![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/c1/9df80915cf946d58d7f7acb8ad0356e2.jpg)
タバコに関連してもう一言だけ付け加えよう。以下は、山梨大学医学部の山県然太朗教授が妊婦喫煙と肥満の関係について調査した内容である。
妊婦の受動喫煙が生まれてくる子どもの知能指数を低めたり、子ども時代の受動喫煙が児童の学力を大きく低下させることは既に疫学的に実証されている。タバコの含む化学物質が、ヒトの発育過程における神経系の形成を阻害することが原因らしい。また胎児期や乳幼児期に受動喫煙をすると、落ち着きがなく思慮に乏しく、集中力も忍耐力も正常児と比べて劣った、謂わば「キレやすい」子どもに成長するらしいことも、動物実験によって確かめられている。
そうでなくともタバコの煙が家族の健康に悪いということを知らない人はいないのだが、それでもタバコを吸い続ける喫煙者は、完全に「自己管理能力を欠如している」か、家族に対する愛情がないかのどちらかであろう。
確かに最近、肥満した子どももよく目にする。あれはもちろん「家庭の食生活」が問題ではあるだろうが、同時に胎児の頃の母親の食習慣や両親の喫煙習慣などの影響も潜在しているのかもしれない。しかし怖いものだ。親となるということは、わが子に対して全幅の責任を負うということなのだが、現実には子どもに不幸を背負わせるだけの蒙昧な親が多い。欲に動かされ快楽を求め、人やいのちを愛することを学ばずに生きてきただろう彼らの眼中には、子どもの存在など二の次なのかもしれない。
私自身もたまに、重度のアトピーや喘息の子を持つ親などから相談らしきものを受ける時があるが、彼らとある程度付き合い互いにその人となりがわかり合うようになる頃には、決まって「あぁ、この人もやっぱり!」と驚かされることになる。というのは、そういう親たちのほとんどが、人一倍我欲が旺盛でエゴが強く、どう見ても人間として熟されていないのである(たまたま私の出会った人たちだけがそうなのかもしれないが)。言葉を替えれば「ガキ」のようだと言ってもいい。
だからわが子が治り難いアレルギーに苦しみ、毎日毎晩泣き続けても、その原因をきまって他の外部的なもの(例えば「この子はなんらかの偶然で疾病にかかったのだから、私たちは不遇なのだ」とか、「これは原因不明で不可抗力なのだからどうしようもないのだ」など)に求め、決して自分たちの生き方や、生活習慣、食生活に根本的な原因があるなどとは考えない。いやむしろそれから無理に目を逸らしているようにも見える。
しかし生まれてくる子どもは、考えようによっては、そうした彼らの人間として正すべき重大な点に気づかせるべく、愛する親のために、あえて身を挺して苦しみや不幸を背負って生きてくれてるのだ。もし親の側にその事に気づく柔軟性と人間愛とがあるならば、どのような難病といえどもその原因、その意味するところに必ず行き着くことができると思う。実際私の知人の中にも、何人もの親たちが、それに気づいて子どもとともに人生を作り直している。
でも自分たちお気に入りの生活を手放したくない、わが子のためになりふり構わずなんでもするなんて気にはなれない親たちは、とりあえず病院に行く、薬を与える、そしてこれだけやったんだからもういいだろう。他に打つ手がない。などという思い込みに浸り、結果的にますます長い期間子どもに苦しみを与え続ける。例えば「農薬や化学肥料の入ってない食べ物?添加物のない食事?そんなのできるわけないじゃん!」「砂糖や肉を完全に食べないことなんて不可能だ」「そんなの無理してやったって、治るとは限らないよ」「まず食っていかなくちゃならないんだから、今の生活は変えられない」とか言いながら、今現在の金本位、利便さ娯楽性本位の生活にしがみつく。
つまり彼らは単に「わが子を気遣うフリをしている」だけなのだ。誰にどういうことを相談しようと結果は最初から決まっていて、最初に自分自身ありきである。内心は「病気になったこの子が悪いんだ」くらいにしか思っていない。その人たちにとって、わが子とは結局その程度のものなのである。
悲しいかな、今の日本において、こうした実例はどこでも見られるようになってしまった。喘息の子を持ちながらタバコをやめない親、アトピーの子を抱えながら相変わらずの食生活を続ける家庭、お金儲けのための仕事に忙しく子どもを充分に相手していない両親、なんでもかんでも(さまざまな理屈をつけながら)子どもを自分たちに合わせようとする大人たち。彼らの前には例外なく、「犠牲となった弱者」が現れるのだが、しかしその悲劇の原因は必ず「不可抗力」な他のなにかなのである。
そうした病気の子らの最大の不幸は、そのような親の下に生まれたことに他ならない。これが「ガキが子どもを育てる」ことの必然的な経過であり結末とも言える。
【写真は、ネット上で見つけた画像。ヒトは生態系の最上部に位置する「上位捕食者」のはずなのだが、さてこの姿で、いったい獲物を捕まえることができるだろうか。本来食べ物にも性的伴侶にも縁のなさそうな肉体が過栄養によって作られるというのは、ある意味皮肉であるし、またある意味自然界に「存在しえないこと」の裏づけでもある】
(つづく)
妊婦の体が子どもの肥満に与える影響について
調査によると、女性が妊娠3ヶ月の時点で喫煙していると、10歳の子供が肥満である確率は非喫煙の場合よりも約3倍高かったとのこと。また、妊娠中に規則正しく朝食を取っていない女性の子どもも、2.4倍の高確率で肥満になっていた。
この結果について山県教授は「母親の喫煙により胎児が栄養を吸収しにくい状態になり、生まれてからはその反動で栄養を蓄えやすい体質になるのではないか」という見解を示している。
(「妊婦喫煙で子の肥満率3倍になる!!」より)
妊婦の受動喫煙が生まれてくる子どもの知能指数を低めたり、子ども時代の受動喫煙が児童の学力を大きく低下させることは既に疫学的に実証されている。タバコの含む化学物質が、ヒトの発育過程における神経系の形成を阻害することが原因らしい。また胎児期や乳幼児期に受動喫煙をすると、落ち着きがなく思慮に乏しく、集中力も忍耐力も正常児と比べて劣った、謂わば「キレやすい」子どもに成長するらしいことも、動物実験によって確かめられている。
そうでなくともタバコの煙が家族の健康に悪いということを知らない人はいないのだが、それでもタバコを吸い続ける喫煙者は、完全に「自己管理能力を欠如している」か、家族に対する愛情がないかのどちらかであろう。
確かに最近、肥満した子どももよく目にする。あれはもちろん「家庭の食生活」が問題ではあるだろうが、同時に胎児の頃の母親の食習慣や両親の喫煙習慣などの影響も潜在しているのかもしれない。しかし怖いものだ。親となるということは、わが子に対して全幅の責任を負うということなのだが、現実には子どもに不幸を背負わせるだけの蒙昧な親が多い。欲に動かされ快楽を求め、人やいのちを愛することを学ばずに生きてきただろう彼らの眼中には、子どもの存在など二の次なのかもしれない。
私自身もたまに、重度のアトピーや喘息の子を持つ親などから相談らしきものを受ける時があるが、彼らとある程度付き合い互いにその人となりがわかり合うようになる頃には、決まって「あぁ、この人もやっぱり!」と驚かされることになる。というのは、そういう親たちのほとんどが、人一倍我欲が旺盛でエゴが強く、どう見ても人間として熟されていないのである(たまたま私の出会った人たちだけがそうなのかもしれないが)。言葉を替えれば「ガキ」のようだと言ってもいい。
だからわが子が治り難いアレルギーに苦しみ、毎日毎晩泣き続けても、その原因をきまって他の外部的なもの(例えば「この子はなんらかの偶然で疾病にかかったのだから、私たちは不遇なのだ」とか、「これは原因不明で不可抗力なのだからどうしようもないのだ」など)に求め、決して自分たちの生き方や、生活習慣、食生活に根本的な原因があるなどとは考えない。いやむしろそれから無理に目を逸らしているようにも見える。
しかし生まれてくる子どもは、考えようによっては、そうした彼らの人間として正すべき重大な点に気づかせるべく、愛する親のために、あえて身を挺して苦しみや不幸を背負って生きてくれてるのだ。もし親の側にその事に気づく柔軟性と人間愛とがあるならば、どのような難病といえどもその原因、その意味するところに必ず行き着くことができると思う。実際私の知人の中にも、何人もの親たちが、それに気づいて子どもとともに人生を作り直している。
でも自分たちお気に入りの生活を手放したくない、わが子のためになりふり構わずなんでもするなんて気にはなれない親たちは、とりあえず病院に行く、薬を与える、そしてこれだけやったんだからもういいだろう。他に打つ手がない。などという思い込みに浸り、結果的にますます長い期間子どもに苦しみを与え続ける。例えば「農薬や化学肥料の入ってない食べ物?添加物のない食事?そんなのできるわけないじゃん!」「砂糖や肉を完全に食べないことなんて不可能だ」「そんなの無理してやったって、治るとは限らないよ」「まず食っていかなくちゃならないんだから、今の生活は変えられない」とか言いながら、今現在の金本位、利便さ娯楽性本位の生活にしがみつく。
つまり彼らは単に「わが子を気遣うフリをしている」だけなのだ。誰にどういうことを相談しようと結果は最初から決まっていて、最初に自分自身ありきである。内心は「病気になったこの子が悪いんだ」くらいにしか思っていない。その人たちにとって、わが子とは結局その程度のものなのである。
悲しいかな、今の日本において、こうした実例はどこでも見られるようになってしまった。喘息の子を持ちながらタバコをやめない親、アトピーの子を抱えながら相変わらずの食生活を続ける家庭、お金儲けのための仕事に忙しく子どもを充分に相手していない両親、なんでもかんでも(さまざまな理屈をつけながら)子どもを自分たちに合わせようとする大人たち。彼らの前には例外なく、「犠牲となった弱者」が現れるのだが、しかしその悲劇の原因は必ず「不可抗力」な他のなにかなのである。
そうした病気の子らの最大の不幸は、そのような親の下に生まれたことに他ならない。これが「ガキが子どもを育てる」ことの必然的な経過であり結末とも言える。
【写真は、ネット上で見つけた画像。ヒトは生態系の最上部に位置する「上位捕食者」のはずなのだが、さてこの姿で、いったい獲物を捕まえることができるだろうか。本来食べ物にも性的伴侶にも縁のなさそうな肉体が過栄養によって作られるというのは、ある意味皮肉であるし、またある意味自然界に「存在しえないこと」の裏づけでもある】
(つづく)
一昨日から稲刈が始まっています。が、稲架に掛けた稲束はすべて風で落とされ、稲架もこのでは9割方倒されました。今までの経験で最強の台風でしたね。わが家も物置の屋根トタンが半分なくなっていました。
復旧作業はおいおいやるとして、生きていればいろんなことがありますね。面白いもんだと、ミーコと一緒に水浸しになった田んぼを見ながら思います。