不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

アグリコ日記

岩手の山里で自給自足的な暮らしをしています。

田植踊り 3

2007-09-23 19:43:28 | 暮らし
 ジッちゃんのバイクの音が雨上がりの庭先に響いたのはちょうど麦刈りも終わった頃、梅雨の合間に青空が広がり風に未だ若葉の匂いが滲む時だった。ヨッコイショ!縁台に腰を下ろしたジッちゃんは手にわし掴みにしていた紙の束をおもむろに私の方へと押しつけた。「これ、ひとつ、オメさんのワープロ(PCのことをジッちゃんはこう言う)で打ってくれねがや」開いてみると表紙に、「芦沢座敷田植え踊り」の黒い文字がしたためられている。
 それはジッちゃんが辞書を引き引きしながら書いた、わが集落に伝わる田植え踊りの歌詞と口上の全文(力作!)だった。墨書書き。古い仮名遣いと旧漢字。(本人は決して認めないが私の目から見れば)達筆とも言えよう文字が半紙10枚に亙って綿々と連ねてある。今まで口承と手振りでのみ伝えられてきたこの踊りを、客観的な記録に残そうと文字に記した人はかつていなかった。その意味でこれは、この集落始まって以来の画期的かつ斬新な試みである。かねて門外不出・内相伝の趣強かったこのの田植え踊りを、あえて文書にすることによって事と場合によっては万人の知らしむるものにしてしまうかもしれないのである。けれどもそのリスクと引き換えに、ジッちゃんは今、もはや自分しか知る人のいないこの無形の財産を、なりふり構わず後世に残そうとしているのである。この気迫は漆黒の墨に滲み出でて、見てるだけで気おされてしまう。しかし・・・残念ながら、読みにくい!難解なのである。最初のページを目を皿のようにして睨んでいた私の傍らで、ジッちゃんはごく自然に、まるでここがその場に相応しい祝いの席ででもあるかのように、静かに唄い始めるのだった。
お正月はお目出度いとて 松の葉を手に持つ

しかし、しかし拝聴していた私にはいくら耳を澄ませても、どうしても手元にある歌詞とジッちゃんの歌とが噛み合わさらないのだった。まるですっかり別の物に聞こえる。なぜかという不可思議なその乖離を説明するのに、月並で抽象的な言語表現ではとても伝えられそうにはないので、以下私なりに努めて率直・具体的に述べてみる。
ジッちゃんは、
オォオオオォォショォオォヤーハァガーァアアーハアァアーアーアーツーウゥウーワーァアァヤー・・・
と唄ったのだが、これは(もうお気づきだろうと思うが)前述の「お正月は」という文句に相当するのである。そう、日本語に直せばたった4字。ただこれだけの言葉を、彼は誰であれ欠伸を3回かみ殺すほどの悠長な時間をかけて唄ったのだ。そして更に続く最初の一行を私が聴き終わるまでには、花も蝶も吹く風も、すべての時間が一斉に静止したかのような広大無辺の時が経過していたのだった。因みに歌詞の前には「ハイヨ目出度エー」という導入句がつくのだが、これも唄にすると「ハァイィーヨォーメーエイエエイエェデエーエェタァーーエィエーエーエーエィエーエーエー・・・」となる。
 まさに耳を疑うというのはこのことで、もしかしてこれは唄なのであろうか、それともなにかの手違いで、渡された歌詞がこれに合っていないのではなかろうかと真剣に考えた。しかしその思考の錯綜も、ジッちゃんの断定的な次の一言で唐突に終止符を打たれたのだった。
「まんず、オメさんにはこの唄を覚えてもらって、それを太鼓叩きながら唄ってもらう」
 ・・・目の前の世界が少し捻じ曲がった。そんなこと私にできるだろうか。断るなら今しかないかも。続いてジッちゃんは「今までさっぱり覚えようとするヤツぁいなくてよ。あそこの○○ヤも、最初の一回だけ練習に来て、それきりになっちまったし・・・」そりゃあ、そうかもしれない。
 因みにこんな調子で、唄は五番まで続く。前掲の「ハイヨ目出度エー」という導入句は以下すべての曲目に付随するのだが、ここでは歌詞部分だけ二番から順に記しておく。

お年男の太郎冶どの 福の水を迎へた

あさよはかの水の口に 生えたる松は何の松

何よ松と人問わば お祝い立てた五葉の松

黒や川の七つ森は さても見よい森かな

 かくてこの夏、私の田植え踊り稽古の日々が始まった。とりあえずジッちゃんの唄をテープに吹き込んで、車に乗る時は必ずそれを聴きながら運転することにした。冷房をかけて閉め切った車内では、それはさながら前時代に演奏された奉納神楽の時空を越えた錆びた余韻のように聞こえるのであった。時折窓を開けると、近くを通る人が怪訝な顔でこちらを振り向いた。



【写真はこの夏の猫家。
手前に並んでるのは台風前のアマランサス。】


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 田植踊り 2 | トップ | カワハギの食感 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

暮らし」カテゴリの最新記事