毎年放送される、
24時間テレビの、闘病、障害者ドラマ
今年のドラマは
今まで、どんな闘病、障害ドラマを見ても、
脳脊髄液減少症患者の抱えた問題点や苦しみとは
「全く次元が違う」と感じてきた。
それは
ドラマの主人公の多くが、
病名や障害名にたどりつくのに、さほど時間がかからず、
病院や医師や、医療スタッフや家族の、理解や手厚い支援に守られながら、
闘いの相手が、病や障害との闘いが主で、話が進むからだ。
病人として認めてもらうまでが長い、
私の経験した脳脊髄液減少症患者の苦しみは全く違う。
脳脊髄液減少症は
苦しみの問題や、闘う相手が、病だけではなく、
それ以前の問題なのだ。
症状を信じてもらえない。
まず、病人として、認めてもらえない。
そこのところから闘い、乗り越えなければならない。
病と闘う前に、
いくつもの闘いのハードルが構えているような感じだ。
ハードルをいくつもいくつも乗り越えて、ゴールについたら、
そこが、
病との闘いのスタートラインだった、
という感じだ。
とにかく、髄液漏れだと診断される、
そのスタートラインにさえ、なかなかたどりつけない。
診断され病人と認められてはじめて、
医師がまともに相手にしてくれる。
それが病院というものだ。
病人と認められなければ、
医師はまともに相手にしてくれない。
脳脊髄液減少症は、
つい最近、ごくごく一部の病院で先進医療が認められたばかりで、
まだまだ、医療体制が整っておらず、いつでもどこでも検査や治療が受けられるとは限らない。
たとえ、幸運にも遠方の専門医により診断治療が受けられても、
地域に帰ってからの、地域の医療体制がほとんど整っていない。
地元病院でリハビリを受けることもできない。
さらに、周囲に、脳脊髄液減少症という病態の症状がどんなものか、
どんな風に患者は日常生活を阻害されるのか、
どんな症状が患者を苦しめているのか、
全く理解がされていなから、
病や症状の苦しみと闘う以前に、
医療や、家族や、周囲の無理解との闘いが先で、
それらのことに闘いのエネルギーを奪われてしまうところが、
今までの闘病ドラマにはない、
脳脊髄液減少症患者ならではの、
体験したものしかわからない、
あまりにも過酷な現実だと思う。
そんな私から見たら、
医学に認知された病の患者さんたちのドラマが、
みんな、
人権を認められ、患者として認められた上での闘いからのスタートで
私の経験とはまるで違うと感じる。
たとえ、どんなに重い病であっても、障害であっても、
たとえ、病に命が奪われるような重い病であっても、
その人の人権が認められ、
医師や医療スタッフや、家族の理解に恵まれ、
温かく支えられていれば、
その人の心は安らかだと思う。
でも、
見た目健康そうに見えても、命はなかなか奪われなくても、
脳脊髄液減少症患者で長期間見逃されてきた患者たちは
さまざまな症状で、日々生きるのもつらいのに、
そのことを理解されず、
怠けもの、だらしがない、気がきかないダメなやつ、精神的に不安定なおかしなやつ、
などと、
周囲から低い評価で、バカにされたり、人格まで否定されたり、ののしられてまでして
生きるのは、
病の苦しみ以上につらいことが多すぎる。
そのことで心に深い傷を受け、
その傷は今もなかなか癒えない。
脳脊髄液減少症患者には、
見た目元気そう、症状は生き地獄、
周囲からはなまけものにしか見えない私のような患者もいる。
車椅子に乗っているから、脳脊髄液減少症患者として重症で
立って歩けるから、軽症というわけではないと思う。
車いすに乗っていても、高次脳機能障害がない患者さんもいるかもしれない。
歩行障害はあっても、椅子に長く座っていられないほどの激しいだるさや不調がなく、高次脳機能障害もないか軽いから、
一人で遠出できる人もいる。
見た目どこも悪くなかったとしても、
時間により、激しい倦怠感で起き上がれなかったり、
激しい高次脳機能障害で、さっきのことも忘れてしまい、
日常生活が困難な人もいるはずだ。
脳脊髄液漏れ患者の症状は、
受けた衝撃の程度、漏れの程度、漏れのかしょ、漏れの量、
などで、症状の種類も程度も変わるはずで、
同じ脳脊髄液減少症患者であっても、見た目だけで
その重症度を判断してはいけないと思う。
髄液漏れに関しては、見た目や普通の検査に異常はないから、
ながらく
医学界では「そんな病ない」と言い張る医師までいて、
病の存在すら認められなかった。
この病に理解ある医師は少なく、実際検査診断治療をする医師は、もっともっと少なく、
なかなか検査も診断も治療も受けられない。
受けられた後も、社会に理解はなく、
だから、理解も支援もなかなか受けられず、誤解を受けて、
ただでさえ、症状で生き地獄なのに、さらに心まで徹底的にズタズタにされる。
こんな病態は、今までの病や怪我にはない、特異な苦しみに満ちている。
だから、こんな病は、今後もテレビドラマ化されることはないと思う。
今までの病の概念と違った、その不思議な症状は
脚本化するにも、役者さんが演じるのも、表現が難しくて、
たとえ、表現できたとしても、
普通の病気の概念しかない視聴者には
理解されることも難しいだろう。
だから、24時間テレビに毎年採用される闘病記は、
だれもが理解できる、医学的に理解が進んだ病や障害を経験した話ばかりだ。
見た目健常者の脳脊髄液減少症患者の苦しみから立ち上がる物語なんて、同情されにくいし、涙も誘いにくいし、
感動も起こしにくいだろう。
まして、患者が若くもなく、美しくもない、私みたいな髄液漏れ患者なんて、
世間の関心も集めないし、同情さえ受けられないし、
ただ、自分の不運と事故にあった時代の悪さと、この病の理不尽さを嘆き悲しみながら、
誰にもその苦しみを理解されないまま、人生を終えて死んでいくだけだよ。
かなしいね。
特に、過去の交通事故での髄液漏れ患者は。
救われない。
私の他に、同じ状況の患者が、日本にまだどれだけ潜在しているんだろう。
自分の症状が、あの交通事故での髄液漏れでの症状だと気づけないまま。
ともかく、今夜のドラマ、見てみるか・・・・。