上海阿姐のgooブログ

FC2ブログ「全民娯楽時代の到来~上海からアジア娯楽日記」の続きのブログです。

上海の「日本大地震」発生からの1週間

2011年03月20日 | 日記
東日本を襲った大震災から1週間が経った。中国では2011年3月11日の東日本大震災のことを「日本大地震」または「日本特大地震」と呼んでいる。この1週間のことを振り返ってみる。

3月11日(金)。その日は通訳の仕事のため急に浙江省の会社を訪問することになり、午前11時過ぎの新幹線で浙江省に向かった。日本から来るリーダーと、中国の他の都市から来るメンバーたちと私は浙江省の空港で集合することになった。中国時間の午後2時頃(日本時間午後3時)、空港でリーダーが言った。
「さっきからずっと日本の本部と電話がつながらない。メールもなかなか送れない。」
しばらくして電話がつながった。「東北地方で大地震があって東京も激しく揺れた。近くで火災が起きている。浙江省の会社訪問の予定をキャンセルしてリーダーは至急日本に戻るように。」とのことだった。その日のフライトはもう間に合わなかったので、翌朝のフライトを予約した。
3月11日の18時半頃、私たちは上海に戻った。
上海市内の地下鉄に乗ると、地下鉄駅や車内のモニターで地震のニュース映像が流れていた。それはCNN BREAKING NEWSが捉えた東北地方沿岸を襲う津波の映像だった。

これが・・・日本・・・?

信じられなかった。家や車、木が流されている。
中国に流れた一番早い映像は、CNNのBREAKING NEWSの映像なのではと思う。
やがてNHKニュースが中国語に翻訳されたものが次々と流れた。画面の右端には「日本大地震」と書かれている。乗客も地震の映像に見入っていた。地下鉄の車内モニターではずっと地震関連の映像が流れていた。

3月12日(土)
この日、成田空港は閉鎖されフライトがキャンセルとなったが、羽田空港は着陸を受け入れていたので、リーダーはほぼ定刻で帰国できたようだった。私は上海に残った。
家に帰ってテレビをつけると、テレビで日本の地震のニュースを報道している。
CCTV(中国中央電視台)のニュースチャンネルでは1日中、日本の地震のことを報道している。映像元は大半がNHKニュースだった。NHKニュースの内容を中国語に翻訳して放送している。枝野官房長官の会見は同時通訳で生中継されていた。
土曜日から、焦点は福島原発放射能漏れの問題に移った。
福島原発の問題は、ほとんどリアルタイムで中国でもテレビでニュース放送され、注目度の高さが伺えた。中国の沿岸部では放射能の測定値に注意しており「現時点では問題はない」と繰り返し報道された。

浙江省のある食品加工会社のニュースが流れた。
近代的な大型工場の中でたくさんの女子従業員がマスクと手袋をつけて作業している。ブロッコリーなどの冷凍野菜を加工していた。
「自社の製品の主な輸出先は日本だ。日本の大地震の救援物資として送るために、いま工場をフル稼働させている。」と中国人の社長が語っていた。「毒野菜」とまで言われて悪いイメージがあった中国野菜だけど、いまならとても感謝されるだろうと思った。

地震発生から1週間、留学生や短期の就業者、出張、赴任滞在している外国人はほとんど帰国したという。
驚いたことに、多くの中国人の友達が3月11日に日本に滞在していた。日本の会社で働いている人以外にも、旅行や出張などでちょうど日本にいたという人が意外にも多かった。
昔の同僚でエンジニアの張さんは出張で神奈川県にいた。
張さんに 「家族は心配してるでしょう?会社のことを怒っているんじゃない?」 と私は聞いた。張さんには奥さんと6~7歳になる娘がいる。
張さんは、「地震は不可抗力だから仕方がないと思う。」 と答えた。
短期のビザで来日しており、勤務先は停電の影響なども受けずに営業しているので、予定の期間を満了するまで帰国するつもりはない。と言っていた。

同じくエンジニアの陶さんは1年間東京で働く予定で滞在してたが、14日(火)に帰国した。回りの中国人はほとんど帰国したという。
「会社から帰国するよう指示があった。土日はコンビニやスーパーに食べ物がなくて困った。自分は日本の携帯をまだ持っていなかったから、情報収集にしても何にしても不便で本当に困った。」と言っていた。
中国では放射能汚染に過敏になっている。
私が「中国のニュースでは放射能汚染のことがすごく報道されてるけれど、あまり心配しすぎるのも逆に良くないと思う。」と言うと、陶さんは、「自分のことは別に心配してないよ。」と答えた。陶さんと連絡したのは5年ぶりであった。

姚さんは、3月10日に出張で東京に行き、11日に地震があったときはオフィスで会議中だったという。生まれてから一度も地震を経験したことのない上海人、さぞかし恐かっただろうと思った。「地震でびっくりしたでしょう?」と尋ねた。
姚さんは、「実を言うと地震のときは、それほど恐くなかった。ちょうど会議をしていたんだけど、回りの人たちは落ち着いていた。だから何でもないことなのかと思った。地震が終わった後、何人かはまだ話し合いを続けていた。」
「後になって、津波と原発のことを知って、恐ろしくなった。」と言っていた。

3月14日(月)
日中貿易の代理業務の会社に勤めている友達から連絡があった。日本の地震被災地への支援物資を送るつもりなので相談に乗ってほしいという。
自分たちの業務だって多大な影響を受けて大変な時でしょう?と私が聞くと、
「四川大地震のときに、日本から助けてもらったから。」と言われた。

2008年5月の四川大地震のとき、確かに日本は救助隊を派遣した。
だけど、あの時は日本だけではなく世界各国の救助隊が四川に訪れた。ロシア、シンガポール、韓国の救助隊も日本と同じくらいのタイミングで到着した。だが、中国のメディアは日本の救援隊のことを特に大きく報道した。
「地震大国・日本」のノウハウに期待がかかったことや、日中関係に対する関心から日本救助隊のことが特に注目された。あのとき中国のマスコミが大きく報道しなかったら、「四川大地震のときに日本が支援してくれた」という認識はこれほど中国人の記憶に残らなかったのではと思う。
マスコミの報道は、認識の形成に大きな影響を与える。

「今回の東北大地震では、救援活動のニュース映像が少ない。どうして救援活動の報道がないのか不思議だ。」と中国のメディアから言われている。もしかすると、被害の大半が津波によるものなので、救援活動が進めにくいのかもしれない。
地震発生当初のNHK仙台支局やスーパーの監視カメラの映像などが、中国のテレビで繰り返し流れた。倒れそうになるワインをスーパーの従業員が必死に押さえようとしたり、社員がパソコンを守ろうとしたり、学校の体育館で集会中に地震が発生し、倒れてきた大きな板を生徒がみんなで持ち上げようとしている映像が流れ、一般市民が非常時でも何かを守ろうとする姿は、中国の人々を驚かせた。

月曜日は帰るのが遅くなったのでタクシーで帰宅した。タクシーのラジオでは福島原発のことが報道されている。日本での報道内容を放送すると同時に、中国の原子力専門家が集まって事故に対する解説を行っている。1号機、2号機、3号機・・・とそれぞれの危険性と現在分かっている状況について詳しく説明していた。

私 「日本の地震のことがずっとラジオで報道されてるの?」

運転手さん 「ああ。ニュースは1日中、日本の地震と原発事故のことばかりだ。」

私 「四川大地震よりも日本大地震の方が死傷者は少ないけど、国の経済に与える影響は日本の方が遥かに大きい。」

運転手さん 「何言ってるんだよ。日本の大地震は世界経済に大きな影響を与えるだろうよ。」

・・・・中国の中でも上海は日系企業や日本との輸出入に関る会社が多いので、上海市民は特に関心が高いかもしれない。

3月15日(火)。携帯のメッセージやMSN、メールで中国人や韓国人の友達からたくさんの心配が寄せられた。地震が発生した日や、その翌日の週末、月曜日でもこんなにたくさんの連絡はなかった。なぜか火曜日に集中した。

一体みんな、何に刺激されたんだろう?

3月14日の福島第一原発3号機爆発の映像はショッキングだった。
それから15日には2号機の爆発音が上がり、原発の危機は急上昇した。14日の夜や15日の出勤途中、3号機爆発の報道を目にした人が多かったのではと思う。5年以上連絡を取っていない昔の同僚や、コンサート会場でたまたま知り合いになった人からも心配するメッセージを受取った。

3月16日(水)
福島原発の事故以来、中国で最大の混乱が起きた。それは塩に関する噂によるもので、
「放射能にはヨウ素が効くので、ヨウ素添加塩を食べるといい。」というものと
「塩が海水を通じて放射能汚染されるので、いまのうちに塩を買わないといけない。」が混ざったもので、多くの人が塩を買いにスーパーに押し寄せた。破壊された店舗もあるほど激しいものだった。地方都市の中高年が特に惑わされ、都会で働く息子や娘に「お前はもう塩は買ったのかい?」と電話で聞くような様相だった。
「皆が塩を買っているから、とにかく早く買わないと塩がなくなる。」という集団心理に左右された現象だった。
3月18日(金)に中国政府が「デマを流した者は処罰を課す」と発表すると、騒ぎが収拾に向かった。

中国政府は「中国は放射能による影響は受けていない」と繰り返す。しかし、中国の一般市民は放射能に対する知識が乏しい。中国にも原発はある。現在6ヶ所が稼働中、12ヶ所が建設中、25ヵ所が計画中とされている。稼働中の原発は広東省、浙江省、江蘇省にある。また、中国は「五大核兵器保有国」の一つで「核」に関する情報は国家機密として公開されないのが当たり前とされてきた。中国のテレビ(CCTV 中央電視台)で毎日福島原発のことが報道されているが、いまだかつて中国のテレビがこんなに原発のことを詳細に報道したことはなかった。中国一般市民の原発、放射能に対する安全意識を啓発するきっかけになった。

海外の人々は現場が自分の目で見えないので、メディアの報道の仕方によって認識や感情が左右されやすい。福島原発事故処理対応が悪く、それが日本政府の責任だとすると、海外メディアの態度は同情から非難に変わり、日本は被災国であると同時に加害国になってしまう。それは最も避けなければならないことだと思う。

友人の1人が3月5日から3月13日まで日本旅行に出かけていた。周さんという20代後半の女性だ。
団体旅行ではなく、個人旅行用のビザを取り、女友達と2人で出かけていた。
周さんはアメリカ企業に勤めていて英語は流暢だが、日本語は大学で第2外国語として少し勉強した程度だった。どちらかというと欧米文化に馴染み、日本に特別親近感を持っている方ではなかった。だが、海外旅行は行けるところは行きつくしたので、ビザが緩和されたことをきっかけに、日本に行ってみることにしたという。

よりによってこんなときに旅行が重なるなんて・・・・。東京で地震に遭遇していたらどうしようと心配した。

14日に周さんから連絡があった。13日の夕方に予定通りの便で上海に戻ってきたという。
私   「地震は大丈夫だった?」
周さん 「全然大丈夫。11日は京都にいたから。」
彼女は特別運が良かった。地震の日に東京で日本語もよく分からないのに電車に閉じ込められるような恐い思いもせずに済んだし、フライトがキャンセルされることもなく予定通りの便で帰国することができた。絶妙のタイミングで地震による影響を受けることなく、スケジュールどおりに旅行を終えた。
周さんは次のように日本旅行の体験を語った。
「日本旅行は本当に楽しかった。東京と四国、京都と大阪に行った。色々教えてくれてありがとう。日本に行って、皆英語ができなくて意外だった。私の拙い日本語でコミュニケーションするしかなかった。道を聞いたり値段を聞いたりするのは何とかできたけど、それ以外はジェスチャーと、私のヘタな日本語と、それから日本語式英語で何とかした。正しい英語の発音で話すとダメで、日本語の発音で英語を話すと通じるみたい。」
「でも、日本で出会った人たちは、皆すごく親切で、礼儀正しくて、本当に良かった。今回の旅行は、今までの中で最高の旅行だった!」
と言った。それを聞いて安心したが、なぜかひどく悲しくなった。周さんの目に映った美しい日本。日本は大きく傷付いた。山と海に囲まれる故郷が、美しい姿を取り戻す日を信じて願う。

地下鉄のモニター。3月12日朝8時。福島原発放射能漏れにより首相が緊急事態宣言。




NHK水戸支局のモニター映像が上海の地下鉄のモニターで流れる。




CCTV(中央電視台)のニュースチャンネルでは1日中、日本の大地震のことが放送されている。




3月12日(土)の新聞。津波と地震による被害が大きく報道されている。


3月13日(日)の新聞。原発の放射能漏れの問題に焦点が変わった。
コメント (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中国最後のSuperShow3~SuperJunior上海コンサート2011年3月5日~

2011年03月07日 | エンタメの日記
3月5日(土)SuperJunior「SuperShow3」上海公演に行ってきました。
3月初頭に上海に戻りましたが「SuperShow3」上海公演に行けるかどうか分からなかったので、チケットの購入は前日になってしまいました。1280元(約17000円)のアリーナ席は完売でしたが、1080元(約14000円)のスタンド1階席と480元(約6300円)のスタンド2階席は残席があり、前日でもスタンド2階の2列目が普通にチケット売り場で買えました。SuperShow3は2010年8月の青島公演に始まり、北京、南京、広州、上海と中国では5都市・5公演が行われました。3月5日の上海公演は中国最後のスパショ3となります。
会場は「メルセデスベンツ・アリーナ」です。これは上海万博の会場内に建設されたコンサートホールで旧名「万博文化センター(世博文化中心)」です。万博期間中は、ここで開幕式・閉会式、各種文化イベントが行われました。万博終了後、メルセデスベンツがスポンサーとなり名称変更し、上海で最も設備が充実している立派なコンサート会場です。

写真:メルセデスベンツ・アリーナ(旧称:世博文化中心)




構造的には台北アリーナ(台北小巨蛋)に似ていて、キャパも同じくらいだと思います(コンサートで使用する場合は約1万~1万2000席)。これまで上海でコンサートに使われる会場は上海大舞台、虹口サッカー場、上海8万人体育場の3つがメインでしたが「メルセデス・ベンツ・アリーナ」のキャパは上海大舞台と虹口サッカー場の間に該当するので、ちょうどいいサイズです。ただし横断幕や大型電飾ボードは会場持ち込みができず、会場は普段の中国SJ公演に比べるとやや大人しい雰囲気でした。

2階スタンド席から
  



会場内でファンが手にしている電飾ボードや声援の大きさから判断すると、ヒチョルの人気が圧倒的でした。
これまで中国ではハンギョンの人気が別格で、次にヒチョルとドンヘがほぼ互角で、SJ-M活動全盛期はドンヘがやや優勢だったくらいなのですが、今回はヒチョル人気が際立っていました。もちろんドンヘも人気があり、他にはソンミン、ウニョクのファンが目立ちます。

SuperShow3上海公演、構成自体は横浜SuperShowと基本的には同じです。違ったのはソロコーナーです。
ヒチョルとドンヘの「世界に一つだけの花」がカットされるのはともかく、イトゥクとシウォンのソロがなかったのが残念でした。
良かった点はリョウクのソロ「One fine spring day」が上海では中国語歌詞になっており、とても丁寧に歌い上げていたことです。
ギュヒョンのソロは「新不了情」。映画「新不了情」の主題歌で、ラブソングの定番としてたくさんのアーティストがカバーしています。最近では台湾の人気男性シンガー・蕭敬騰(ジャム・シャオ)のカバー版が大ヒットしました。
(蕭敬騰は今ものすごく人気があります。2月に上海コンサートがありましたが、異例の完売を達成したました。)
Henryのソロ「Baby Baby」は客席も大合唱。チョウミのソロ「潇洒小姐(Miss ELVA)」(原曲を歌ったいるのは台湾の女性シンガー・蕭亜軒/エルバ・シャオ)では、青いペンライトを消している観客もいましたが、あからさまなバッシングはなく、「ジョウミ~!」「ミーミー!!」との声援も聞こえてきました。
圧巻だったのはイェソンのソロのときです。アリーナとスタンドの観客が一斉に「종운」(本名のジョンウン)と蛍光黄緑で書かれたボードを掲げ、会場全体が一体となってイェソンを応援しました。「イェソンを応援する=SuperJuniorを応援する」という意味合いがあるのかもしれません。
ドンヘとウニョクのソロ「I wanna love you」では最後に2人が軽く脱いでくれたので観客が絶叫、ヒチョルのLady希希+ビヨンセももちろん盛り上がりました。また、SMTOWN上海にすら来なかったTRAXがゲスト参加しましたが、観客の多くはTRAXを知りませんでした。

一番最初にSuperShowを見たのは2008年11月のSuperShow1上海公演です。
あれから約2年半が経ちメンバーは大人になりました。ですがイトゥクのアイドル性やキレイさ、ヒチョルの個性、シンドンのキャラクター、リョウクの真面目な姿などはあまり変わっていません。一番変わったのはドンヘとウニョクなのではと思います。
韓国や中国では男子グループのメンバーをカップリングで応援する文化があります。
これは別に本当に男同士でカップルだと信じているわけではなく、パロディであり、SuperJuniorのように大所帯のグループにおいては好きなメンバーをセットで応援するための「グループ内グループ」の役割を果たしています。
メジャーCPであるハンチョル(ハンギョン×ヒチョル。中国語では庚)に続いて人気があったのがウネ(ウニョク×ドンヘ。中国語では赫海)で、同人小説(王道小説)が死ぬほど沢山あり、一生かかっても読みきれないほどの数が存在します。
SuperShow3を見たら、ウネ(ウニョク×ドンヘ)ではなくてヘウン(ドンヘ×ウニョク)になってました。
一体いつの間に・・・。
中国のネット同人小説に『中国人芸能記者が見た韓国芸能界』という作品があったのですが、「韓国SMエンターテイメントの企画室では毎朝8時から『王道会議』が開かれており、誰と誰をカップリングするか、別れさせるかなどについて話し合いが行われている。メンバーは時に会議に出席する権利があるが、決定に逆らうことはできない。」(※王道(ワンダオ)とは:簡単に言うとカップリングのことです)という設定で、メンバーが意に沿わないカップリングに苦悩したり別れさせられたりすることに反対する・・・というBL(?)コメディ同人小説です。
もちろんこれは完全にフィクションです。
でも、SuperShow3でのヘウンへの転向を見ると、もしかしてSMエンターでは本当に「王道会議」が行われていて、ある日「ウネからヘウンに転向しろ」と決定が下されたのかな・・!?と思ってしまいました。

今回はスタンド2階の2列目から見下ろすように見ていたので、ステージの全体が分かって面白かったです。ワイヤーや円形の回転盤を使って立体的な効果を演出し、スタンド後方席の観客も楽しめる作りになっています。
全体的にはウニョク、ドンヘ、シンドンの3トップがダンスをまとめていて、ウニョクとドンヘが出ずっぱりという印象です。
SuperShow3では「Shake it up!」(4thアルバムのリパッケージ版に収録)が一番好きです。
これぞ集団美、SMエンター美意識の結晶・・!と思いました。
こんなにも完成度の高い新しいパフォーマンスをまだ作ることができるんだ、とSMエンターの底力に驚嘆しました。上海でもう一度じっくり見てみると、この曲ではイェソンがフォーメーションの中心になるポイントが多いことに気付きました。イェソンは実はダンスも上手いです。
横浜で見たときは「BONAMANA」のときの声援が圧倒的だったので、日本は新しいファンが多いのかなと思いました。中国のファン層はもともと中学生~大学生が中心ですが、比較的年齢層が高かったハンギョンのファンが抜けてしまったので、ファンが一層低年齢化しました。最近老舗ファンサイトが閉鎖したりして、若いファンに入れ替わっているのかもしれません。

中国公演では花道にタオルなどの応援グッズやぬいぐるみ、写真ボードなどを投げ入れるのはいつものことです。
公演が終わる頃には花道にありとあらゆるものが散乱している状態になります。メンバーも投げ入れられた物を拾って、気に入ったものや面白いものがあると身に付けたり広げて見せたり、ファンに投げ返したりするので、一種のコミュニケーション手段となっており、SuperShowの醍醐味であり、ファンとメンバーのギャグセンスの応酬でもあるのです。
例えば今回の場合、
ウニョク:ワンピースのルフィのバスタオルを拾って背中にかける。ルフィの麦わら帽子をかぶる。
ドンヘ :アンコールで天使の羽を拾って背中につける。また、「Good Person」のとき、ドンヘがファンが花道に投げ入れた兵隊姿のカンインの指人形を拾って、ずっと手に付けてました。ちょうどその姿をカメラも捉えて大スクリーンに映りました。泣けました。ドンヘも泣きそうなくらいでした。
シンドン:お煎餅の詰め合わせパックを拾って封を開け、煎餅を客席のファンにばら撒く。ギュヒョンとリョウク(だと思います)がキスをしている写真のボードを拾って手に掲げる。
リョウク:巨大なクマのぬいぐるみを受け取る。
イトゥクかヒチョル:ファンが作った「希」と書かれた大きな旗をステージで振り回す。
ヒチョル:自分の写真のボードを拾う。

今回の会場ではアリーナ席と花道の間の溝の幅が広く距離があり、花道のステージ位置が高かったので、アリーナやスタンド前方のファンはかなりの勢いで遠くから物を放り投げており、メンバーの膝や腕などにしょっちゅう物がぶつかっていました。
ついに、ラストから3曲目の「Way for Love」でヒチョルの顔に観客が投げたボードが直撃してしまいました。
この瞬間の鮮明な動画がアップされたので、皆が知るところになりました。
しかし、公演の際はほとんどの観客がヒチョルに物がぶつかって舞台裏に下がってしまったことに気付きませんでした。
ラスト3曲目でファンサービスタイムに入っていたのでステージ全体にメンバーが散らばっており、ヒチョルだけを目で追っているファン以外には気付きようがなかったし、恐らくメンバーも知らなかったと思います。なので、その後も公演は普通に進行しました。
公演終了後に中国側主催者のツイッターにアップされた「ファンが投げた物がヒチョルにぶつかってケガをした。今後絶対に物は投げないで!」という情報や、ファンカムなどを見て多くの人が知るところとなりました。コンサートに行っていないファンは物を投げた人のことを責めるし、会場に足を運んでいたファンは気付かなかったことやその場に居合わせたことに責任を感じたりと、苦い思いを引きずる中国最後のSuperShow3となってしまいました。
ただ、全体的にはとても良い公演だったので「ヒチョルがファンに物をぶつけられてケガした公演」というふうに記憶されてしまうと、ヒチョルと他のメンバー、そしてファンもかわいそうだと思います。

イトゥクの最後のMCが始まったとき、客席から一斉に「ハッピーバースデートゥーユー♪(祝你生日快楽~♪)」の歌声が沸き起こりました。メンバーはちょっとぽかんとしていましたが、しばらくしてウニョクが「え?俺のこと?」というかんじで前に出てきました。確かにウニョクの誕生日は4月4日なので、お祝いをするにはちょっと早いです。シウォン、ドンヘ、シンドン、ギュヒョンに水を吹きかけられ、びしょ濡れになっていました。中でもシウォンが一番悪ノリしていました。
カーテンコールにはHenry、チョウミ、TRAXもステージに登場しました。Henryが「SJ-Mの新しいアルバムが出て、これから活動が始まるので応援よろしくお願いします!」ということを中国語で言いました。実年齢の若さのせいもあるかもしれませんがHenryの溌剌とした明るさが際立っていました。ドンヘが自己紹介のときにSJ-Mの新曲「太完美」を歌ったりしましたが、SJ-M活動についてきちんとコメントしたのはHenryだけでした。

活動曲以外の曲でもパフォーマンスがぴっしりと揃っていてどの曲もレベルが高いのがSuperJuniorのすごいところだと思います。ですが曲を離れたときの個々のちょっとした動作があまりにも大人で、メンバーの個性も違ってきているのを感じるので、それぞれの道に進む時期が来ているんじゃないかな・・・とも思いました。
SuperJuniorは13人のメンバーがいて、Henryとチョウミを合わせると15人、いろいろなタイプのメンバーがいます。その分ファンもいろいろな人がいて、本当にバラエティ豊かです。2008年11月のSuperShow1上海公演、2009年12月の奇跡的にパーフェクトだったSuperShow2南京公演、翌年3月の上海公演、2011年横浜公演、そして今回の上海公演・・・このSuperShowというイベントを通じて、違う街に住んでいる出会えるはずのない方々と出会うことができました。しかもとびきり楽しい時間を一緒に過ごすことができた、それが自分にとって一番の収穫です。

写真:会場の外はブルーマーケット。
  

各ファンサイトの応援グッズ。左:ドンヘ  右:シウォン
  

左:ソンミン  右:キュヒョン
  

ヒチョル。ヒチョルのファングッズが圧倒的に多い。
  




写真:花道にはありとあらゆる物が散乱しています。




終わった後:アリーナのプラスチック椅子はかなりぐちゃぐちゃに。



ファンサイトが企画した署名横断幕。
「家を出て行ったメンバーたちが戻って来る日を私たちファンはずっと待っている」ということが書いてあります。


コメント (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする