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中国で見たアニメ映画「聲の形」の思い出~上海のデフ・カルチャー

2019年09月23日 | エンタメの日記
この数年、中国の映画館でも日本アニメの劇場版が正式に上映されることが多くなっています。
ひとつの節目となったのは、2016年だと思います。
2016年に中国でも「君の名は」が上映され、興業的に成功を収めました。
その翌年2017年9月には、ろうあの少女を主人公としたアニメ映画「聲の形」も中国で上映されました。

「聲の形」劇場アニメ 製作 京都アニメーション 原作 大今良時
2017年9月8日中国劇場公開  中国語タイトル「声之形」
中国劇場興業収入:4,450人民元(約7億円)
劇場公開後、中国の大手動画サイトでも配信されています。


いまから2年近く前のことになりますが、この映画を中国人の友達と一緒に観ました。
その友達はリンさんといって、30歳前後の女性で、先天的な聴覚障害を持っています。

リンさんとは、ある仕事を通じて知り合いました。利発で美人でアクティブな上海生まれの女性です。
私は手話ができないので、主にスマホで中国語文字メッセージでコミュニケーションを取っています。
リンさんは当時、手話とデフ・カルチャーを広める組織を上海で主催していました。

上海では、地下鉄や街中で手話を使っている人を頻繁に目にします。
上海のろう者は、手話を使うことを隠そうとせず、元気よく楽しそうに手話で会話しています。
隠そうとしていないので、目に留まる機会が多いのかもしれません。

「ろう者」に対し、どういう認識が持たれているでしょうか。
私は、ろう者は耳が不自由な障害者と認識していました。
ですが、リンさんをはじめ、上海のろう者の人たちとの接触を通じて認識が変わりました。

ろう者の監督の映画作品「虹色の朝が来るまで」の紹介ページによると、
「ろう者とは、日本手話を第一言語として身に付け、育ってきた人たちのこと」
と書かれています。
「ヴァンサンへの手紙」というろう者をテーマにしたドキュメンタリー作品を撮ったフランスの映像作家、レティシア・カートン監督は雑誌インタビューの中で、
「ろう者というのは障害者というよりも、手話という独特の言語を使う少数民族のような存在」と語っています。

この説明にとても納得します。

リンさんや、彼女の周囲にいる上海のろう者の人々は、利発で活動的、そして、どういうわけだか美形が多かったです。
コミュニティが狭いので、知識が偏る傾向は否めないとは言っていましたが、知的レベルは決して低くありません。
聴力に影響されないデザイン、設計などを専門に学んでいることが多く、ダンスやスポーツなどの趣味も豊富です。

「聲の形」を動画サイトで一緒に観たのですが、リンさんの感想は私が予想していたものと全く違うものでした。
「聲の形」は、主人公のろうあの少女と、健常者である少年・同級生たち、家族とのディスコミュニケーションが鮮烈な描写で描かれているのですが、そのことに関しては、リンさんはほとんど反応を示しませんでした。
「全ろうの子どもを普通学級に入れたりしたら、他の子どもと馴染めないのは当然だと思う。」と冷静に感想を述べ、
ひどいいじめにあう主人公の少女に対し、感情移入する様子は見られませんでした。

リンさんが興味を示したのは、物語や登場人物の少年少女たちの織り成す人間ドラマではありませんでした。

彼女が最も関心を寄せたのは、手話の動きの部分です。

手話というものは、国・言語によって異なります。アメリカ手話、日本手話、中国手話と、国や言語に応じて手話も異なります。
国土の広い中国では様々な方言があるように、多様な手話が存在し、公用とされる北京手話と上海の手話はかなり異なるとのことです。
徐々に統一される傾向にあるのですが、リンさんは上海手話を母語とするので、自分の母語である上海手話の文化を守りたいと言っていました。

映画の中で、手話による会話が出てくるシーンになると、目を輝かせて興味深げに手話の動きを見ていました。
アニメの映像に合わせて、自分でもちょっと手を動かして真似してみたりしながら、
「ああ、日本手話ではこういうふうに表現するのですね。」とほほ笑んでいました。
彼女は韓国の大学に留学し、韓国手話を学んだことがあります。日本手話は韓国手話に似ていると言っていました。
「韓国手話に近いところがあるから、全部は分からないけど、少し分かる。」とニヤリといい表情をしました。

健常者である少年とのラブストーリーや同級生たちの確執を乗り越えた友情といったストーリーの主軸については、あまり心を揺さぶられなかったようです。
少なくとも私には、そういう感情を見せることはありませんでした。
ただ冷静に、「こういう話は現実にはあまり起きないと思います。」と言っていました。

この作品の中で彼女が好印象を抱いていたのは、一つは補聴器に対する描写です。
映画の中で、補聴器が非常に高額で、ろうあ者にとっては大切なものであることが、多くの人に伝わるように描いてくれたのがよかったと言っていました。

もう一つは、主人公の妹の存在です。
主人公の妹は健常者だけれど姉とコミュニケーションを取るために手話を習得しています。
「聞こえる人の世界」と「聞こえない人の世界」繋ぐ重要な存在ですが、「聲の形」で描かているように、ろうあの兄弟を持つ子どもの抱える葛藤もあり、そういった側面にスポットを当てているところにひかれたようです。

リンさんは、手話とデフ・カルチャーに誇りを持っています。
デフ・カルチャーというのは、音のない世界で生きるための智慧と文化のことです。例えば、呼びかける代わりに、振動や電気の点滅で注意を喚起するなどです。
彼女から感じたことは、どんな人間でも、ハンディキャップがあろうとなかろうと、大切なのは自分を肯定して生きることです。

もし聞こえるようになれば一番いいけれど、いまの医学では治療不可能なのであれば、聞こえない自分として生きるしかない。
そうであれば、手話というコミュニケーション手段を通じて、知識と言語能力を高めて自分をより表現できるようにすべきという考えでした。

7月に起きた衝撃的な放火事件で、京アニの多くのクリエイターの命が失われました。
「聲の形」は京アニを代表する劇場作品の一つです。
リンさんの「聲の形」に対する反応は、私が予想していたものとはかなり違いました。
製作者が予期、期待していた反応とも異なるのではと思います。
ですが、私とリンさんという視聴者が確かに存在し、私たちと映画「聲の形」がともにあったひと時がありました。
いまでは思い出となりましたが、作品は私たちの時間の中に生き続けています。
コメント
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