東日本を襲った大震災から1週間が経った。中国では2011年3月11日の東日本大震災のことを「日本大地震」または「日本特大地震」と呼んでいる。この1週間のことを振り返ってみる。
3月11日(金)。その日は通訳の仕事のため急に浙江省の会社を訪問することになり、午前11時過ぎの新幹線で浙江省に向かった。日本から来るリーダーと、中国の他の都市から来るメンバーたちと私は浙江省の空港で集合することになった。中国時間の午後2時頃(日本時間午後3時)、空港でリーダーが言った。
「さっきからずっと日本の本部と電話がつながらない。メールもなかなか送れない。」
しばらくして電話がつながった。「東北地方で大地震があって東京も激しく揺れた。近くで火災が起きている。浙江省の会社訪問の予定をキャンセルしてリーダーは至急日本に戻るように。」とのことだった。その日のフライトはもう間に合わなかったので、翌朝のフライトを予約した。
3月11日の18時半頃、私たちは上海に戻った。
上海市内の地下鉄に乗ると、地下鉄駅や車内のモニターで地震のニュース映像が流れていた。それはCNN BREAKING NEWSが捉えた東北地方沿岸を襲う津波の映像だった。
これが・・・日本・・・?
信じられなかった。家や車、木が流されている。
中国に流れた一番早い映像は、CNNのBREAKING NEWSの映像なのではと思う。
やがてNHKニュースが中国語に翻訳されたものが次々と流れた。画面の右端には「日本大地震」と書かれている。乗客も地震の映像に見入っていた。地下鉄の車内モニターではずっと地震関連の映像が流れていた。
3月12日(土)
この日、成田空港は閉鎖されフライトがキャンセルとなったが、羽田空港は着陸を受け入れていたので、リーダーはほぼ定刻で帰国できたようだった。私は上海に残った。
家に帰ってテレビをつけると、テレビで日本の地震のニュースを報道している。
CCTV(中国中央電視台)のニュースチャンネルでは1日中、日本の地震のことを報道している。映像元は大半がNHKニュースだった。NHKニュースの内容を中国語に翻訳して放送している。枝野官房長官の会見は同時通訳で生中継されていた。
土曜日から、焦点は福島原発放射能漏れの問題に移った。
福島原発の問題は、ほとんどリアルタイムで中国でもテレビでニュース放送され、注目度の高さが伺えた。中国の沿岸部では放射能の測定値に注意しており「現時点では問題はない」と繰り返し報道された。
浙江省のある食品加工会社のニュースが流れた。
近代的な大型工場の中でたくさんの女子従業員がマスクと手袋をつけて作業している。ブロッコリーなどの冷凍野菜を加工していた。
「自社の製品の主な輸出先は日本だ。日本の大地震の救援物資として送るために、いま工場をフル稼働させている。」と中国人の社長が語っていた。「毒野菜」とまで言われて悪いイメージがあった中国野菜だけど、いまならとても感謝されるだろうと思った。
地震発生から1週間、留学生や短期の就業者、出張、赴任滞在している外国人はほとんど帰国したという。
驚いたことに、多くの中国人の友達が3月11日に日本に滞在していた。日本の会社で働いている人以外にも、旅行や出張などでちょうど日本にいたという人が意外にも多かった。
昔の同僚でエンジニアの張さんは出張で神奈川県にいた。
張さんに 「家族は心配してるでしょう?会社のことを怒っているんじゃない?」 と私は聞いた。張さんには奥さんと6~7歳になる娘がいる。
張さんは、「地震は不可抗力だから仕方がないと思う。」 と答えた。
短期のビザで来日しており、勤務先は停電の影響なども受けずに営業しているので、予定の期間を満了するまで帰国するつもりはない。と言っていた。
同じくエンジニアの陶さんは1年間東京で働く予定で滞在してたが、14日(火)に帰国した。回りの中国人はほとんど帰国したという。
「会社から帰国するよう指示があった。土日はコンビニやスーパーに食べ物がなくて困った。自分は日本の携帯をまだ持っていなかったから、情報収集にしても何にしても不便で本当に困った。」と言っていた。
中国では放射能汚染に過敏になっている。
私が「中国のニュースでは放射能汚染のことがすごく報道されてるけれど、あまり心配しすぎるのも逆に良くないと思う。」と言うと、陶さんは、「自分のことは別に心配してないよ。」と答えた。陶さんと連絡したのは5年ぶりであった。
姚さんは、3月10日に出張で東京に行き、11日に地震があったときはオフィスで会議中だったという。生まれてから一度も地震を経験したことのない上海人、さぞかし恐かっただろうと思った。「地震でびっくりしたでしょう?」と尋ねた。
姚さんは、「実を言うと地震のときは、それほど恐くなかった。ちょうど会議をしていたんだけど、回りの人たちは落ち着いていた。だから何でもないことなのかと思った。地震が終わった後、何人かはまだ話し合いを続けていた。」
「後になって、津波と原発のことを知って、恐ろしくなった。」と言っていた。
3月14日(月)
日中貿易の代理業務の会社に勤めている友達から連絡があった。日本の地震被災地への支援物資を送るつもりなので相談に乗ってほしいという。
自分たちの業務だって多大な影響を受けて大変な時でしょう?と私が聞くと、
「四川大地震のときに、日本から助けてもらったから。」と言われた。
2008年5月の四川大地震のとき、確かに日本は救助隊を派遣した。
だけど、あの時は日本だけではなく世界各国の救助隊が四川に訪れた。ロシア、シンガポール、韓国の救助隊も日本と同じくらいのタイミングで到着した。だが、中国のメディアは日本の救援隊のことを特に大きく報道した。
「地震大国・日本」のノウハウに期待がかかったことや、日中関係に対する関心から日本救助隊のことが特に注目された。あのとき中国のマスコミが大きく報道しなかったら、「四川大地震のときに日本が支援してくれた」という認識はこれほど中国人の記憶に残らなかったのではと思う。
マスコミの報道は、認識の形成に大きな影響を与える。
「今回の東北大地震では、救援活動のニュース映像が少ない。どうして救援活動の報道がないのか不思議だ。」と中国のメディアから言われている。もしかすると、被害の大半が津波によるものなので、救援活動が進めにくいのかもしれない。
地震発生当初のNHK仙台支局やスーパーの監視カメラの映像などが、中国のテレビで繰り返し流れた。倒れそうになるワインをスーパーの従業員が必死に押さえようとしたり、社員がパソコンを守ろうとしたり、学校の体育館で集会中に地震が発生し、倒れてきた大きな板を生徒がみんなで持ち上げようとしている映像が流れ、一般市民が非常時でも何かを守ろうとする姿は、中国の人々を驚かせた。
月曜日は帰るのが遅くなったのでタクシーで帰宅した。タクシーのラジオでは福島原発のことが報道されている。日本での報道内容を放送すると同時に、中国の原子力専門家が集まって事故に対する解説を行っている。1号機、2号機、3号機・・・とそれぞれの危険性と現在分かっている状況について詳しく説明していた。
私 「日本の地震のことがずっとラジオで報道されてるの?」
運転手さん 「ああ。ニュースは1日中、日本の地震と原発事故のことばかりだ。」
私 「四川大地震よりも日本大地震の方が死傷者は少ないけど、国の経済に与える影響は日本の方が遥かに大きい。」
運転手さん 「何言ってるんだよ。日本の大地震は世界経済に大きな影響を与えるだろうよ。」
・・・・中国の中でも上海は日系企業や日本との輸出入に関る会社が多いので、上海市民は特に関心が高いかもしれない。
3月15日(火)。携帯のメッセージやMSN、メールで中国人や韓国人の友達からたくさんの心配が寄せられた。地震が発生した日や、その翌日の週末、月曜日でもこんなにたくさんの連絡はなかった。なぜか火曜日に集中した。
一体みんな、何に刺激されたんだろう?
3月14日の福島第一原発3号機爆発の映像はショッキングだった。
それから15日には2号機の爆発音が上がり、原発の危機は急上昇した。14日の夜や15日の出勤途中、3号機爆発の報道を目にした人が多かったのではと思う。5年以上連絡を取っていない昔の同僚や、コンサート会場でたまたま知り合いになった人からも心配するメッセージを受取った。
3月16日(水)
福島原発の事故以来、中国で最大の混乱が起きた。それは塩に関する噂によるもので、
「放射能にはヨウ素が効くので、ヨウ素添加塩を食べるといい。」というものと
「塩が海水を通じて放射能汚染されるので、いまのうちに塩を買わないといけない。」が混ざったもので、多くの人が塩を買いにスーパーに押し寄せた。破壊された店舗もあるほど激しいものだった。地方都市の中高年が特に惑わされ、都会で働く息子や娘に「お前はもう塩は買ったのかい?」と電話で聞くような様相だった。
「皆が塩を買っているから、とにかく早く買わないと塩がなくなる。」という集団心理に左右された現象だった。
3月18日(金)に中国政府が「デマを流した者は処罰を課す」と発表すると、騒ぎが収拾に向かった。
中国政府は「中国は放射能による影響は受けていない」と繰り返す。しかし、中国の一般市民は放射能に対する知識が乏しい。中国にも原発はある。現在6ヶ所が稼働中、12ヶ所が建設中、25ヵ所が計画中とされている。稼働中の原発は広東省、浙江省、江蘇省にある。また、中国は「五大核兵器保有国」の一つで「核」に関する情報は国家機密として公開されないのが当たり前とされてきた。中国のテレビ(CCTV 中央電視台)で毎日福島原発のことが報道されているが、いまだかつて中国のテレビがこんなに原発のことを詳細に報道したことはなかった。中国一般市民の原発、放射能に対する安全意識を啓発するきっかけになった。
海外の人々は現場が自分の目で見えないので、メディアの報道の仕方によって認識や感情が左右されやすい。福島原発事故処理対応が悪く、それが日本政府の責任だとすると、海外メディアの態度は同情から非難に変わり、日本は被災国であると同時に加害国になってしまう。それは最も避けなければならないことだと思う。
友人の1人が3月5日から3月13日まで日本旅行に出かけていた。周さんという20代後半の女性だ。
団体旅行ではなく、個人旅行用のビザを取り、女友達と2人で出かけていた。
周さんはアメリカ企業に勤めていて英語は流暢だが、日本語は大学で第2外国語として少し勉強した程度だった。どちらかというと欧米文化に馴染み、日本に特別親近感を持っている方ではなかった。だが、海外旅行は行けるところは行きつくしたので、ビザが緩和されたことをきっかけに、日本に行ってみることにしたという。
よりによってこんなときに旅行が重なるなんて・・・・。東京で地震に遭遇していたらどうしようと心配した。
14日に周さんから連絡があった。13日の夕方に予定通りの便で上海に戻ってきたという。
私 「地震は大丈夫だった?」
周さん 「全然大丈夫。11日は京都にいたから。」
彼女は特別運が良かった。地震の日に東京で日本語もよく分からないのに電車に閉じ込められるような恐い思いもせずに済んだし、フライトがキャンセルされることもなく予定通りの便で帰国することができた。絶妙のタイミングで地震による影響を受けることなく、スケジュールどおりに旅行を終えた。
周さんは次のように日本旅行の体験を語った。
「日本旅行は本当に楽しかった。東京と四国、京都と大阪に行った。色々教えてくれてありがとう。日本に行って、皆英語ができなくて意外だった。私の拙い日本語でコミュニケーションするしかなかった。道を聞いたり値段を聞いたりするのは何とかできたけど、それ以外はジェスチャーと、私のヘタな日本語と、それから日本語式英語で何とかした。正しい英語の発音で話すとダメで、日本語の発音で英語を話すと通じるみたい。」
「でも、日本で出会った人たちは、皆すごく親切で、礼儀正しくて、本当に良かった。今回の旅行は、今までの中で最高の旅行だった!」
と言った。それを聞いて安心したが、なぜかひどく悲しくなった。周さんの目に映った美しい日本。日本は大きく傷付いた。山と海に囲まれる故郷が、美しい姿を取り戻す日を信じて願う。
地下鉄のモニター。3月12日朝8時。福島原発放射能漏れにより首相が緊急事態宣言。


NHK水戸支局のモニター映像が上海の地下鉄のモニターで流れる。


CCTV(中央電視台)のニュースチャンネルでは1日中、日本の大地震のことが放送されている。


3月12日(土)の新聞。津波と地震による被害が大きく報道されている。

3月13日(日)の新聞。原発の放射能漏れの問題に焦点が変わった。
3月11日(金)。その日は通訳の仕事のため急に浙江省の会社を訪問することになり、午前11時過ぎの新幹線で浙江省に向かった。日本から来るリーダーと、中国の他の都市から来るメンバーたちと私は浙江省の空港で集合することになった。中国時間の午後2時頃(日本時間午後3時)、空港でリーダーが言った。
「さっきからずっと日本の本部と電話がつながらない。メールもなかなか送れない。」
しばらくして電話がつながった。「東北地方で大地震があって東京も激しく揺れた。近くで火災が起きている。浙江省の会社訪問の予定をキャンセルしてリーダーは至急日本に戻るように。」とのことだった。その日のフライトはもう間に合わなかったので、翌朝のフライトを予約した。
3月11日の18時半頃、私たちは上海に戻った。
上海市内の地下鉄に乗ると、地下鉄駅や車内のモニターで地震のニュース映像が流れていた。それはCNN BREAKING NEWSが捉えた東北地方沿岸を襲う津波の映像だった。
これが・・・日本・・・?
信じられなかった。家や車、木が流されている。
中国に流れた一番早い映像は、CNNのBREAKING NEWSの映像なのではと思う。
やがてNHKニュースが中国語に翻訳されたものが次々と流れた。画面の右端には「日本大地震」と書かれている。乗客も地震の映像に見入っていた。地下鉄の車内モニターではずっと地震関連の映像が流れていた。
3月12日(土)
この日、成田空港は閉鎖されフライトがキャンセルとなったが、羽田空港は着陸を受け入れていたので、リーダーはほぼ定刻で帰国できたようだった。私は上海に残った。
家に帰ってテレビをつけると、テレビで日本の地震のニュースを報道している。
CCTV(中国中央電視台)のニュースチャンネルでは1日中、日本の地震のことを報道している。映像元は大半がNHKニュースだった。NHKニュースの内容を中国語に翻訳して放送している。枝野官房長官の会見は同時通訳で生中継されていた。
土曜日から、焦点は福島原発放射能漏れの問題に移った。
福島原発の問題は、ほとんどリアルタイムで中国でもテレビでニュース放送され、注目度の高さが伺えた。中国の沿岸部では放射能の測定値に注意しており「現時点では問題はない」と繰り返し報道された。
浙江省のある食品加工会社のニュースが流れた。
近代的な大型工場の中でたくさんの女子従業員がマスクと手袋をつけて作業している。ブロッコリーなどの冷凍野菜を加工していた。
「自社の製品の主な輸出先は日本だ。日本の大地震の救援物資として送るために、いま工場をフル稼働させている。」と中国人の社長が語っていた。「毒野菜」とまで言われて悪いイメージがあった中国野菜だけど、いまならとても感謝されるだろうと思った。
地震発生から1週間、留学生や短期の就業者、出張、赴任滞在している外国人はほとんど帰国したという。
驚いたことに、多くの中国人の友達が3月11日に日本に滞在していた。日本の会社で働いている人以外にも、旅行や出張などでちょうど日本にいたという人が意外にも多かった。
昔の同僚でエンジニアの張さんは出張で神奈川県にいた。
張さんに 「家族は心配してるでしょう?会社のことを怒っているんじゃない?」 と私は聞いた。張さんには奥さんと6~7歳になる娘がいる。
張さんは、「地震は不可抗力だから仕方がないと思う。」 と答えた。
短期のビザで来日しており、勤務先は停電の影響なども受けずに営業しているので、予定の期間を満了するまで帰国するつもりはない。と言っていた。
同じくエンジニアの陶さんは1年間東京で働く予定で滞在してたが、14日(火)に帰国した。回りの中国人はほとんど帰国したという。
「会社から帰国するよう指示があった。土日はコンビニやスーパーに食べ物がなくて困った。自分は日本の携帯をまだ持っていなかったから、情報収集にしても何にしても不便で本当に困った。」と言っていた。
中国では放射能汚染に過敏になっている。
私が「中国のニュースでは放射能汚染のことがすごく報道されてるけれど、あまり心配しすぎるのも逆に良くないと思う。」と言うと、陶さんは、「自分のことは別に心配してないよ。」と答えた。陶さんと連絡したのは5年ぶりであった。
姚さんは、3月10日に出張で東京に行き、11日に地震があったときはオフィスで会議中だったという。生まれてから一度も地震を経験したことのない上海人、さぞかし恐かっただろうと思った。「地震でびっくりしたでしょう?」と尋ねた。
姚さんは、「実を言うと地震のときは、それほど恐くなかった。ちょうど会議をしていたんだけど、回りの人たちは落ち着いていた。だから何でもないことなのかと思った。地震が終わった後、何人かはまだ話し合いを続けていた。」
「後になって、津波と原発のことを知って、恐ろしくなった。」と言っていた。
3月14日(月)
日中貿易の代理業務の会社に勤めている友達から連絡があった。日本の地震被災地への支援物資を送るつもりなので相談に乗ってほしいという。
自分たちの業務だって多大な影響を受けて大変な時でしょう?と私が聞くと、
「四川大地震のときに、日本から助けてもらったから。」と言われた。
2008年5月の四川大地震のとき、確かに日本は救助隊を派遣した。
だけど、あの時は日本だけではなく世界各国の救助隊が四川に訪れた。ロシア、シンガポール、韓国の救助隊も日本と同じくらいのタイミングで到着した。だが、中国のメディアは日本の救援隊のことを特に大きく報道した。
「地震大国・日本」のノウハウに期待がかかったことや、日中関係に対する関心から日本救助隊のことが特に注目された。あのとき中国のマスコミが大きく報道しなかったら、「四川大地震のときに日本が支援してくれた」という認識はこれほど中国人の記憶に残らなかったのではと思う。
マスコミの報道は、認識の形成に大きな影響を与える。
「今回の東北大地震では、救援活動のニュース映像が少ない。どうして救援活動の報道がないのか不思議だ。」と中国のメディアから言われている。もしかすると、被害の大半が津波によるものなので、救援活動が進めにくいのかもしれない。
地震発生当初のNHK仙台支局やスーパーの監視カメラの映像などが、中国のテレビで繰り返し流れた。倒れそうになるワインをスーパーの従業員が必死に押さえようとしたり、社員がパソコンを守ろうとしたり、学校の体育館で集会中に地震が発生し、倒れてきた大きな板を生徒がみんなで持ち上げようとしている映像が流れ、一般市民が非常時でも何かを守ろうとする姿は、中国の人々を驚かせた。
月曜日は帰るのが遅くなったのでタクシーで帰宅した。タクシーのラジオでは福島原発のことが報道されている。日本での報道内容を放送すると同時に、中国の原子力専門家が集まって事故に対する解説を行っている。1号機、2号機、3号機・・・とそれぞれの危険性と現在分かっている状況について詳しく説明していた。
私 「日本の地震のことがずっとラジオで報道されてるの?」
運転手さん 「ああ。ニュースは1日中、日本の地震と原発事故のことばかりだ。」
私 「四川大地震よりも日本大地震の方が死傷者は少ないけど、国の経済に与える影響は日本の方が遥かに大きい。」
運転手さん 「何言ってるんだよ。日本の大地震は世界経済に大きな影響を与えるだろうよ。」
・・・・中国の中でも上海は日系企業や日本との輸出入に関る会社が多いので、上海市民は特に関心が高いかもしれない。
3月15日(火)。携帯のメッセージやMSN、メールで中国人や韓国人の友達からたくさんの心配が寄せられた。地震が発生した日や、その翌日の週末、月曜日でもこんなにたくさんの連絡はなかった。なぜか火曜日に集中した。
一体みんな、何に刺激されたんだろう?
3月14日の福島第一原発3号機爆発の映像はショッキングだった。
それから15日には2号機の爆発音が上がり、原発の危機は急上昇した。14日の夜や15日の出勤途中、3号機爆発の報道を目にした人が多かったのではと思う。5年以上連絡を取っていない昔の同僚や、コンサート会場でたまたま知り合いになった人からも心配するメッセージを受取った。
3月16日(水)
福島原発の事故以来、中国で最大の混乱が起きた。それは塩に関する噂によるもので、
「放射能にはヨウ素が効くので、ヨウ素添加塩を食べるといい。」というものと
「塩が海水を通じて放射能汚染されるので、いまのうちに塩を買わないといけない。」が混ざったもので、多くの人が塩を買いにスーパーに押し寄せた。破壊された店舗もあるほど激しいものだった。地方都市の中高年が特に惑わされ、都会で働く息子や娘に「お前はもう塩は買ったのかい?」と電話で聞くような様相だった。
「皆が塩を買っているから、とにかく早く買わないと塩がなくなる。」という集団心理に左右された現象だった。
3月18日(金)に中国政府が「デマを流した者は処罰を課す」と発表すると、騒ぎが収拾に向かった。
中国政府は「中国は放射能による影響は受けていない」と繰り返す。しかし、中国の一般市民は放射能に対する知識が乏しい。中国にも原発はある。現在6ヶ所が稼働中、12ヶ所が建設中、25ヵ所が計画中とされている。稼働中の原発は広東省、浙江省、江蘇省にある。また、中国は「五大核兵器保有国」の一つで「核」に関する情報は国家機密として公開されないのが当たり前とされてきた。中国のテレビ(CCTV 中央電視台)で毎日福島原発のことが報道されているが、いまだかつて中国のテレビがこんなに原発のことを詳細に報道したことはなかった。中国一般市民の原発、放射能に対する安全意識を啓発するきっかけになった。
海外の人々は現場が自分の目で見えないので、メディアの報道の仕方によって認識や感情が左右されやすい。福島原発事故処理対応が悪く、それが日本政府の責任だとすると、海外メディアの態度は同情から非難に変わり、日本は被災国であると同時に加害国になってしまう。それは最も避けなければならないことだと思う。
友人の1人が3月5日から3月13日まで日本旅行に出かけていた。周さんという20代後半の女性だ。
団体旅行ではなく、個人旅行用のビザを取り、女友達と2人で出かけていた。
周さんはアメリカ企業に勤めていて英語は流暢だが、日本語は大学で第2外国語として少し勉強した程度だった。どちらかというと欧米文化に馴染み、日本に特別親近感を持っている方ではなかった。だが、海外旅行は行けるところは行きつくしたので、ビザが緩和されたことをきっかけに、日本に行ってみることにしたという。
よりによってこんなときに旅行が重なるなんて・・・・。東京で地震に遭遇していたらどうしようと心配した。
14日に周さんから連絡があった。13日の夕方に予定通りの便で上海に戻ってきたという。
私 「地震は大丈夫だった?」
周さん 「全然大丈夫。11日は京都にいたから。」
彼女は特別運が良かった。地震の日に東京で日本語もよく分からないのに電車に閉じ込められるような恐い思いもせずに済んだし、フライトがキャンセルされることもなく予定通りの便で帰国することができた。絶妙のタイミングで地震による影響を受けることなく、スケジュールどおりに旅行を終えた。
周さんは次のように日本旅行の体験を語った。
「日本旅行は本当に楽しかった。東京と四国、京都と大阪に行った。色々教えてくれてありがとう。日本に行って、皆英語ができなくて意外だった。私の拙い日本語でコミュニケーションするしかなかった。道を聞いたり値段を聞いたりするのは何とかできたけど、それ以外はジェスチャーと、私のヘタな日本語と、それから日本語式英語で何とかした。正しい英語の発音で話すとダメで、日本語の発音で英語を話すと通じるみたい。」
「でも、日本で出会った人たちは、皆すごく親切で、礼儀正しくて、本当に良かった。今回の旅行は、今までの中で最高の旅行だった!」
と言った。それを聞いて安心したが、なぜかひどく悲しくなった。周さんの目に映った美しい日本。日本は大きく傷付いた。山と海に囲まれる故郷が、美しい姿を取り戻す日を信じて願う。
地下鉄のモニター。3月12日朝8時。福島原発放射能漏れにより首相が緊急事態宣言。


NHK水戸支局のモニター映像が上海の地下鉄のモニターで流れる。


CCTV(中央電視台)のニュースチャンネルでは1日中、日本の大地震のことが放送されている。


3月12日(土)の新聞。津波と地震による被害が大きく報道されている。

3月13日(日)の新聞。原発の放射能漏れの問題に焦点が変わった。
