雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

人間宇宙生命思想 3 20191008 再録 哲学の学習2 高村著「ヘーゲル『小論理学』を読む1&2」

2019年10月08日 16時43分10秒 | 人間・生命・宇宙


人間宇宙生命思想 3 20191008 再録 哲学の学習2 高村著「ヘーゲル『小論理学』を読む1&2」

 
< 再録 > 

「哲学の学習 2 高村著「ヘーゲル『小論理学』を読む1&2」 2009年12月08日 04時10分49秒 | 人間・生命・宇宙

 ヘーゲルさんと言えば、代表作は『大論理学』と『小論理学』ですが(ぼくが言っているだけかも知れませんが)、これを読むのはきわめて難解です。

 「有」「無」「成」から始まるやつです。

 それで、いい逐条の解説書が欲しいのですが、『小論理学』のいい解説書だと思う本が出版されました。

 高村是(よし)あつさん著、広島県労働者学習協議会編『ヘーゲル『小論理学』を読む1&2』一粒の麦社、2009年9月10日発行、の2冊です。
 (すみません、著者の「あつ」の漢字が出ません。)

 さっそく買い求めたところ、『小論理学』の本文の前の異常に長い「序文」「序論」「呼び概念」をきちんと開設してくれています。なんと、全4冊を予定しているうち、この2冊が全部、「序文」「序論」「呼び概念」の解説です。
 現にこの部分は、岩波文庫、松村一人さん訳の2冊本『小論理学』の上巻の322ページのうち255ページを占めている部分です。

 ぼくの買ったのは1982年1月第32刷ですから27年前、まだぼくが……才の頃ですね。高村さんの解説をたよりに、ぼくも27年間放っておいた小論理学を少し読み進んでみたいと思います。一粒の麦社は、電話 082-231-6170 です。

 なお、さっき、岩波書店のホームページにアクセスしてみましたが、文庫も、ヘーゲル全集も、いま品切れ状態です。
 岩波書店に「再版して!」と呼びかけませんか?

 人類の知的「世界遺産」が読めないなんて、おかしいですよ。

 誰か、ヘーゲルさんの全著作を、正確に、わかりやすく日本語に翻訳して、誰でもいつでもアクセスできる「ヘーゲルHP」を作ってくれないかな?」


< 再録にあたって >

再録にあたって、ヘーゲル『小論理学』の目次を掲載しておきます。『小論理学』は斜め読みでもいいので目を通すべきだと思います。

◎目次・『小論理学』

「(松村一人訳、上下巻、岩波文庫)
第1部 有論
 A 質
a 有
b 定有
c 向自有
B 量
a 純量
b 定量
c 度
C 限度
 (以上、上巻)

第2部 本質論
 A 現存在の根拠としての本質
a 純粋な反省規定
 イ 同一性
 ロ 区別
 ハ 根拠
b 現存在
c 物
B 現象
a 現象の世界
b 内容と形式
c 相関
C 現実性
a 実体性の相関
b 因果性の相関
c 交互作用

第3部 概念論
 A 主観的概念
a 概念そのもの
b 判断
 イ 質的判断
 ロ 反省の判断
 ハ 必然性の判断
 ニ 概念の判断
c 推理
 イ 質的推理
 ロ 反省の推理
 ハ 必然性の推理
B 客観
a 機械的関係
b 化学的関係
c 目的的関係
C 理念
a 生命
b 認識
 イ 認識
 ロ 意志
c 絶対的理念」
 

 


人間宇宙生命思想 2 20191005再録 哲学の学習1 ヘーゲル『小論理学』の「哲学」規定 

2019年10月05日 21時05分34秒 | 人間・生命・宇宙

人間宇宙生命思想 2 20191005再録 哲学の学習1 ヘーゲル『小論理学』の「哲学」規定 


「2009年12月05日 04時27分47秒 | 人間・生命・宇宙

 哲学とは何でしょうか、といきなり聞いてみても、誰も答えてくれないので「わからないときはまず辞典」というわが親の教え(親の商売は本屋さん)に従って辞典を見てましょう。

 手元にある青木書店の『哲学辞典 第4版』で「哲学」を引くと、その冒頭に「自然および社会、人間の思考、その知識獲得の過程にかんする一般的法則を研究する科学であり、したがって全体としての世界についての見解をしめす世界観である。また論理学および認識論をそのうちにふくんでいる。」(p321)と書いてあります。

 書いてあるから正しいというわけではありませんが「自然および社会、人間の思考、その知識獲得の過程にかんする一般的法則を研究する科学」という規定は、ぼくとしては共感します(それが真実かどうかはまだ未定)。

 なぜかと言うと、結論の押しつけや定義集ではなくて「知識獲得の過程にかんする一般的法則を研究する科学」という角度です。

 ところで、哲学と言えばヘーゲル、ヘーゲルと言えば哲学の、ヘーゲルさんはどう言っているでしょうか。

 岩波文庫版のヘーゲル『小論理学(上)』の「エンチクロベディーへの序論」では、こう述べています。

 「意識は、時間からすれば、対象の概念よりも表象の方を先に作るものであり、しかも思惟する精神は、表象作用を通じまた表象作用にたよってのみ思惟的な認識および把握に進むものである」(一、p61)

 「哲学はまず一般的に言って、対象を思惟によって考察することと定義されうる。」(二、p62)

 「感情、直感、要求、意志等々の諸規定性は、それらが意識されているかぎり、一般に表象と呼ぶことができる。したがって一般的に言って、哲学は表象を思想やカテゴリーに、より正確に言えば概念に変えるものだと言うことができる。」(三、p65)

 つまり、哲学は対象の表象を思惟によって考察し、カテゴリーや概念に変えることだというのです。

 ヘーゲルさんのここでのこういう規定にはぼくは賛同します。ところが、『小論理学』『大論理学』の実際の本文を読むと、最初から「有(存在)」「無」「成」などの概念から概念へ自動進行していくように読めます。

 これはどういうこと?こういう疑問から哲学の自主勉強を始めます。」

 


人間宇宙生命思想 1 再録 人間・心・集団1 ヒトは自分の「物語」なしには生きられない

2019年09月25日 15時56分46秒 | 人間・生命・宇宙

 
人間宇宙生命思想 1 再録 人間・心・集団1 ヒトは自分の「物語」なしには生きられない

 主にカテゴリー「人間・生命・宇宙」の過去に書いた文章(現在49件)を掲載していきます。


人間・心・集団1 ヒトは自分の「物語」なしには生きられない
2009年11月28日 05時21分24秒 | 人間・生命・宇宙

 最近、感じたことを書きます。
 どんなヒトでも、自分の生まれてきて・生きている意味、存在価値、なぜ自分は今を生きているのかという確認無しには生きていけないと思います。
 そういう確認がなければ、ヒトは絶望して「自分には生きていく価値がないんだ」と自死に至るしかないのではないでしょうか。
 そういう自分の生きている意味を「自分の物語」と呼びましょう。
 
 そんな物語などいらない(と思う、たぶん)、トンボや蝶々やアメーバと人間の違いでしょうか。
 もしぼくの大好きなモノサシトンボに自我があったら、ごめんね。

 ヒトは自我を持ってしまい、宗教とか哲学とか世界観とか、自分の存在価値を確認してくれる「物語」が必要なのだ、と思います。
 
 この雨宮智彦のブログ、「哲学・思想・文化・人間」はそういうヒトの側からと、哲学・思想・科学の側からと両方から考えていきたいと思います。

 雨宮智彦は、宗教を否定しません。
 雨宮智彦にとって、宗教は必要ではありませんが。

 それはヒト(「ヒト」とは、人間の1人ひとりの個体を指します)にとって必要な自分を保つための「物語」=安全装置の一つではないでしょうか。

 それが宗教であれ、哲学であれ、科学であれ、世界中のヒトが、お互いを相互尊重しながら、生きていくのが21世紀の世界の姿なのではと思います。
 

 
 


人間・生命・宇宙 新4 中国共産党の「核心」とは何か?

2017年03月19日 09時34分11秒 | 人間・生命・宇宙


 人間・生命・宇宙 新4 中国共産党の「核心」とは何か?

 中国共産党の習近平主席が昨年の中央委員会総会で「核心」とされた。

 いま現在、「党主席」であるのに、さらに「核心」を称するのはなぜか?

 このことを考えるのにヒントとなるのは、「核心」を名乗るのは習近平さんが初めてではなく、以前に毛沢東さん、鄧小平さん、江沢民さんが称していた。それにつぐものだという点である。

 それなら、理解できる。

 毛沢東さん、鄧小平さん、江沢民さんの持っていた「核心」とは、ボクの読んだ文献の内容でいえば、「党内の絶対権力」のことだ。

 つまり、党内でどんなに意見が違おうと、少数意見だろうと、「核心」が承認すれば、それは党中央の決定となる。

 毛沢東さんや習近平さんなど「核心」が承認しなければ、それは党中央委員会の決定にはならない。

 それだから、あの悲惨な文革が可能となったのである。あるいは、それ以前の大躍進も。

 党中央が、劉少奇さんらがいかに、やきもきしても、党ナンバーワンの毛沢東さんに絶対の最高決定権を与えた以上は、ナンバーツー以下には、どうにもならなっかたのである。

 1967年当時、劉少奇さんは中華人民共和国憲法に明記された「国家主席」であったが、それは一片の紙きれだった。毛沢東「核心」さんの命令の方が優先したのである。

 1967年当時のことを「憲法違反」「違法」の罪で告発され、罰されたのは、何人くらい、いるだろうか。

 これこそ、まさに「中華帝国」の絶対的な「皇帝的権力」といえるのではないか?



 では習近平さんは、その絶対権力、「核心」の力を、どこで発揮するのだろうか?

 内政?外交?軍事?それは、まだわからない。

 いずれにしろ、核心の力が発揮されるのは、中国共産党中央の意見がわれたとき、そのときこそ、絶対的な「皇帝的権力」が力をふるう時では、ないだろうか?

 

人間・生命・宇宙 新3 トランプ右派路線

2017年02月28日 21時58分47秒 | 人間・生命・宇宙

 人間・生命・宇宙 新3 トランプ右派路線

 トランプアメリカ大統領の右派保守・白人人種主義・一国主義などは、よくいわれます。

 ボクは、トランプはむしろ「遅れてきた潮流」であって、ロシア・プーチン、中国・習近平、北朝鮮、フィリピン、そして日本・安倍首相の路線の「後追い」ではないのか。

 広い世界に位置を定めることなしには、適切な分析はできないのではないか、一国帝国主義といえども。

 後発だから焦るという傾向もあるだろう。

 さらにいうなら16年前にブッシュが始めたアフガンからイラクへの「16年侵略戦争(まだまだ続きそうだが)」路線の「老舗」として焦るということもあるのではないか。

 そういう角度から、たとえば「シリア戦争」を分析してみると面白いと思う。

 そして、8年間のオバマ路線の分析が不可避だと思う。単純にオバマ路線賛美ではなく、そのプラス、マイナスということですね。

 国連および国連安保理事会の評価は、機会があれば、別に述べるつもりである。

核実験・核兵器生産被害ー世界のヒバクシャはいま  <後編>

2017年02月20日 16時23分05秒 | 人間・生命・宇宙
核実験・核兵器生産被害ー世界のヒバクシャはいま  <後編>


第6章 世界で

■中国核実験

 中国政府は、自国の西の端の砂漠ロプノールに、核実験場を建設し、1964年10月、最初の核実験をおこなった。
 

■核兵器事故

 グリーンランドでは水爆を積んだアメリカ空軍のB52が墜落、核弾頭の核物質が飛散しし、兵士が汚染した。

 アメリカは空母タイコンデロガから (未完)

■原子力潜水艦沈没事故(未叙述)

第7章 アメリカ本土で

■ネヴアダ核実験場

 アメリカでは、1951年ネバダ州の砂漠に核実験場がつくられ、地上での核爆発直後に兵士を爆心地へ突入させるような無謀な演習もおこなわれた。
 被爆した兵士、アトミック・ソルジャーは25万人にのぼった。

 ラスベガスから車で北西に約1時間、砂漠地帯のハイウエーの右側にネバダ核実験場がある。約3200平方キロ、東京都の約1.6倍の面積を持つ。
 実験場入口には、いまも「命が惜しければ黙れ(Your safety depends upon your silence)」と看板が掲げられている。
 ネバダでは、51年1月27日から92年まで41年間に地上地下合わせて1100回以上の核実験が行われた。
 実験地は地下核実験のあとが陥没して、穴だらけとなり、地球上とは思えない光景が広がっている。
 ネバダでの核実験は南西からの風の時におこなわれた。実験場の南にラスベガス、西にロサンジェルス、北西にサンフランシスコなどの大都市があるためだったが、放射能は、北から北東に流れ、ネバダ州・ユタ州・アリゾナ州を汚染し、アメリカ全土に放射能は広がった。
 数百キロに及ぶ汚染地域に住んでいる人々を、「ダウン・ウィンドウズ(風下の人々)」と呼ぶ。被曝した市民は、ユタ州とアリゾナ州で75万人を越えている。

 1965年頃から、白血病やガン、奇形児や流産など異常出産が多発した。幼児死亡率も上がり、若者のガンが多発している。

 ネヴァダ実験場の130マイル(約200㎞)東のユタ州セント・ジョージに住むプリシラ・エンベイさんは、義母、実父をガンで失い、長男を生んだ後、3度流産を繰り返した。

 核実験と病気との関連に気づいた人々は被害補償のため裁判に訴えた。1990年には「核被曝者補償法」がつくられたが、補償が受けられたのはほんの一部にすぎず多くの被曝者は無視されたままであり、先住民の調査はまったくおこなわれていない。

■全米の核兵器施設

 全米の核兵器施設は20ヵ所、250工場にのぼり、労働者は約11万人にのぼる。これらの核兵器工場の多くが環境の放射能汚染、労働者・住民の健康障害を引き起こしている。

 アメリカの北西部、ワシントン州に世界最大のハンフォード核兵器工場は1943年から建設され、長崎プルトニウム原爆《ファット・マン(太った男)》もここで作られた。

 1944年のB炉稼働から13年間に53万キュリーものヨウ素131がまき散らされていたことが、やっと86年になって公表された。これはチェルノブイリ原発事故でのヨウ素131の放出量に近い。
 1949年には放射性物質を故意に放出する極秘実験さえおこなわれていたことが明らかになった。
 水爆の起爆装置を作るコロラド州ロッキーフラッツでは、88年秋、3人の従業員が高度に汚染された部屋に入って被曝したことが表面化して、工場は緊急閉鎖された。ここは何度もプルトニウム汚染を引き起こし、89年6月にはFBIの強制捜査をうけた。
 核弾頭用のプルトニウム、トリチウムを生産するサウスカロライナ州サバンナリバー工場では、過去28年間に30件の事故があったが、事故は大統領にもエネルギー省長官にも伝えられていなかったことが発覚した。

 広島原爆「リトルボーイ」を生み出したテネシー州オークリッジ核兵器工場前で、1989年8月6日、住民約1千人の反核集会が行なわれた。オークリッジは、アメリカの核開発を担う心臓部で「シークレットシティ」の異名を持っている。

第8章 核保有と核脅迫(未叙述)

■アメリカによる核脅迫

■密かな核兵器保有国ーイスラエル、パキスタン、インド

■核兵器を廃棄した南アフリカ

第9章 核実験被害者は連帯する

 このような核実験・核工場の被害にたいして、もう核実験はやめよ、核兵器工場を閉鎖せよ、住民を救済せよと世界中の核被害者たちが声を上げている。
 いま、世界の核被害者の連帯が始まっている。

 1987年9月26日、第1回核被害者世界大会がアメリカ合衆国・ニューヨークでひらかれ、30ヵ国300人が参加した。

 1992年原水爆禁止世界大会には、世界各地の核実験被害者が参加し、広島・長崎の原爆破壊のすさまじさや、自分たちの犠牲がけっして「国を守るため」ではなかったことの認識をあらたにし、連帯を深めた。

 1992年広島宣言は「半世紀にわたる核兵器開発と核実験は、深刻な放射能汚染と自然破壊をもたらしてきた。核戦争は最大の地球環境破壊をもたらしてきた。われわれは、環境問題に深い関心をよせている人びととの共同がさらに発展することを期待する。
 …世界各地の核兵器の実験・製造・演習などの核軍備競争の被害の実態を調査し、その事実を世界につたえ、被害の根絶と補償をもとめるたたかいをともにすすめよう!」とよびかけた。

 世界の核実験・核兵器工場被害者が数百万人にのぼることが明らかになった1993年春、日本原水協はマーシャル、ネバダ、米兵士、セミパラチンスクの核実験被害者を招いて「国際シンポジウム」を13都市で開いた。のべ3600余人が参加して、核兵器保有国政府の非人道的犯罪が明らかにされ、「核兵器と人類は共存できない」ことが参加者の確信となった。


参照文献

[書籍]
『原爆被害と核実験被害 資料と証言』原水爆禁止日本協議会.1993年2月26日.34P.¥200.
「人間を虫けらのように…衝撃の核被害報告<原水禁’92世界大会>」(『文化評論 1992年10月号=№381』P108ー138)
中国新聞「ヒバクシャ」取材班『世界のヒバクシャ』講談社.1991年4月22日.430P.¥1800.
広河隆一『沈黙の未来 旧ソ連「核の大地」を行く』新潮社.1992年2月20日.222P.¥2600.
ジョレス・A・メドベージェフ、梅林宏道訳『ウラルの核惨事』技術と人間.1982年7月30日第1刷ー1984年9月1日第2刷.286P.¥2300.
ダニエルソン著、渕脇孝一訳『ムルロア コン・ティキ号がたどりついた死の環礁』アンヴィエル.1980年8月30日.308P.¥1800.
ロベルト・ユンク、菊盛英夫訳『千の太陽よりも明るく 原子科学者の運命』文芸春秋新社.1958年5月15日初版ー7月20日3版.385P.¥320.
非核の政府を求める会編『核軍拡の経済学』大月書店.1989年5月15日.222P.¥1400.
高知県ビキニ水爆実験被災調査団編集『今も生きているビキニ問題』高知県ビキニ水爆実験被災調査団.1987年8月1日発行.104P.¥800
高知県ビキニ水爆実験被災調査団編集『ビキニの実相 あなたの町にも水爆被災船』高知県ビキニ水爆実験被災調査団.1991年8月1日発行.40P.¥400.
『ビキニの海は忘れない』平和文化.¥1500.
『海光るとき』民衆社.¥1500.



核実験・核兵器生産被害ー世界のヒバクシャはいま  <前編>

2017年02月19日 17時23分20秒 | 人間・生命・宇宙

核実験・核兵器生産被害ー世界のヒバクシャはいま  <前編>

 「青い地球」1993年4月特集号 として計画、未発行


第0章 原爆製造の開始
第1章 原爆時代 アメリカ~日本
第2章 水爆実験 ビキニ環礁・1954
第3章 マーシャル島民の運命
第4章 南太平洋で
第5章 旧ソ連
第6章 世界で
第7章 アメリカ本土で
第8章 核保有と核脅迫
第9章 核実験被害者は連帯する


第0章 原爆製造の開始

 1942年、原爆製造のための“マンハッタン計画”が極秘のうちに始まった。オークリッジ、ハンフォード、ロス・アラモスの3つの隔離された秘密都市が建てられ、動員された科学者・技術者は15万人に達した。

 マンハッタン計画にもとづくウラン採掘によって、アメリカ・アリゾナ州のウラン鉱山労働者に肺癌が多発した。


第1章 原爆時代 アメリカ~日本

 1945年7月16日早朝5時半、アメリカ・ニューメキシコ州の砂漠アラモゴードで、世界で最初の原爆実験が行なわれた。世界最初の核爆発は「千の太陽よりも明るく」輝いた。

 アメリカは8月6日広島に、8月9日に長崎に原爆が投下し、核時代が始まった。【この項は詳述すること】

 アメリカはより強大な核爆弾開発のために、翌1946年から太平洋ビキニ環礁で、ビキニ島民を立ち退かせて「クロス・ロード(十字路)作戦」と呼ばれた原爆実験を始めた。
 実験には多数の米軍兵士が参加し、被爆した。
 ビキニ島民は、約千キロ南の孤島・キリ島に移住させられた。アメリカは島民の強い要望で1973年、放射能で汚染された表土を取り除き、住宅を建て、ヤシの木を植えて、島民の一部を移住させた。
 5年後の1978年、帰島者の放射能汚染値が異常に高くなったため、再びキリ島へ戻った。

 1949年に、ソ連がセミパランチンスクで最初の原爆を爆発させ、アメリカの核独占は破れ、米ソの核軍拡競争がエスカレートしていった。ソ連の核実験被害は、40年間ひた隠しにされ、被害者はなんの治療も受けず、放置された。


第2章 ビキニ環礁・1954

 原子核の融合による水素爆弾の被害は原爆をはるかに上回った。1954年3月1日ビキニでのアメリカによる最大規模の水爆実験は、15メガトン、広島原爆の1200倍に達した。

 ふきあげられた珊瑚礁の放射能を帯びた破片は、死の灰となり、太平洋に、静岡県焼津のマグロ漁船第五福竜丸のうえに、マーシャル諸島の島民のうえにふりそそいだ。

 第五福竜丸の23人の乗組員は「急性放射能症」で翌年5月まで入院し、無線長久保山愛吉さんはその年の9月23日亡くなった。その後、交通事故死の1人以外に4人が肝臓ガン、3人が肝臓疾患で死亡した。

 太平洋の海は放射能で汚され、日本の漁船856隻以上が汚染され、たくさんの魚が捨てられた。

 日本では原水爆禁止の署名運動が各地で始まり、やがて国民的な原水爆禁止運動に高まっていった。翌年には最初の原水爆禁止世界大会が開かれ、日本原水協(原水爆禁止日本協議会)が結成された。

 ビキニ事件後もアメリカの核実験は続けられた。
 1958年の4月から8月にかけて、エニウェトクを中心にして「ハード・タック第1次作戦」と名付けられた34回の核実験が行なわれた。
 58年は地球観測年にあたり、7月から赤道海流調査に参加した海上保安庁の観測船「拓洋」は7月14日から汚染大気に遭遇した。白血球の減少した乗組員も続出し、帰港しての検査で観測員の日向野良治さんが急性放射能症と診断された。


第3章 マーシャル島民の運命

 ビキニ・エニウェトクでのアメリカの核実験は66回におよび、マーシャルの島人(しまびと)2百数十人が死の灰で汚染した。

■ビキニ島民


■ロンゲラップ島民

 ビキニ環礁から190㎞東のロンゲラップ島では3月1日に島にいた82人は、アメリカ軍によってクエゼリンの米軍基地に隔離され、3年後の57年、島に戻ってからも長く観察の対象とされた。その日、別の島に行っていた190人も「非被曝者」として観察の対象となった。

 ふるさとの島じまは、土も海も生き物も、島民が「ポイズン(毒)」と呼ぶ放射能で汚染され、人が住める状況ではなかった。
 女性たちに流産が瀕発し、子どもたちも甲状腺障害、白血病におかされた。
 ロンゲラップ島民300人は、85年ふたたびふるさとの島を離れて、190㎞南のクェゼリン環礁北端の無人島メジャトをめざした。移住後亡くなった14人の島民のうち7人は10歳以下の子どもだった。移住後も新生児に異常が発生している。

■エニウェトク島民

 美しかった珊瑚礁の環礁エニウェトクの北部ルニット島をいま、巨大なコンクリートの蓋が覆っている。1977年、水爆実験でできたクレーターに汚染した土を捨て、その上からドームで塞いだのだった。
 エニウェトク島民は、アメリカが「安全」を力説する環礁の南部に住んでいる。

■いまマーシャルは

 1975年、ミクロネシア各島の代表者がサイパン島に集って採択した憲法草案の前文は次のように歌ったが、分裂独立となり、発効しなかった。
 「海はわれわれを分かつのではなく、ひとつにしてくれる。島々はわれわれを支え、島々が集ってできた国家は、われわれを大きく強くしてくれる。
 戦争を知ったが故にわれわれは平和を望む。分割されたが故に統一を望む。 …
 支配されたが故に自由を求める。
 ミクロネシアの歴史は、いかだやカヌーに乗って海を探検した時に始まった。ミクロネシアの民族は、星の下を旅した時代に生まれた。
 世界はひとつの島なのだ」


第4章 南太平洋で

■イギリス核実験

 太平洋の核実験はイギリス、フランスによっても、オーストラリアや南太平洋の各地で行なわれた。 1952年10月3日、オーストラリア北西部のモンテ・ベロ島でイギリス最初の原爆が裂裂し、英国は米ソに次ぐ3番目の核保有国になった。

 以後、1958年までイギリスの核実験はオーストラリアの砂漠や太平洋の島で行なわれた。砂漠の先住民アボリジニーや実験に動員されたオーストラリア、ニュージーランドの兵士が放射能を浴びたことは、長く無視された。

 兵士や住民の声を無視できなくなったオーストラリア政府は84年7月、核実験被害調査委員会を発足させ、1年後、調査委員会は、ワラティンナのアボリジニーが被曝した可能性を認め、何らかの補償をするよう勧告した。

 イギリスが5つの核実験場でおこなった21回の大気圏内核実験に参加したイギリス軍兵士は約1万7千人にのぼる。兵士や遺族は「英国被曝退役軍人協会」を組織し、国に補償要求をつきつけている。
 オーストラリア本土での核実験に批判が高まったため、イギリスは核実験場を太平洋に移し、1958年から59年にクリスマス島で6回、同島の南東800㎞のモールデン島で3回の核実験を繰り返した。

 イギリスの核実験にニュージーランド海軍が危険水域のパトロールと気象観測に動員され、「アトミック・キウィ」と呼ばれる核実験参加のニュージーランド兵は585人にのぼる。

■フランス核実験

 フランスの最初の原爆実験は、1960年2月13日に植民地であったアルジェリアのサハラ砂漠・レガヌ実験場で行なわれ、ド・ゴール大統領は「フランス万歳!」と叫んだ。
 アルジェリアの独立によって、サハラでの核実験ができなくなったフランスは、南太平洋のフランス植民地であったタヒチ環礁へ実験場を移した。
 1966年7月1日フランスはNATOを離脱、7月3日にはムルロア環礁で第1回核実験が行なわれた。

 68年8月には初の水爆実験が行なわれた。73年6月にはニュージーランドとオーストラリア政府の提訴による国際司法裁判所の実験中止採決を無視して強行された。77年には3メガトン水爆実験。79年8月には地下トンネルの途中にひっかかったまま爆発し津波を発生させた。

 南太平洋ポリネシアのムルロア環礁でのフランスの核実験は120回にものぼり、環礁の玄武岩は地下核実験で穴だらけになり、放射能が洩れでている。

 タヒチ人にとって主な食料であるカツオやマグロなど魚が汚染され、住民に被害が多発している。しかし、フランスは安全だと繰り返すだけだった。

 実験の中止を求める運動は、タヒチのフランスからの独立を求める運動とも共同してもりあがり、1992年フランスは核実験の1年間停止を余儀なくされた。


第5章 旧ソ連

 ソ連はその中心部、ウラル山脈の南、チェリャビンスク郊外に、原爆のプルトニウム製造用の、地図にも出ていない秘密都市キシチョムを作り上げた。この都市は「チェリャビンスク40」の暗号名でよばれた。

 放射能で汚染された大量の水を民家が立ち並ぶテチャ川にたれ流し、基準の120倍の放射能が検出された。

 1957年9月29日には、“ウラルの核惨事”とよばれる放射性廃棄物の貯蔵タンクの爆発事故が起こり、推計で200万キュリーの放射能が飛び散った。 
 約1㎞上空まで噴き上げられた放射能は南西の風にのって北東に流れた。
 事故の翌年58年にフルシチョフ首相が突然核実験の一方的停止を宣言した理由を、メドヴェージェフは「核兵器の製点であるキシチョムの機能が事故のためマヒしたから」と分析している。
 この事故は、19年後の1976年11月、メドヴェージェフがイギリスの科学雑誌『ニューサイエンティスト』に発表した論文で初めて公表された。ソ連政府が公式に認めたのは事故から32年もたった89年6月だった。

 1954年9月14日の南ウラルの軍事演習で3~500メートルの空中で原爆を爆発させた。地上の戦車が爆風で吹き飛ばされ、多数の兵士が死傷し、生存者に放射能症が広がっている。(ソ連国防省の機関紙「赤い星」89年10月、ソ連政府機関紙「イズベスチヤ」による)

 旧ソ連の最大の核実験場である、カザフスタンのセミパラチンスク実験場は日本の四国ほどの大きさで、その内部に農場や牧場が点在している。

 セミパラチンスクから約100㎞、核実験関係者が住む都市クルチャトフは「セミパラチンスク40」の暗号名でよばれ、ソ連の地図には存在しない。核実験の責任者だったベリヤはこの町に住んでいたといわれている。

 核実験は農民や遊牧民に無警告で、いつも春の種まきと秋の取り入れの時期におこなわれた。
 1953年にはセミパラチンスクで最初の水爆実験がおこなわれた。水爆実験のさい立ち退き区域に含まれていながら命令で置去りにされたカラウル村の40人は「内務省第4診療所」で検査を受けた。40人のうち、ほとんどが40代までにガンか白血病で亡くなり、40年後に6人しか生存していない。

 「内務省第4診療所」は今も存在して、市の衛生局幹部でさえ近づけない。検査はするが、治療はしていない。いまもかたくなに資料の公表すらこばんでいる。

 セミパラチンスク実験場内には、地下核実験の跡が陥没してできた直径数百メートルの、通称、原子の湖が幾つもあり、強烈な放射能で汚染されている。

 1963年核実験が地下に潜ってからも、しばしば放射性ガスが地上に吹き出し、のべ320回の核爆発による深刻な放射能汚染が広がっている。
 この地域では白血病やガンが多発し、平均寿命が4、5年短くなり、子どもたちにも奇形や内臓疾患が後をたたない。
 40年間、地元の共産党当局は核実験は無害だと公言してきた。
 実験による放射能汚染は、国境を越えて北側のロシア共和国アルタイ地方にもおよんだ。

 1989年2月、実験場閉鎖の市民運動「ネヴァダ・セミパラチンスク」がスタートした。89年には1 回の地下核実験が計画されたが、11回は中止された。
 セミパラチンスク実験場は、住民の声におされて1991年8月閉鎖された。

 ソ連の東の端にあるチュコト民族管区では、50~60年代の大気圏核実験の死の灰で住民にガンが多発し、平均寿命はわずか45歳に低下している。
 とくに汚染されたこけ類を食べるトナカイを常食にしているチュクチ人に食物連鎖でセシウム137の体内蓄積が進み、蓄積量はトナカイを常食にしない人の100倍にも達している。(「モスクワニュース」89年8月)

 ソ連は核軍拡体制の重みで崩壊したが、まだ、ロシアに  発の核兵器が残っている。

 <つづく>



疑問・考察 日航123便墜落事故30年(1985年8月12日)

2015年09月03日 02時34分21秒 | 人間・生命・宇宙
疑問・考察 日航123便墜落事故30年(1985年8月12日)

 「ピース浜松」で書くとかいたが撤回して、時間ができたら「雨宮ブログ」で書くことにする。

 いまは、基本的な事実・疑問点・推察を列挙するにとどめる。

 1、垂直尾翼のほとんどが破壊された事故の現場は御巣鷹山(墜落現場)ではなく、相模湾上空である
 
 2、乗客の撮影したカメラから窓の外に黒い円形の物体が写っていた。これは後年、発表された。どうしてこういう重要な証拠が事故原因究明に使われなかったのか。後年の技術進歩で「オレンジ色の部分が黒の後ろ」にあるとする著書もある。ただし雨宮はその解明を見ていないので何ともいえない。

 3、「隔壁破壊」仮説ではかならず起きているはずの「急激な減圧」は事実として起きていない。急激な空気の吹き出しや、酸素の不足からの呼吸困難も起きていない。それは生存者の落合さんの証言が証明している。

 4、なぜ、多くの科学者・技術者が一致して批判する「内部隔壁破壊」説がまかり通ったのか。垂直尾翼の破壊は外部からの力で破壊された可能性が何故、追求されなかったのか。

 5,当時、海上自衛隊のミサイル護衛艦「まつゆき」の試運転がおこなわれていた。ミサイルの発射実験と標的機の飛行がなかったかどうか、追求されていない。

 6、火薬の痕跡はないから、ミサイルによる破壊ではありえないという人もいるが、標的機は当然、火薬は積んでいるはずはない。標的機が尾翼に誤射した可能性は、なぜ検討されなかったのか。

 7,ただちに現場の相模湾の海底が捜索されるべきにもかかわらず、後になって、それもおざなりの捜索になったのは何故か。徹底して捜索するべきではないか。

 8、下田の海岸に流れついたオレンジ色の金属が「747の部品ではない」から「無関係」とされたのは何故か。

 9、123便の飛行経路を見ると、あきらかに「横田基地」へ向かっている。それが途中から、北西にそれたのは何故か。機長は「必死の努力で操縦可能だった」とする著書もある。「操縦不能」説は、墜落したことからの結果論ではないのか。少なくとも検討された形跡もない。

 10、「ドーン」という音がしてから、わずか11秒後に、何が起きたか機体後部を調べることもなく、機長が「スコーク77」緊急信号を発信したのはなぜか。コックピットの操縦士達は何が起きたか、知っていたのではないか?

 11、迷走している日航機に、なぜ航空自衛隊は戦闘機を緊急発進させ、事態を観測し、可能なら日航機を誘導しなかったのか?領空に接近する外国軍機には、すべてスクランブルをかけている。即座に発進可能な戦闘機はなければならない。国民の命を守るための軍隊ではないのか。自衛隊の発表では、墜落してから百里基地の戦闘機を発進させている。

 12、墜落後、翌朝まで墜落現場が特定できず、長野県側への謝った憶測がとくに自衛隊や警察から発表され続けたのはなぜか。タカン(位置計測装置)の発表された円形に並んだデータの円の中心に墜落現場があるのは何故か。川上村の墜落を遠くに見た住民が最初に「墜落は群馬県:と電話したのは無視され、誰の電話かわからない「長野県○○村に墜落した」という虚報がテレビで流され続けたのは何故か。

 13,10年後、米軍人の証言で、墜落から2時間後の午後9時5分、米陸軍の座間基地のへりが乗員2名を地上に降ろす寸前だったが、「自衛隊が向かっているので、ただちに厚木に帰還せよ」との命令で、帰ったと。

 14,落合由実さんは「夜間、ヘリの音が聞こえて、手を振った」と証言している。地上に降りる準備をしていた米軍ヘリの可能性は高い。翌朝ではなく、2時間後に到着できていれば、生存者は4人ではなく、もっと増えていた可能性は高い。

 15、深夜に墜落現場や、「ニゼ」墜落現場で、ヘリの飛行や、謎の曳光弾と車の動きなどが目撃されている。深夜から墜落現場に誰かが入っていた可能性もある。

 17,川上慶子さんは「夜、懐中電灯が見えた」と証言していると書いた著書もある。直接まだ見ていません。
 
 18,自衛隊が習志野空挺団が朝8時50分に到着しているが、自衛隊は生存者発見に、一切関係していない。事故の場合、生存者救出・負傷者救護が最大の第1目的であろう。最初の生存者発見は、2時間後の落合さん発見で、長野県警と上野村消防団員による。つまり、自衛隊の指揮官は隊員に「生存者救出・負傷者救護命令」を出していないのだと推定できる。だから、現場で一人ひとりに生存を家訓することもしなかった。「大丈夫ですか」「生きていますか」と呼びかけることもしなかった。それは何故でしょうか。

 19,4人以外の生存者の情報が途中、流されるが、その後、いっさい消えてしまったのは何故でしょうか。「誤報でした」との報道さえない。

 20,夏の朝で、かなり早くから明るくなるのに、なぜ「8時50分」なのか、1分1秒を争うべき時です。午前5時頃に到達しても、おかしくはない。この時刻を命令したのは誰なのか?

 21,北斜面で4人は生き残りました。一方、南斜面から北西斜面は、黒く炭化した遺体が、検視した医師も「二度焼きしたような」「骨の奥まで炭化していた」と表現しています。いったい、ジェット旅客機のガソリンが燃えるだけで、そうなるんでしょうか。ガソリン燃料は、両翼の中に入っています.座席のある胴体にはありません、激突で細かな破片となった機体で、なぜ乗客の遺体がスゲの沢以外では炭化していたのでしょうか。

 21、『天空の星たちへ』を書いた青山道子さんは、ジェット機のガソリン燃料のケロシンは、灯油よりも燃焼性が良いので、炭素のススの発生が少ない、つまり黒くならない、と書いています。深夜の暗闇では、スゲの沢に落下した部品や遺体は発見しにくかったのではないでしょうか。もし発見されていたら‥‥憶測はつつしみましょう。推理は確実な証拠にもとづいてすべきです。なお『自衛隊装備年鑑』によれば陸上自衛隊は「火炎放射器」を保有しています。あ、言っちゃった。

 以下は次回に。

 22、中曽根首相の行動の謎「日航機事故、知らない」
 23,日航幹部の遺族への「北朝鮮のミサイルで撃墜された」暴言の謎
 24,地元の住民の証言「飛行機に流れ星が2つ流れた」「空中で赤い炎・黒煙が出た」
 25,なぜ墜落地点より前にエンジンが落ちているのか
 26,NHKニュースで「命令に反した自衛隊員を射殺」という報道はほんとうか
 27.自衛隊員の「首つり自殺」写真は本物か?

 これを書いて、長年の積み重ねを晴らしたい。もっと詳しい、正確な論文は、時間のあるときに書きます。なんの罪もなく、焼かれた犠牲者です。

 8・12と9・11とシリーズになります。

 8・12の犠牲者と9・11の犠牲者の恨みを晴らしたいと永年、思っていました。

 いや、違う。恨みを無くして、平等の世界を創るんですね。

考察 1 科学的社会主義では「弁証法」と「唯物論」はどちらが先なのか?

2014年07月03日 20時01分42秒 | 人間・生命・宇宙

考察 1 科学的社会主義では「弁証法」と「唯物論」はどちらが先なのか?

 「科学的社会主義の基礎理論を学ぶ」という勤労者通信大学のテキストが手元にあります。いま見ているのは1997年度版です。

 「第1部 ものの見方、考え方」「第2部 資本主義経済とくらし」「第3部 たたかいと社会進歩」となっています。

 つまり、戦後日本の科学的社会主義ではオーソドックスな「1 哲学、2 経済学、3 階級闘争論」という構成です。

 その中の第1部は「第1章 生きるとことと世界観、第2章 ものごとは発展する、第3章 社会を科学する」となっています。

 つまり哲学を ① 唯物論 ②弁証法 ③史的唯物論 の順序で叙述しているわけです。

 これは最近2013年に出版された関西労教協編集、学習の友社発行の『現代を生きる基礎理論』でも、共通しているので、共産党系の科学的社会主義ではずっと共通しています。

 なぜ「唯物論」が「弁証法」より前に来るのでしょうか?

 つまり、精神は物質から発生したものであり、動物意識はせいぜい数億年前で、ヒトの意識はせいぜい数百万年、本格的な「人間」の意識は数万年前です。

 まず「自然」「精神のない物質」の検討をおこない、その後で「物質から精神への移行」を検討すべきではないでしょうか。

 いきなり、精神と物質から話を始めるのでは、マルクスの『資本論』の方法論にも反しているのではないでしょうか。つまり、マルクスは『資本論』第1巻で、資本の成立の前提となる「商品ー貨幣」関係をまず研究して、そこからいかにして「資本」が発生するかを検討しています。

 いきなり「資本」を論じていません。

 同じように(という論理がこの場合成り立つのか?)、まず「物質」「宇宙」の発生と発展を検討して、そこから「精神」がいかにして発生するかをまず検討するのが正常な方法論だと思います。

 その発生した精神が、物質から自立して「相対的自立」を遂げます。その過程で、社会の上部構造が(階級社会前に)成立ます。つまり、人間の自我の発生と社会の上部構造の発生は同時であり、裏表だと思います。証明はこれから。

 国家や軍隊や警察は、その人間社会の上部構造を歪め変質させて成立したものであり、ノーマルな上部構造との同一性と異質性を持っています。精神・人間的意識との深い連関も。

 反映・作用という点で、上部構造は物質的経済的土台から作用されながら、土台に反作用します。相互作用ですね。その相互作用と、上部構造・医師kの土台への作用がますます意識的に強くなっていくのが人類史の今後の法則的未来です。

 つまり市民による経済の意識的コントロールです。そんなコントロールはいらない、利潤第1主義にまかせよというのが現代のグローバル資本主義です。

  ☆

 「現代を生きる基礎理論」は何か、ひとり一人が自分で吟味すべき時代に入ったようです。

 ぼくはぼくの思考を発展させていきます。自分の責任で、自分の脳髄で。

 他人の頭を使って考えることはできませんが、他人の頭に頼りたいヒトは多いようです

  ☆

 精神と物質の関係は、第1部の哲学で終わりで、第2部経済学、、第3部階級闘争論に、第1部の論議がまったく反映されなく、断絶しているというのが、現代の「科学的社会主義の通説」の根本的欠陥だと思います。

 もちろん、最初に出された矛盾は、最後まで貫徹しています。最後まで貫徹していなければ、それはそもそも矛盾では、なかったということになります。

 


ブログ初期に書いた「資本論の学習」より

2014年05月31日 18時28分47秒 | 人間・生命・宇宙

ブログ初期に書いた「資本論の学習」より 

資本論の学習2 商品の「使用価値」とは何か

2010年02月10日 04時14分49秒 | 人間・心・社会・科学

 

資本論の学習2 商品の「使用価値」とは何か

 「第1編第1章第1節 商品の2つの要因ー使用価値と価値」の続きです。
 テーマは「商品の使用価値」とは何か、です。
 よくある誤解は「使用価値」とは、その語感から言っても、「使用することの価値」なのだから、その商品を使用するときの「効用」あるいは「満足感」とか、主観的なものではないかという誤解です。

 マルクスさんは、こう書いています。

 「ある物の有用性は、その物を使用価値にする。しかし、この有用性は空中に浮かんでいるのではない。この有用性は、商品体の諸属性によって制約されており、商品体なしには実存しない。それゆえ、鉄、小麦、ダイヤモンドなどのような商品体そのものが、使用価値ままたは財である。」(新日本新書版①p60ー61)

 つまり、ある商品の「使用価値」とは、固いその商品体そのもののことです。
 だからこそ、ある商品の使用価値は「見える」のです。

 

資本論の学習3 商品の属性と要因、要素としての商品 2010年02月18日 22時01分16秒 | 人間・心・社会・科学

資本論の学習3 商品の属性と要因、要素としての商品

 「第1章第1節 商品の2つの要因ー使用価値と価値」の第3回目です。

 まず哲学の学習で書いたことを繰り返しますが、本文は第1行目で「商品は、なによりもまず、その諸属性によってなんらかの種類の人間的欲求を満たす1つの物、1つの外的対象、である」としています。
 また「このような物はどれも、多くの属性からなる1つの全体であり、それゆえ、さまざまな面から有用でありうる。」
 
 この「属性」について、山本広太郎さんは『差異とマルクス ー疎外・物象化・物神性ー』(青木書店、1985年)で、以下のように述べています。

 「属性 Eigenschaft とは物 Ding の属性であり、物のうちで自立性を喪失し、観念化され、したがって「互いに分離して」いないものだからである。分離しておれば、属性ではなく、要因 Faktor (因数分解の因数はこれ)である。」(p173)

 商品の属性とは、たとえばコップが① ガラスでできている、② 透明である、とか、③ 上から見ると円形である、④ 横から見れば長方形である、⑤ 液体を入れておくことができる、などのことです。
 
 それに対して商品の要因の1つである「使用価値」とは「鉄、小麦、ダイヤモンドのような商品体そのものが、使用価値または財である」と述べているように「商品体」そのものを指しています。

 そして、商品が、価値と使用価値という2つの要因に分解できるからこそ、その独立した要因同士のからみあう運動によって、新たな「貨幣」という現象が生まれてくるのだと思います。
 『資本論』では、そのような、見た目には1つのプロセスが、それぞれの要因で、二重の意味をもって二重な結果をもたらすという「二重性」が大事だと思います。

 第1行目に戻りますが「資本主義的生産様式が支配する諸社会の富は、「商品の巨大な集まり」として現われ、個々の商品はその富の要素形態として現われる。それゆえ、われわれの研究は、商品の分析から始まる。」とあります。

 ですから、「個々の商品」「諸社会の富」「の要素形態(独 Elementarform)」であり、要素である「個々の商品」が、また、2つの要因(独 Faktren)に分かれるということです。

 この「要素」と「要因」はマルクスは使い分けていますが、同じものなのか、違うものなのか、私にはまだわかりません。学習していきたいと思います。」

 以下、「資本論の学習7」まで書いたようです。4年も経つと書いた本人も忘れていました。

続きも書きたいと思っています。


宇宙 12月 木星(惑星ジュピター)の衛星が手持ちで撮影できました

2012年12月27日 05時29分58秒 | 人間・生命・宇宙

宇宙 12月 木星(惑星ジュピター)の衛星が手持ちで撮影できました

 2012年12月25日、一眼タイプデジカメ、キャノンパワーショットSX50HSで、手持ちで超望遠にして撮影しました。

 木星の4大衛星(ガリレオ衛星)のうち、3衛星が画像では確認できますが、ブログの画像で見えるでしょうか?

 長時間露出ができるといいのですが、不明です。昔はフィルム一眼レフにはあった「バルブ(B)シャッター」が今はないのですね。つまり、撮影者がシャッターを押すと開いて、シャッターを上げると、閉じるという、何秒でも露光できる設定です。

 


学校のいじめ・虐待・暴力を考える 3 いじめ・虐待と自死(通称「自殺」)の関係は?

2012年07月28日 06時07分24秒 | 人間・生命・宇宙

学校のいじめ・虐待・暴力を考える 3 いじめ・虐待と自死(通称「自殺」)の関係は?

 学校で多発する「いじめ」「虐待」「暴力」、それと「自死」の関係ですが、全ての場合に、かならずしも直結するものではありません。

 全ての場合に、いじめ=自死、の等式は成立するとは限りません。

 なぜなら、苛め・虐待・暴力がなくても、思春期の微妙なバランスは、自分を、うつや自死に追い込むことがあるからです。

 あるいは、苛め・虐待・暴力があってもそれに耐え抜いて生きていく子どもたちはたくさんいるからです。

 でも、そういう抵抗ができる子がいるからと言って、いじめ・虐待・暴力に心をずたずたにされて自死に追い込まれていく、優しい子・弱い子を非難したり、批判したりできますか?ボクはできません。

 「学校が強制収容所のようになっている」とボクは思いますが。アウシュビッツの中で抵抗するか、逃亡するか、当事者だけが選択をできると思います。

 昔読んだ「裸で狼の群れの中に」という小説を思い出しました。あれは、アウシュビッツにまぎれこんだ小さな子どもをみんなで守り抜く、勇気のいる話でした。

 子どもたちを自分の体を張って、守り抜く勇気が今、求められているのでしょうね。

 あれ、論点がずれてしまった。この問題は、則子さんとも、もっと討議して深めたいと思います。

 今日は、静岡市へ則子さんと2人で、行くので、行き帰りの電車のなかで、じっくり放したいな、と思います。家の中でより、会議に行く行き帰りのボクの車の中や、新幹線や東海道線の中で、ぼくたちの愛を紡いできたような気がします。

 今の季節だと、夏ばてしやすい、夏が苦手の則子さんは「近づかないで、暑いから」と、家の中では、ボクを1m以上に、遠ざけちゃうので、切ないです。ボクは暑くても、かまわないんだけな。え、だめ?はい、秋の9月まで待つことにします。

 


学校のいじめ・虐待・暴力を考える 2 児童虐待された子どもが5万9862人です

2012年07月28日 05時52分33秒 | 人間・生命・宇宙

学校のいじめ・虐待・暴力を考える 2 児童虐待された子どもが5万9862人です

 報道では「5万9862件」となっていますが「件」では、あまりにも客観主義に思えて、「虐待された子どもが5万9862人」と用語訂正しました。

 「厚労省は「社会の関心が高まり、疑わしいというケースも通報するという意識が溜まったのではないか」と分析している」とありますが、ボクは、これはまだ一部で、つまりあまりにひどい場合であって、軽い虐待、中程度の虐待は含まれていないと思います。

 なお「虐待」あるいは「ハラスメント」とは肉体的暴力だけではないと思います。

 この場合の「虐待」がどういう場合か、調べてみたいと想います。

 ボクの考える「虐待」「ハラスメント」は、言葉の暴力・精神的暴力・無言の暴力も含みます。

 「家庭で幼児期に親に虐待された子どもが、やがて友達を苛めるようになる」という「経路」の可能性は高いと思います。もう一つの経路は、よく言われる「家庭で親に虐待された子どもは、やがて自分が親になった時に、子どもを同じように扱うようになる:」と、

 みなさんは、どう思いますか?


宇宙と自然 太陽表面の温度と地球中心の温度は同じ6000度ですね

2012年07月28日 05時40分56秒 | 人間・生命・宇宙

宇宙と自然 太陽表面の温度と地球中心の温度は同じ6000度ですね

 「それがどうした?」「単なる偶然の一致でしょ」と言われれば身も蓋もないですが。

 私たちが生きていられるのは大地があり、そこを太陽が照らしているからですが、その太陽を私たちが見ている表面の温度は6000度です。なぜ6000度かというと、太陽は色でいうと黄色の主系列星なので6千度です。これが青いリゲルだと1万度だし、赤いベテルギウスだと3000度です。

 もちろん太陽の温度は太陽の中で起きている水素原子4個が1個のヘリウム原子に変わる「核融合」をエネルギーにしています。

 そして、地球の中心の熱は、一つは重力エネルギーで、もう一つは地球を構成する原子の一部である放射性元素の崩壊で発生する絵練りギーです。

 つまり、太陽の温度も、地球中心の温度も原子核反応に関係があるということで、興味深いです。

 で、一致するのは偶然ですか?ゆっくり、自分で考えたいとおもいます。

 誰かがこれを調整・設定しているというのはSF的でおもしろい物語ができそうです。え?妄想ですか?


学校のいじめ・虐待・暴力を考える 1 本の紹介『ハラスメントは連鎖する』光文社新書

2012年07月24日 06時00分20秒 | 人間・生命・宇宙

学校のいじめ・虐待・暴力を考える 1 本の紹介『ハラスメントは連鎖する』光文社新書、2007年4月20日初版

 「雨宮日記」で書いてきたように、ぼくの住んでいる町内の10階建てのマンションの屋上から、中学2年生の男の子が飛び降り「自死」しました。

 その後、曳馬中学校の校長先生が「いじめ」があったことを認めました。妻の則子さんと二人で、少し、この「自死」問題というより、この間の学校のいじめ問題を追いかけようとしています。

 そのためにも、その前提として、関心のあるみなさんに、次の本を読んで欲しいと思います。2年3ヶ月前に書いた本です。

 本と映像の森31 安冨歩・本條『ハラスメントは連鎖する』 2010年04月24日 05時41分08秒

 大津の中学生の自死問題で、加害者の親を特定しそこねて、まったく関係のない親を標的に、ネットで攻撃がされた事態がありましたが、それは、いじめに対するのに、「いじめ」行為では、いじめは連鎖していくだけで、解決しません。

 無自覚に行動していると「ハラスメントは連鎖」してしまいます。

 則子さんと数日前、話をしたのですが、「いじめをした子は家庭や地域や学校で、以前にいじめをされた子じゃないのかな」と。

 たとえば、絶対に親に殴られたり、苛められたりしたことの無い子どもが、他の子どもを殴ったり、苛めたり、するでしょうか。その子自身が、想像もできないのではないでしょうか。

 そういう「報復」の「連鎖」ですね。

 ヒロシマ・ナガサキの核戦争を体験した被爆者は、「報復の連鎖」という地獄から逃れて、「ノーモア広島、ノーモア長崎」「ノーモア・ビキニ」「すべての核兵器をなくそう」「長崎を最後の被爆地に」などなど…高いモラルを維持していると思います。

 まだまだいろんな論点があります。この本を全部読んで、反論なり、考察なりしてください。

 そういう作業に値する本だと思います。