アグリコ日記

岩手の山里で自給自足的な暮らしをしています。

カワハギの食感

2007-10-03 09:08:04 | 思い出
 カワハギの顔を見たのは何年ぶりだろうか。無造作に重ねられた発泡トレイの中に、下唇をぐっと突き出した、あの思わず吹き出しちゃいそうな顔を見つけたのはある週末のスーパー、人でごったがえした魚売り場でだった。すかさす値札を見るに一尾198円。気持ちは即決した。僕の手は自動人形のようにそのパックを素早くかごに入れ、それに押し出されるかのように中に収まっていたホッケのパック(あまりに安かったので帰ったら猫たちにやるつもりでいた)を売り場に戻す。もう一度かごを覗いて中にカワハギがあるのを確かめる。青墨色の体がヌラリと光る。カワハギ。僕の思いは遠い昔に遡る。

 格段釣りが趣味という訳でもなかった僕が、魚を捌くのを覚えたのは南米のアルゼンティンにいる時だった。当地でお世話になったある日本の移住者が、僕に釣りから魚の見分け方から捌き方から、必要なことをひと通り教えてくれたのだ。僕はあの頃まだ大学生で、どういう縁か地球の裏側に留学という名の人生修養を積みに行っていた。ただ一般の留学生と違う点がひとつだけ。それは、あの頃僕はまったくの無一文に近くて、言葉がわからないながらも異国でアルバイトしたり家賃20ドルの長屋を転々としたりしながら、日々かつかつの暮らしをしていたのだった。
 僕を彼ら一家に紹介してくれたのは大学の後輩の可愛らしい女の子だった。なにをきっかけに僕と彼女が知り合ったのか、思い出そうとしても今はもうなにも憶えていない(たぶんなにかの授業で同じ教室だったのだろう)。でもその子は僕と出会って来年彼の地に留学する僕のために、かねて家同士付き合いのあった南米の一家を紹介してくれて、そして別れた。その彼女とはそれっきりもう二度と会うことはなかったから、今振り返ればそれはまるで僕だけのために極めて奇特な出会いが用意されていたかのようにも思えたし、またはもしかしたら僕はとんでもなく鈍感だっただけなのかもしれない。一年後に彼の地から帰国した僕はもうほとんど大学に出ることはなく、それでも何年も経ってからある日ふとした弾みに思いついて古い電話帳を開き彼女に電話をかけてみたのだけれど、その時には彼女は既に誰かと結婚していた。僕と魚捌きマスターとの出会いの背景にはそんな小さな物語も縫いこめられている。
 コルドバという、南米大陸の只中にある古い石造りの街。そこでは白人またはインディオの血を引き継いだ典型的な南米人種がわさわさと通りや市街を闊歩しており、その中で中国・韓国を含む東洋系の顔立ちを発見することなどほんの稀なことだった。でもそんな所にさえしっかりとわが同胞はいて、陽射しのやたらに長い郊外やせせこましい街区の目立たない一角に、皆こじんまりと慎ましく暮らしていたのだ。彼ら一家(仮にここではH家と呼ぼう)の家もそんな埃っぽい住宅地の中に在り、そこで彼らはviveria(強いて訳せば「園芸植物店」とでもいおうか。鉢植えを主とした花や観葉植物を栽培しかつ商っている店)を営んでいた。
 セニョールHに連れられた湖での釣りは、僕の初めての、そして今のところ最期の記念すべき釣りとなっている。そこで釣れたペヘレイという、なんとなくサンマを無理やり川魚にしたような、でもそれほど嘴が尖ってなくてまた横腹に鮮やかな黄色の縞が一筋光るとても魅力的な魚50余匹を、彼は惜しげもなく僕に分け与えてくれたのだ(おそらく余程僕がモノ欲しそうな顔をしていたに違いない)。それを僕は二時間ばかりかかって全部刺身に切ったことを今でも憶えている。

 さて留学を終えて日本に帰ってきてから僕は駒込にアパートを借り、後に就職して間もなく巣鴨のマンションへと居を定める。卒業に必要な単位は幸いに彼の地で取ることができたので、最後の一年間は大学に籍だけ置いてアルバイトに明け暮れた毎日だった。授業にはまったく出ないで、たまに顔を出すのは学内のトレーニング・ルームに通うため。正直そうすることによって経済的にも心的にも、僕の生活はとても楽になった。もっとも早朝の「日刊アルバイトニュース」の配達に始まって深夜まで、多いときには三つのアルバイトを掛け持ちしながら一端の社会人並に働いてはいたのだけれど。
 金銭的に余裕ができると僕はよく魚屋を覗くようになった。かつて覚えた「魚捌き」でもって時々刺身が食べたくなる。僕の世代では鮨や刺身に非常な高級感、憧れ感を持っている人は多い。なにせ僕が小学生の当時、鮨の出前は(今でも憶えているが)一桶400円だったもの。それが今の貨幣価値でいくらになるものかすぐにピンとは来ないのだけれど、でもその頃ラーメンは何十円かだったし、その400円は今でも「超贅沢」の太鼓判付きで僕の脳裏に刻み付けられている。その時からいささかの年月は流れたにせよ、それでも鮨や和食を気軽に外食できるほど豊かではなかったので、当時の僕の贅沢としてはたまに魚を買ってきて自宅で刺身、または自家製の鮨を握ることだった。巣鴨の地蔵通りには確か魚屋が二件あったし、更に駅の向こうにはSEIYUがあった。仕事帰りにそれらの店に立ち寄って、今日はイナダ、今日はサバ(もちろんしめ鯖にする)、またはサンマ、イワシ、お、イカが安い!などと物色するのがひとつのえもいわれぬ楽しみとなった。その当時時折買った魚のひとつが、忘れもしないカワハギだったのである。あの頃カワハギはそんなに高価な魚とは思わなかったし、今よりもずっと店頭で見かける機会があったような気がする。

 しかしもうあれから20年が経つけれど、気がつけばカワハギはいつの間にか姿をくらまして既に久しい時が経ってしまっていた。どうしてなのだろうか。そもそも魚を家で捌くという家庭が無くなってしまったのが原因かもしれないし、そこまでいかなくてもサンマやイワシならともかく、手のひらに余るカワハギをボンと目の前にして、今夕の食事のメニューが脳裏に浮かぶ主婦は昨今あまり多くはないのかもしれない。またもしかしたら、より安く大量生産された養殖魚の集団に力ずくで押し出されたのかもしれない。或いは単にこれも地球規模での水産資源枯渇化の一端なのか。ともかくただでさえ滅多に買い物をしない僕だけれど、あの愛嬌あるウマヅラを見なくなってから、もう随分長い時間が経ってしまったような気がする。

 さて家に帰った僕はまずネットでカワハギについて検索した。この魚は名前が暗示するとおり、捌くのに独特のやり方がある。今までの月日は僕にとってその記憶を遥か彼方まで押しやるに充分な期間だった。またこの時に思いがけず、僕の買ってきた魚はどうやら「キビレカワハギ」らしいということがわかった。カワハギにも幾つかの種類があるようだったし、今までなんとなく安価な魚と思っていたカワハギが、実は現代、鮮度がよいものはかえって「高級」の部類に入るということをここで初めて知った。
 
 昔、通勤の行き帰りに通った巣鴨の地蔵通りにはいろいろな店があった。肉屋、魚屋、八百屋、雑貨屋、金物屋・・・生活に必要なものはみんなここで揃ったし、日夜買い物客が多かったせいもあるだろう(その大半はそれこそ地蔵のようなお婆さんたちだったが)、スーパーに比べてそんなに割高というわけでもなかった。その日によって安い物や置いてる品物が違うので、通るたびに馴染みの店先をひやかして歩くのがひとつの楽しみだった。しかし今となれば、例えこんな田舎に暮らしてても商店街をぶらぶら歩くなんてことはまずないし、そもそも商店街自体が消滅している。買い物はただ、数年ごとに次第次第に売り場面積と駐車場とを拡大している郊外の大型スーパーだけになってしまった。そこではすべてのモノはそこそこ安いしこれが欲しいと思えば必ず見つけることができる。でも、一見品揃えが豊富なようでいて、実は非常に画一的なものしかないように思えるのは果たして僕だけだろうか。
 例えばそこで折詰めにして売られている鮨や刺身などにはまま添加物が振りかけられている。あの安さと見た目のよさを維持するにはそうするしかないのだろうけれど、時に本物の刺身を食べたいと思っても、まず魚自体一本で売られているのを滅多に見ない。つまりそんなものもう買う人がいないのだろう。いざ体によいものや本物の味を真剣に求めようとした時には、あの広大なスペースの中ではもう、買うものを見出せくなってしまうのである。スーパーも実質的にコンビニ化が進んでしまってるのだ。
 あの頃、地蔵通りを歩いていた頃は、魚も肉も毎日違うものを選べるほど揃ってたわけじゃないけれど、でも売られてるほとんどのものはたぶん本物だった。小さな金物屋で買った鉈は高かったけれど、作りがしっかりしていて今でも使い続けている。どのようなものがいいかと相談すれば、店のおやじさんが薀蓄を垂れてくれたりもした。あのような店、今はもうないのだろうね。

 捌いた残りの骨や内臓を焼いて猫と犬の夕飯に混ぜた。これはささやかなホッケの罪滅ぼし。猫たちは特に分厚い皮が気に入ったようで、先を争って食べてくれる。しかし「おお、今日はカワハギかあ!」と言うほどわが家の猫はまだそれほどグルメではない。 
 薄く削ぐとカワハギの身は透き通るほどに白くて、それでいて口に入れるとプリンとする。この食感を僕はまだ忘れていなかった。ちょっと口の中に筋が残るということは、やはり内皮(カワハギの表皮と身の間には薄い皮がある)も剥いた方がよかったのかもしれない。でもあの頃はなんだかもったいない気がして、こんな皮ひとつわざと剥かないで食べたものだった。ふいと口の中でカワハギが跳ねるような心持ちがした。
 そう、この味とともに、忘れていた昔のことが少しだけ脳裏に浮かんでは消えていく。



【写真はミーコとアポロ。
最近とみに食餌が豪華なので猫たちはすこぶる満足そう。】



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