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アグリコ日記

岩手の山里で自給自足的な暮らしをしています。

田植踊り 2

2007-09-19 18:33:36 | 暮らし
 古来より米を主食としてきた日本にあって、年毎の穀物の収穫の多寡は日々の暮らしに直結した最大の関心事だった。各地に残る遺跡には品種改良や基盤整備など、稲作に関連した各種技術の工夫と研鑽の跡がうかがわれるし、現代まで伝承される神事や祭事、各地に伝わる伝統芸能には、なによりも五穀豊穣を祈願する意図が盛り込まれたものが多数認められる。「御田植神事」のみならず「田植え歌」や「田植踊り」「田遊び」「御田」「田祭」などもまた、その発祥をすべて神事に求めることができる。そこで用いられる歌詞や口上、身振りなどには時に滑稽な要素が加えられることもあるけれど、全編をとおして神々への感謝や篤い豊作祈願の思いが流れていると言える。
 その中でも田植踊りは特に東北地方に広く伝えられた芸能であり、少なくとも江戸時代には既に小正月の枢要な行事として確立していたようで、集落ごとにその芸を競い合ったり広範囲な地域ぐるみの交流などが行われたという記録も残っている。宮城・山形県などではその形態から大きく「弥十郎系」「奴系」「テデ棒系」などの分類がなされている(岩手の方ではもっぱら「胆沢型」「和賀型」など地域別の分類がされているようだ)。また踊りの舞台からは「庭田植え」と「座敷田植え」に分けられる。それに当てはめれば私の住む岩手県・江刺地方(今は奥州市に含まれている)の田植踊りは、「座敷田植え」の「弥十郎系」に属するものだと思う。
 「弥十郎系」とは、唄いと踊りで構成される曲目と曲目の間に、弥十郎(田植え作業を指揮する役どころ。「弥次郎」や「弥治郎」「ヤンジロウ」などと記されることもある)の口上と早乙女たちによる身振りが加わるもので、踊り全体の中にひと通りの田植え作業、場合によっては収穫や籾摺りなどまで含めた一連の稲作作業が挿入されている。これらの演技にはこれから一年の農作業が恙なくまた成功裏に終わるようにという、言霊信仰に基づいた予祝(よしゅく)の意味合いがこめられていると言われている。
 
 さて、わが集落・芦沢の田植え踊りだが、いろいろ調べてみると当初ジッちゃんを始めの人たちが思い込んでいたように、決して独自のものではなかった。それの判明する端緒となったのが、現存する歌詞の一節となる次の句である。
黒や川の七つ森は さても見よい森かな

 ここで登場する七つ森とはまずもって仙台市北隣にある「黒川郡の七つ森」のことだろうと思われる。どうしてこの地名がここで前後の脈絡なしに唐突に現れるのか、その当然すぎる疑問から私の探求は始まった。 
 念のためわが集落近在に残る田植え踊り唄を調べてみると、隣市・北上に記録として残っている20ばかりの田植え踊りすべてがとても近似した歌詞を持っていることがわかったし、更にその中で最も芦沢に近い(地区境を接する)口内(くちない)地区のそれは、唄、踊り、構成などどれをとっても相互の類似性を否定できない、端的に言えば明らかにどちらも同じルーツから派生したものと思われるのだった。そして口内には、「この踊りはおよそ200年前に七つ森から伝えられた」とする言い伝えが残されていた。なるほど、これならこの地域に分布する田植え踊りがみな共通の歌詞や構成を持っているというのも頷ける。おそらくルーツはひとつだろう。そして今度は肝心の「七つ森」地方に田植え踊りが残っていないかということになるのだが、捜した結果、これも確かにあった!宮城県の(現)富谷町・原地区に伝承されているものがそれである。踊り自体は一見してこちらのものとはかなり異なるように見えるけれど、前掲の歌詞はまったくそのまま同じものが残されていた。
 この富谷町の田植え踊りには400年を越す歴史があるそうである。言い伝えによれば文禄元年(1592年)12月、仙台藩主伊達正宗が豊臣秀吉の要請により朝鮮半島への出陣をなす際(文禄の役)、居城である岩出山城より下る途中七つ森にて武運長久を祈念して狩を行った。その折に近在各村より人が集められて演芸会が催され、その中で「原の田植え踊り」が殊の外お褒めに預かり、褒美として早乙女の着物の裾に伊達家の家紋のひとつ竹の葉を用いることを許されたという。この竹の葉の紋は今でもこの地区の早乙女の衣装に附されており(これはよんどころないことである!)、また史実としてもこの時の七つ森での狩の様子が記録されていることからも、この事はまず事実と考えて間違いない。つまり富谷の田植え踊りはその当時既に藩主にお披露目できるほどに確立した芸能だったのであり、実際の発祥は更にそれより前(16世紀以前)と目される。しかし現地においても、もうそれ以上の由来は残されていなかった。
 そして殊に残念なことは、現在富谷町では原地区以外の田植え踊りはすべて消滅しており、また現存する歌詞もほんの僅かなものに留まっているということだ。町自体は仙台市近郊のベッドタウンとして栄えている風に見えるのだけれど、ここにおいても地元の伝統芸能の後継者を育てることはなかなかに難しいようだ。なにしろ人口の9割近くが他所から入ってきた人たちであり、昔ながらの地場の伝統・文化に触れて来なかったという面も大きいかもしれない。状況からすればわが芦沢とはまったく逆ではあるのだが、人口が増えてる所にはそれなりに悩みがあるということか。
 そして次には、七つ森からどのようにして百数十キロも離れたこの地に伝えられたかということだけれど、それについては①仙台周辺への出稼ぎ者が持ち帰った説(江戸時代から戦後まで、岩手県内から仙台近辺には杜氏や大工など、恒常的に多数の出稼ぎ者が出ていたらしい)があるし、同時に②伊達藩からこの地に転封された殿様がもたらした説もある。北上・金ヶ崎・江刺北部は旧南部と伊達の藩境地帯であり、交通や流通または軍事的な観点から藩主近親の者や特に信任厚い者などが城主として配置されていたそうだ。当時としては唄や踊りが娯楽の主たるものであり、その際に旧領の田植え踊り一行も引き従えてきたとしてもさして不思議なことではない。そう考えればこの地方に特に田植え踊りが多数(しかもすべて同じ様式の!)残されていることが納得できる。
 因みにそれに似た例として仙台近郊の温泉場・秋保(あきう)に伝わる田植え踊りについて一言述べてみよう。この踊りは国指定の無形重要民俗文化財でもあるのだが、その発祥としては①長袋に落ち延びた平家の落人が伝えた説があるけれど、もしそれだけに由来を求めればいきなり12世紀にまで遡ることとなり、他地域の伝承と比べてあまりに突出の感が否めない。それよりは、全国に名だたる名湯の地としてかねてより芸能の素地があったところに②秋保には伊達家の入湯場が置かれており、来湯した藩主が所望したこともあってこの地に田植え踊りが導入され定着した説の方がより説明に無理がないのではないだろうか。またこれによって従来戸外で演じられていた踊りが室内風にアレンジされ、「座敷田植え」が生まれたとも言われているし、これらの経緯を考え合わせれば秋保の田植え踊りが大人数で舞う非常に華やかなものだということも得心がいくのである。
 
 とまあ、このようなことを先日隣りの家で話したのだが、ジッちゃんは「芦沢の田植え踊りは実は独自のものではなかった」ということに少なからず気落ちしたみたいだった。それまではこれがわがのオリジナルだと、露疑わなかったようだ。でも程なく、「んでも、おらホの金津流鹿躍りも、本家の(宮城県)松山じゃあ一時期絶えちまって、こっちから講師を出して逆に伝えたくれえだったからな・・・こんなこたぁ、ままあんだべな」と言いながら幾分気を取り戻す。そう、なによりも今「在るもの」を大切にするのが一番だ。もしオリジナルにしか価値を認めないならば、全国に数多ある民俗芸能のうちいったい幾つが残るというのだろう。
「しかしまあ、わざわざ七つ森まで行ってきたとはなぁ・・・」そう、ここまで調べるのに、私は周辺市町村の図書館や役所はもちろん、遠くは宮城県にまで足を伸ばしたのだ。そのために結構な時間とお金は使ったけれど、おかげで田植え踊りに関するさまざまな情報を手に入れることができたし、そのことは踊りの由来を明らかにするだけではなくて、実際の口上や唄いにも大きく貢献する結果となる。そのことについては後ほどまた言及することにしたい。




【写真はおよそ20年前に撮ったという早乙女の衣装姿。
芦沢では早乙女役は伝統的に年少の女子が担ってきた。】



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1 コメント

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出版しました (神楽童子)
2009-11-22 22:12:26
日々お世話様です。いつもホームページ拝見させてもらってます。今回念願叶って自費出版の運びとなりました。10月中旬より各書店にて販売してます。若き日の神楽師の物語でタイトルは「お神楽初恋巡演記」です。いち早く岩手県立美術館ライブラリー&書庫で配架になりました。また情報誌悠悠そしてFM岩手「岩手の本棚」でも紹介されました。詳しくはblogとりら(http://torira.exblog.jp/)神楽民族芸術見聞(http://okuderazeki.at.webry.info/)参照願います。是非お手に取り昭和の郷愁を蘇えらせて欲しいと思います。

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