上海阿姐のgooブログ

FC2ブログ「全民娯楽時代の到来~上海からアジア娯楽日記」の続きのブログです。

2011年3月と4月のDVD~宝塚と大陸ドラマ~

2011年04月28日 | エンタメの日記
ご存知の方もいらっしゃると思いますが、阿姐は宝塚が好きです。
K-POPや中華芸能が好きな方でミュージカルや宝塚も好きという方は、結構いらっしゃるんじゃないかと思います。いろいろと共通点を感じます。

2月18日(金)に横浜アリーナでSuperJuniorコンサートを見て、翌日19日(土)に東京宝塚劇場で雪組版「ロミオとジュリエット」を見たのですが、SuperShowの記憶が吹っ飛ぶくらい、宝塚版「ロミオとジュリエット」が面白かったのです。

【写真:東京宝塚劇場 2011年2月 雪組版「ロミオとジュリエット」】


この作品はフランスミュージカル「ロミオ&ジュリエット」を宝塚版にして上演したという形なので、普段の宝塚とはかなり違った雰囲気の作品になっています。原版であるフランス版から取ったとされる音楽、構成が素晴らしいです。衣装や音楽はPOPで前衛的で古典劇「ロミオとジュリエット」の常識を打ち破ります。

3月上旬に上海に戻ってからも「ロミオとジュリエット」のDVDばかり見てました。
3月11日の東日本大地震が起きた後は、特にこればかり見てました。

このミュージカルの歌詞が、大震災の恐怖と悲劇と重なる部分があって、引き付けられました。

宝塚星組版が特にそうなのですが、ロミオが現代的なキャラクターになっており、精神的には今の普通の若者というかんじです。大人の都合に左右されることなく自分の意思で生きたいと願っており、憂鬱さはかけらもなく、決して悲劇的な人物ではありません。ところがロミオは、一瞬の間に全てを闇に包んでしまう「運命」がすぐそこに潜んでいることを予感しており、1人になるとその「運命」に怯えているのです。
ロミオとジュリエットはそれぞれ自殺により命を失うのですが、決して死にたいと思っていたわけではなく、未来を夢見る若者で、明日も明後日も生きたいと思っていたのに、どこかで運命が狂って死に向わざるを得なくなってしまったという描き方がされています。
ティボルトとマーキューシオが争いの中で命を落とし、ジュリエットも自ら命を絶った後、ロミオの幼馴染であるベンヴォーリオが、
「昨日までの俺たちは 世界を変える王だったのに、今日の俺たちは 誰も生き返らせることができない」
「どうやって伝えればいい?俺たちの青春が終わってしまったことを もう君と俺しか残っていないことを どうやって告げたらいいのだろう」
と歌うのも、震災の悲劇とオーバーラップしました。
そして、神父様はロミオに「神が与えた試練を乗り越えるため 涙を拭いて立ち上がるのだ 神様はまだ お前をお見捨てにはならない」と勇気付けるのですが、結局ロミオとジュリエットは2人とも命を落としてしまいます。
2つの名家の対立が憎しみと悲劇を生むという構図は、現代の戦争や内乱にも通じるものがあるというのがフランス版のメッセージなのかもしれませんが、地震が起きてからは、逃げることのできない「運命」を前にした人間の無力さを描いているように見えてしまいます。

ただ、宝塚版は「死」の他に「愛」を象徴するダンサーの役が加えられており、最後は「愛」と「死」が融合し、「愛は永遠に残り、引き裂かれることはない」という希望が強く表わされています。

今年の秋にはTBSとホリプロの企画・製作で、日本版「ロミオ&ジュリエット」が上演されるそうです。日本ミュージカル界のスター「城田くん」がロミオをやるそうです・・・。

宝塚(ロミオ&ジュリエット)のDVDをさんざん見た後も、地震の後はなぜかK-POPを聴く気にはなれませんでした。

代わりに見たDVDはこれです。

中国ドラマ:「潜伏」 主演:孫紅雷(スンホンレイ)、姚晨(ヤオチェン) 2009年放送。全30話。

 

スパイものの大陸ドラマです。
1945年~1950年の第二次世界大戦終戦後から中華人民共和国建国までの、国民党と共産党の内戦時代を背景としたドラマ。スパイとして国民党政府の諜報機関に潜伏する男と、偽夫婦を装う「妻役」の女性を中心とした物語。ものすごく面白いです。2009年に大ヒットしました。
歴史的な出来事を舞台にしていますが、ドラマ的にはエンターテイメント性が非常に強く、裏の裏をかく騙し合いでハラハラドキドキ、脇役はもちろん主役2人の演技が上手いです。中華民国期の欧米式ブルジョワ文化が描かれていて、映像的にも非常にきれいです。
主人公の余則成はもともと国民党の諜報部員(スパイ)として、共産党の情報を探っていた。しかし会話を盗聴しているうちに、恋人の影響もあり、むしろ共産党の思想に共感するようになる。だが、主人公は本当はスパイなどはやりたくはなく、早く平穏な生活を送りたいと願っていた。決して美男子でもなく、野心も出世欲もない主人公は、ただ生き抜くために任務をこなす。どんな窮地に立たされても決して諦めず、自分も仲間も犠牲にせずに敵を欺き切り抜ける。しかし、内戦が終わり、やっと勝利の日を迎えても主人公が望んだ平穏な生活は与えられない。大義や理想は必ずしも個人を幸せにしないという皮肉が込められており、奥が深いです。
生きるためにはスパイを続けるしかない。それでも生きることを諦めない主人公の姿は、視聴者に感動と勇気を与えます。「現代に生きるサラリーマンにとって、主人公の粘り強さと処世術は学ぶべきところがある」と言われ、ドラマ大ヒットの一因となりました。
主人公の回りに3人のタイプが異なる女性が現れますが、女性キャラが恋愛に対して非常に主体的というのも、このドラマの面白いところです。

こういう「無名の英雄」を題材にしたドラマが、ここ数年中国では流行っています。

ドラマ:「士兵突撃」 主演:王宝強、段奕宏、張澤、張国強  監督:康洪雷 2007年放送
これも中国で大ヒットしたドラマです。2007年に全国的に大ヒット。人民解放軍の陸軍が舞台で、このドラマを見れば初心者でも人民解放軍の組織体系が頭に入ります
学歴も財産もなく田舎の農村では何のチャンスもない、農家の三男坊の余り者の少年・許三多(王宝強)が、軍隊という組織の中で様々なことを経験し、人間として一歩一歩成長していくというドラマです。軍隊に入るのは国のためというよりは、貧しい生活から這い上がるチャンスが他にないためというところからスタートしており、これは中国のある種の現実を反映しています。
「国のために戦う」という表現がほとんど全く出てこないのが特徴で、兵士1人1人の人間的な面を描いた軍隊ドラマとして大ヒットしました。ものすごくよくできています。
実際の人民解放軍の人からすると「軍はこんなに美しいところではない。」と言うと思いますが・・・。
段奕宏が演じる特殊部隊の隊長・元朗はすごくカッコいいキャラクターで、理想の現代軍人、理想の上司、理想の夫と讃えられました。また、女性キャラクターがただの1人も出てこないという稀有なドラマで、ネット上に同人小説がいっぱいありました。日本でこのドラマを放送したら同人誌がいっぱいできると思います・・・。
中国国内では作品賞から主演、助演、監督賞まで多数受賞し、国際ドラマフェスティバルin TOKYO(2008年度)でも海外招待作品として紹介されています。

写真:28話版と30話版のDVD。2バージョン存在しますが、どこが違うのか分かりません。1話1話の区切りが違うだけなのでしょうか・・・?このパッケージからはとても想像できないような美しい映像です。

 

ドラマ:「我的団長我的団」(タイトルの意味は“私の隊長、私の部隊”) 主演:段奕宏、張澤、張国強  監督:康洪雷
大ヒットドラマ「士兵突撃」と同じスタッフ・同じ俳優陣で制作されたドラマ(但し王宝強は出演していません)。
抗日戦争(日中戦争)時代に過酷を極めた戦いで、約1000人の隊員のうち22人しか生還できなかったと言われる四川地方のある部隊を描いたドラマです。
いろんな意味で前衛的な抗日ドラマです。抗日戦争を戦った兵士を「英雄」ではなく「ただの兵隊」として捉え、一兵士の立場から描いたという点で画期的な作品と言われています。ただし「士兵突撃」が幅広く賞賛されたのに対し「我的団長我的団」は評価が真っ二つに分かれ、一部の視聴者からは「こんな描き方は我慢できない」と批判も浴び、また、戦闘シーンの撮影中に事故が多発したことも問題視されました。
しかし、残酷な陸上戦を詩的ともいえる音楽、映像、ナレーションで表現し、一部の視聴者からは熱狂的に支持されました。このドラマは「士兵突撃」と違って女性キャラが出てきます。

 

ドラマ:「撞車」(CRASH) 主演:賈一平  阿姐は賈一平が好きなのでジャケ買い(・・?)したドラマDVDです。ここで挙げたドラマの中で唯一マイナーなドラマです。自動車死亡事故を通じて、隠されていた事実が次々と明るみになり・・という類のドラマ。脇役の演技が上手くて面白かったです。賈一平が出てるドラマは大体面白いです。

ドラマ:「坐庄」 主演:賈一平、奚美娟、王茜 全20話。2003年。
このドラマで賈一平が好きになりました。古いドラマですがすごく有名です。中国株の株取引をテーマにしたドラマで、タイトルの「坐庄」はある銘柄の株価を操作できるほどの支配力を持つ「親」になることを意味します。
証券会社内部の不正取引による株価操作、証券会社の不正を追う公的機関、株に踊らされる一般市民、それら全てを裏で操つる大株主・・・。2003年頃の証券取引の雰囲気がよく分かるリアルなドラマです。

 

中国では毎年膨大な数のドラマが制作されています。全然面白くない作品の方が多いのですが、時々(1年に3~5本でしょうか)素晴らしい作品が生まれています。その格差の激しさも、中国ならではです。
コメント (14)
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新大久保の思い出

2011年04月05日 | 普通の日記
東日本大震災以降、関東にいた多くの外国人が帰国した。
企業派遣で来日している場合はほとんどが会社命令で本国に帰国したが、進学や業務のために日本に残っている外国人もいる。東京の場合、感覚的にいうと「半分は帰国したけれど、半分弱は残っていた」のではと思う。地震から3週間くらい経ったところで戻ってきた人もいる。

先週の週末(3月26日)、同僚が日本に残っている中国人や韓国人の人に会いに大久保に行った。
数年ぶりにこのエリアに行ったという同僚は、とても驚いていた。

「新大久保が異様に賑わっていてびっくりした。韓国料理屋の前に人がいっぱい並んでいたし、韓流グッズを売ってるお店もすごく混んでいた。」

JR山手線新大久保駅には開札が一つしかない。
開札を出て左(西)に曲がるとJR総武線の大久保駅につながる「大久保エリア」になる。大久保エリアは中国人向けの店が多い。駅の周りには楽器店が多く、特に良質の中古管楽器を扱う店が多いことで有名である。
駅の北側は意外と静かな住宅街になり、しばらく行くと海城高校や早稲田理工学部など学校が集中する緑の多いエリアになる。
一般的に「新大久保」と呼ばれるエリアは、駅改札を出て右に曲がり、JR山手線の線路を縦の境界にし、北は大久保通り、南は職安通りまでのエリアを指す。職安通りを越えると歌舞伎町となる。

新大久保には韓国芸能ショップや気軽に入れる韓国料理店が並び、原宿竹下通りを思わせる活気に溢れている。韓国語教室などもあり「韓国カルチャーの町」となっている。

少し前まで新大久保はこんな町ではなかった。

新大久保は危ないところだった。

今からもう15年近く前、1990年代の後半、新宿区に住んでいたことがある。
新大久保にも友達が住んでいたので時々遊びに行った。
当時の住民の言葉によると、西部新宿線新宿駅の北口からJR山手線新大久保駅までのエリアは、「山手線内では最も治安の悪い区域」であった。
新大久保は「コリアンタウン」というわけではなかった。
韓国人や韓国料理の店も確かに多かったが、中華系の店や、東南アジア系外国人も多かったと思う。
中華料理、タイ料理、ベトナム料理、シンガポール料理という名で福建料理を出す店、食料品や雑貨を売る店が点在し、日本語がほとんど通じない場所もあった。
路地裏には「あそこの公衆電話は国際電話がタダでかけられるように改造されている」と噂が流れるほど、いつも外国人が長電話している電話があった。偽造カードが流行った時期もあったし、偽造でなくてもいろいろな国際テレホンカードが使われていたと思う。
一方で、楽器店や本屋なども多く、昼間は楽器を修理に出しにくる学生の姿が大久保通りに見られれた。
韓国系の店は新大久保にもあったけれど、職安通りや新宿区役所の裏あたりに多かった。それも女性同士で気軽に入るという雰囲気ではなかった。

当時の新大久保には外国人の風俗業関係者が多く、次から次へと新しい外国人グループが入ってきていた。
よく新大久保の友達と遊んでいた時期は、ロシア・ルーマニア系が多いと言われていた時期だった。
友達は夜銃声を聞いたことがあると言っていた。
「警察も努力しているけれど、なかなか浄化できない。いやでしょうがないけれど、ここが実家でしかも一戸建ての持ち家だから住むしかない。」とよくこぼした。彼女の家は自営業だった。

新大久保駅から職安通りの間には簡易宿泊所が何軒か並んでいた。今でもあると思う。
当時、新大久保や高田馬場には日雇い労働者をピックアップするスポットがあって、朝7時頃の牛丼屋などには、出勤前の労働者が集団で朝ごはんを食べに来ていた。
早朝に酔っ払いが多く、道路も何となく汚れていて、夜よりも早朝の方が殺伐としている印象がある。

例えば今から10年前。
2001年のことを思い出してみると、日本ではC-POPのCDの方がK-POPよりも遥かに手に入りやすかった。
大型CDショップには「アジアン・ポップス」というジャンルがあり、レスリー・チャン(張国栄)やフェイ・ウォン(王菲)のCDが沢山並んでいた。中華芸能(香港芸能)のCDやグッズを専門に扱う店もあった。K-POPを専門に扱う店は見たことがなかったが、中華ポップスのCDの棚の中に安在旭(アン・ジェウク)のCDが混じっていたりした。

2002年の日韓ワールドカップも新大久保が変わるきっかけになったが、その後のヨン様ブーム、東方神起、そしてK-POPブームが新大久保の町の様相を大きく変えたのだと思う。

かつて、「うちはこの近辺で唯一まともな通りにある」というのが新大久保に住む友達の最大の慰めであった。
他の通りには風俗関係の店やラブホテルがあるが、彼女の家がある通りにはそれがないのだという。なので、夜遅くても比較的安全に帰宅することができると言っていた。

私が泊まりに行くときは、お座敷に布団を敷いてもらって友達と2人で並んで寝た。

新大久保で眠ったあの頃。

友達と2人で畳の部屋に布団を並べて、未来のことをたくさん話したけれど、いったい今の何を予想できただろう。

友達の家があるのはどこだったか。
新大久保に行くたびに思い出そうとするが、今ではどの道も「まともな通り」、というか韓流グッズの店が増えすぎて、友達の家がどこにあるのか分からなくなってしまった。

【写真:本文とあんまり関係ないです。新宿靖国通りから歌舞伎町方面へ。】

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