アグリコ日記

岩手の山里で自給自足的な暮らしをしています。

蝶の記憶

2010-05-01 19:32:55 | 暮らし
 見たことのない蝶だと思った。
 その時私は薪を軒下に積み上げていた。ひらりひらりと紅色のりぼんが膝元をかすめる。このところ雨や曇りの日ばかりで二日と晴れ間が続かない。アブラナの咲き方もタラの芽の膨らみも、例年よりも幾分遅い。桜の蕾が固いままに、いつしか4月も末になっていた。そうか、世の中はもう連休だ。種蒔きからひと月も経つというのに、なかなか稲苗の成長は芳しくない。それやこれやはあるけれど、野の若葉は朝ごとに濃く、山の若木は刻一刻と萌えだして、歩みは遅いながらも着実に成長の時を迎えているのだった。
 そんな折に出会った華やかな蝶。仕事の手を止めて見る。視力の弱い私はぐっと顔を近づけるのだが、それに驚いてか蝶は二三度体をかわす。ちょっと待ってくれな。今カメラを持ってくるから。そうしてデジカメ片手に掴まえた映像は、彼の名をクジャクチョウと教えてくれた。


 そういわれればなるほどと思う模様だ。ここでは隠れて見えないけれど、後翅にも二つの目玉模様がくっきりと描かれている。留まる時に翅を拡げてこの目玉模様をちゃんと見せびらかすのが面白い。これはおそらく鳥などの天敵から体を守るという、目玉模様本来の役割を認識しててのことだろう。
 このクジャクチョウ、日本や東アジアに分布するものの学名は「Inachis io geisha」という。これは日本の着飾った「芸者」からとられた名前だ。やはり誰が見ても美しいと見えるのだろうね。でもちょっと外人っぽい命名の仕方かな。国内では滋賀県以北に分布し、食草はクワ科のカラハナソウやホップ、イラクサ科のイラクサ、エゾイラクサ、ニレ科のハルニレなど。この近所には数年前まで耕作していたホップ団地があるので、そんなことも関係あるかもしれない。

 ところで、この春わが家で初めて蝶を見かけたのは、数えて10日ほど前になる。沢沿いの道を風に転がされるように舞い下ってきた蝶だった。ルリタテハ。これもまた美しい。幸い洗い場のコンクリート管に留まったところを写すことができた。


 この時期に出会う蝶はみな成虫で越冬するタイプである。しかし半年近くの冬籠りの時期を、彼らはどこにどうやって過ごしているのだろう。食べるものとてないだろうに。そういえば先日土手の上に舞う黄色い姿を見かけたけれど、あれはモンキチョウだろうか。長い断食を開けて、心なしかふらふらしてるようにも見える。
 このルリタテハの幼虫はサルトリイバラなどのユリ類を食草としているという。わが家の庭のツツジにサルトリイバラが被さって毎年難儀しているのだが、もしかしたらそのお陰でこの綺麗な蝶が生まれてるのかもしれない。そう考えれば、どんな草も樹木もあんまし目の敵にするものじゃないな。

 ところで蝶といえば、ひとつ思い出すことがある。それは去年の秋のこと。一匹の大きなアゲハ蝶が真っ赤な横腹を見せて一心不乱に卵を産んでいた。10月頃だったと思う。秋も深まろうというこんな季節に産卵して果たして成長できるのだろうかと思った。彼女はジャコウアゲハ。名前はオスの個体が麝香のような匂いを発散させることに由来する。草の中をかき分けてみたら、食草のウマノスズクサが小さく、ほんの数本茂っていた。ここは私が年に3~4回草刈りをしているから、どの草丈もあまり大きくはない。なんだか彼女に悪いことをしてしまってるみたいだった。


 これが葉っぱの裏についていた卵。


 ウマノスズクサという草は毒成分であるアルカロイドを含んでいる。幼虫はその葉を食べることによって体内に毒を蓄積し、これによって幼虫期・成虫期を通して、ジャコウアゲハを口にした捕食者に一過性の中毒症状を起こさせる。だから一度ジャコウアゲハを捕食した経験のある者は、二度とそれを捕まえることはない。
 このために、昆虫界にはちゃっかりジャコウアゲハに擬態して身を守る虫もいる。例えばクロアゲハ、オナガアゲハ、アゲハモドキなど黒い色のアゲハやそれに似たものたちがそうだろう。
 そして下の写真が、二週間後に同じ葉の裏にいた幼虫。まもなく秋も終わろうとしているのだが、いったいおまえは冬を越せるのかい? 冬は蛹で越冬する生態とはいうものの、しかしその蛹に、おまえはいったいなれるのかいな?


 ところでジャコウアゲハについて、もうひとつ面白い話がある。
 ジャコウアゲハの蛹は別名「お菊虫」とも呼ばれている。これはなんと怪談「皿屋敷」の主人公「お菊」から来ているらしい。皿屋敷怪談は全国至る所に存在し、そのほとんどが女中「お菊」があらぬ疑いをかけられて殺されてしまうることに端を発っしている。言うまでもなくその中で最も有名なのが、東京の「番町皿屋敷」と姫路の「播州皿屋敷」である。以下は播州皿屋敷のおおよそのストーリー。
 永正年間(1504~1520年)、姫路城第9代城主小寺則職の家臣青山鉄山が主家乗っ取りを企てていたが、これを衣笠元信なる忠臣が察知、自分の妾だったお菊という女性を鉄山の家の女中にし鉄山の計略を探らせた。そして、元信は、青山が増位山の花見の席で則職を毒殺しようとしていることを突き止め、その花見の席に切り込み、則職を救出、家島に隠れさせ再起を図る。
 乗っ取りに失敗した鉄山は家中に密告者がいたとにらみ、家来の町坪弾四朗に調査するように命令した。程なく弾四朗は密告者がお菊であったことを突き止めた。そこで、以前からお菊のことが好きだった弾四朗は妾になれと言い寄った。しかし、お菊は拒否した。その態度に立腹した弾四朗は、お菊が管理を委任されていた10枚揃えないと意味のない家宝の毒消しの皿のうちの一枚をわざと隠してお菊にその因縁を付け、とうとう責め殺して古井戸に死体を捨てた。
 以来その井戸から夜な夜なお菊が皿を数える声が聞こえたという。
 やがて衣笠元信達小寺の家臣によって鉄山一味は討たれ、姫路城は無事、則職の元に返った。その後、則職はお菊の事を聞き、その死を哀れみ、十二所神社の中にお菊を「お菊大明神」として祀ったと言い伝えられている。その後300年程経って城下に奇妙な形をした虫が大量発生し、人々はお菊が虫になって帰ってきたと言っていたといわれる。(「皿屋敷-Wikipedia」より)

 確かにジャコウアゲハは、同地においておよそ300年後の1795年に大発生したという記録がある。この蛹の姿が、なんとなく後ろ手に縛られたお菊を連想させるということで「お菊虫」と名付けられたものらしい。姫路市ではこの伝説のゆえもあって、1989年にジャコウアゲハを市蝶と定めている。

 右の写真はgoogleで検索したジャコウアゲハの蛹⇒ 



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