アグリコ日記

岩手の山里で自給自足的な暮らしをしています。

アイヌが伝えたアセンション

2024-05-15 09:09:10 | 思い
アイヌに伝わるカムイユカラ(直訳すればカムイの叙事詩。カムイとは、生きもの・山や川・自然現象・人工物など、すべてのものに宿るその本体。神/霊/魂とでも訳せるもの)を集めた本に「アイヌ神謡集」というものがある。今からおよそ百年前(1923年)、アイヌ女性・知里幸惠が邦訳・編纂したものである。今回はその中の一篇「梟の神の自ら歌った謡 『銀の滴降る降るまわりに』」を紹介しよう。かなり長いので、途中省略し、また読みやすいように数か所記述を変えたり注釈を加えたり、場面ごとに一行空けたりしている。
まずは読むに先立って、知っておいた方がいい基礎的な知識を幾つか記して述おこう。いずれもアイヌ文化特有の世界観に基づくものである。
1. カムイは良い人間との出会いを求めて動物の姿になって人間の国(アイヌモシㇼ)にやって来るとされ、善い行いをする人間を見込んで狩られることを選ぶ。カムイと人間は対等な立場である。そのためカムイから肉や羽などの恵みを得た人間は、カムイをまれびと(霊界からの訪問者)としてもてなし、木幣(イナウ)・酒・団子などを霊魂に捧げて神の国に送り返す。これがアイヌの霊送りの儀式(イオマンテ)である
2. 鳥でも獣でも山にいる時は,人間の目には見えないが,各々に人間のような家があり、みんな人間と同じ姿で暮していて、人間の村へ出て来る時は鎧(肉体)を着けて出て来る。死んで死体となった時、霊魂は死体の頭の上(この謡では耳と耳の間)にいるとされている。(あくまで私見だが、この「山にいる時」というのは誤解を生む表現だと思う。「神の国/あの世/魂の世界」とでも言った方がより伝わりやすい。参考までに)
3. シマフクロウはアイヌ語でコタン・コル・カムイ(村を護る神)とも呼ばれ、北海道各地で崇められていた。

「銀の滴降る降るまわりに,金の滴
降る降るまわりに.」という歌を私(梟/フクロウ)は歌いながら
流に沿って下り,人間の村の上を
通りながら下を眺めると
昔の貧乏人が今お金持になっていて,昔のお金持が
今の貧乏人になっている様です.
海辺に人間の子供たちがおもちゃの小弓に
おもちゃの小矢をもってあそんで居ります.
(中略)
子どもたちは梟を見て弓で射止めようとするが、お金持ちの子どもたちの放った矢は当たらず、貧乏人の子の放った小さな矢が梟を射止める。貧乏人の子は、お金持ちの子らにいじめられながらも射止めた梟を抱えて家へと走る。

昔は貧乏人で今は金持の子供等が
石や木片を投げつけるけれど
貧乏な子はちっとも構わず
砂吹雪をたてながらかけて来て一軒の小屋の
表へ着きました.子供は
第一の窓(神窓とも呼ぶ。カムイ専用の出入り口)から私を入れて,それに
言葉を添え,斯々のありさまを物語りました.
家の中から老夫婦が
眼の上に手をかざしながらやって来て
見ると,大へんな貧乏人ではあるけれども
紳士らしい淑女らしい品をそなえています,
私を見ると,腰のなかをギックリ屈めて,ビックリしました.
老人はキチンと帯をしめ直して,
私を拝し
「ふくろうの神様,大神様,
貧しい私たちの粗末な家へ
お出で下さいました事,有難う御座います.
昔は,お金持に自分を数え入れるほどの者で
御座いましたが今はもうこの様に
つまらない貧乏人になりまして,国の神様
大神様をお泊め申すも
畏れ多い事ながら今日はもう
日も暮れましたから,今宵は大神様を
お泊め申し上げ,明日は,ただイナウだけでも
大神様をお送り申し上げましょう.」という事を
申しながら何遍も何遍も礼拝を重ねました.
老婦人は,東の窓の下に
敷物をしいて私をそこへ置きました.
それからみんな寝ると直ぐに高いびきで
寝入ってしまいました.

私は私の体の耳と耳の間に坐って
いましたがやがて,ちょうど,真夜中時分に
起き上りました.
「銀の滴降る降るまわりに,
金の滴降る降るまわりに.」
という歌を静かにうたいながら
この家の左の座へ右の座へ
美しい音をたてて飛びました.
私が羽ばたきをすると,私のまわりに
美しい宝物,神の宝物が美しい音をたてて
落ち散りました.
一寸のうちに,この小さい家を,りっぱな宝物
神の宝物で一ぱいにしました.
「銀の滴降る降るまわりに,
金の滴降る降るまわりに.」
という歌をうたいながらこの小さい家を
一寸の間に金の家,大きな家に
作りかえてしまいました,家の中は,りっぱな宝物の積場
を作り,りっぱな着物の美しいのを
早つくりして家の中を飾りつけました.
富豪の家よりももっとりっぱにこの大きな家の
中を飾りつけました.私はそれを終ると
もとのままに私の鎧(身体)の
耳と耳の間に坐っていました.
家の人たちに夢を見せて
アイヌのニシパ(お金持ち/立派な男)が運が悪くて貧乏人になって
昔貧乏人で今お金持になっている者たちに
ばかにされたりいじめられたりしてるさまを私が見て
不憫に思ったので,私は身分の卑しいただの神では
ないのだが,人間の家
に泊って,恵んでやったのだという事を
知らせました.
(中略)
夜が明けると、立派になった家の中を見て家人たちは驚く。泣きながら感謝の言葉を述べ、精一杯の支度をして梟の神をもてなす。

(老人は)そこで,あの小さい子にわざと
古い衣物を着せて,村中の
昔貧乏人で今お金持になっている人々を
招待するため使いに出してやりました.ので
後見送ると,子供は家毎に
入って使いの口上を述べますと
昔貧乏人で今お金持になっている人々は
大笑いをして
「これはふしぎ,貧乏人どもが
どんな酒を造ってどんな
御馳走があってそのため人を招待するのだろう,
行ってどんな事があるか見物して
笑ってやりましょう.」と
言い合いながら大勢打ち連れて
やって来て,ずーっと遠くから,ただ家を見ただけで
驚いてはずかしがり,そのまま帰る者もあります,
家の前まで来て腰を抜かしているのもあります.
すると,家の夫人が外へ出て
人皆の手を取って家へ入れますと,
みんないざり這いよって
顔を上げる者もありません.
すると,家の主人は起き上って
カッコウ鳥の様な美しい声で物を言いました.
斯々の訳を物語り
「この様に,貧乏人でへだてなく
互に往来も出来なかったのだが
大神様があわれんで下され,何の悪い考えも
私どもは持っていませんでしたのでこの様に
お恵みをいただきましたのですから
今から村中,私共は一族の者
なんですから,仲善くして
互に往来をしたいという事を皆様に
望む次第であります.」という事を
申し述べると,人々は
何度も何度も手をすりあわせて
家の主人に罪を謝し,これからは
仲よくする事を話し合いました.
私もみんなに拝されました.
それが済むと,人はみな,心が柔らいで
盛んな酒宴を開きました.
私は,火の神様や家の神様や
御幣棚の神様と話し合いながら
人間たちの舞を舞ったり躍りをしたりするさまを
眺めて深く興がりました.そして
二日三日たつと酒宴は終りました.

人間たちが仲の善いありさまを
見て,私は安心をして
火の神,家の神
御幣棚の神に別れを告げました.
それが済むと私は自分の家へ帰りました.
私の来る前に,私の家は美しい御幣
美酒が一ぱいになっていました.
それで近い神,遠い神に
使者をたてて招待し,盛んな酒宴を
張りました,席上,神様たちへ
私は物語り,人間の村を訪問した時の
その村の状況,その出来事を詳しく話しますと
神様たちは大そう私をほめたてました.
神様たちが帰る時に美しい御幣を
二つやり三つやりしました.

彼のアイヌ村の方を見ると,
今はもう平穏で,人間たちは
みんな仲よく,彼のニシパが
村の頭になっています,
彼の子供は,今はもう,成人
して,妻ももち子も持って
父や母に孝行をしています,
何時でも何時でも,酒を造った時は
酒宴のはじめに,御幣やお酒を私に送ってよこします.
私も人間たちの後に坐して
何時でも
人間の国を守護っています.
  と,ふくろうの神様が物語りました

さて、この物語を初めて読んだ時、私は、これは今現在進行中の、地球と人類の次元上昇を表現したものだ、と思った。というか、それ以外の解釈ではいったいなにを言いたいのか、なぜカムイユカラとして連綿と謡い継がれてきたのかがわかりにくいのだ。もともとこの謡は、アイヌの物語の中では異質な作品として知られている(興味ある方はwikipediaかなにかで調べてもらいたい)。カムイユカラの中にあって、これは成立の背景が異なるのではと思われている(ただ、異質なのがこの謡だけかどうかまでは私も調べていない)。私自身はこれについて、アイヌの作った物語ではなく、彼らが縄文人だった頃から受け継いできた物語なのではないか(つまり他の謡はこれに倣って後世のアイヌによって作られた)、あるいはいつの時点でか未来に関する知識を持った彼らの中の霊能者(シャーマン)が、その情報を謡に仕立てたのでは、と想像した。
物語の中の貧乏な家族は、言うまでもなく物語の作者を含めた縄文人である。この列島に身一つで漂着した難民たち(今は裕福な人々)を、彼らは助け手厚くもてなしてきたのだろう。そして時代は移り縄文人たちは追われ虐げられ、貶められた存在となってしまった。しかし宇宙と繋がる能力を持っていた彼らは、この物語が語るようなことがいつの日か起こることを知っていた。それを後世に伝えるべく謡の形にしたのだと思う。実際この物語は数千年の時を超えてアイヌ民族の中に受け継がれてきた。
この作者がメッセージを伝えようとしたのは、他ならぬ私たちである。彼ら縄文人たちは、自分たちのDNAがこのように伝えられることをわかっていたのだと思う。彼らの視点、シャーマニズム的観点から見れば、この時代の私たちは生まれ変わりを経た彼ら自身なのだ。つまり彼らは遠い未来の自分たちに向けて、このメッセージを送ったのである。
そして彼らの試みは見事に実を結び、そのメッセージは今私たちの手元に届けられている。「銀の滴降る降るまわりに,金の滴降る降るまわりに」の折返し句が示すとおりの、宇宙からの眩いエネルギーが降り注がれる、今この時代の真っただ中に生きる私たちの手に。
みなでありがたく、それを受け取ろう。今も私たちひとりひとりの中に、彼らは生きている。

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