脳脊髄液減少症でも、思った言葉が出ないことがあります。
思っていることと、違う言葉が出てくることもあります。
脳脊髄液減少症でも、さまざまなタイプ、程度の言語障害が起こります。
言語障害の研究や支援にかかわる方々は、
今まで、脳脊髄液減少症という視点からは一切見てこなかったと思います。
これからは、そういった視点でも研究して、
脳脊髄液減少症の研究にも協力してほしいと思います。
脳脊髄液減少症でも、思った言葉が出ないことがあります。
思っていることと、違う言葉が出てくることもあります。
脳脊髄液減少症でも、さまざまなタイプ、程度の言語障害が起こります。
言語障害の研究や支援にかかわる方々は、
今まで、脳脊髄液減少症という視点からは一切見てこなかったと思います。
これからは、そういった視点でも研究して、
脳脊髄液減少症の研究にも協力してほしいと思います。
これは、単なる、私の予感です。
近い将来、
誰もが知る有名人が、「脳脊髄液減少症」と診断され、
それにより、
今まで無関心だったマスコミまでもが、こぞって、「脳脊髄液減少症」を報道しはじめるでしょう。
それにより、
多くの人たちが、日常に潜んでいる、脳脊髄液減少症にやっと気づきはじめるでしょう。
そう、
こどもも、大人も、老人も、皆に関係のある、
身近な事故後遺症として。
身近な症状に隠された、誰にでも起こりうる、身近な病態として。
それにより、
自分には専門外で、関係ない、と静観していた医師たちも、
自分たちが日常的に診ている患者の中に、脳脊髄液減少症患者が潜んでいることに、
気づきはじめ、
興味関心を持って、研究にも取り組みはじめるでしょう。
そして、脳脊髄液減少症に関する、一般向けの出版も、医学書の出版も増えてくるでしょう。
それにより、
さらに、脳脊髄液減少症の認知が広がり、さらに疑って受診する患者が増え、
検査でどんどん患者が見つかるにつれ、
その多彩な症状を、脳外科以外の科の医師たちも知るところとなるでしょう。
そして、やがて、
脳脊髄液減少症という病態の全体像が見えてくるでしょう。
それは、
「起立性頭痛」の一言ですまされるような、簡単な代物ではないということに、
多くの医師が気づくことでしょう。
損害保険会社や、司法関係者は
多くの事故被害者での脳脊髄液減少症患者が無視され、
ほうっておかれ、裁判で負け続けた、その残酷な非人間的仕打ちに、
いやおうなしに気づかされることでしょう。
そのきっかけをつくる人物が「脳脊髄液減少症」と診断される日が、
その日が、
日に日に近づいてくるのを最近私は強く感じます。
脳脊髄液減少症の症状がひどいことは、
こんな予感なんてしなかったから、
脳が少し回復してきたのかな、なんて思う。
若いころは、
本当に、重大事件や事故や誘拐事件の顛末を予知したり、
身近に起こる、人の死を、「虫の知らせ」かなんかわからないけど、
事前に予知して、それが的中して、
周囲を驚かせたことが何度かあるけど、
脳脊髄液減少症になってから、
脳がそんな余裕がなくなったのか、
そんなことはほとんどなくなった。
ただ、震災の当日、朝から、
私は普段しない不思議な行動をとっていた、
あれが、
今思えば、
自分の身を守るための、本能だったのかな?とも思う。
脳には未知の力が隠されているのかもしれない。
脳脊髄液減少症の認知が広まるのなんて、
予知でもなんでもない、
当たり前の成り行きだと思うけど、
なんだか最近、それを強く感じるの。
やはり、春になって、
脳が少し動きだしてきたせいかもしれない。