アグリコ日記

岩手の山里で自給自足的な暮らしをしています。

魂の行方

2004-07-06 20:38:32 | 思い
土手に坐って、眼下の田んぼを見下ろし、
空を仰いで、何となく草をむしる。
今むしった、ひと握りの草を手にして、
ふと、今自分は、
なんで草を、
むしったんだろう。
指の間にはさまった
クローバーやシバクサ、
花開いたスズメノテッポウを見ながら、
あぁ、どうして自分は、
草を
むしってしまったんだろう。

この草たちは、死んでしまって、
これからどこへ行くんだろう。



そんなところから、
このお話は、始まります。


この春亡くなった あの山のお爺さん
去年の暮れ亡くなった 一軒向こう隣りの
お婆さん
わずかな間の 出会いだったけど
振り返ると
みんな いい人だったような気がする

死に逝く人の顔は優しい。
生きていた頃は、
誰も良いことを言わなかった
あの人だって、
棺の中で
とても穏やかな顔をしていた。

生きるときは 例え
般若の面をしようとも
死に逝く時は 仏の顔に

人間の生って、
いったい何なのだろう。
生きて、死ぬ。
それはどういうことなんだろう。

死んだ後は
もしかしたら
とてもいいところに行くんじゃないだろうか
生きてるときは地獄でも
死んでからは それこそ本当に
安らかに暮らせるところに

だから
無造作に摘まれた草も、
みんな穏やかな顔をして、
みんなにありがとうと言いながら、
静かに、枯れていくのだろうか。

もし、死後の世界があるとすれば、
もしそうならば、
今の生よりも、
長くて生き易いのかもしれない。
だから、みんな
穏やかに死ねる。

死ぬということは
怖いのだろうか
あの世というのは
本当に 嫌なところなのだろうか

みんな等しく この地上に生まれて
いろいろな生を生き
さまざまな体験をして
それぞれの状況で
死んでいく

その共通性に比べれば
少しの生き方の違いや
死に方のちょっとした差に
どれほどの 意味があるというのだろう

草や木の生と
私たちの生とに、
違いはあるのだろうか。

みんなやがては 元のところに帰って
わはは と笑って
また出直したりするのかもしれない

死後の世界を信じないのは
人間だけ。
だから
一生懸命お金を貯める。
この世で自分だけ良ければ、
いいと思う。
他の生き物たちは、
そんなことはしない。

でも、本当に

死んだ後も私たちは、
どこかで生きているんじゃないだろうか。
このクローバーたちと、また一緒に
暮らせるんじゃ
ないだろうか。


【写真は、いつかどこかで写した木。我ながらダイナミックです。】
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14 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ふむっ。 (南無)
2004-07-06 23:38:06
原点に戻ることはたやすいことではないが、向かうところであると気づくことは大切である。

全ての現象を存在しない物とみなすには、あまりにも愛する者が多いと言うことだ。

あなたがやろうとしている事が少しずつ分かりかけました。

世に”特殊”な事などあろうはずはない。

あなたはわかっているはずだ。

全ては等しく照らし続けられているということを。

だから、失うものはなにで、得たものはなにか、ということは愚問でしかない。



それは書き続ける中にしか存在証明は無いと私は思う。

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おはようございます。 (agrico)
2004-07-07 07:54:06
persempreさんに約束した「人が他人を傷つけて良いかどうか」について、これから何回かに分けて記事にしようと思います。

そのためにはまず、「魂」や「心」、「生命」について、私の思うところを表す必要があります。



前回のコメントで、固定観念を消して物事を捉える姿勢について書きましたが、確かにおっしゃるとおり、それは簡単にできることではありませんね。あくまでも自分なりの「希望」のひとつに過ぎないかもしれません。

それでも、希望は実現へのスタートだから、少なくとも出発点に立ったことにはなるのでしょう。



もし仮に、すべての事象を知りえたならば、その時はもう、人間でいる必要はなくなっているかもしれませんね。

私たちみんな、行くべきところに行って、すべてをまた思い出すのかもしれません。



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agricoさん (persempre)
2004-07-07 09:04:53
今朝、読ませていただいたコメント とても、気にいりました。 ありがとうございました。 自分なりの幸せな人生を創作したいと思います。



南無さんが、にらんでるし、



ここの記事に関しては、下手にコメントしないほうがよさそうだけど、ちょっとだけ記事で、お返しします。





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きっとある (海猫)
2004-07-07 12:59:16
死後の世界はある”と思います。今の私たちの生きている所は、心、魂を高める修行の世界だと思います。だから、辛いこと、人を傷つけ、傷つけられたりするのではないでしようか。人を傷つける時、傷つけられた時の気持ちは苦しいですよね。こうして、良い心を育てて行くのではないでしようか。一段落したら、死ぬ、まだ修行が足りなければ、また生まれて来るのでしょう。死ぬ”と言うより、生まれ変わり”と言ったほうがいいかもしれません。身体が変わっても魂は変わらない。死は怖くないと思います。子供だって死ぬんだもの。子供は怖い所へはいきませんよ。ただ、怖いと思うのは、なにが待ち受けているかが分からないからです。でも、死ぬ時が来たら、分かるんでしようね。agricoさんは明日が怖いですか、怖くないですよね。でも、明日には死んでいるかも知れないですよ。このように、死後のことは分からないのです。そうして、人を殺してもいい”と言う発言でpersempreさんの

blogでいろいろありましたね。私はこの発言について、はじめはびっくりしました。でも、考えてみたら、この発言は間違っていないかも知れません。人の命を奪うのは罪だと決めているのは、人間です。動物の世界を見るとわかりますね。他の命を頂いて生きているんです。また、誰だて人を殺しています。私だて、agricoさんだて、そう、人の命は奪ってないけれど、心で殺しています。前の話に戻りますけど、嫌いな人をさけて、自分の中からその人の存在をけす。その人を捨てる。殺すと言うのはその人の存在を消すことではないでしょうか。今は、嫌いな人、好きな人、私に係わって来る人は大切な存在だと思えるようになりました。

ところで、agricoさn、人をころす”死後のこと”などの発言をしたあなたが心配です。こう言うことを思う時て。。。。。。私の場合は辛い、孤独の時です。今もまだまだ、私の心は孤独ですが、光に向けて手を伸ばしています。





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むぅ、みんな真面目なコメントだ。 (はにゃ)
2004-07-07 14:52:12
今書くとしょーもない事しか書けなさそうなので

またいずれ別な機会に書くね。

とりあえずこの記事とコメント欄は全部読んだよ

~。

過去ログはまだですががが。
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海猫さんへ (agrico)
2004-07-07 17:21:18
生まれる、死ぬ、また生まれる・・・ということをもっと気軽にできれば、いいかもしれませんね。

でも多分、それでは何かしら都合が悪くて、今の状態になっているのでしょう。



何もわからない、ということは、すべて自分で決めれる、ということでもあります。



「人を殺す」ということですが、実は私たちは日常暮らしているままに、たくさんの人を殺していると思いますよ。

例えば、「太平洋戦争」ですが、その時の日本国民はみんな騙され、強いられてただけなのでしょうか。それで何も悪くはなかったのでしょうか。

今日本中で、また世界中で起こっていることは、私たち全員の総意だと思います。

人は全体の中で自分ひとりは無力だと思い込んでいて、その結果何もしないでいるんじゃないでしょうか。

でも、恐らく違います。

私たち一人ひとりは、自分の身の周りに自分の世界を創る充分な力を持っていると思うんです。

そのことについても、いつか書きますね。



今回は「魂」について書こうとして、こういうテーマになっただけなんです。

私自身はいつでも死ねるかな、と思っていますが、こうして生きているところを見ると、まだやることがあるみたい。
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はにゃさんへ (agrico)
2004-07-07 17:30:45
わざわざ来てくれてありがとう。

私の出したコメント、ちょっと失礼かもしれないと思いながら、でもその時に正直に感じたことだからと、思い切って書きました。

はにゃさんならば、いざとなれば笑い飛ばしてくれると思っています。

私は堅物なんでしょうね、まわりくどいことや、単純なものを複雑にすることがあまり好きではありません。

だから周りの雰囲気にそぐわなくても、自分の思うことしか言わなかったりして、座がしらけたりします。

こんな私ですが、はにゃさんなら、一笑にふしてくれると思いました。

読んでくれてありがとう。

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そうですね (海猫)
2004-07-07 18:31:45
殺す、力、死については、深いものなので……またの機会にしたほうがいいですね。
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いつもありがとうございます。 (あん♪)
2004-07-08 21:44:18
(ええ~っと、

 論点が違うかもしンないですけど、ちょっとだけ…。)

お金を貯めたりするのは人間だけだけど、

自分さえよければいいと思うのは

動物たちのほうが、シビアだと思います、私は。

動物にしろ、植物しろ自らの種を保存するためには、迷わず他を根絶する行為にでると思います。カッコウの托卵とかがいい例かと…。

別の種族(例えばネコだとかイヌだとかトリだとか)にエサやって喜んでるのは、

ニンゲンってゆー種類以外ないと思います。

だから、ニンゲンもいい奴だと思います。

あの世の話は、長くなっちゃいそうなのでまたの機会に(^^;....

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確かにね・・・ (agrico)
2004-07-09 08:11:52
自然界では植物も動物も、人間と同じく種を残したり自分が生き延びるために精一杯の努力をしてますね。

そのために他の生き物が死んでしまうとしても、構わない。

そういった厳しさの反面、互いに助け合っているのも事実です。

自分たちだけでは生きていけないことを充分知っています。

だから、決して自分だけ生き延びればいいとか、自分だけですべてを独占しようとはしない。

彼らの厳しさは、「互いに助け合い共生する」という基礎の上で行われていることじゃないだろうか。

ネズミだって、ある程度増えてしまうと自殺する種もあるそうですね。決して自分の首を絞めるほど、他を破壊しない。

でも人間は、はっきりと「自分だけ良ければいい」と思ったりもしますよ。しかも自分の欲のために。



でもあん♪さんが言うように、人間も自然の一部だし、確かに他の生き物に無いいいところもある。

最終的には、人間だってやはり、自分の首を絞めるところまだ他の生き物たちを踏みにじりはしないんでしょうね。
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