南陽中学の南西隅の学校と川のあいだ辺りになります。

 写真は、南陽中学校の東南隅で、学校の東側と川のあいだを走る道路が「東芳川」を渡る橋の上から西を撮影したものです。

 出土地点は、南の建物の影が川にかかっている辺りです。

 


遠州の遺跡・寺社・地名 125 浜松・ツツミドオリ銅鐸出土地「碑」(南区安松町)

2013年11月22日 22時23分32秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社・地名 125 浜松・ツツミドオリ銅鐸出土地「碑」(南区安松町)

 浜松の沖積平野部での「銅鐸出土地」です。「ツツミドオリ銅鐸は、建っている石碑によると、慶応4年(1868年)7月に天竜川が決潰し、その水が芳川に流入、洪水になりました。

 この時、「地表より3メートル余の地底に丸石のごときものありて小口を現せり」、安松町の住民、横井菊次郎と柿澤兵衛が発掘し銅鐸「2個重なりて出ず」と書かれてます。

 「2個重なりて出ず」という表現は「入れ子」になっていたという意味でしょうか。

 1個は現在、東京国立博物館にありますが、もう1個は現在、行方知れずです。残っている「1号鐸」は高さ64.5cm、三遠式、突線紐3式です。

 行方不明の銅鐸は大きく、90cmくらいと書いてあります。(藤森栄一『銅鐸』学生社、1964年、p262の表)

 浜松市博物館『浜松市の銅鐸』2007年、に写真と解説があります(p29、33~34)ので参照してください。

 浜松市の沖積平野部では、このツツミドオリ銅鐸以外に、和田町木船で同じ三遠式・突線紐3式の銅鐸が同じように2個出土しています。

 1つの村に銅鐸は1時期に1個ではなく、2個がペアで存在していたのでしょうか?いったい祭りで銅鐸をどう使ったのでしょうか?

  (続く)」


雨宮家の物 15 則子さんが買って来た階段を照らす灯り

2013年11月22日 08時30分54秒 | 雨宮家の物

雨宮家の物 15 則子さんが買って来た階段を照らす灯り

 暗い階段で何か物につまづいてころんだようで、則子さんは、階段の2カ所に、人間を感知して明るくなる灯りを設置しました。

 2013年11月20日(水)設置。

 温度感知?動きで感知?よくわかりません。

 


雨宮日記 11月21日(木) 冷えこんで馬込川にカモ類が増えてきた

2013年11月22日 08時11分55秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 11月21日(木) 冷えこんで馬込川にカモ類が増えてきた

 三浦橋付近のカモ類が急に増えました。則子さんが「小さな、ずっと水に潜ってる鳥がいた」と言うので「かいつぶり、またはにおどり」と言ったら、「あ、それ、俳句にするから」と言ってました。

 午前中、図書館に行き、『スターリン 上』、『はにわ人は語る』、『蘇我氏の実像と葛城氏』、『古代の地方官ガ』、安良城盛昭さんの『日本封建社会成立史論 下』『天皇制と地主制 上』を借りる。

 馬込川にカメラを持って行ったらカモ類が100匹以上はいました。

 午後は学習。

 M家のYさんが来て、自分で育てた野菜をいただきました。いつも、ありがとうございます。

  


古代史を考える 住吉神社の神さまは誰?住吉神社はどこ?

2013年11月22日 07時20分58秒 | 古代史を考える

古代史を考える 住吉神社の神さまは誰?住吉神社はどこ?

 「遠州の遺跡・寺社・地名 124 南区金折町の住吉神社 2013年11月19日 21時54分56秒 | 遠州古代史 」の続きです。

 まず住吉神社の神さまは、『古事記』でイザナギが妻のイザナギと別れて「ツクシのヒムカの橘のオドのアハキ原」でみそぎをして生んだ中に、「其の底筒男命、中筒男命、上筒男命三柱の神は、墨江(すみのえ)の三前(みまえ)の大神なり」とあります。

 そして同じ『古事記』の「仲哀天皇記」でおきながたらし姫命が朝鮮半島へ渡り「墨江大神の荒御魂を以ち、国守る神と為て祭り鎮め還り渡りたまふ」とあります。

 『日本書紀』にも同じ神話があり、こちらは「住吉大神」です。

 この「底筒男命、中筒男命、上筒男命三柱の神」は、航海の神ですから、当然、航海の目印になるような神です。しかも、太陽神のような単神ではなく、「3柱」です。

 そのような現象や天体があるのでしょうか?それがあるのです。天体ファンなら、いや日本人ならだいたい知っている「オリオン座」の真ん中が3つ並んだ「3つ星」なのです。

 しかもオリオン座の「3つ星」は、天体座標で天の赤道付近にありますから、ほぼ真東から出て真西に沈みます。夜の航海の目当てとして、これほど確かな東西を指し示す天体は他にありません。

 大阪の住吉神社へは行ったことがないので、大和(だいわ)岩雄さんの『神々の考古学』によると「わが国でも、三つ星に重ねた神殿があるからである。その神殿は、大阪の住吉大社の筒男三神をまつる、縦に並んだ3つの神殿である」(p72)、「縦に神殿が並ぶのは日本中の神社で住吉大社のみである。」(p74)。

 「底筒男命、中筒男命、上筒男命三柱の神」はオリオン座の3つ星で間違いないと思います。

 そこで「『古事記』の「墨江大神」はどこにいたか、ですが、『古事記』のみそぎの記事が「ツクシの」と特定している以上、この「住吉大神」は九州で生まれた九州の神であるとするしかありません。その後、九州勢力が東へ勢力を伸ばすのに従って、住吉神社も大阪の難波に新拠点を置いたとするのが妥当な説だと思います。

 その九州の住吉神社は、安本美典さんの『日本神話120の謎』(勉誠出版、2005年)によると宮崎県と福岡県の2つあります。どちらが元なのかは、今のところわかりません。

 


雨宮日記 11月20日(水) 期待の「アイソン彗星」が急増光!

2013年11月20日 21時36分54秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 11月20日(水) 期待の「アイソン彗星」が急増光!

 予測より増光ペースが遅くて「天文マニア」は、やきもきしていたと思いますが、「アイソン彗星」、11月14日に急増光し、15日までに5等級に達した、というニュースが入りました。

 やったあ!これで11月29日の太陽への再接近の後、「夜明けの空の大彗星」になるでしょうか。

 すみません。「宇宙ファン」以外には、なんのことか、まったくわからない、「オタク記事」でした。

    ☆

 いま午後9時50分です。妻の則子さんは、今日も明日も、勤務先の介護施設が「早番」なので、9時過ぎにはお風呂に入って、本を読んで寝ました。ここ数日は、次女から借りた中世西欧社会の「ハルメンの笛吹き男」の阿部さんの本を読んでいます。

 その次女は、勤務先の書店の「遅番」で、バイクでお昼頃に出掛けて、午後10時過ぎに帰って来ます。

 わが家は、男性2人と女性2人の4人で構成されているのですが、90才の父と62才のボクは働いていなくて、65才の妻・則子さんと、次女の2人が働いているという、世間的観念からは「変な家」ですね。

 なお、父は「年金」月5万円で、ぼくは65才になって「年金5万円」がもらえます。

    ☆

 でもj、今年、春に、「外で働きたい」という則子さんの希望と、「仕事がきつい。家で休みたい」「中途半端になっていた、自分の学問をきちんとしたい」というボクの希望を、2人で、かきまぜて、論議した結果、2人の役割を交代しようという決定をしました。

 ぼくが仕事をやめて家のことをして、則子さんは仕事を始めるという決断です。

 結果としてはよかったのでは?と思います。半年が経ちましたが。まあ、父は、不満でしょうけど。父の食事の質は落ちましたからね。

   ☆

 いま午後10時過ぎ、1階で音がしたので、アイさんが帰って来ました。2階に来て「お父さん!かぐや姫の物語(高畑勲監督のアニメ映画)のプロローグ、見る?」というので「なに、それ、アニメ映画の宣伝としては前代未聞」と言いました。

 ボクとしては、今、勉強中の「日本文化史」にかかわって「中世・日本山水画」の伝統を「よみがえらせ、輝かせ」たアニメのようなのです。全国民、必見と思います。

   ☆

 次女から、何かもらうだけでは、いやなので、ボクからの情報として、ふたりの共通関心として、中山七里さん著の、犯罪推理小説『贖罪の奏鳴曲(そなた)』を今日、昼間、買って、夜までに読んで、「これ、いいよ!」とアイさんに貸しました。

 何がいいかというと、本当に、人間は変われるか、本当に、人間は反省するか?という問題を、根源に帰って解決していることですね。

 

 

 


雨宮日記 11月19日(火) 1日1食でも縄文人はいいかな?

2013年11月19日 22時00分53秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 11月19日(火) 1日1食でも縄文人はいいかな?

 いつから日本人は、1日3食、「朝食昼食夕食」をきまった時間に、きまった量だけ食べないといけないとなったのでしょうか?

 旧石器人類なら、男たちの狩猟で獲物が捕れれば「大食事」だけど、現実は、女たちの「食べられる植物」の採集経済で、生きていたように思います。

 今年6月から、毎日の仕事をやめたので、仕事もしてないのに、3食、毎日、食べる必要はないように思ったのです。

 1日3回も食事を準備しなくても、必要なエネルギーは、1日1回に集約して、1回食べればいいのでは?

 いや、もしかしたら、何日に1回でも、いいかも?

  

 


遠州の遺跡・寺社・地名 124 南区金折町の住吉神社

2013年11月19日 21時54分56秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社・地名 124 南区金折町(かなおりちょう)の住吉神社

 大きな「エフイーシーチェーン」工場の南に、普門寺というお寺がありますが、その横にありました。僕の使っている地図『街の達人 1/1万 静岡便利情報地図』(昭文社、227ページ、3200円+消費税)では載っていませんでしたが、現地へ行って「あ、神社だ」と気がつきました。

 普門寺と同じ緑地の中にあり、敷地は分かれていません。

 写真を見ての通り、浜松では「千木(ちぎ)」も「堅魚木(かつおぎ)」もない神社が多いので、変な表現ですが「神社らしい神社」を見ると、「プチ感動」します。

 正面で見える堅魚木は5本あります。真正面に突き出る側面の堅魚木は3本です。

 5も3も、奇数で素数、つまり、4でも6でもないとことは、おもしろいです。偶数だと素数ではありません。古代にそういうことは、理解していたのでしょうか?

 千木の切り方は「縦」なので「男神」になりますか?よくわかりませんが。

 『浜松市神社名鑑』(1982年)によると、旧浜松市内には「住吉神社」は2社あります。もう一つは、常光町にあります。現在の東区で、東名浜松インターの1500m東北東にあります。
 
 浜松で2つだけの住吉神社同士の関係は、わかりません。

 住吉神社ですから、航海安全の神さまだと思います。有名なのは、大阪の住吉神社ですが、古代科学者の安本美典さんの『日本神話120の謎』(勉誠出版、2005年)によると、宮崎県・福岡県にも住吉神社があって、どこが発祥の神社かということのようです。

 なお、浜松市中区の町名「住吉」は現代になって名付けた「新町名」で住吉神社とは関係なさそうです。

 日本列島の航海の神さま・海人族は、系統が何種類かあって、今のところ、外来系の「安曇族」と「宗像族」と、日本列島在来の「住吉神社」系統と3種類に分かれていると理解しています。間違っているかも知れませんが。

 住吉神社の「神さま」については、明日、書きます。