アグリコ日記

岩手の山里で自給自足的な暮らしをしています。

進撃のばあちゃん

2024-06-09 07:25:23 | 
ミーコが生きていた頃、私が庭で仕事を始めると、彼女はいつもどこからか現れて、私のそばにやって来た。農家には、重いものを動かしたり刃物を振り回したりする仕事が多い。薪作りにしろ大工仕事にしろ、猫などにそばへ寄られては危なくて困るのである。しかし齢20を越え、世の中のすべてを知り尽くした彼女にとっては、それはいかほどのことでもないようだ。鉈を振り回していようが、丸鋸を走らせていようが意にも介さず、われとわが身を顧みずに、向かって来るのである。
一歩一歩踏みしめるように(のそのそと)歩き、顔をまっすぐ前へ向けて泰然と歩く様は貫禄さえ感じさせる(実はもう歩くだけで精一杯で、他へ気を配る余裕も無いようだ)。行く手にたむろする猫たちも、一歩退いて彼女に道を開けた(というか、彼女が細かい動きができないことを見越してぶつからないように避けているみたいだ)。どこか同じネコ科のライオンを髣髴とさせる。無敵の進撃を続ける王者のようにも見える。

思えばミーコに限らず、わが家の猫たちはいつもそうだった。マスキーなどは、私がハンマーで石を割っていて、砕けた破片が弾け飛ぶような状況においても(わざわざそんな時に限ってと言った方がいい)、私の手元に入り込んで来た。車を走らせようとしている時にその通り道に寝そべって、どこうともしない。言わずもがな非常に危ない(一度誤って彼女を轢いてしまったことがある)。
始めの頃は怒鳴ったり驚かせたりして、そんな猫たちを追い払っていた。怪我させてからでは遅いと思ったし、私にとって、それが彼らに対する思い遣りだと思っていた。あの頃は生活も苦しく仕事に追われていて、おまけに犬や猫の他に、家には鶏もウサギもいた。大所帯を私一人で養っていたのである。家族が多ければ、それだけひとりひとりにかける思いや手間は薄れてしまう。私も気が急いている時に邪魔になる彼らが許せなかった。思い通りにいかないと叩いたりもした。それでもしばらくすると猫たちは懲りずにやってきて、まるで私の行く手に立ちはだかるかのように振舞った。
今思えば、彼らはただ、私に愛を示してくれていただけだった。単なる生産奴隷として、効率よく働くように、常になにがしかしているように訓練されてきた私たち人間の心境など、猫たちに理解できるはずもない。そんな人間を眺めて、彼らこそとても不思議に思っていただろう。この地上で人に飼われることを選んで生まれてきた魂たちにとっては、ただ飼い主と愛(エネルギー)の交流をすることが生きるうえでの一番の目的なのである。オーラを触れ合わせ、互いのエネルギーを感じ合うことに関して、とても鋭い感性を彼らはみな持っている。
今地球上には、人類と地球のアセンションを助けようと、多くの魂が生まれてきている。人間の子どもたち、動物たちの中には、その親や飼い主をわざわざ選んで、その波動を上げることを目的にしている者が多い。彼らは腰の重い三次元どっぷりの大人たちを持ち上げようと日夜懸命に努力しているが、多くの親たちはそんな彼らをまるでハエ叩きでバシバシ叩き落とすように扱っている(もちろんそのおかげで波動を上げている者もいるのだが)。幼い子どもや動物たちはハートが開いているので、自らの転生してきた目的を忘れることはない。そして幾たび辛酸を嘗めようと、必死に立ち直り自分が倒れるまで頑張り続けている。
そんな彼らを理解するのに、私には長い時間がかかった。
だから今では、もう取り戻せない昔の分も含めて、彼らを目一杯可愛がろうと思っている。彼らが邪魔(?)しに来るその時に、少しだけ仕事の手を止め、撫でたり膝に載せたりするだけで、猫たちはすぐに満足する。しばらくして、さあまた仕事を始めるか、という時になっても、彼らはそれ以上邪魔はしてこない。
このように悠長に仕事をするようになってから、では収入が減ったか、生活が苦しくなったかというとそうでもない。どころか、まったくの逆だ。確かにそれまでと同じ仕事量をこなしてるとは言えないが、焦らず急がず、いつも心にゆとりを持つようになり、結果的にできた仕事の質が上がった。エネルギーを消耗しなくなり、生活が楽で楽しいものになった。家族みんな笑顔になって、私自身も自分が持っていた根深い信念を外すことができた。これが誰にとっても、良い結果をもたらしたことは明らかだ。

ただそうなる前に、多くの者たちを、充分に愛せないまま旅立たせてしまった。あれだけたくさんいた猫家の家族たちも、ミーコただひとりを残してみな死んでしまった。本当の愛というものを学ぶのに、本当に時間がかかってしまったのだった。そのミーコがもういつ死んでもおかしくないという歳になって初めて、やっとそのことに気づいたのである。彼らはみな、いつも私を待っていた。私をなによりも愛してくれていた。いつの日か私が本当の愛に目覚め、立ち戻って来るのをひたすら待ち続けてくれた。どうしてその愛をそのままに受け取らなかったのだろう。それ以上大切なものが他にあっただろうか。私も同じように深く彼らを愛していたのに。

さてなにかを始めようとした時に、遠くからミーコがのっそりとこちらに向かってくるのが見える。不乱不惑の面持ちをして、いつもの「進撃モード」になっている。そんな時私は「うわ、また来た~」と思うと同時に、心のどこかで温かいものを感じてもいる。既に年老い、散策も冒険もネズミを捕ることもできなくなった彼女にとっては、もう私といることだけが唯一の楽しみになってしまった。そんな彼女を実際に愛せることが、いつしか私にとって無上の喜びにもなっていた。
ミーコは23年間、こうして進撃に進撃を重ね、歩くのがやっとの状態になっても更に進撃を続け、遂には私たちに偉大な戦果を残してくれたのである。私は大切なことに目覚め、家族みんなが幸せになった。





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