アグリコ日記

岩手の山里で自給自足的な暮らしをしています。

生きている食べ物

2004-04-01 21:15:36 | 思い
アグリコ日記に掲載した「食」についての記事をまとめます。

ブログを始めて2年以上が経ちました。でもこうして振り返ってみると、私の最も関心事であり自分の今日を在らしめた(つまりは世のお定まりコースを外させた)ほど大切な「食」については、意外とあまり書いていないものだなと思いました。

今あらためて、自分は本当は、ブログで食について書きたかったんだなと思います。
それは日常で一番ありふれたものでありながら、この人生に対して最も決定的に作用するとてつもないものだと思っています。
でもこのテーマに関してはなかなか書けなかった。なぜならいつの時点でも、自分自身が食について「知っている」とは言えなかったのです。つまりこれはとても奥深いものを孕んでいる。そしてもちろん今でも、いったい自分は食についてどれだけのことを知っているというのか。けれど私はどうしても書きたかった。

私自身この2年の間にもたくさんのことを学ぶことができたし、食に対する経験も考えも、もうかつてのようではありません。
でもあえてここには、自分の記録をそのまま時系列順に並べてみることにします。
読み返せばやはり同一人の書くこと、一脈通じるものはありますね。これはこれでまた自分の「食の履歴」かなと可笑しくも納得するところがあります。

食べることと呼吸は人が死ぬ直前までたゆみなく行う、表れ方こそ違え「生」と同義の行為です。これによって私たちは外界から「自身」とは異質のもの、新しいものを取り入れることができます。そしてその仕方は百人百様で誰ひとり同じ人はいません。
だからこれを成すゆえに人は変化するのであり、これをやめた時に人は死ぬのだと思います。ここにすべての生き物を含めた私たちの生の根幹の断片を、探ることができないでしょうか。
この日常ありふれたもの、当たり前すぎるものに目を留めた時に、私の中で小さな変化が始まりました。
その時までは私も自分が世の中でまずまずの価値ある仕事をし、辛くも善戦しながら、そこそこ満足すべき生き方をしているのだと信じて疑いませんでした。

まだまだ言葉にできないことは多いし道の彼方もまったく見えないのだけれど、その途上の呟きとして、袖触れ合って語り合う旅の伴侶として、私の問わず語りに耳を傾けてくれれば嬉しいです。


「命の堅さと柔らかさ」

「豊かな食事 貧しい食事」

「美食のすすめ」

「塩という名の塩でなし」

「過食と人生」

「食べ物の値段」

「水野南北」

「酒の値段」

「白いコンニャク畑」

「断食の効用」

「毒と薬」

「からだの原材料」

「卵のいのち」

「私たちの創世」

「浄化」

「食育」

「糖分摂取量」




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