雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 1月29日(土)の2 寒いので夜中に目が覚めて…

2011年01月31日 05時34分32秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 1月29日(土)の2 寒いので夜中に目が覚めて…

 日本海は大雪です。
 夜中に、寒くて目が覚めてしまいました。

 則子さんの部屋に同居している長女のTさんは今日はいないようなので、おそるおそる、則子さんのお布団に潜り込みました。

 則子さんの身体は…暖かくて…
 つい…数ヶ月…いや1年くらいぶりに…××××…しました。

 いい匂いがして…
 おいしくて…
 暖かくて…

 則子さんの眠りを、すこし妨げましたが(ごめんなさい)
 幸せな時間でした


  「妻よ おまえは なんて可愛いんだろうね」(橋本夢道)


(2月1日 補足)

 夫婦は、2人のペアですので、自分のひとりよがりでは、ペアはなりたちません。
 ペアプレイは、お互いに、相手のことを気遣いながら、相手を幸せにするのが基本。
 相手に、いい気持ちになってもらえれば、それで満足です。

 「自分が満足しなくてもいいなんて、嘘言うな」と言う方もいるかもしれませんが
 そういうことは言ってません。

 ぼくは則子さんを満足させてあげたいし、
 則子さんは、ぼくを満足させてあげたいということですから
 ぼくたちペアのバランスは、ちゃんと保たれています。
  

雨宮日記 1月29日(土) 妹が、おやじの受賞祝い(?)に来ました

2011年01月31日 05時28分36秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 1月29日(土) 妹が、おやじの受賞祝い(?)に来ました

 お昼頃起きて、台所に行くと、則子さんがいて、則子さんが握ってくれたお握りが2つおいてありました。

 「お握りありがとう、ぼくは里山へ行くけど、則子さん、どうする?」と聞くと
 「午後、Iちゃん(ぼくの実の妹)が来るから、私は家にいるね」
 「そう?わるいね。」と言って出かけました。

 夕方、家に帰ると、妹の旦那さんがスキーに行ったお土産がおいてありました。

 

雨宮日記 1月28日(金)の2 みかんの皮を捨てずに乾かして消臭剤

2011年01月31日 05時14分54秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 1月28日(金)の2 みかんの皮を捨てずに乾かして消臭剤

 則子さんが、家でみんなが食べたミカンの皮を捨てずに、写真のような箱に集めているので「これ何?」と聞きました。
 「これを乾かして、消臭剤にするの」
 「ふーん、生活の知恵ですね」と感心したのが大間違いでした。

 「まず智彦くんの部屋と、智彦くんの車に使うの」
 ドキッとしました。

 毎日、ちゃんとシャワーを念入りに浴びてますけど。
 ぼくの匂いじゃなくて、部屋の匂い?
 古新聞の匂いでしょうか?
 悩んでしまいます。

本と映像の森 128 石井宏さん『反音楽史』新潮文庫、2010年

2011年01月29日 05時39分17秒 | 本と映像の森
本と映像の森 128 石井宏さん『反音楽史』新潮文庫、2010年10月1日発行、原著2004年2月新潮社、486ページ、定価629円+消費税

 すごく重要な本です。
 タイトルは「反音楽・史」ではなくて「反・音楽史」です。

 ぼくも含めて今の子どもたちも学ぶ「バッハさん→モーツアルトさん→ベートーベンさん」という「ドイツ音楽史」は、かなり嘘であるということです

 まず第一点は、古典派以前の問題で、ドイツも含めて、西欧を支配した「イタリア音楽」を無視したり、軽視したりする「音楽史」は、成り立っていないという指摘です。
 
 第二点は、モーツアルトさんやベートーベンさんの当時でも、イタリア音楽は西欧音楽を支配していたのであり、それはロッシーニさんなどの歌劇の世界で、典型的です。 
 
 第三点は、19世紀の音楽世界で、シューマンさんなどがドイツ音楽を持ち上げてイタリア音楽をおとしめた「評論」の解明です。

 第四点は、20世紀に入って、クラシック音楽や音楽全体がどうなったか、という問題です。

 

雨宮日記 1月28日(金) 1527850ブログの9751位に入りました

2011年01月29日 05時04分47秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 1月28日(金) 1527850ブログの9751位に入りました

 gooのブログ数「152万7850ブログ」で
 ヒット数で1万位を切り、9751位に入りました。
 
 まあ「それがどうした?」と言われれば「どうもしない」のですが。
 たんに「なんだか嬉しい」というだけです。

 表彰状がくるわけでもないし。
 則子さんが褒めてくれるわけでもないし(則子さんは、このブログを見てませんから)

 見に来てくださる読者のみなさんに感謝いたします。
 熱心に見に来てくれるので、毎日、いや1日に何回も書かにゃあと、いう気になります。

 いま累計ヒット数「89570」です。
 あと430ヒットで「9万ヒット」です。
 9万ヒットをあてた人に(証拠のコピーなりをメールで送って下されば)
 何か記念品をあげます!


 それはともかく、「雨宮日記」を書かないと…

 1週間前くらいから、持病でときどき腰が痛くなるのが、
 また再発していたのですが
 治ってきました。
 
 たぶん原因は、則子さんに「智彦くん、集会のタイトルを描いて」と言われて喜んで
 寒い部屋で長時間、無理な姿勢で、ポスターカラーで描いていたことが原因です。

 え?違いますよ!
 則子さんが原因じゃなくて、ぼくがつい、無理な姿勢で描いたことが原因です。

 職業だった本屋の職業病です。
 「本も集まると重くなる」ということです。
 
 
 

 

雨宮日記 1月27日(木) 霧島山の新燃岳で爆発的噴火!

2011年01月28日 05時17分50秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 1月27日(木) 霧島山の新燃岳(しんもえだけ)で爆発的噴火!

 昨日、27日の午後3時41分、霧島連山の新燃岳(しんもえだけ)で爆発的噴火がおきました。
 ちょっとびっくりです。

 噴火したことがではなくて、今年に入って、1月6日に「本と映像の森 120 石黒輝原作・正吉良カラク漫画『カグツチ (上・下)』講談社、2008年」を紹介しました。
 8日に「本と映像の森 121 石黒耀さん著『死都日本』講談社文庫、講談社、2008年(単行本2002年)、11日に「本と映像の森 123 高橋正樹さん著『破局噴火』祥伝社新書、2008年10月初版」と紹介しました。

つまり、宮崎県の霧島火山の「破局的噴火」のはなしです。

 このタイミングで、というのが怖いです。

 別に、ぼくが書いたから、ではないので、責任はないのですが、リアルな事態が発生する符節のよさにちょっと寒気がします。

 しかもさっきネットニュースを見たら「火砕流が発生していた」というではありませんか。
 たぶん、著者の石黒さんもびっくりしているのではないでしょうか。
 まさか、もっと大規模な噴火になる可能性も…?

 とにかく、みなさん、上記の本は読んだ方がいいと思います。

 都城市では降灰が続いています。
 もっと大規模な噴火の可能性もありそうです。

 それに関連して、心配なのはネットで報じられた「北朝鮮・白頭山」の噴火の可能性です。
 もしそういう破局的噴火が起こるとすると、北朝鮮の体制や「死ぬならみんな道連れに」みたいな戦争挑発の可能性も高くなるのではないでしょうか。
 
 今朝は、ちょっと飲み過ぎてしまい、夕食過ぎまで寝こけて、則子さんに、にらまれました。
 則子さん「ちょっとじゃないでしょ!」
 ごめんなさい。
 心配をかけて、ごめん。
 反省サルになります。

 それにしても、宮崎の鳥インフルエンザに追加しての事態、日本列島はどうなるんだろう。
 鳥インフルエンザは、愛知県豊橋市でも発見されましたが、わが静岡県湖西市もその地点から警戒区域に入るようで、行政が調査しています。
 


 

本と映像の森 127 1月23日、NHKテレビ「〝邪馬台国〟を掘る」

2011年01月27日 05時39分26秒 | 本と映像の森
本と映像の森 127 1月23日、NHKテレビ「〝邪馬台国〟を掘る」

 これを見てあきれました。

 雨宮の追求するテーマの一つは「人間はいかにだまされるか」ですが、日本の古代学で、かなり多くの人が「だまされた」現象は、いくつかあると思います。

 1つめは、「東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)」で、
 2つめは、あの「神の手」の旧石器遺跡偽造で、
 3つめが、この「邪馬台国はどこにあった」問題だろうと思います。

 3つとも共通するのは、一部の非科学的学者と、マスコミが癒着して歴史の偽造をしていることです。

 1つめの「東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)」は、文書資料の偽造です。

 2つめの旧石器偽造は、石器資料の偽造です。
 毎日新聞が執念の取材で、その偽造石器を埋める場面を撮影しました。
 あの歴史的なスクープがなければ、いまでも「日本の最古の旧石器」となっていたんでしょうか。
 「最古」というより「サイコ」ですね。

 3番目の「邪馬台国=巻向説」は資料の解読・読み取りのうそです。いかに無茶か、別途書きたいと思います。

 (追加)

 「真実は汗と涙と血でつくられ結晶し、その真実は泥と嘘で塗りたくられ、隠される」という言葉を思い出しました。
 
 則子「智彦くん、その言葉は誰の言ったことなの?」
 ぼく「はい、すみません。なんの権威もない、ぼくの言葉です」
 則子「智彦くんの…言葉では…」
 ぼく「神様が言おうと、悪魔が言おうと、ぼくが言おうと、真実は真実です」
 則子「悪魔は、真実と嘘を取り混ぜて、人間をだますっっていう智彦くんの説でしょ?」
 ぼく「説ではなくて、事実です…」
 則子「ね、悪魔ってだれ?」
 ぼく「それは、寒気のする指摘ですね。真実と定かでない嘘をとりまぜてしゃべる人間は、みんな悪魔に心を売っているということですね」
 則子「悪魔に責任をおしつけている感じだけど、その人が悪魔でしょ?」

 興味のあるみなさんは、森浩一さんの『倭人伝を読みなおす』ちくま新書や、季刊雑誌『邪馬台国』(梓書房発行)を読んでください。

 

雨宮日記 1月26日(水) 則子さんは「たちかぜ」裁判判決で横浜へ

2011年01月26日 20時57分18秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 1月26日(水) 則子さんは「たちかぜ」裁判判決で横浜へ

 則子さんが「朝5時に家に帰ってきたら、起こしてね」というので、ちょうど5時過ぎに帰ることができたので、2階に戻ったらもう起きていました。

 朝6時何分だかの横浜行きのバス(たぶん東名バス)で往復で7000円だそうです。
 
 今日は海上自衛隊横須賀基地の護衛艦「たちかぜ」での乗組員がいじめを受けて自死した事件の判決でした。

 則子さんは、航空自衛隊浜松基地で起きた自衛官の自死事件の「自衛官人権裁判を支える会」の事務局員をしているので、相互支援もあり、その場に立ち会いたいと行きました。

 夕方、ネットを見たら、勝訴のようです。
 もちろん勝利の度合いはありますが、勝訴は勝訴で。

 則子さんの作った食事を温めて、おじいちゃんと2人で夕食を食べたあと、次女のIさんから電話がきました。
 
 「今、家にいる?」
 「いるよ」
 「今から、浜松駅まで迎えにこれる?」
 「どうしたの?重い荷物であるの」
 「口座からお金を出し忘れて電車賃がないの」 
 「わかった、行くから」
 
 ということで、運賃120円で娘を家まで運送しました。
 
 則子さんは夜10時過ぎに帰って来ました。
 お疲れさまでした。

 

雨宮日記 1月25日(火) とにかく寒さと晴れが続いてます

2011年01月26日 20時36分58秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 1月25日(火) とにかく寒さと晴れが続いてます

 1月はこれまで浜松では雪が1回降ったけど、雨は降りません。
 今日、天竜の熊に住んでいる方とあったので「この前の雪は、わが家のあたりは2センチで高台は5センチだったけど熊はどうでした?」と聞いたらなんと「10センチ」でした。
 浜松は小雪ですね。

 浜松では1月に雨が降らないので、里山のニホンアカガエルが卵を産めないでジリジリしています(いると思います)。

 日本の歴史的な最低気温は(もちろん気温を記録するようになってからですから、明治以後でしょうけど)、1902年(明治35年)1月25日に北海道旭川市で記録されたマイナス41.0度Cが最低だそうです。
 この記録は富士山頂の記録より3度低いそうです。
 (日本気象協会編『季節と暮らす365日』アリス館、p10)

 浜松はほとんど零度以下になることもなく、いまこれを書いている26日もアメダスデータでは最低気温は午前3時に0.3度でした。
 
 同じアメダスデータ(ネットで「アメダス」「佐久間」で出てきます)で佐久間は最低気温マイナス4.2度Cでした。
 浜松で「寒い」なんて言ってはばちがあたりますね。
 

遠州の遺跡・寺社 46 浜北区貴布祢(貴四)の須佐之男神社

2011年01月25日 05時19分28秒 | 雨宮日誌
遠州の遺跡・寺社 46 浜北区貴布祢(貴四)の須佐之男神社

 浜北区貴布祢に「須佐之男神社」がある、というのを見付けたのは依然です。

 ネットで「須佐之男神社」を検索したら、この浜北の須佐之男神社の「GO GO 郷中」というHPを見付けて、その中に「須佐之男神社祭典」が毎年8月初めにおこなわれるとあり、地元の人は「天王さま」と呼んでいるとありました。

 今日は、実際に見てきました。

 二俣街道の「酒のビッグ浜北店」のある「貴布祢北」交差点を西に曲がって、1回目の信号のすぐ西、道の北側に「貴布祢第四区公民館」と「須佐之男神社」があります。

 小さな南向き(神社に向かって北東に37度でした)の神社です。

 2010年9月26日「遠州の遺跡・寺社28 中区鴨江の須佐之男神社」で、以下のように、紹介しました。

 「スサノオさん(気安く「さん」ずけにするな!といわれそうですが)のすごいところは、やはり、日本列島に(たぶん朝鮮から)やってきて、「朝鮮には金銀があるが、日本にそういう宝がないのはよくない」と言って、自分のヒゲを抜いて杉にして、胸毛を抜いてヒノキにして(あの方ですよ「胸毛ふさふさ!」)、お尻の毛をマキの木にして、眉毛を楠の木にしました。
 そして、杉とヒノキは船に使え、マキの木はお墓の棺ををつくれ、楠の木は宮殿につかえと教えました。
 古代の用材を調べていくと、実際、そのとおりなのですね。なぜ、どうして、そうなのか、別途考えたいと思います。
 (志村史夫さん『古代日本の超技術』ブルーバックス、講談社、1997年)」

 まだまだ謎は解けませんね。

 


 

雨宮日記 1月22日(土) 父が「浜松市民文芸」の「市民文芸賞」授賞

2011年01月22日 21時32分27秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 1月22日(土) 父が「浜松市民文芸」の「市民文芸賞」授賞

 今日、「浜松市民文芸 56号」に応募していた、父の節三(せつぞう)さんの評論が「市民文芸賞」という通知が来ました。

 3月に授賞式です。

 おめでとうございます。

 評論は「浜松詩歌事始 後編」で、これで3年間掛けて書いていた「浜松詩歌事始」が完結しました。

 1回目の「前編」は、市民文芸賞で、
 2回目の「中編」は、入賞でした。

 5月に節三さんの「米寿(88才)」のお祝いの時に、家族・親戚一同で、盛大にお祝いしたいと思います。

 いずれは、このブログに「節三さんのページ」を作って掲載していきたいですね。

 

 

 

本と映像の森 126 池辺晋一郎さん著『シューマンの音符たち』音楽の友社

2011年01月22日 21時07分42秒 | 本と映像の森
本と映像の森 126 池辺晋一郎さん著『シューマンの音符たち』音楽の友社、2010年10月5日第1刷、204ページ、定価2400円+消費税

 「本と映像の森 125」の続きで、今度は作曲家・池辺晋一郎さんによる楽曲分析です。

 「音楽の友」に2年間連載されたものをまとめたので、なんと24章です。

 ちょっとだけタイトルを…。

 1 大胆さと激しさと
 2 てふてふが一匹生まれて飛んでいった
 3 拍節マジックの面白さ
 4 その心理の権化かも
 5 何といっても愛の花なんです!
 6 ピアノへの愛に貫かれ
 7 人なつっこい名曲
 8 優しさの具現
 9 3種の個性
 
 …それぞれ、どの曲なのか、当たったらあなたは偉いです。

 ぼくは、まだシューマン(漢字にすると修人…)は聞いてない曲が多いので、ネットやCDを捜しながら聴いてから読んでいます。

 写真は、ぼくと則子さんが「コーヒー飲んでいろいろ話したいね」という時に、行く中区上島2丁目の喫茶店「シーン」で飲んだコーヒーと出してくれたいちごです。

 イチゴの赤と、コーヒーの黒が、シューマンの明るさと暗さの両面を表しているような気がします。

 
 

 


 

雨宮日記 1月21日(金) 娘のIさんの誕生日またはレーニンさん・宮本百合子さんの没日

2011年01月22日 05時08分36秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 1月21日(金) 娘のIさんの誕生日またはレーニンさん・宮本百合子さんの没日

 午後6時すぎに家に帰ったら、ちょうど夕食の支度ができたところでした。
 妻の則子さんと、次女のIさんと、父と、4人で夕食になりました。

 Iさんの誕生日なので、いつもよりずっと豪華です。
 写真の右の方に、火をつけたロウソクが写っています。

 ぼく「Iさん、二十何本のロウソクを立て…だっけ?」(歌のメロデイで)
 Iさん「お父さん、今年の年度が私の年齢なの。知らなかった?」
 ぼく「そうか!じゃあ、11才だね!」
 則子「あのね、それは西暦でしょ!」
 ぼく「わかってますよ。Iさんが23才になる今年まで、平成の年号がIさんの年齢って知らなかったな。やっぱり父親は適当だね」
 則子「母親も知らなかったわ」

 ネットで今日が誕生日の人は誰かなあと調べてみたけど、あんまりたいした人は居ませんでした。
 365分の1なのに。

 今日が没日の人は、ウラジミール・イリイッチ・レーニンさんと、小説家の宮本百合子さんがいます。

 レーニンさんのプラス・マイナスについては、不破哲三さんが『レーニンと「資本論」』全6巻で、ソビエト政権期のマイナス面も含めて分析されていて参考になります。
 不破さんの分析は、不破さんの分析であって、ぼくの分析ではありません。
 ぼくの分析は、またいつか、やりたいですが。
 
 宮本百合子さんについては、ぼくも則子さんも深く尊敬していて、『宮本百合子全集』を読んだ読者ですが、百合子さんの「ソ連」に対しての態度と分析は、ほとんど論評されていないようです。

 1937年10月に書かれた「こわれた鏡 ―ジイド知性の喜劇―」はネットで詠むことができるので、みなさん、直接読んで判断してください。

 ぼくは、あれほど日本の現実に対して発揮された百合子さんの批判精神は、同時代のソ連に対しては機能していないと思います。

 なぜ、そうなのか、百合子さんのソ連滞在時代を描いた小説「道標」など『全集』を読みなおして考えたいと思っていますが、時間があるでしょうか。



 

 
 
 

雨宮日記 1月20日(木)の2 次女のIさんの誕生日の前日です

2011年01月21日 06時24分17秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 1月20日(木)の2 次女のIさんの誕生日の前日です

 明日は、次女のIさんの2○才の誕生日です。
 ごめんなさい、精液だけ使って、生物学的に、産む責任のない父親は無責任ですね、正確に20何才なのか、定かではありません。

 あ、則子さん、そんな怖い顔をしないでください。

 次女のIさんが産まれるための「2人目をつくろう」という決断をしたのは、ぼくですからね。

 もちろん、きっかけは、ぼくが「いまの収入では、2人は無理」と主張していたのにたいして、則子さんが、30何才で「もう子供はつくれないのかな」って、涙を流したことですが。

 則子さんの涙に、つい「じゃあ、2人目、つくろうか」と言ってしまったので、今のIさんがいるんですね。

 Iさん、わかった?
 則子さんの涙がなかったら、Iさんは産まれなかったんだよ。
 なんだか、不思議ですね。

 夜、長女のTさんが、ケーキを買ってきてくれました。

 TさんとIさんは、ぼくたちが2人目をつくるのをためらっていたので、6年くらい離れています。
 
 やっぱり、今になってみると、2人子供がいて、2人親がいて、親と子の4人の、四角関係がうまくいっているような気がします。

 バランスはいいですね。

 Tさん、Iさんに、感謝です。
 

 

 
 

雨宮日記 1月20日(木) 「大寒(だいかん)」です

2011年01月21日 06時04分09秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 1月20日(木) 「大寒(だいかん)」です

 雨宮ブログを初めて1年以上が経つので、去年の「1月20日」と同じ事を書かないように、以前の日記を参照しないといけないですね。

 1年前の日記は、こうです。

 「1月20日は大寒(たいかん)です。
 昔の旧暦は、太陰暦といって月の満ち欠けで月を数えるので、1年の季節の移り変わりとはずれてしまいます。
 そこで、1年365日を「24節気」に分けて、季節の変わり目が分かるようにこよみに書き込みました。
 その1つが大寒(だいかん)です。
 「おおさむ」とは読まないでくださいね。

 ボクが小さい頃から覚えている「唄」ではこうです。
 母が歌ってくれた子守歌かもしれません、
  「大寒(おおさむ) 小寒(こさむ)
   山から小僧(こぞう)が 泣いてきた
   なんと言って 泣いてきた
   寒いと言って 泣いてきた」
 と覚えています。もちろん「大寒(おおさむ)」は「大寒(だいかん)」のことで、「小寒(こさむ)」は「小寒(しょうかん)」のことですが。

 加藤文三さんの『民謡歳時記(上)』(青木書店、1980年)の「1月 寒天唄」(p52)には、「これは東京の唄だが、長崎では初めを「あー寒さ、こー寒さ・といい、熊本では「ああ寒み、小寒み」という」とあります。
 
 ボクの母は東京育ちで、結婚して浜松へ来たので、これは「東京の唄」なのか、それとも父の、浜松の唄なのか、わかりません。
 回りの友だちに聞いてみたいと思います。」

 今日の「大寒」から15日前が「小寒」で、15日後が2月はじめの「立春」です。
 「小寒」から「立春」までの30日間(1ヶ月)を「寒の内」といいます。

 ぼくが好きな日本酒は、この寒い時期につくる「寒造り」のお酒と言って、おいしいとされています。


 「合点(がてん)して 居ても 寒いぞ 貧しいぞ」 
  
   小林一茶さん(文化八年(1811年)、一茶さん49才、「我春集」