
初夏の山々が色濃くなる頃だった。ある日、玄関脇の外壁の下に、もっこりと土の山ができているのを見つけた。ちょうどそこには薪棚があって、冬の間に薪を使い切ったので、今は棚の枠組みだけが残っているところだった。その枠組みと地面との間の隙間から、大量の土砂が掻き出されている。わが家は古い民家の作りなので、家の土台は平たい石の上に載っているだけなのだが、その土台の下を潜って、家の内側方向に向かって穴が開いていた。
この穴はいったい誰が・・・見ればわかる。アナグマの仕業だ。世の中に地面に穴を掘る動物はたくさんいるが、わが家周辺でこれだけの規模の穴を、いとも簡単に(僅か数夜のうちに)開けられる動物は、アナグマくらいしかいない。しかも怖れ気もなく人家の下に開けている。なんと大胆不敵な、というか、私をまったく恐れていない。
「アナグマ」というと、見たことない人がいるかもしれない。特に町中に住んでいれば、馴染みのない動物だと思う。「アナグマ」とは言うがクマの仲間ではなく、イタチの仲間なそうだ。外見や大きさはタヌキに似ていて、行動も食性もタヌキに近い気がする(ただしタヌキはイヌの仲間なので、更に遠い)。ポコポコと歩く様はこれもタヌキに似ていて、かわいい。ただ彼は、その名のとおり掘るのが大得意で、地面に鼻を擦り付けるように歩き回っては、土中のミミズや小昆虫の臭いを嗅ぎ、穴を掘って捕食する。山の中にかなり大規模な(出入口がたくさんある)トンネル住居を作り、家族単位でそこをねぐらにし、また気前のいいことにタヌキなんかを一緒の穴に住まわせていたりもするそうだ。昔はタヌキと混同されて、併せて「ムジナ」と呼ばれていたらしい(「同じ穴のムジナ」という表現はここからきている)。
彼らは毎日裏山から下りてきて、わが家の横を通って出勤する。私の管理する庭や畑を主要な餌場にしている。大概は真夜中に活動するが、春や秋など朝や昼間に見かけることもある。本来かなり警戒心が強い動物みたいだが、ここではまったく人(つまり私)を怖れない。私が玄関前で朝食をとっていると、すぐ横をタッタッタッ・・と走り抜ける(その際チラッと私の方は見るのだが、特にそれ以上の反応はない)。私が見ていても平気で庭や畑を歩き回る。いつも地面の臭いを嗅ぎながらせわしなく動いていて、家の周りはそこらじゅう穴だらけだ(アナグマの開ける穴はだいたい深さ10~20cm程度)。毎朝新しい穴が至るところに開けられている。
農業を始めて間もない頃、このアナグマがトウモロコシやメロンを食べるので、一度罠で捕まえたことがあった。かねがね隣りのおじいさんが、「獣の肉じゃあアナグマが一番旨ぇ」と言っていたので、私も食べてみた。当時はまだ肉を食べていた頃で、たまに増えすぎた雄鶏や手に入ったタヌキやウサギを解体することがあった。食べてみたところ、確かに美味しい。柔らかくてクセも臭みも無い。猫たちも大喜びだ。でもこれがきっかけで、私はそれから肉を食べることがほとんどなくなった。もう山の動物を捕らえたり、殺したりすまいと思った。
そのように一度は泣く泣く殺してしまったアナグマだったが、その後わが家にアナグマが来なくなったわけではない。彼らは年中わが家の周りにいて、私が殖やそうと裏庭に植えていたユキザサ(山菜である)を盛大に食し(母と数匹の子どもが夢中になって食べていた)、トウモロコシが実ると歓声を上げて食べ、堆肥場を掘り返しては辺りを散らかした。
一度こんなことがあった。畑の一角に5、6mほどの蓋をしたU字溝を敷設しているところがあるのだが、若いアナグマが二匹、そこで遊んでいた。たぶん昨年あたり生まれた子だろう(アナグマは子どものうちは、連れ立ったり家族で歩いたりするが、一人前になると、単独で行動するようになる)。一匹が一方の穴の口から中を覗いている。するともう一方が後ろから飛び掛かるので、覗いていた方はU字溝の中に逃げ込む。飛び掛かった方は相手を探して穴の口から中を伺うのだが、始めに入った方は別側の口から飛び出て来て、U字溝の上を走って今度は穴を覗いているアナグマに後ろから飛び掛かるのである。これを二匹して攻守交代しながら何度も何度も、まるでネズミの回し車のように繰り返していた。マンガみたいだが、本人たちは夢中でやめられない。私がすぐ側まで近づいてもまったく気づかない。これが今年の春のことだった。
さて話を初夏の頃に戻すが、常々わが家を縦横無尽に徘徊していたアナグマが、玄関脇の壁下に穴を掘り始めたのである。向きからすると、玄関(床がコンクリートのたたきになっている)の下に続いている。ここでアナグマの性質を知っている私は事の重大さに気づいた。彼はわが家の玄関下に住居を構えようとしているのだ(もしかしたら別荘のつもりかもしれない)。しかし考えてみれば、ここに居を構えることは、アナグマにとってとても好都合である。毎日山と餌場を往復する必要は無くなる。建物の下だから夏は涼しく冬は上で火鉢を焚くので暖かい。山の他の動物からの脅威も無くなる。特に、この家の住人はアナグマにとって無害だ。そのうち美味しいものも貰えるかもしれない・・・予想を上回るアナグマの遠望に思いを馳せて、私は頭を抱えた。彼はなんて賢いんだ。きっとアセンションしているに違いない。
ここに穴を掘れば、なにせ上がコンクリートの床板だ。作ろうと思えばかなり広い空間を容易く作ることができる。すると大所帯のアナグマがここで繁殖し、タヌキも加わったりして、わが家は一気に野生動物の住処になってしまう(その時は屋号も「アナグマ家」に変えなければならない)。ムツゴロウも驚く動物王国ができあがる。そして、玄関は床下崩落の危機に瀕するのだ。それは・・・困る。非常に困る。
私はなんとかアナグマとの共存の道を模索したが、しかし名案は思い浮かばなかった。念のため一日、二日と様子を伺った。「ここはダメ。ここでない場所に作ってくれ(しかも建物でないところに)」と念を送ってみたりもした。しかし私が直面したのは、更なる拡張を続ける現場だった。疑いなく、彼は不退転の決意で事を進めている。
私はついに、苦渋の決断をせざるを得なかった。
意を決っして、アナグマが掘り出した土を埋め戻し、掘れないように、その上にハウスパイプを敷き詰めた。物理的防御である。これでもうここを掘られることはないだろう。最後に私は、バナナをひとつまみ、上に載せて置いた。アナグマがバナナを喜ぶのは、過去の経験で知っていた。心ばかりのお詫びである。これでどうか、諦めてくれ。
その後アナグマは工事を中止した。バナナは、後でわかったのだが、どうやら近くに巣を持っていたネズミが食べたみたいだ(かけらの半分を齧り取った歯形が残っていた)。私は、申し訳ないなとは思ったが、なんにせよ胸を撫でおろした。山の動物との共存も、距離が近ければいいというものではない。時と場合に応じ、互いにとって「適正な距離」があるのである。今回は彼に譲ってもらったが、いつかなにか美味いものでもやれるかもしれない。
それからおよそひと月、ある朝畑を歩いていて、私は目を見張った。なんと畑のど真ん中に、大きな穴が掘られているのである。ちょうど竪穴式住居くらいの大きさの、巨大な。こんなこといったい誰が!・・・と考える暇もなかった。彼は、今度はここに一大施設を建設することを決めたようだ。
どうやら、掘れば必ずミミズの出てくるわが家の堆肥場に、物置建設工事が始まったせいで近寄りにくくなってしまったことが関係しているらしい。彼は安定した食糧確保の道を他に求めて、この場所に穴を掘り始めたのだ。なにしろわが家の畑は、私が長年土を作ってきたとても肥沃な土壌である。掘れば掘るほど、ミミズや虫が出てくるに違いない。彼は実にいいところに目を付けた。私としては、今ここに作付けしていなかったのが、もっけの幸いだった。
その穴は現在、日を追うごとに拡張を続けていて、大規模リゾート開発の態を有している。露天掘りの状態なので、住居用とはならないだろう。もしかしたら餌場兼集会場所として、近在のアナグマ仲間との交流を深める計画なのかもしれない。まあここなら、目下のところ私の方に被害はないし、埋め戻す際もそう難しくはない。とりあえず彼の好きにさせておこう。
やがてそう遠くない未来に、人間と野生動物とが共生する時代が来ると思う。私たちの子どもたちは、昔話のように彼らと遊んだりするのだろう。このアナグマも、そんな人間との関係の先駆けとして、この世に生まれてきたのかもしれない。
この穴はいったい誰が・・・見ればわかる。アナグマの仕業だ。世の中に地面に穴を掘る動物はたくさんいるが、わが家周辺でこれだけの規模の穴を、いとも簡単に(僅か数夜のうちに)開けられる動物は、アナグマくらいしかいない。しかも怖れ気もなく人家の下に開けている。なんと大胆不敵な、というか、私をまったく恐れていない。
「アナグマ」というと、見たことない人がいるかもしれない。特に町中に住んでいれば、馴染みのない動物だと思う。「アナグマ」とは言うがクマの仲間ではなく、イタチの仲間なそうだ。外見や大きさはタヌキに似ていて、行動も食性もタヌキに近い気がする(ただしタヌキはイヌの仲間なので、更に遠い)。ポコポコと歩く様はこれもタヌキに似ていて、かわいい。ただ彼は、その名のとおり掘るのが大得意で、地面に鼻を擦り付けるように歩き回っては、土中のミミズや小昆虫の臭いを嗅ぎ、穴を掘って捕食する。山の中にかなり大規模な(出入口がたくさんある)トンネル住居を作り、家族単位でそこをねぐらにし、また気前のいいことにタヌキなんかを一緒の穴に住まわせていたりもするそうだ。昔はタヌキと混同されて、併せて「ムジナ」と呼ばれていたらしい(「同じ穴のムジナ」という表現はここからきている)。
彼らは毎日裏山から下りてきて、わが家の横を通って出勤する。私の管理する庭や畑を主要な餌場にしている。大概は真夜中に活動するが、春や秋など朝や昼間に見かけることもある。本来かなり警戒心が強い動物みたいだが、ここではまったく人(つまり私)を怖れない。私が玄関前で朝食をとっていると、すぐ横をタッタッタッ・・と走り抜ける(その際チラッと私の方は見るのだが、特にそれ以上の反応はない)。私が見ていても平気で庭や畑を歩き回る。いつも地面の臭いを嗅ぎながらせわしなく動いていて、家の周りはそこらじゅう穴だらけだ(アナグマの開ける穴はだいたい深さ10~20cm程度)。毎朝新しい穴が至るところに開けられている。
農業を始めて間もない頃、このアナグマがトウモロコシやメロンを食べるので、一度罠で捕まえたことがあった。かねがね隣りのおじいさんが、「獣の肉じゃあアナグマが一番旨ぇ」と言っていたので、私も食べてみた。当時はまだ肉を食べていた頃で、たまに増えすぎた雄鶏や手に入ったタヌキやウサギを解体することがあった。食べてみたところ、確かに美味しい。柔らかくてクセも臭みも無い。猫たちも大喜びだ。でもこれがきっかけで、私はそれから肉を食べることがほとんどなくなった。もう山の動物を捕らえたり、殺したりすまいと思った。
そのように一度は泣く泣く殺してしまったアナグマだったが、その後わが家にアナグマが来なくなったわけではない。彼らは年中わが家の周りにいて、私が殖やそうと裏庭に植えていたユキザサ(山菜である)を盛大に食し(母と数匹の子どもが夢中になって食べていた)、トウモロコシが実ると歓声を上げて食べ、堆肥場を掘り返しては辺りを散らかした。
一度こんなことがあった。畑の一角に5、6mほどの蓋をしたU字溝を敷設しているところがあるのだが、若いアナグマが二匹、そこで遊んでいた。たぶん昨年あたり生まれた子だろう(アナグマは子どものうちは、連れ立ったり家族で歩いたりするが、一人前になると、単独で行動するようになる)。一匹が一方の穴の口から中を覗いている。するともう一方が後ろから飛び掛かるので、覗いていた方はU字溝の中に逃げ込む。飛び掛かった方は相手を探して穴の口から中を伺うのだが、始めに入った方は別側の口から飛び出て来て、U字溝の上を走って今度は穴を覗いているアナグマに後ろから飛び掛かるのである。これを二匹して攻守交代しながら何度も何度も、まるでネズミの回し車のように繰り返していた。マンガみたいだが、本人たちは夢中でやめられない。私がすぐ側まで近づいてもまったく気づかない。これが今年の春のことだった。
さて話を初夏の頃に戻すが、常々わが家を縦横無尽に徘徊していたアナグマが、玄関脇の壁下に穴を掘り始めたのである。向きからすると、玄関(床がコンクリートのたたきになっている)の下に続いている。ここでアナグマの性質を知っている私は事の重大さに気づいた。彼はわが家の玄関下に住居を構えようとしているのだ(もしかしたら別荘のつもりかもしれない)。しかし考えてみれば、ここに居を構えることは、アナグマにとってとても好都合である。毎日山と餌場を往復する必要は無くなる。建物の下だから夏は涼しく冬は上で火鉢を焚くので暖かい。山の他の動物からの脅威も無くなる。特に、この家の住人はアナグマにとって無害だ。そのうち美味しいものも貰えるかもしれない・・・予想を上回るアナグマの遠望に思いを馳せて、私は頭を抱えた。彼はなんて賢いんだ。きっとアセンションしているに違いない。
ここに穴を掘れば、なにせ上がコンクリートの床板だ。作ろうと思えばかなり広い空間を容易く作ることができる。すると大所帯のアナグマがここで繁殖し、タヌキも加わったりして、わが家は一気に野生動物の住処になってしまう(その時は屋号も「アナグマ家」に変えなければならない)。ムツゴロウも驚く動物王国ができあがる。そして、玄関は床下崩落の危機に瀕するのだ。それは・・・困る。非常に困る。
私はなんとかアナグマとの共存の道を模索したが、しかし名案は思い浮かばなかった。念のため一日、二日と様子を伺った。「ここはダメ。ここでない場所に作ってくれ(しかも建物でないところに)」と念を送ってみたりもした。しかし私が直面したのは、更なる拡張を続ける現場だった。疑いなく、彼は不退転の決意で事を進めている。
私はついに、苦渋の決断をせざるを得なかった。
意を決っして、アナグマが掘り出した土を埋め戻し、掘れないように、その上にハウスパイプを敷き詰めた。物理的防御である。これでもうここを掘られることはないだろう。最後に私は、バナナをひとつまみ、上に載せて置いた。アナグマがバナナを喜ぶのは、過去の経験で知っていた。心ばかりのお詫びである。これでどうか、諦めてくれ。
その後アナグマは工事を中止した。バナナは、後でわかったのだが、どうやら近くに巣を持っていたネズミが食べたみたいだ(かけらの半分を齧り取った歯形が残っていた)。私は、申し訳ないなとは思ったが、なんにせよ胸を撫でおろした。山の動物との共存も、距離が近ければいいというものではない。時と場合に応じ、互いにとって「適正な距離」があるのである。今回は彼に譲ってもらったが、いつかなにか美味いものでもやれるかもしれない。
それからおよそひと月、ある朝畑を歩いていて、私は目を見張った。なんと畑のど真ん中に、大きな穴が掘られているのである。ちょうど竪穴式住居くらいの大きさの、巨大な。こんなこといったい誰が!・・・と考える暇もなかった。彼は、今度はここに一大施設を建設することを決めたようだ。
どうやら、掘れば必ずミミズの出てくるわが家の堆肥場に、物置建設工事が始まったせいで近寄りにくくなってしまったことが関係しているらしい。彼は安定した食糧確保の道を他に求めて、この場所に穴を掘り始めたのだ。なにしろわが家の畑は、私が長年土を作ってきたとても肥沃な土壌である。掘れば掘るほど、ミミズや虫が出てくるに違いない。彼は実にいいところに目を付けた。私としては、今ここに作付けしていなかったのが、もっけの幸いだった。
その穴は現在、日を追うごとに拡張を続けていて、大規模リゾート開発の態を有している。露天掘りの状態なので、住居用とはならないだろう。もしかしたら餌場兼集会場所として、近在のアナグマ仲間との交流を深める計画なのかもしれない。まあここなら、目下のところ私の方に被害はないし、埋め戻す際もそう難しくはない。とりあえず彼の好きにさせておこう。
やがてそう遠くない未来に、人間と野生動物とが共生する時代が来ると思う。私たちの子どもたちは、昔話のように彼らと遊んだりするのだろう。このアナグマも、そんな人間との関係の先駆けとして、この世に生まれてきたのかもしれない。
最近、動物関係で思うことがあるのですが、動物自体の知能が上がっているような錯覚があります笑
AIの進化とともに、まるで人間かのように振る舞う動物たちがも増えてきた?ような
それは、哺乳類の動物に限らず、最近は昆虫までもが人間の感情を感じているような感じがしています。
どんな生き物にも、自分の無理ない範囲で、幸せの念を送ることを忘れないでいきたいです!
生きもの全体の意識が上昇した状態はどうかというと、例えばムー大陸の文明がありますが、巷に流れている情報によると、ムー文明の人間は、動物、植物、精霊、鉱物とも意思疎通し、人間同士が関わり合うように互いに扶け合ったりして交流していたといいます。自分としては、そういうふうになるのだろうなと楽しみにしています。
もう一つ別な観点から言うと、元々動植物にも知性があるのですが、接する人間側がそれに反する固定観念/信念を持っていると、「発したエネルギーと同じものを現実化する/知覚される」のとおり、まるで知性の無いような彼らを引き出すのだと思います。今までも動物や植物と高度に知性的なコミュニケーションをした人間(シャーマンなど)もいました。今全体の波動が高くなっているので、これまでより高いレベルの愛や思いやり、共感を動植物に向ける人が増えていると思います。それも、最近動物たちが変わって見えるという一因になっていると思います。