アグリコ日記

岩手の山里で自給自足的な暮らしをしています。

日本の中の枯葉剤

2008-02-20 09:46:07 | 思い
 ヴェトナムで使用された枯葉剤は、大戦中に日本人の糧道を断つ目的で開発が進められてきた化学兵器だった。元はといえば植物の成長促進物質の研究の中で見出された成長抑制作用だったのだが、これを効果的に利用することにより日本の田や畑をすみやかに壊滅させることが期待でき、それによって米軍の実質的損害なくして戦局を押し進めることができるはずだった。
 結局その意図は実現されないまま、日本は終戦を迎えた。しかしその後に製品化されて彼の地で使用された「枯葉剤」が、実は日本企業によっても生産されていたこと、その一部がはからずも政府の手によって、日本の山林に大量撒布されていたこと、戦後広範囲に使用された幾種類かの農薬がそれら枯葉剤製造の副産物だったことなどを知っている人はあまりいない。

 1967年10月、三井東圧化学(現三井化学)は大牟田工業所で2,4,5-T(または2,4,5-TCP)の生産を開始した。どちらも当時ベトナム戦争で米軍によって大量に使われていた枯葉剤の主成分(ないしはその原料)であり、その年米軍が大量発注したことと無関係とは思われない。しかし当時世の中はまさに米軍の枯葉作戦の非人道性に対する非難が醸成されていた時でもあり、世論の糾弾を避けるためにも事は隠密裏に運ばれた。実際、この事実が公にされたのはそれから30数年を経た後であった。
 作業員はガスマスクを使用し、社員に対しても正確な情報は隠蔽されつつ工場は操業された。生産開始の翌年にこの工場で爆発事故があり、その際に30人ほどの従業員が皮膚炎、肝臓障害、白血球障害などの異常を起こしている。これらは明らかに有機塩素中毒症状であり、当時物議を醸していたカネミ油症事件と症状が酷似していたことからも、単なる爆発事故という性質で収められるものではない(*)。
*1968年北九州市を中心に多数の患者を産み出したカネミ油症事件は、当初食用油に混入したPCBが原因とされていたのだが、その後研究が進み厚生省は2002年、PCBよりもむしろダイオキシン類によるものの可能性が高いと発表している。

 三井東圧化学がこうして製造した2,4,5-T(または2,4,5-TCP)はそのほとんどが海外へ輸出され、一部国内に留められたものもあったが、それは全量林野庁に納入された。

 しかし三井東圧化学による枯葉剤生産は、実はこれを遡ること6年前から既に始まっていたふしがある。 
 枯葉剤の製造過程で生じる廃液からPCP(ペンタクロロフェノール)という物質を合成することができる。これは当時除草剤として販売されたもので、日本でも1960年以降大量のPCPが水田に使われてきた。このPCPを、三光化学の久留米工場(後に三西化学が操業を引き継ぐ。どちらも三井東圧化学の子会社)で製造開始したのが1961年。農薬取締法も毒物取締法も無視した操業で、開始当初から作業員や近隣の住民に不可解な健康被害が続出し、その一部は「三西化学農薬被害事件」として提訴もされている(*)。
*26年間続いた裁判は最終的に1999年、最高裁判所が被害者の病状と原因との因果関係が立証されないとの理由で棄却。原告敗訴となった。

 事態を受けて1962年には厚生省の調査団が入った。しかしそこで調査団が遭遇したのはなんとも奇妙な事実だった。届け出によればこの工場の製造品はPCPであったが、しかし工場内で確認されたのは、4塩化フェノールが6割を占める(到底PCPとは呼べない)奇妙な組成の製品だったのだ。廃棄設備などには更にそれ以外の大量の不純物も認められたが、それらは他社で作られたPCP製品には検出されないものだった。なぜか三井東圧化学だけが不純物の異常に多い奇妙な組成のPCPを生産していたのだった。
 今日それらの組成から客観的に類推できる主たる生成物は、3塩化フェノール、つまり2,4,5-TCPの可能性が大きい。三井東圧化学は明らかにPCPの名の下に、枯葉剤原料を生産していたのだ。
 三西化学のこの奇妙な生産は1970年まで継続される。奇しくもその前年にアメリカ国立衛生研究所によって2,4,5-Tによる催奇形性が実証され、それを受けた米国科学振興協会は枯葉剤撒布の即時禁止を決議している。また多数のベトナム帰還兵やアメリカの枯葉剤製造メーカーの従業員にも疾病症状が顕れており、国際社会の世論はまさに反枯葉剤の潮流を形成していたのだった。
 そして最終的に1971年、米軍はベトナムにおける枯葉作戦の中止を決定することになる。

 ここで事態をわかりやすく把握するために、三井東圧化学によって生産されたPCPの量と同系除草剤CNPの生産量、そしてヴェトナムで消費された枯葉剤散布量の推移を同じグラフの中に見てみよう。1960年代後半には三井東圧化学が国内唯一のPCP供給メーカーになっていたので、ここで表わされる数値はすなわちPCPの国内生産量と見てあまり違いはない。


(原田和明「化学兵器ダイオキシン」より)

 ヴェトナム戦争中、枯葉作戦は1962~1971に遂行され、その間に131万haの面積に67,015トンが撒布された(これを日本に当て嵌めると、東京都の6倍の面積に1ha当たり51リットルが撒布されたことになる)。この結果南ヴェトナム森林の12%、マングローブ林の40%、耕作地の5%が壊滅。多数の奇形児、異常出産や流産が引き起こされる。このグラフを見ると、国内におけるPCPの生産が枯葉剤の消費(枯葉作戦以前の数年間は実験的に撒布されていた)と奇妙な一致を見せていることがわかる。特に枯葉作戦が本格化する1965年以降はPCP生産量と枯葉剤消費量が同時性を持って上下し、そして作戦終結の1971年をもってPCPの生産も終息する。
 またCNP(クロルニトロフェン)とは枯葉剤の原料製品であり、PCPの後継的な製品としてやはり水田除草のために使われた。しかし後に新潟における胆のうガンの多発がCNPの大量投入と関係があるとして、厚生省は1994年に農林水産省に対してCNPの使用中止を勧告し、その後国内では製造されていない(*)。
後に1999年、CNPにもダイオキシン類が含まれていたことを農林水産省が発表している。

 戦後30年以上に亙って水田に使われた除草剤PCPとCNPによって国内に拡散したダイオキシン量は、産業技術総合研究所センター長・中西準子氏の属した「環境低負荷型の社会システム」研究チームの試算によれば、ゆうにヴェトナムに撒布された量を超えているという。ここに「日本におけるダイオキシン汚染の最大の原因は農薬」説の根拠があるのだが、特に近年それを裏付けるデータが次々と提示されている。

 参考までに戦後国内で撒布されたダイオキシン含有農薬の経年使用量を次に掲げる。


(中西準子「環境影響と効用の比較評価に基づいた化学物質の管理原則」より)


 ダイオキシン類(ある共通の性質を持った塩素系化合物の総称。200種類以上あるとされる)はその種類によって、何に由来するものか、どういう経路で人体に入ったかが特定できるのであるが、同研究チームが調査した結果によれば、歴史的に見て環境中に放出されたダイオキシン(有害成分量)は、焼却炉由来よりも農薬によるものの方が遥かに多い。またこれらPCPやCNP由来のダイオキシンが今も東京湾などで大量に確認されており(*)、日本人の摂取経路として魚介類によるものの比率が著しく高いこともわかっている。実際に体内に取り込まれるダイオキシンを分析すると、その大部分(場合によっては90%程度)が魚介類による経口摂取だった。
*海中に注ぎ込んだダイオキシンは(水に溶けない性質のゆえなのか)沖合いに流されにくく、そのほとんどが日本近海に貯留している。また非常に安定した物質なので自然環境中では容易に分解されない。



(同じく中西準子「環境影響と効用の比較評価に基づいた化学物質の管理原則」より)

 現在ダイオキシン対策として殊更ゴミ焼却問題だけがクローズアップされるのは、実は大手枯葉剤メーカーである米国ダウケミカル社やモンサント社などが進めてきたPR効果によるところが大きい。同社は枯葉剤責任に関わる世論対策の一環として、環境中のダイオキシン汚染の元凶は燃焼によるとする説(「ダイオキシン燃焼原因説」)を立ち上げた。折しも当時世界各国の焼却施設からダイオキシンが検出され始めた頃でもあり、その状況を背景に同社は巨額の資金を投入して、あたかも焼却施設(のみ)がダイオキシン汚染の元凶であるかのように錯覚させる大々的なキャンペーンを展開した。
 同社はまたヴェトナム帰還兵による枯葉剤被害集団訴訟に対して慰謝料を支払うことで和解を進める一方(*)、ダイオキシン汚染に関して間接的に枯葉剤工場の危険性を隠匿することによって、実際のところ会社としての責任回避にある程度の成功を収めている。
*しかしベトナム人被害者が米国の枯葉剤製造会社に損害賠償を求めた集団訴訟では和解の姿勢を見せず、最終的に裁判所は「症状と枯れ葉剤の因果関係を証明できない」として請求棄却。つまり会社側は被害者救済ではなく、単に国内世論を操作する目的で退役軍人側と和解したのだった。

 枯葉剤(または農薬由来のダイオキシン)問題について日本の三井東圧化学が行ったのも、まったく同じ手法だった。隠すべきものをひたすら隠し、一方で異なるダイオキシン発生源を強調することによって、事件当時から数十年にも亙って世論の矛先から逃れてきたのだ。そしてこれの成功のために働いた最も力強い助力者は、皮肉なことに日本の政府だった。

 当時、当該情報を入手した衆議院外務委員会委員・楢崎弥之助議員(社会党)は、1969年に大牟田工業所の例を引き合いに出して、日本国内で枯葉剤が作られている可能性を示唆し、これに対する政府の姿勢を問い質した。
 それに対して下村孟厚生省薬務局参事官は「わからない」と答弁。続いて「調べられる限りは調査して、その結果を報告する」ことを約束している。しかしその後その報告が行われることはなかった。
 楢崎発言の翌日三井東圧化学の平井威副社長は通産省と厚生省訪問後に記者会見を行い、そこで初めて同社において2,4,5-Tと2,4,5-TCPを生産していたことを認めた。しかしそれらの枯葉作戦での利用については、「ヴェトナムに直接輸出していない」という表現で否定している(楢崎の調査によると、両薬剤の輸出先はカナダとオーストラリアだったという)。
 日本で枯葉剤を生産するために、ダウケミカル社などから三井東圧化学に対して、技術提供や必要な情報伝達などは当然ながらあっただろう。また必要に応じて、周辺住民への対策や疾病が出た時の対応策などについてもやりとりがあったことは想像に難くない。また大元の発注元が米軍である以上、枯葉剤を国内で生産するという件に関して日本政府がなんら関与せず、情報も持っていなかったなどというのは常識的に見てありえない。それをあえて「知らなかった」ふりをする政府関係者のポーズは、事実はその逆だったということを暗に示唆している。
 煎じ詰めればこの枯葉剤問題は、政治家・官僚・民間レベルを水面下で巻き込んだ、被害者と国民を欺く高度に悪質な犯罪とも言えるものだった。事実として事件発生後に長い時間を経て、ひとつまたひとつと隠された事実が発覚してきたのだったが、その都度巧妙に処理されて被害者救済も未だ不十分なままに放置されている。
 
 官民ぐるみの徹底した情報秘匿にもかかわらず、現在では、国内で枯葉剤(とその原料)が少なくとも700トン(有効成分量*)生産されたことがほぼ裏付けられている。そのほとんどは何処かへ輸出され、全体の中での一部(91トン)が、一般の流通には乗らずに、全量林野庁によって買い取られたこともわかっている。
*有効成分とは「農薬としての効果をもつ成分」のこと。製品化に際してはそれに増量剤や補助剤、溶剤などを加えて「製剤」化する。例えば有効成分が1kgの場合、現在の平均的な有効成分割合(およそ16%)から計算すると農薬製剤(製品)は6.25kgとなる。

 林野庁によると薬剤の納入は1967年から始まり、翌年国有林において空中撒布テスト。1969年から撒布が開始された。それに対して全林野労組と地域住民からの反対運動が起こったが、営林署の担当者たちは「熊笹除草剤」との認識しかなく、まさかそれらの薬剤が「枯葉剤」と同じものだとは思わなかったという。
 1971年に国内における枯葉剤の使用禁止とともに埋め立て処分の通達が農林省から出されて、使い残していた薬剤は山中に埋め立て処分されることになった(その時までに有効成分換算で64トンが既に消費されていたという)。林野庁は残った薬剤27トンを山林内に埋め立てたのだが、後日事後調査した折には原液が流出していたり梱包材は破れ腐食してたりで、なんともずさんな処分実態が浮かび上がったと言われている。
 当時既にその催奇形毒性が有名になっていた枯葉剤をなぜ林野庁が大量に保有していたのか、はっきりとした当局からの説明はなく事態は今もって闇の中にある。しかしかえってそれだからこそ、日本における枯葉剤問題が単に一民間企業の問題などではなく、一国の政府が水面下で関与した、極めて政治的な問題であったことが伺える。
 朝鮮特需とそれに続くヴェトナム戦争によって敗戦国・日本が高度経済成長の波に乗れたのは歴史上の事実ではあるけれど、その利益至上の気風の中で一握りの大企業とそれに連なる政治・経済界の関係者らによって、このように数多の罪なき国民が犠牲になるということは、一国の中において果たして許されるのであろうか。
 




*参考にしたサイトや資料の中で主なものは次のとおりです。特に原田氏と中西氏の著作からは図表などを無断転載させていただきました。筆が足りないところもあり、もしこのことによって両者に不都合を生じる場合には、今後すみやかに関連部分を削除致します。
ヤパーナ社会フォーラム「化学兵器ダイオキシン」原田和明
「環境影響と効用の比較評価に基づいた化学物質の管理原則」中西準子
「高度経済成長の暗部を照らす」坂本 紘二
「母なる大地」柳澤桂子(新潮社刊)


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7 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (橋本保)
2019-07-16 16:21:40
かつて、三西化学操業停止を求めて起こされていた住民支援運動に参加していたものです。
本記事を紹介させていただいてよろしいでしょうか?
返信する
Unknown (橋本保)
2019-07-16 16:21:56
かつて、三西化学操業停止を求めて起こされていた住民支援運動に参加していたものです。
本記事を紹介させていただいてよろしいでしょうか?
返信する
遅くなりまして (あぐりこ)
2019-07-17 20:52:44
 自分のブログながら滅多に開かないのですが、今日たまたまコメントが入っていることを見つけました。
 紹介や転載はもちろん(それが善意のものであれば)大歓迎です。化学物質による汚染の深刻さの啓発に繋がるのであればとても嬉しいです。
 ただ、だいぶ昔に調べたことでもあり、内容に誤解や誤りがあるかもしれません。古い昔のことであれ、時間が経つにつれて次々と隠されていた真実が暴かれています。この分野に関しては、最新の情報にはもう長いこと当たっていません。そのことをご了承の上、もし新しい事実などがありましたら、ご自由に加筆や修正をされても一向に構いません。こちらこそよろしくお願いします。
返信する
Unknown (橋本保)
2019-07-18 20:10:49
ご主旨に反する使い方ではないと思いますが、今の段階では三西化学農薬被害事件裁判資料(2013)しか入手できる資料がありません。その中ではアメリカの枯葉作戦との関連はそれとなく触れられているのですが、積極的な相関関係について触れていません。検索すると貴ブログに至りました。ただ、ここで参考文献としてあげられたものはリンクがすべて無効になっており、参照することができませんでした。ブログの資料を使うことに躊躇がないわけではありません。ただ、ブログ主の許可を得ていることをお断りしておきたいと思います。引用先については、近日中に電子出版予定の本とだけお知らせすることをお許しください。出版されましたら、正式にお知らせします。弁護団長の有馬弁護士とは親しくしていましたがすでに四十年も前のことであり、覚えておられないかもしれず、裁判では直接枯葉作戦との関係は出ていませんのでこのブログで紹介されているグラフのみが今のところ入手できる資料です。傾向分析で優位性が証明されればもっといいのですが、おそらく生データは入手できないと推測します。
ご許可いただきありがとうございました。
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なにかのお役に立てれば嬉しいです。 (あぐりこ)
2019-07-18 20:34:08
 当時私が探して引用させていただいた情報源が、どれもリンクできなくなっていることを聞いて驚きました。今は一線を退いた形になっていますが、あの頃は環境活動に多くの時間を費やしていたときで、特に化学物質汚染(農薬や食品添加物、タバコ問題など)に関して情報を集めまとめては発信していました。私自身無農薬栽培で作物を育て、今もほぼ自給自足の生活を営んでいます。
 現時点で私の見るところ総体としての人類は確実にまどろみから醒めつつあり、生きものを大切にし地球を守ろうとする人たちが加速度的に増えつつあります。その意味で状況は追い風にあります。月並みながら「頑張ってください」の一言しか言えませんが、目的を達成することを心から願っています。
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憲法ルネサンス (橋本保)
2020-02-26 17:30:32
おかげさまで、当ブログ記事を引用させていただき、拙著が完成しました。今朝未明に、アマゾン社から「憲法ルネサンス-闇に光を-」がKindle版で公開されたとの知らせを受けました。ご笑覧いただければ幸いです。
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憲法ルネサンス (橋本保)
2020-09-03 17:00:44
POD版(紙本)が出版されました。資料45として、本記事を引用させていただきましたのでご報告いたします。
https://bookissue.biz/book/tamotsu-gh.html
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