舞台は整った
毎週金曜日は「甦れ!金曜8時の昭和のプロレス」をお届けしています。
長く続いたUSチャンピオンシリーズも今週で最終回、最後を飾るのは
半世紀前に日本で行われたUS王座を巡る熾烈な戦いです。
アメリカ修行を終えた猪木は、凱旋帰国して順調にスター街道を突っ走る
予定でいました。
ところが突然日プロに辞表を叩きつけたのです。
「戻っても馬場の下になるだけだぞ」
そうささやいて豊登は猪木を新団体に誘い込みました。
力道山の弟子として同時期に入門しながら、常に馬場は猪木の前を走って
いました。
猪木はそれを我慢できなかったのです。
新団体にとって一番の難問は客を呼べる有名レスラーの招聘です。
アメリカの主要団体は日プロの妨害によってどこも契約を渋ります。
仕方なく猪木は自ら渡米し伝手を頼ってレスラー個人と交渉を始めました。
一か月に及んだ滞在の末、漸く超大物と契約を結ぶ事ができました。
(プロレスの証言者 より)
馬場も国内では戦った事が無いジョニー・バレンタインです。
猪木は馬場の手垢のついていない大物の引っ張り出しに成功したのでした。
記録は無かった
1966年10月12日蔵前国技館に1万人以上の観衆を集めて、時間
無制限の戦いが始まりました。
時にバレンタイン38才、猪木23才。
エルボーを脳天に突き刺し鉄柱に叩きつけるバレンタインの猛攻、ネック
ブリーカーにコブラツイストで反撃する猪木、31分56秒にリングアウトで
猪木の勝利です。
宮城、大阪、横浜と両者はUSベルトを賭けて各地で熱戦を繰り広げます。
とは言えアメリカ遠征から戻ったばかりでは、ファンは前座時代の猪木しか
知りません。
力道山と一緒に毎週テレビに出ていた豊登の方が、世間では余程知られていました。
「豊登を見に来て猪木を見て帰った。」
そう言われる程猪木の試合は見た者を熱狂させましたが、そもそも会場に来る
客の数は限られています。
赤字興業が続いた上に契約上のトラブルも発生して、東プロは旗揚げシリーズ
で早くも頓挫してしまいました。
もしもテレビで流れていれば猪木は一夜にしてスターになっていたと言われます。
一連の試合は新鮮で激烈だったと言われる伝説の試合です。
しかし残念ながら見る事はできません。
「ひとつだけ選ぶならこの試合」
「生涯で見た最高の試合」
そう絶賛して試合を振り返るプロレス記者がいますが、その発言は実際に会場に
足を運んだ者だけに許される特権です。
何処をどう探しても、試合の映像は一切残されていません。
毎週金曜日は「甦れ!金曜8時の昭和のプロレス」をお届けしています。
長く続いたUSチャンピオンシリーズも今週で最終回、最後を飾るのは
半世紀前に日本で行われたUS王座を巡る熾烈な戦いです。
アメリカ修行を終えた猪木は、凱旋帰国して順調にスター街道を突っ走る
予定でいました。
ところが突然日プロに辞表を叩きつけたのです。
「戻っても馬場の下になるだけだぞ」
そうささやいて豊登は猪木を新団体に誘い込みました。
力道山の弟子として同時期に入門しながら、常に馬場は猪木の前を走って
いました。
猪木はそれを我慢できなかったのです。
新団体にとって一番の難問は客を呼べる有名レスラーの招聘です。
アメリカの主要団体は日プロの妨害によってどこも契約を渋ります。
仕方なく猪木は自ら渡米し伝手を頼ってレスラー個人と交渉を始めました。
一か月に及んだ滞在の末、漸く超大物と契約を結ぶ事ができました。
(プロレスの証言者 より)
馬場も国内では戦った事が無いジョニー・バレンタインです。
猪木は馬場の手垢のついていない大物の引っ張り出しに成功したのでした。
記録は無かった
1966年10月12日蔵前国技館に1万人以上の観衆を集めて、時間
無制限の戦いが始まりました。
時にバレンタイン38才、猪木23才。
エルボーを脳天に突き刺し鉄柱に叩きつけるバレンタインの猛攻、ネック
ブリーカーにコブラツイストで反撃する猪木、31分56秒にリングアウトで
猪木の勝利です。
宮城、大阪、横浜と両者はUSベルトを賭けて各地で熱戦を繰り広げます。
とは言えアメリカ遠征から戻ったばかりでは、ファンは前座時代の猪木しか
知りません。
力道山と一緒に毎週テレビに出ていた豊登の方が、世間では余程知られていました。
「豊登を見に来て猪木を見て帰った。」
そう言われる程猪木の試合は見た者を熱狂させましたが、そもそも会場に来る
客の数は限られています。
赤字興業が続いた上に契約上のトラブルも発生して、東プロは旗揚げシリーズ
で早くも頓挫してしまいました。
もしもテレビで流れていれば猪木は一夜にしてスターになっていたと言われます。
一連の試合は新鮮で激烈だったと言われる伝説の試合です。
しかし残念ながら見る事はできません。
「ひとつだけ選ぶならこの試合」
「生涯で見た最高の試合」
そう絶賛して試合を振り返るプロレス記者がいますが、その発言は実際に会場に
足を運んだ者だけに許される特権です。
何処をどう探しても、試合の映像は一切残されていません。