アグリコ日記

岩手の山里で自給自足的な暮らしをしています。

酒屋のおやじとおかみさん

2007-01-22 10:09:03 | 思い出
あの時の酒の味は、まだ忘れてはいない。
あの頃飲んだ酒は、もう何という名前だったのかほとんどが思い出せなくなってるけれど、折りしも人並みの暮らしをうち捨てて、この先どこまで続くかわからない貧乏生活を決めこんだばかりの僕にとっては、一滴一滴が身から溢れ落ちる至福となり、苦しかった時も頑張れる力を与えてくれるかけがえのない宝であったことを、今でもこの体が憶えてくれている。

僕は脱サラして北海道に渡ったばかりだった。山の雪解けにはまだ間のある冬のさ中から、道央に近い山合いの小さな町で畑作農家の手間をしながら生計を立てていた。3月ともなるとビートのポット苗の生産が始まる。そのプラントで土まみれになりながら、僕の心は社会人になりたての遠いあの日のように、爽やかな風と新鮮な気概に満ち満ちていた。
札幌郊外にあるあの店と出会ったのは、ある民宿の紹介だったと記憶している。当時僕にはまだ幾分の蓄えもあったので、仕事の合間に車を駆っては、今日は南、今度は西へとしばしば旅行に出かけていたものだった。北の大地は僕にとっては処女地であり、この土地を一日も早く制覇し歩き尽くして、自分の雑記帳の末尾に特別の章を設けて書き記したいと思っていた。なにしろそれまで北海道で知っている事といえば、中学の修学旅行で歩いた札幌のラーメン街くらいなものだったから。あの日は確か小樽から札幌に抜ける街道沿いの小さな民宿に宿を求め、その晩酌の席であそこを紹介してもらったんだ。
その店はいわゆる「地酒専門店」。札幌北辺の小さな駅前に建ち並ぶ団地のフロアー部分に居を構えた、それと知らなければ見過ごしてしまいそうな小さな酒屋だという。僕は宿の主人に訊いた。「どうしてそんなに遠くまで酒を買いに行くんですか?」「うん。なんというか、いい店なんだよ。もちろん置いてる酒も、普通の酒屋では置いてない物が多くていいんだけど、でもそれとは別に、どうせ同じ物を買うならばやっぱりあそこで買いたいなって、なんとなく思うんだよ」酒好きの主人は、数ヶ月に一度はその店に行かないと気がすまないという、そんな何かの秘密めいたその話を僕はとても気に入ってしまった。ようし、帰りがけにひとつ、その酒屋に寄ってみようじゃないか。宿の主人は僕に簡単な地図を書いてくれた。

あんた、どこから?え、東京?生まれは岩手なのかい?そして、なんでこんなとこまで?・・・そう、農業をやりたくてね。そうかい、そうかい。どうだね、北海道は。こんなに寒くって、驚いたろうに。うん、なあにオレも、毎年季節になりゃあ、酒を探しに旅してるからよ。また本当にいい酒ってのを仕入れるためにはだな、それなりに酒蔵にきちっとした挨拶回りを欠かさないわけにはいかない。言ってみりゃあ、全国北から南へと蔵を回るのがオレの大切な仕事なんだ。ああ、岩手だってもちろん知ってるよ。釜石の「浜千鳥」なんか、いい酒だと思うなあ。
酒焼けしたおやじさんの相好がにわりと崩れた。あんたの好きな酒は?と問われて僕はええ、すっきりした酒もいいですが、個人的にはちょっとこってりとしたような、いかにも酒っぽいような酒が好きですと答えた。こう見えても日本酒には自分なりに一家言持っている。天狗舞の純米酒なんか、好きです。うん、あんたの手も顔も、やっぱ労働者って感じがするからな。岩手の人ってな、どちらかってえと甘口が多いんだ。汗かく人って、やっぱりそうだよな。でもこれが北陸に行くと、同じ農家でも辛口が多くなるから不思議なもんさ。
ほれ、この酒飲んでみな!と棚から下ろした酒瓶は、そう、今となってはその名前も忘れてしまったけれど、しかし味はこの舌に刻まれて終生「忘れえぬ酒」となってしまった。帰り際に奥からおかみさんが顔を出して、僕らの会話に聞き耳を立ててたんだろうね、アンタ、頑張りなよとさり気なく見送ってくれた。
あの時からもう、僕はその店から離れられなくなってしまった。

おう、また来たか。どうだった、あの酒は。うん。うん。そりゃあよかった。なにしろあの手の酒はあんまし無いもんだからな。やっぱり喜んで飲んでくれる人に飲んでもらいたい。
見ての通りこの店にはこれだけの酒があるけれど、とおやじさんはぐるりと辺りを指し示した。店の壁の三面にはガラス扉の巨大な冷蔵庫が、それこそ地の壁を見せないほどに並べられていた。オレはいつも思うんだけど、酒はその酒に合った人に飲んでもらいたがってるし、またその人が自分に合った酒に出会うきっかけを作るのが、オレの役目だと思ってるんだ。なあ、全国には人の数ほど酒もある。それらの酒はみんな違う。人と同じで個性があるんだ。オレはその酒を最高の状態で一番合った人に手渡したい。だからこの冷蔵庫も、そのためのもんさ。電灯も、みんな白熱灯に替えてある。日本酒の敵は一に紫外線、二に温度だからな。はは、確かに過剰投資ではあるけどな。だけどいい酒ならばそれなりに、他所の酒屋のようにただそのまま置いとく訳にはいかないんだ。
確かにその店には、壁一面の冷蔵ショーケースにぎっしりと、また床には足の踏み場もないくらいにさまざまな箱やダンボール、酒瓶が入ったプラスチック・ケースが並べられていた。そのほとんどが当時、今考えればとても恥ずかしいのだが、酒通を自認する僕の記憶のデータには無い物ばかりだった。実は初めてその店に顔を出した時には、自分としては何か名のある酒を一本くらい買ってみたいと思っていたのだが、話を聞いてるうちに、仮に「この酒を買いたい」と言ってもこのおやじさんは到底売ってはくれないだろうということがわかってきた。おかみさんもそうだが、彼ら夫婦はそれだけ人と酒にこだわる人だった。だから僕の方もじきに要領を覚えて、例えば「1ケース(一升瓶6本)で2万円以内」というように、予算を提示して後はただ先方の選ぶまま、言うがままに買わせていただき飲むというのが決まったパターンになってしまった。しかしおやじさんたちが僕のために選ぶ酒は、どれも本物で場合によってはとても希少なモノを含んでいた。またしかし、それにしてはとても安い! いつかそのことについて訊いた時におやじさんは言ったものだった。オレは定価でなければ売らないんだ。例えば一本1万円する酒がどこかの店で売られてるとするだろう。でもそんな場合でも、その酒が蔵を出る時は、ごく普通の値段なんだ。どんなに人気のある酒でもせいぜい少しだけ高い程度。ほとんどの酒蔵は良心的なんだよ。ぼってるのは、仲買と小売だ。中にはまるで株を買うみたいに金になる酒を買いあさるヤツらもいる。でもそれじゃあ、酒も飲み手も可哀想だから、オレはそんなことはしたくない。
その話を聞いた時に僕は、自分の飲むすべての酒を、安心して彼らに任せてもいいと思った。とは言っても口に入れる大部分のお酒は当時からもうどぶろくだったのだから、買う分の量なんてたかが知れている。またおやじさんやおかみさんと付き合うようになってから、どうやら自分は酒の味をほとんど知らないみたいだということに、徐々に、しかし歴然と気づき始めていた。そんな自分だから、わざわざ大枚をはたいて棚の高い所に位牌のように鎮座したプレミアム酒ーーその多くは温度管理や品質管理などの配慮のまったくない気の毒な扱いを受けているーーなどを口にするのは似合わないしまた飲む必要もない。僕などの飲む酒はただ、本物の味とその酒なりの最高の状態を保持して、しかも庶民でも無理なく手の届くほどの値段を持っている身に応じたそこそこの酒、つまりこの店の酒だけでいい。
僕はどうやらおやじさんとおかみさんから好かれたのだと思う。何度か行く度に居座って長々と話をするようになったし、彼ら夫婦も最初から僕の顔を憶えてくれていた。いつしかその店で過ごす数十分が、僕にとってはとても大切な時間に思われてきて、どこに旅行に行くにしてもどうにかこうにか時間と旅程をやりくりして、時にはかなり大回りになったとしてもいつも必ず札幌北辺を通り道にするように算段をしていた。

でもそんな僕にもある日差し迫った事情ができて、急遽北海道を離れなければならなくなってしまった。
また帰って来るのかい? その言葉に僕ははい!と頷くことができなかった。たぶんそのまま新しい地に腰を落ち着けて、そこであらためて就農の道を探すことになるだろうことは十分にわかっていた。北海道は決して嫌なわけでもないし、それどころかとても気に入っていたのだが、その当時の僕の周りをとり巻く諸般の事情がそれを許すものではなかった。だから僕は正直にはっきりとおやじさんとおかみさんに、おそらくはもうここに帰って来ることはないだろうと、でももしかしていつか将来暮らしに余裕ができたら、昔を懐かしむ旅行として、この酒屋を訪ねて来る時がきっとあるだろうことを告げるしかなかった。そうかい。どこに行ったって、アンタならしっかりとやっていけるだろうよ。誰だって努力はしなきゃならないし、どこにいたって大変なことはある。でもオレたちはアンタを応援してる。葉書でもくれよ。送料は少しかかるけど、頼まれれば酒ならどこにでも送るからさ。
これは大したことない餞別だけど、と言っておやじさんは棚のケースから、小瓶を1本出してきた。「越乃寒梅」。その日買い求めた1ケースの酒瓶とともに、僕はそれを後生大事に抱えながらその晩のフェリーで苫小牧を発ち、車にぎっしりと積め込んだ引越し荷物とともに、一路本州を目指して南下したのだった。

あれからもう、早いもので8年が過ぎ去った。その間僕は岩手県内を仕事を求めて転々とし、4度目の引越しでこの山裾の古い家に居を定めた。もちろんその間、毎年一度の年賀状の宛先には必ずあの酒屋の住所を含めている。不精な僕が賀状を書くのはいつも元日明けて、知人友人からポツポツと挨拶をもらい始めてからやっと思い出したように筆と葉書を用意するんだ。だから義理を欠いたり旧知と縁遠くなったりということがままあるのだけれど、それでもあのおやじさんとおかみさん宛の便りだけはどうしてか忘れたことがなかった。
そして今年の正月、というか松の内をとうに過ぎてしまった頃合いに、僕は彼ら宛に年賀状を認めその末尾に酒を1ケースだけ買いたい旨を書き添えた。
昨年は僕にとってはいろいろといいことがあった年だった。この冬7日間の断食を二度実行したというのもそれにどこかで関係があるかもしれない。なんだか自分の視野が広がり見方が新たまって、将来に大きな展望と可能性が拓けたような感触を得た。また思いがけない仕事の口も入ったりして、徐々に暮らしも安定してそれまでに抱えていた不安というものが目に見えて希薄になってきた。まあそれやこれやはすべて酒呑みの理屈づけに過ぎないとは言えるのだけれど。なんにせよ、もう何年もの間僕は自家製の酒と安いウイスキーくらいしか飲んでいない。暮らしに一区切りついたこの辺で、そろそろ少しくらいの贅沢をしてもいいと思う。
「お元気ですか。こちらはおよそ冬らしくない暖かな新年を迎えています」賀状の裏に印刷した猫の写真の隅にボールペンの文字。「この地に就農して6年目、岩手に来てから8年が経ちました。おかげさまでよき人たちに恵まれ今年あたりからどうにか暮らしのめども立ってきた感じです。そこで自分宛のささやかなお祝いとして、久しぶりに日本酒を買わせていただけないでしょうか。本数は6本・・・」

そしてその返事が日本酒1ケースとともに送られてきたのは、先週のことだった。ダンポールの蓋を開けるとまず分厚い封書が目に入り、その中にはコピー用紙に鉛筆書き、所々消しゴムで消した跡の滲んだ懐かしいおかみさんの字があった。彼ら夫婦の近況と遠い昔の僕との共通の思い出、新年を迎えた今後のささやかな抱負に「でも、もう歳だからねえ」と付け加えられた一文、それと末尾に小さな祝辞が述べられていた。それと同梱の酒ひとつひとつに対する解説文。
すべての酒が、「ぜひ純米酒を」とわがままな注文をした僕に対してのとっておきで選りすぐりのモノだったということがひと目でわかった。三千盛小仕込純米大吟醸、八海山純米吟醸、越乃寒梅特別純米・・・それとおまけに越の寒梅の酒粕一袋。どれもこれも仮に手に入れようとしても通常手に入らないものばかりである。だから当然のこと、僕にとってはどれも今まで飲んだことのない酒だった。嬉しくてしばし呆然として、果たしてこのまま飲んでいいものか、などとつい考えてしまう。よくよく考えた末に、僕はその日遠くのスーパーまで車を飛ばして、売り場を巡った末に一本のボラを買い求める。鱗を落としてさく取りし、その晩はプリプリした刺身を前にして何年ぶりかの懐かしい、そしてもったいないくらいにありがたい酒瓶の封を切った。
本当に最高の酒と肴に囲まれて、猫や鶏や、枯れ葉の一枚一枚にだって感謝したいくらいの、いいこと尽くめのこの上なく爽やかな年を迎えることができた。おやじさん、おかみさん、ありがとう。



【写真はどぶろくの瓶とレオ】


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2 コメント

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ほー (やん)
2010-01-08 00:15:56
酒粕を探してたらここにヒットし 何となくよんだら一気によんでしまった

なんていい話しなんだろう 日本酒は飲まないんだけどなんだか飲みたくなりました~
札幌にすんでるからね~
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そういえば・・・ (agrico)
2010-01-08 18:21:10
 去年の二月にこの店が移転したという葉書が届いたのを思い出して、先ほど読み返してみたところです。引っ越し草々病気に罹ってしまったとのこと。その時はたいして気にも留めなかったのですが、おやじさんもおかみさんも歳だから、今となればどのような病気をしてもおかしくない。ましてや酒好きならば・・・
 そこで遅ればせながら今年賀状を書いてるところです。いつも私は、年が明けてから書き始めるのですよね。それも10日ほどかけて。
 大事なければいいのですが。人生は一期一会です。会うのも突然で、別れる時も予測できません。
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