アグリコ日記

岩手の山里で自給自足的な暮らしをしています。

ホテル・ランチ

2007-09-10 20:51:03 | 暮らし
 ある日ひょんなことからホテルの料理人たちとの出会いがあった。それは思い返せばこの春先のことになるのだけれど、それについて書くと話題がそれてしまうのでここでは割愛する。とにかくあの日わが猫家をわざわざ訪ねて来てくれた人は日本料理とイタリア料理の直営店を擁する地元で一番大きい(と、思う)ホテルの総料理長で、どこかに岩石のような職人気質を伺わせ、けれども一面ざっくばらんな風体の中にホテルという一国で供する料理をまとめて統べているという大いなる気概と責任感を持った、またそのためにただ作るばかりではなくして、緻密な情報網を巡らせて東西南北さまざまな生産者(その中には農業、水産業、加工業など食べものに関係ある職種はすべて含まれる)を本人自ら訪問しては常に最高のモノ、料理人として納得のいく食材の入手に手間と時間を惜しまない、そんな本気さを感じさせる人だった。
 とかくホテルのレストランというと私の頭の中で、「高級」「モノはいいけど量が少なくてされど値段は高い」「雰囲気ちょっと堅苦しい」というイメージが走馬灯のようによぎるのだけれど、でもそれはあくまで個人的なおよそ限られた経験と固定観念の上に乗っかったある種妄想に等しいものだろうから、現実は必ずしもそのとおりだとは限らない。実際その時会った料理長からは、それまでに抱いていた(というより捏造していた)料理人のイメージとはちょこっと違う印象を得たことも事実だ。だからその時から、「こんな人たちの作る料理というものを、一度は食べてみたいものだ」と率直に思うようになっていた。
 そしてその機会は半年もの月日を経て、ようやくつい先日訪れたのだった。台風一過空は晴れたけれど道路も地面も今だ水浸しの状態というある朝に、私は思いきってそのホテルの玄関をくぐった。あの日からこんなにも時間が経ってしまったのは、「ホテル」というものの持つ敷居の高さが少なからず関係してるかもしれない。実のところ私には、日頃身に付けるものと言えば泥の染み付いたよれよれの作業着しか持ち合わせていないのだった。

 入ったのはイタリアン・レストラン。開店時間直後だったので店内は厳かで極めて見通しのよい状態だった。隅の居心地よさ気なテーブルに腰を落ちつけ、メニューを拡げて私が選んだのは「パスタ・ランチ」。なんとなくこんな機会にパスタが食べたい(わが家ではソバも小麦も栽培してるのだけれど、なかなかにラーメンやパスタは自前では作り難いものがある)と思っただけだったのだが、あらためて見るとこれがこのレストランのランチで一番低価格のものだった。840円。注文する時にはさして気にかけなかったけれど、サラダバーとスープとコーヒーがついてるみたい。それと愛想のいい店員さんと。
 それから先のことは詳しく書こうとすると自己本位なグルメ・ブログまがいの体裁になってしまうので省略するが、私自身にとっては「さすがにこれがホテルか!」と思わせるのに充分だったとだけ言っておこう(私はこんなところで決してお世辞など述べない)。出された料理に共通のことは、サラダバーといいスープといい、単純なものがとても美味しいということ。まず生のミニトマトの味には思わずハッとさせられたし、変哲もないマカロニサラダがどうしてもうまい!キュウリ・海草と和えたベーコンは本物だった。もちろんわが家でもミニトマトは作っていて無農薬・無化学肥料、これに慣れればスーパーで売ってるものなど全然おいしいとは思えないほどなのだけれど、しかしここで出されたモノは完全に違った。さすがに食材を追求し続けた結果なのだと思う。彼も料理のプロならば、こちらも体のためになる食べものを追求し続けるプロである(実際そうでなければ今の暮らしは成り立たなかった)。皿に盛ったミニトマトひとつ、ドレッシングひとつの「食べもの」としての質を汲み取る最低限の感覚は持っている。
 そしてメイン・ディッシュのパスタはとてもシンプルなスバゲティで、ただ肉体労働者の私には若干塩味が足りないと言えばそうも言えるのだけれど、テーブルの塩・胡椒を一振りすれば更に味覚の満足度が増すという、そんな許容範囲に十二分に収まっている一品だった。前菜から食後のコーヒーまで、メニューに書き連ねればそこらのファミレスとなんら変わらない。でも出されたものはまったくの別物だ。それだけ私は外食で「まがい物」しか食べてこなかったということなのかもしれない。しかしこれが本来の野菜でありサラダであり、パスタなのだと思う。
 この一食で正直なところ、「ホテルの食事」というものに自分が抱いていた偏狭な先入観を払拭させられてしまった。これはまさに名実ともに一流で、しかもそれの値が通貨で840円!質と自分なりの満足度から言うと、たぶん安すぎるのじゃないだろうか。大衆食堂でもラーメン屋でも、ちょっとした付け合わせを頼めばすぐにこれだけの値段には跳ね上がる。それらと比べればもし私が市中に勤めるサラリーマンだったなら、毎昼これを食べ続けてもいいと思う。味覚だけではない。体自体がこれらの料理に対してマイナス反応(多くは食品添加物に代表される化学物質に対するもの。私の体は若干の波はあるにせよ、これらの有害物質を幾分かは感知することができる)を示さなかった。一介の百姓である私が言うのもなんなのだけれど、さすがにプロの料理人というのは侮れないものだなと正直思った。

 この話にはちょっとした後日談がある。なるほど、世の中には安かろう悪かろうを追求する店ばかりじゃないんだな、ちゃんと値段に見合った素晴らしい食事を提供する高品質の店もあるのだと思って、日を改めて今度はこのホテルの道を挟んだ隣りにある、「貴族の○○」とかいう仰々しい名前のレストランに入ってみたのだった。正直言ってそれまでこんな店に自分が縁あるものとは全然思わなかった。でもなんとなくここもあのホテルと同様イタリアンっぽい雰囲気であり、それなりにいいモノをいただけるのであれば充分お金を払う価値はあるだろうから、気分がのってるこの機会に体験すべし!と思ったのだった。国道沿いの一等地に聳える、まるでお城や邸宅を思わせるような凝った外装の店である。
 多彩なメニューに目移りしつつも注文したのはシーフード・トマトスパゲッティ。それにコーヒーを加えて1,150円ほど(隣りのホテルより高い!)。それに一皿のパンとサラダが前菜につく。
 けれどサラダを一口二口食べて、なんとなくわかった気がした。案の定次に口にした「話題のパン」と銘打つものには紛れもない添加物の味がした。そう、ここは内実はファミリー・レストランだったのだ。内外装ちょっと洒落た感じのファミレス。続いて供されたスパゲッティもそれ相応の(変哲もない)味がして、極めてもの足りない。せっかくの出費に少し悔しい気もするが、まあこれも自分なりの勉強だと思って割り切った。食後にいかにも高級感醸し出す陶製カップのコーヒーをゆっくりと啜りながら、私は口の中にネットリと絡みついた化学調味料の味をどうにかして拭い去れないものかと思案したのだった。

 そう、食事を供する店との出会いは人との出会いに通じるほどに多彩で必然的なものがあると思う。私たちの口にする食べものの重さは決して値段では計れない。そもそも体も健康も、お金では買えないのだ。されど商業ベースで計る限り安いものには大概それなりの理由があるものだし、しかし安いものすべてがよくないとはこれもまた言えない。そんな複雑な食の生産や流通、調理する側の心意気に裏付けられた飲食業界の現状が、あるにはあるものだなと思わせられた。人間の見かけと内実が別物であるように、飲食店もまた、そのようなのである。
 
 

【写真はオコトエシの花にとまったミドリヒョウモン。
夏の過ぎる頃には時々羽の破れた蝶を見かけるようになる。】




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2 コメント

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Unknown (allie)
2007-09-12 11:12:30
840円!
パスタにサラダ、コーヒー付で?!
安すぎです・・羨ましい!!
ファミレスでさえなかなか都会では千円以下はないですよ
今度東北へ行く時はホテルでのランチ考えます♪

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田舎なんでしょうね。 (agrico)
2007-09-12 18:24:55
そもそも田舎と都会では労働者の最低賃金にも(大きな)差があるし、並べて収入・支出ことごとく同じ尺度では計れないのでしょうね。私も田舎で暮らすようになってから、基準となるモノの値段が違うのに直面しました。例えばこの辺では、ラーメンや定食はシンプルなものは500円内外が相場みたいです。もちろん贅沢しようと思えば上限はないのですけれど。
昨今私たちはあまりにもすべての物事を「お金」で計ることに慣れすぎてしまっていて、「高いもの=いいもの」の図式に胡坐をかいてしまいがちです。でも内実は決してそのとおりとも言えないですね。お金に縁がない私もこの一件で勉強させられました。つまり違った角度から言えば、あまりに日常「まがい物」に慣れすぎてしまっているのですよ。そのくせ本物と偽物を見分けることができない。
「ホテルは高級」も確かにそうなのですが、しかし正直なところこんなに割安感があるとは思わなかった。インターネットを探るととても魅力的なホテル・レストランがたくさんあります。もしかしたらこれも飲食業界の競争が激化した結果なのかもしれませんね。
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