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アグリコ日記

岩手の山里で自給自足的な暮らしをしています。

自分の中の愛

2024-07-02 07:34:55 | 暮らし
朝に、花菖蒲を見ながら家の前の道を歩いていると、いきなりカラスがけたたましい声で啼き出した。威嚇音だ。二羽のカラスが飛び来たって、私の頭上付近をせわしく飛び跳ねながら、断続的に啼く。その合間には嘴で枝や電線を激しく突つき回る。近くに巣があるのだ。子どもを育ててるに違いない。私を危険要因と認識して、ここから早く立ち去れと言っている。
この(おそらく)若いつがいは、この春この場所で、初めての子育てをしている。まだ私に慣れてはいない。去年までは、別のカラスがここを縄張りにしていた。私とはもう古いつき合いになる年老いたカラスだった。

この古株のカラスとの交流は、随分昔に始まった。私がスズメに餌をやるために作ったエサ台の上の玄米を、彼は時々食べに来ていた。私も始めのうちこそ餌をカラスに盗られまいとして、網で囲ったりいろいろ工夫したりしていたが、やがてそう簡単には防げないことがわかった。そこで諦めて、カラスが食べるままにさせていたのだった。わが家は大家族なので、鳥が一羽増えたからといって取り立てて困ることも無い。
やがてそのカラスは、私が庭で鶏にラーメンをやるのに御一緒するようになり、猫にパンをあげる時もやはり御一緒するようになり、そのうち私もちゃんとカラスの分も考えて食べものを用意するようになった。わが家は彼にとってとても居心地いい場所みたいで、ちょくちょく来ては庭を散歩したり、私の姿が見えないと、窓を覗き込んだりした。
朝明るくなり始める頃、彼は私を起こしにやって来る。馬舎の屋根の端に留まって起きろ、起きろと鳴く。朝食の時間もしっかり把握していて、私がどんぶりを持って出てくるのを必ず庭で待っている。私が畑で働いていると、「やあ、ここにいた」と言いながら飛んで来て、ひとしきり辺りの地面を歩き回り、ほじくり回して散策する。私の軽トラもなぜか識別していて、私が家の近くまで来ると、途中で見つけて車の上を「お供でカラす」とか言いながら伴走したりした(それは地面を移動する彼の影でわかった)。私が猫や鶏やカラスのためにパンを買ってくることをちゃんと知っている。家に着くとみんなぞろぞろと出てくるのだが、その中にちゃんと彼もいた。
ある時期、夫婦で庭に降り立ってパンをついばんだりしていたこともあったが、配偶者は替わるみたいで、大抵の奥さんガラスは私を警戒して近くには寄ってこない。彼だけが私のそばに来て食べものを咽喉に詰め(カラスは咽喉の袋に食べものを入れて運ぶことができる)、妻のいる場所に飛んで行っては口移しに食べさせてやっていた。パンやラーメンを貰って妻は喜びの声をあげる。その姿は微笑ましいものだった。
彼とは実に長いつき合いだった。カラスの個体を識別するのはとても難しいので(みんな同じに見える)、正確にはなんとも言えないのだが、少なくとも十年はゆうに越していると思う。後になると行動で、明らかに彼とわかるようにはなったが、その前からずっと彼はいたようだった。なぜか私の育てているトウモロコシは食べないでいてくれたので、私の方でカラス用に1~2本畑に置いておいたりした。
時に家の上空で、カラス同士が追いかけ合っているのを見ることがあった。鳥のオス同士の縄張りをめぐる闘いは熾烈である。私も長い間鶏を見ていてそれは知っていた。負けた方は逃げなければ、半殺しの目に遭わされる。なにしろこの場所は一等地だから、紛争も絶えなかったろう。生態系豊かでミミズや昆虫がたくさんいる。有害物質を敷地内に入れていないので食べものはすべて健康食品である。おいしい果実の成る木も種々植えられていて、季節の味覚も存分に味わえる。冬の間もエサ台には無農薬玄米が切らさず置いてある。それに時々カラスの好きそうなものを与えてくれる人間までいるとくれば、カラスとしては天国と極楽が掛け合わさったような感じだろう。そして何年も何年も、彼は居続けた。時に尾羽がボロボロになっていたこともあったが、彼は頑張って縄張りを守り続けた。

しかし去年の秋、ある日を境に彼はぷっつりと来なくなった。思えばその直前に、カラスが二羽追いつ追われつしてるのを幾度か目撃していた。たぶん老いた方が追われていたのだろう。彼は負けてしまったのだ。その後一度だけ、彼は家に来ていつもどおり私を呼び、私はパンをひとかけら持って外に出た。それが彼を見た最後だったし、彼に上げた最後のパンになった。今思えば、彼は私に別れを告げに来たのだった。その時はそこまでは思わず、彼が来たのを単に喜んだだけだった。
憶測だが、追い出した方のカラスは、彼の子どもか子孫だったかもしれない。鶏の世界はそうだし、カラスでもおそらく同じようなものだろう。ただ強い者が、一番良い場所を取る。弱くなればただ立ち去るだけなのだ。

花菖蒲の花々が終わりに近づく頃、ちょうどカラスの子どもたちが巣立ちの時を迎える。ある日、普通とは違った鳴き声が聞こえるのに気づいた。音程が低くて、声変わりのしていない子ガラスの声だった。それが見てると一羽、また一羽と巣を出て枝に飛び移る。二羽の子どもが巣立ったようだ。新しいいのちが育つのを見るのは嬉しい。両親の世話の甲斐あって、無事彼らは若鳥となった。やがてはそのいずれかがまた、私の元に食べものを貰いに来るかもしれない。
三次元の世界でともにいてくれた者たちは、猫たちも鶏もカラスも、そして人間も、みな私の元からいなくなってしまった。それでいい、そうなるはずのものだとはわかってはいるが、それでもやはり寂しいものがある。そんな時に私は、自分の中にある「愛」に、ハートの中心に意識を向けよう、と心に思う。新しい世界に執着や悲しみを織り交ぜたくはない。新しい出会い、新しい家族が今形成され始めているところだ。今いる二匹の猫たちも、私が生まれ変わった後に来た者たちである。
巣立ちの日以降、カラスの威嚇は無くなった。彼らもやがては、新しい私の家族となるかもしれない。


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